「フランス王に潰された騎士団を、ポルトガル王は新しい名前の騎士団で引き取った」テンプル騎士団がキリスト騎士団になるまで

「フランス王に潰された騎士団を、ポルトガル王は新しい名前の騎士団で引き取った」テンプル騎士団がキリスト騎士団になるまで 歴史

1307年10月、フランス王フィリップ4世は、国内のテンプル騎士団員をいっせいに捕らえ、拷問で「異端の罪」を自白させました。騎士団は1312年、教皇の命令で解散させられます。ところがヨーロッパの西の端ポルトガルでは、王ディニス1世が騎士たちを迫害しないばかりか、「キリスト騎士団」という新しい騎士団をつくって、その財産と騎士たちの受け皿にしていました。のちに大航海時代の船の帆に描かれた赤い十字は、この騎士団の紋章です。

今日の知ってた?

⚔️ 1307年10月13日、フランス王フィリップ4世が国内のテンプル騎士団員を一斉に逮捕。1312年には教皇クレメンス5世が騎士団を解散させた。

🛡️ ところがポルトガル王ディニス1世は国内の騎士たちを迫害せず、新たに「キリスト騎士団」を創設。1319年に教皇ヨハネス22世の認可を取りつけ、テンプル騎士団の本拠だったトマールを含む旧領を引き継がせた。

⛵ のちにエンリケ航海王子がこの騎士団のトップに就き、その赤い十字は大航海時代のポルトガル船の帆に掲げられた。

背景:テンプル騎士団とは

テンプル騎士団は、第1回十字軍のあと、1120年ごろにエルサレムで生まれた騎士団です。修道士と同じように清貧・貞潔・服従を誓いながら、剣を取って聖地への巡礼者を守る「騎士修道会」と呼ばれる集団でした。名前は、本部が置かれたエルサレムの「神殿の丘」に由来し、日本語では「聖堂騎士団」「神殿騎士団」とも訳されます。1129年のトロワ教会会議で正式に認められ、1139年には教皇から、地元の司教の支配や税を免れて教皇にだけ従うという特権を与えられました。

寄進によってヨーロッパ中に土地や財産が集まると、騎士団はその広い拠点網を生かして金融業も営むようになります。巡礼者は出発前に地元の騎士団の拠点へ財産を預けて証書を受け取り、聖地に着いたら証書と引き換えに同じ額を受け取れる。いまの送金や小切手に近い仕組みです。やがて王侯への貸し付けも行うようになり、パリの本部はフランス王家の財政にも深く関わっていました。

ポルトガルでは、王国が生まれた12世紀前半から騎士団が活動し、イスラム勢力から国土を取り戻す戦い(レコンキスタ)の戦力として、国の成り立ちに深く関わっています。1160年には、ポルトガルの騎士団を率いたグアルディン・パイスがトマールに城を築きました。城内に建てられた円形の聖堂(シャローラ)は、ヨーロッパに数少ないテンプル騎士団の円堂として今も残り、「トマールのキリスト教修道院」の一部として世界遺産に登録されています。

もう少し詳しく

1307年、フランスでの一斉逮捕。1291年に十字軍国家の最後の大拠点アッコンが陥落すると、十字軍のための騎士団は存在意義を問われるようになります。一方、フランドルとの戦争などで財政難に苦しんでいたフィリップ4世は、1306年に国内のユダヤ人を追放して財産を没収していました。翌1307年9月、王は各地の役人に封をした命令書を送り、10月13日の夜明けにフランス中の騎士団員をいっせいに逮捕させます。かけられた嫌疑は、入団の儀式で十字架に唾を吐く、偶像を拝む、といった異端や冒涜の罪で、多くの団員が拷問のすえに「自白」しました。王の動機としては、王家の財政難、騎士団の莫大な財産、教会を王権の下に置こうとする姿勢などが挙げられており、どれが決め手だったかは今も議論が分かれています。

1312年、教皇による解散。当時の教皇クレメンス5世はフランス王の強い影響下にあり、1309年からは南フランスのアヴィニョンに住んでいました。教皇は1312年のヴィエンヌ公会議で、有罪の判決という形ではなく教皇の裁量という形で騎士団を解散させ、財産は同じ十字軍の騎士団である聖ヨハネ騎士団に移すと定めます。ただし、イベリア半島の諸王国にある騎士団の財産は、この決定から外されました。1314年3月には、最後の総長ジャック・ド・モレーがパリで火刑に処されています。なお2001年、ヴァチカンの文書館で、教皇が1308年の時点で騎士団の幹部に異端の罪の赦免を与えていたことを示す文書(シノン羊皮紙)が見つかりました。

