「島に住みつき始めた女性は、およそ30人だった」アフリカのすぐ隣、マダガスカルの人々のルーツはインドネシアにもあるらしい

「島に住みつき始めた女性は、およそ30人だった」アフリカのすぐ隣、マダガスカルの人々のルーツはインドネシアにもあるらしい 自然・科学

バオバブの並木道や、童謡でおなじみのアイアイ(キツネザルの仲間)で知られるマダガスカル。アフリカ大陸の南東沖、約400kmに浮かぶこの島の人々は、ルーツのおよそ半分をインド洋のはるか向こう、インドネシアにもっている。しかも遺伝子の研究によれば、アジア側から来た人々が島に住みつき始めたとき、その中心になった女性はわずか30人ほどだったらしい。

今日の知ってた?

🧬 約1200年前、およそ30人の女性を中心とする小さな集団がマダガスカルに住みつき始めた——母親から受け継がれるDNAを分析すると、このシナリオがいちばんよく当てはまる。2012年、ニュージーランドのマッセー大学のマレー・コックスらの国際チームが、英国王立協会の学術誌『Proceedings of the Royal Society B』に発表した研究の結論だ。マダガスカルの3つの民族集団の266人と、インドネシア各地の2745人のミトコンドリアDNAを比べ、コンピューター上で何通りもの入植シナリオを試して推定した。その約30人のうち、およそ93%がインドネシア系だったとされる。ただし「今のマダガスカル人の祖先は30人の女性だけ」という意味ではない。アフリカ大陸から来た祖先も大きく、現在のマダガスカルの人々はアジア系とアフリカ系のルーツがおおむね半々に混ざり合っている。

背景:アフリカの隣にある「アジア系の言葉の島」

アフリカのすぐ沖にある、世界で4番目に大きな島。マダガスカルは、アフリカ大陸の南東、モザンビーク海峡を挟んでおよそ400km沖に浮かぶ島国だ。面積は日本の約1.6倍で、グリーンランド、ニューギニア島、ボルネオ島に次いで世界で4番目に大きい。キツネザルの仲間をはじめ、この島にしかいない動植物が多く、バオバブの並木道も観光名所として知られている。

人が住みついたのは、意外なほど遅い。アフリカのすぐ隣にありながら、マダガスカルは人類がたどり着いた大きな陸地のなかでも最後のほうにあたる。それより前に人が訪れていた痕跡を示す研究もあり、最初の到来がいつだったかはいまも議論が続いているが、人々が島に根を下ろして暮らし始めたのは、人類の歴史から見ればかなり最近のことだと考えられている。

話されている言葉は、アフリカではなくアジアの系統。マダガスカル語(マラガシ語)は、周りのアフリカの言語とは系統が違い、東南アジアから太平洋の島々に広がる「オーストロネシア語族」に属する。1950年代に言語学者オットー・ダールが示して以来、いちばん近い親戚はボルネオ島南部のバリト川流域で話されるマアニャン語だと考えられている。インド洋を挟んで7000km以上離れた土地の言葉だ。身近な単語にも名残があり、たとえば数字の「4」はマダガスカル語で efatra、インドネシア語で empat。「6」は enina と enam で、並べるとよく似ている。

もう少し詳しく

「30人の母親」はどういう意味なのか。ミトコンドリアDNAは、母親から子へ男女を問わず受け継がれるが、息子はそれを次の世代に伝えない。つまり、母から娘へとつながる「母系」だけをたどれるDNAだ。研究チームは、マダガスカルとインドネシアの人々の母系DNAのばらつき方を比べ、「何人の女性で、いつ定住が始まったと考えると、今のデータといちばんつじつまが合うか」をコンピューター上で推定した。その答えが「約1200年前(日本でいえば平安時代のはじめごろ)、約30人」だった。男性が何人いたかは、この方法では分からない。コックス氏自身も、少なくとも何人かのインドネシア系の男性が一緒だったはずだとみている。

計画的な移住ではなかったかもしれない。最初の集団がこれほど小さかったことから、研究チームは、インドネシアから大規模な植民団が計画的に送り込まれたのではなく、少人数の、もしかすると意図しない形での大洋横断だった可能性を挙げている。交易船に乗っていた人たちがそのまま住みついた、交易の拠点として送り込まれた、といった見方もあり、実際にどうやって渡ってきたのかは分かっていない。インド洋の季節風(モンスーン)と海流を使えば、東南アジア側から船がたどり着くことはありうる、という航海シミュレーションもある。

