「何も食べずに生きている」。6年ものあいだそう言い続けたイングランドの女性アン・ムーアのもとには、見物人と寄付が集まりました。1813年、委員会はベッドごと計量機に載せて1か月見張ると決めますが、9日目に本人が「監視をやめてください」と訴え、その4日後には「ときどき食べていました」と告白します。海外掲示板では、現代の「不食」をうたう人たちの話にまで広がりました。
※注:元スレッドのタイトルは「体重計付きのベッドで1か月見張った」としていますが、委員会の報告書によると、計量機が届いたのは監視が始まって5日後でした。それまでは、新しく用意したベッドで見張りだけを続けていました。また、本文の「400ポンド」はお金の単位、「7ポンド7オンス」は重さの単位です。
今日の知ってた?
🍽️ イングランド中部スタッフォードシャーの村タットベリーに住むアン・ムーア(1761年生まれ)は、1807年ごろから「何も食べずに生きている」と評判になり、「タットベリーの断食女」と呼ばれた。
👀 1808年9月、地元の外科医が中心になり、町の人々が4時間交代で16日間見張った。食べた様子は見つからず、2人の医師が医学雑誌で彼女の話は本当だと書いた。
💰 その後も見物人が絶えず、多くの人がお金を置いていった。1812年には400ポンドを国債に預けていたとされる。
⚖️ 1813年4月21日、委員会が見張り役を医師・聖職者・治安判事に限って、1か月の予定で2回目の監視を始めた。4月26日からはベッドごと計量機に載せ、12時間ごとに重さを量った。
🛏️ 9日目の4月30日、衰弱した本人の訴えで監視は打ち切られた。その直前には治安判事の前で、ごまかしはしていないと宣誓までしていた。
✍️ 5月4日、「この6年間、ときどき食べ物をとっていました」とする告白書に、署名の代わりに×印をつけた。
背景:「タットベリーの断食女」とは
タットベリーは、イングランド中部スタッフォードシャーの東の端にある村です。ビールづくりで知られる町バートン・アポン・トレントの近くにあり、丘の上の城には、16世紀にスコットランド女王メアリーが幽閉されていたこともあります。
アン・ムーアは1761年10月31日、隣のダービーシャーの村ロスリストンで、日雇い労働者の娘として生まれました。1788年に農場の使用人ジェームズ・ムーアと結婚しますが、夫はまもなく彼女のもとを去ります。その後は近くの村で、妻を亡くした農場主の家政婦として働き、その雇い主との間にも子どもをもうけました。1800年ごろタットベリーに移り、綿打ち(綿をたたいてほぐす仕事)で暮らしを立てようとしますが、生活はひどく苦しいものでした。
英国人名辞典(1894年)によると、アンはもともと、食べる量をぎりぎりまで切り詰めて暮らしていました。それに周りが驚いたことが、のちの偽りのきっかけになったのだろう、と辞典は書いています。1806年11月ごろから「食欲をすっかりなくした」と言われるようになり、1807年には寝たきりに。本人の話では、最後に口にしたのは1807年7月17日の黒スグリ数粒で、8月からは飲み物も少しずつ減らしていった、ということでした。
彼女の話は小冊子になって広まり、さまざまな説が飛び交いました。空気で生きているという説、食道の病気だという説、神の力だという説。当時出回った小冊子のひとつは、真冬でも窓を開けっ放しにしているのは、空気や水蒸気に含まれる水素を取り込んで、生きるのに必要な脂を体の中でつくっているからではないか、と大まじめに論じています。
1807年から1813年は、日本でいえば江戸時代後期の文化4年から10年にあたります。
何も食べずに生きているとされる女性は、アンが最初ではありません。中世ヨーロッパでは、シエナのカタリナのように、ほとんど食べずに過ごしたと伝わる聖女が、奇跡のしるしとして語られました。19世紀後半には、英語で「断食少女(ファスティング・ガール)」と呼ばれる少女たちの話が、英国やアメリカの新聞をたびたびにぎわせます。アンの件は、その少し前の19世紀初めに、英国で全国的な話題になった例です。