ポルトガル王ディニスの一手。ポルトガル王ディニス1世(在位1279〜1325年)は、国内の騎士たちを迫害しませんでした。1309〜1310年ごろには国内の騎士団領をいったん王家の預かりとし、財産がよそへ流れないようにしたうえで、教皇と交渉を重ねます。その結果、1319年3月、アヴィニョンの教皇ヨハネス22世が新しい騎士団の創設を認めました。これがキリスト騎士団で、同じ年の11月にはテンプル騎士団の旧領が正式に引き継がれ、元テンプル騎士たちも迎え入れられています。当初の本拠は南部アルガルヴェ地方、カスティーリャとの国境に近いカストロ・マリンに置かれ、1356年に、かつてテンプル騎士団の本拠だったトマールへ移りました。隣のアラゴン王国でも、1317年に旧テンプル騎士団領をもとにしたモンテサ騎士団がつくられています。

赤い十字と大航海時代。1420年からは、のちに「航海王子」と呼ばれるエンリケ王子が騎士団の管理者として事実上のトップに就き、騎士団の豊かな収入はアフリカ西岸や大西洋への航海事業の資金源になりました。騎士団の紋章である、中心が白く抜けた赤い十字は、大航海時代のポルトガル船の帆や旗に掲げられ、今ではポルトガルを表すシンボルの一つになっています。騎士団はその後、修道会としての性格を失って近代にいったん廃止されましたが、1918年にポルトガルの勲章として復活し、現在も国に功績のあった人に贈られています。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
元スレのタイトルは「フランス王の圧力で解散させられた」だけど、圧力って言葉で片付けるのはさすがに控えめすぎる。実際にやったのは一斉逮捕と拷問だからね。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
圧力の定義による。捕まえて、拷問して、自白させて、最後は火あぶり。これが「圧力」の範囲に入るなら、まあ確かに圧力ではある。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
実質オーダー66でしょ。王の命令ひとつで、国中の騎士が同じ日にいっせいに捕まったんだから。

※注:オーダー66は映画『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』で、皇帝が発した、ジェダイの騎士たちを一斉に粛清させる命令のことです。

4. 海外の名無しさん
この一斉逮捕が1307年10月13日の金曜日だったから、13日の金曜日が不吉だと言われるようになった、って話をよく見かけるよね。

※ 13日の金曜日を不吉とする由来を、この一斉逮捕(1307年10月13日・金曜日)に求める説は広く流布していますが、この由来説を裏付ける史料は確認されていません。「金曜日」と「13日」を組み合わせて不吉とする記録は、19世紀より前には見当たらないとされています。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
由来の話はともかく、逮捕の手際は本当にすごかったらしい。王は1か月ほど前に封をした命令書を各地の役人に送っておいて、決めた日にいっせいに踏み込ませたんだとか。中世でこれをやってのける組織力は、ちょっと怖い。

6. 海外の名無しさん
歴史に詳しくないんだけど、テンプル騎士団って何がそんなにまずかったの?フランス王にそこまで目の敵にされた理由が知りたい。

7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
よく言われるのは、フランス王が騎士団から大金を借りていて、返したくないから騎士団ごと潰した、って説明。身もふたもないけど分かりやすい。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
貸し主ごと消せば借金はチャラ、か。銀行が絶対に知られたくない裏ワザだな。ちょっと住宅ローンの件で王様になってくる。

9. 海外の名無しさん(>>6への返信)
騎士団はヨーロッパで最初の銀行みたいな存在になってたんだよ。もともとは聖地へ向かう巡礼者を守るための集団で、巡礼者は出発前に地元の拠点へお金を預けて証書をもらい、向こうに着いたら証書と引き換えに同じ額を受け取れた。道中で盗賊に襲われても財布は空っぽ、ってわけ。その仕組みが、そのまま王侯への貸し付けにまで広がった。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
しかも銀行ってだけじゃなく、自前の軍事力まで持ってた。忠誠を誓う相手は王じゃなくて教皇。国の中にもう一つ国があるようなもので、王から見たら気が気じゃなかったと思う。国家権力を持たずに銀行をやった組織がどうなるかは、歴史を見ればだいたい分かる。

11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
ただ、騎士団を独立した傭兵集団みたいに言うのは違うと思う。あれは教皇の下にある修道会の一種で、騎士の多くは貴族の家の出だった。むしろ致命的だったのは、そのときの教皇がフランス王に頭が上がらなかったこと。ローマにどっしり構えた教皇だったら、守りきれたかもしれない。

12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
そこは大事なポイント。当時の教皇クレメンス5世は、フランス王の強い影響のもとで選ばれた人で、教皇庁をローマから南フランスのアヴィニョンに移した最初の教皇でもある。王に正面から逆らえる立場じゃなかったんだよね。

※注:アヴィニョンは南フランスの都市。1309年から1377年まで教皇がここに住み、フランス王の影響を強く受けたこの時期は「アヴィニョン捕囚」とも呼ばれます。

13. 海外の名無しさん
フィリップ4世はこの前年の1306年に、国内のユダヤ人を追放して財産を没収してる。お金に困ると、お金を持っている集団を狙い撃ちにする。やり方が一貫してるんだよな。