アフリカ側のルーツも、同じくらい大きい。現在のマダガスカルの人々は、アジア系とアフリカ系という二つの大きなルーツをもつ集団だ。言葉はオーストロネシア系だが、東アフリカのバンツー系の言語からの借用語も多く含んでいる。この研究が推定したのは、あくまで「母系のDNAから見た、最初期の定住集団の規模」であって、島の人々の祖先をすべて30人の女性に帰すものではない。

「アフリカの隣」の島に、東から人が来た背景。オーストロネシア語族の人々は、数千年前から台湾周辺を起点に海へ乗り出し、東は太平洋のハワイやイースター島、ニュージーランド、西はマダガスカルまで広がったとされる。マダガスカルは、人類史でも屈指のこの大航海の、西の果てにあたる。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
補足すると、自分はこの話を歴史ポッドキャスト『Fall of Civilizations』の、マジャパヒト王国(ジャワ島を中心にした海洋国家)を扱った回で知った。昔のジャワ島には腕のいい船乗りがいて、研究者は、少人数の一団がもしかすると思いがけない形でマダガスカルにたどり着き、そのまま住みついたと考えているらしい。だからマダガスカル語はボルネオ島のマアニャン語とすごく近いし、周りのアフリカの国よりも米やタロイモ、ヤムイモをよく食べるんだって。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
面白いのは、マダガスカル語にはスマトラのマレー語やジャワ語からの借用語もたくさん入ってることなんだよね。当時のボルネオではあまり話されてなかった言葉のはずなのに。サンスクリット由来の単語や、もっとあとの時代にはアラビア語由来の単語まである。一回たどり着いて終わりじゃなくて、長いあいだ行き来が続いてたってことだと思う。

3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
米の話は本当。仕事で首都のアンタナナリボに少しいたことがあるけど、朝も昼も夜もご飯だった。アフリカにいるはずなのに、食卓の雰囲気がどこか東南アジアっぽくて、ずっと不思議な気分だったよ。

4. 海外の名無しさん
「インドネシア人の母親30人」って、やけに具体的な数字だな。誰がどうやって数えたんだよ。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
ミトコンドリアDNAを使った研究だからだよ。ミトコンドリアDNAは母親からしか受け継がれない。正直、自分には難しすぎる話なんだけど、それをコンピューターのモデルで解析したら「だいたい30人」までさかのぼれたってこと。あくまで「だいたい」ね。

6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
つまり30人分の名簿が残ってるわけじゃなくて、「このくらいの人数で始まったと考えると、今のDNAのばらつき方といちばんつじつまが合う」っていう推定なんだな。それなら数字が細かいのも納得。

7. 海外の名無しさん
このタイトル、ちょっと誤解を招くと思う。マダガスカルに住みついたオーストロネシア系(東南アジアから太平洋に広がった言葉の仲間)の集団が小さかったのは、論文を読む限り確からしい。でも、マダガスカルで見つかるミトコンドリアDNAのかなりの部分はアフリカ大陸由来なんだ。だから、この30人ほどの女性に母系でまっすぐつながっているのは、人口の全員じゃない。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
とはいえ、今のマダガスカルの人って、ほとんどがこの二つのルーツの混血だろ?

9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
ほぼ全員そうだと思う。世界でもとくにはっきり二つのルーツが混ざった集団のひとつで、地域によって割合の差はあっても、どっちか一方だけって地域はないらしい。マダガスカルの人なら、たぶん誰でもオーストロネシア系とアフリカ系の両方のDNAを少しずつは持ってる。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
じゃあ、ほぼ全員が両方のルーツを持ってるなら、結局タイトルは合ってるってことにならない?

11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
言い方次第かな。ふつう「この民族はN人の女性の子孫」って言うときは、その集団のミトコンドリアDNAのほぼ全部が、その女性たちにさかのぼれるって意味で使う。ヨーロッパ人の母系の大半は7人の女性にたどり着く、っていう、遺伝学者サイクスの本で有名になった『イヴの七人の娘たち』の話みたいにね。今回は、アジア系の女性にさかのぼれるのは一部だけ。ただ、1200年もたてば二つの集団はすっかり混ざり合ってるから、そういう意味では君の言うとおりだよ。