14. 海外の名無しさん
借金の話ばかり注目されるけど、騎士団が持ってた土地の広さも見逃せない。金貨だけじゃなく、ヨーロッパ中に農地や城や屋敷を抱えてたんだから。フランスの騎士団領は建前上は聖ヨハネ騎士団に引き渡されたけど、王はその前に自分の借金を帳消しにさせて、逮捕や裁判にかかった費用という名目で大金まで請求してる。

15. 海外の名無しさん
天罰みたいな話もある。総長のジャック・ド・モレーが火刑になったのが1314年3月。教皇クレメンス5世はその翌月に亡くなり、フィリップ4世も同じ年の暮れに、狩りの最中に倒れてほどなく亡くなった。3人の息子も順に王位に就いては若くして世を去り、直系の男子はそこで途絶えてる。

16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
モレーが火あぶりにされながら「王と教皇を1年以内に神の前へ呼び出す」と呪った、っていう有名な場面があるよね。2人ともその年のうちに亡くなってるから、話としては出来すぎてる。

※ 処刑に立ち会ったとみられる同時代の記録には「神が我らの死の報いを与えるだろう」という趣旨の言葉が残っていますが、王と教皇を名指しで呪ったという有名な形は、のちの年代記や歴史書の中で膨らんでいったもので、裏付けは確認されていません。

17. 海外の名無しさん
ディニス王本人も面白い人で、「農夫王」とも「詩人王」とも呼ばれる。農業を立て直して町や市を増やし、自分でも詩を書いて、ポルトガル語を文学の言葉に育てた。ポルトガル初の大学を作ったのもこの王。レイリアの広大な松林の植林を命じて、その木がのちに船の材料になったとも言われてる。在位はなんと46年。ポルトガル史上屈指の名君と言われるのも分かる。

18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
補足すると、のちに聖人に列せられたのは王本人じゃなくて、お妃のイザベルのほう。貧しい人への施しを続けたことで知られて、ポルトガルでは今も「聖王妃」として親しまれてる。

19. 海外の名無しさん
英語だと「キング・デニス」になっちゃうのがちょっとかわいそう。なんだか、秘密基地に「女子お断り」の貼り紙をしてる近所の小学生みたいな響きなんだよな。

20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
ポルトガル語だと「ドン・ディニス王」で、響きは全然違うし格好いい。リスボンが現地ではリスボア、ロンドンがポルトガル語ではロンドレスになるのと同じで、人名まで自分たちの言葉に置き換えるのが昔からの習慣なんだよね。

21. 海外の名無しさん
キリスト騎士団の十字は、今もポルトガル軍のあちこちで現役。空軍機の国籍マークもこの十字だし、部隊章にもよく入ってる。

22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
サッカー好きなら見覚えがあるかも。クリスティアーノ・ロナウドの故郷マデイラ島の旗、あの真ん中にある赤い十字がこれ。

23. 海外の名無しさん
この騎士団には大航海時代の有名人も名を連ねてる。1500年にブラジルに到達したペドロ・アルヴァレス・カブラルもそうだし、ヴァスコ・ダ・ガマものちに加わった。エンリケ航海王子が騎士団のトップだったこともあって、船の帆にはこの赤い十字が描かれてた。

24. 海外の名無しさん(>>23への返信)
フランス王に潰された十字軍の騎士団が、名前を変えて生き延びて、最後は大西洋を渡る船の帆になった。結局いちばん得をしたのは、ちゃっかり引き取ったポルトガルだった気がする。

25. 海外の名無しさん
騎士団は滅んでなんかいない。名前を変えて、今も裏で世界を動かしてるんだ……って『ダ・ヴィンチ・コード』で読んだ気がする。まさかポルトガルの勲章として堂々と生き延びてたとはね。

※注:『ダ・ヴィンチ・コード』はダン・ブラウンの小説(2003年)で、2006年に映画化されました。テンプル騎士団が秘密結社として生き延びた、どこかに財宝が隠されている、フリーメイソンにつながっている、といった話は小説や俗説で広く知られていますが、史料で裏付けられたものではありません。

まとめ

フランス王フィリップ4世の一斉逮捕と教皇の解散命令で、テンプル騎士団は1312年に歴史から姿を消しました。ところがポルトガルでは、ディニス1世が騎士団の財産を国内にとどめ、1319年に「キリスト騎士団」として再出発させています。その赤い十字は、エンリケ航海王子のもとで大航海時代の帆に掲げられ、今も空軍機の国籍マークやマデイラ島の旗に残っています。コメント欄では「圧力どころじゃない」というツッコミから、騎士団が銀行になった仕組み、13日の金曜日の由来説、ディニス王の意外な多才ぶりまで話が広がりました。一国の王が潰した組織を、別の国の王がすくい上げて海の向こうへ送り出す。歴史の皮肉がよく効いた話です。

元ソース: テンプル騎士団がフランス王フィリップ4世の圧力で解散させられたとき、ポルトガル王ディニスは彼らを「キリスト騎士団」として再結成させていた

コメント

  1. Reddit名無しさん says:

    領地が建物だけのマルタ騎士団、一応独立国扱い。

  2. Reddit名無しさん says:

    アサシンに壊滅させられた騎士団でしょ知ってる