12. 海外の名無しさん
え、マダガスカルに人が住みついたのって、たった1200年前なの?もっとずっと昔から人がいたんだと思ってた。

13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
それより前に人間が島で活動してた痕跡は見つかってるらしい。ただ、ずっと住みついてた人たちがいた形跡はないみたい。英語版ウィキペディアの「マダガスカルの歴史」に詳しく載ってるよ。

14. 海外の名無しさん(>>12への返信)
それはインドネシアから来た、ある小さな集団が住みついた時期の推定だよ。それまで島が無人だったと言ってるわけじゃない。

15. 海外の名無しさん(>>12への返信)
自分もそこでびっくりした。東アフリカからは誰も定住しなかったのに、ジャワから来た少人数の集団は住みついたっていうのが、どうにも不思議なんだよな。

16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
海流のせいだよ。ジャワ方面から来る人には流れが味方したけど、そのぶん帰るのは難しかった。マダガスカルは大陸から400kmほど離れていて、岸から島影は見えない。大陸側からだと、流れに任せて島に着くってことはまずないらしい。ジャワ方面からならありえたって話。

17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
それはそれで意外だな。そこから数百km北のザンジバル(タンザニア沖の島)は、昔から海の交易の拠点として栄えた場所なのに。

18. 海外の名無しさん
いちばん驚くのはここだと思う。マダガスカルはアフリカから400kmくらいしか離れてないのに、最初に住みついたのは、インドネシアから何千kmも海を越えてきた人たちだったっていう。

19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
全然おかしくないよ。上でも出てるけど、海流の向きが違ったってだけの話。このコメント、こういうスレのたびに出てくるけど、「アフリカの人たちにはできなかった」って言いたいように聞こえてモヤっとする。

20. 海外の名無しさん
「もっといい場所で暮らせるかも」っていう夢だけを頼りに船に乗って、本当にたどり着いたのがすごい。人間の冒険心を思えば、出発したこと自体はそこまで驚かない。驚くのは、よく着けたなってほう。

21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
それは、たどり着けなかった何千人もの話が残ってないからだよ。ほとんどが失敗しても、挑む人が多ければ誰かは着く。

22. 海外の名無しさん
オーストロネシア系の人たちの大移動の全体像を知ったら、もっと驚くと思う。歴史上でも屈指の大移住と海洋進出なのに、なぜか過小評価されてるんだよね。帆の技術を発達させたり、バナナやサトウキビ、ココナッツを広めたり、香辛料の交易を切り開いたりしたのに、手柄はたいてい大陸の帝国に持っていかれる。話題になるのはせいぜいポリネシアの人たちくらいだけど、あれは5000年ほど前に始まって、二つの大洋にまたがった大移動の、最後の段階にすぎないんだ。

23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
東はイースター島、西はマダガスカルか。地図で端から端まで指でなぞってみたら、地球の半周以上が一つの言葉の仲間でつながってて、ちょっと鳥肌が立った。

24. 海外の名無しさん
ボルネオ島は世界で3番目、マダガスカルは4番目に大きい島なんだよね。3位の島で話されてる言葉のいちばん近い親戚が、インド洋を越えた4位の島で話されてるって、なんだか出来すぎてて好き。

25. 海外の名無しさん
とんでもない航海の話だな。映画にできそう。正直マダガスカルって言われても、キツネザルとバオバブくらいしか思い浮かばなかったけど、人の歴史のほうもこんなにドラマがあったとは。

まとめ

マダガスカルの人々のルーツの一方はインドネシアにあり、母系のDNAから見ると、約1200年前におよそ30人の女性を中心とする小さな集団が住みつき始めたと推定されている。コメント欄では「30人」という数字の細かさに驚く声に始まり、母系DNAの研究だからアフリカ系を含めた祖先の全体像とは違う、いや1200年で混ざり合っているのだから別の意味では正しい、という読み方をめぐるやりとりが続いた。アフリカのすぐ隣なのになぜ東から、という疑問には海流の向きで答える声があり、東はイースター島から西はマダガスカルまで広がった大航海のスケールに、改めて感心する声も上がった。

元ソース: マダガスカルの人々は、1200年前に大洋を渡ったおよそ30人のインドネシア人の母親の子孫だと知った

参考論文: Cox MP ほか「A small cohort of Island Southeast Asian women founded Madagascar」Proceedings of the Royal Society B 279巻、2012年(論文ページ

コメント

  1. Reddit名無しさん says:

    進撃の巨人の舞台のイメージがいまでは強くなってしまった