もう少し詳しく
1回目の監視は「合格」だった。1808年9月、地元の外科医ロバート・テイラーとジョン・アレンが中心になり、町の主だった住民が4時間交代で、16日間アンを見張りました。経過は町に張り出され、見張った人の名前も公表されています。アレンが医学雑誌に寄せた手紙によると、最初の4日間に口にしたのは水を2オンス(60ミリリットルほど)だけで、残りの12日間は何も口にしませんでした。2人の医師は、その年の11月と12月に医学雑誌で、彼女の話は本当だと書いています。
見物人と寄付。お墨付きを得たアンのもとには、国じゅうから見物人が訪れました。英国人名辞典によると、地元の牧師が彼女の信心深さを請け合っていたこともあり、訪れた人は同情やほうびのつもりで、たいていまとまったお金を置いていきました。1812年には400ポンドを国債に預けていた、と辞典は書いています。のちに作家になるメアリー・ハウイットも、子どものころ親に連れられて会いに行きました。父親は「何も食べていないと信じている人は多くない。ただ、ほんの少ししか食べていないのだろう」と話していたそうです。
医師の疑い。1812年、ロンドンの診療所に勤める医師アレクサンダー・ヘンダーソンがアンを訪ねて診察し、その夏、彼女の話を批判する文章をまとめました(翌1813年に本として出版)。話の食い違いを一つひとつ挙げ、1800年にドイツのオスナブリュックで、似たような偽りの断食をした少女アンナ・キンカーの例とそっくりだと指摘しています。これに応えるかたちで、アンの支持者たちがもう一度の監視を求めました。英国人名辞典は、アン本人はこれをひどく嫌がった、と書いています。
2回目は「抜け道」をふさいだ。1813年4月、地元の准男爵オズワルド・モズリーを長とする委員会ができました。アン自身の希望で、見張り役になれるのはイングランド国教会の聖職者、医師、治安判事に限られました。委員会の依頼で報告書をまとめた牧師レグ・リッチモンドによると、アンが住む上下2間の家から余計な家具を運び出し、部屋の壁・床・天井まで調べたうえで、新しいベッドと、目の前でもみ殻を詰めた新しい敷き布団を用意しました。下の部屋には番人が昼も夜も詰め、ベッドの手前には縄を張って、見張り役しか近づけないようにしています。2つある窓は、本人の強い希望で開けたままでした。
※注:治安判事は、地域の有力者が務めた無給の判事で、軽い事件の裁判や宣誓の立ち会いなどを担っていました。
体重計を嫌がった理由。監視が始まる前日の4月20日、委員会はベッドを「マーリン式」の精密な計量機に載せることを決めました。アンはこれに強く反対します。「監視のあいだに重さが減れば、食べていないから体がやせ細ったのだと言われる。増えれば、見張りの目をかいくぐって食べたのだと言われる。どちらにしても責められるのだから、量られるのはお断りだ」。ところが、しばらくすると考えを変え、委員会に任せると伝えてきました。
監視は4月21日の午後2時に始まりました。計量機はダービーから運ばれる途中で雨に濡れ、届いたのは始まって5日後の4月26日です。ベッドごと載せて12時間ごとに量り、報告書によれば、0.1グラムあまりの差まで見分けられる精度でした。記録では、ベッドや寝具も含めた重さが、月曜の夕方から金曜の朝までに7ポンド7オンス(約3.4キロ)減っています。委員会は、濡れた計量機が乾く分を差し引いて考えるべきだ、としています。
9日目の幕切れ。アンは、湿ったもみ殻のせいで風邪をひいたと言い、4月29日には熱とせきがひどくなりました。その夜、見張りに立った外科医ライトは、命にかかわると考えて、酢を混ぜた水に浸したハンカチを、それまでと違って絞らずに口元へ渡します。ライトは委員会に、アンが飲み込もうとするのを見た気がする、と報告しました。翌30日の朝、駆けつけた医師たちは「あと数時間の命だ」と診立てます。アンは見張りに来た治安判事トマス・リスターに、「後生ですから監視をやめてください。もう続けられません。よくなったら、もう1か月見張られてもかまいません」と訴えました。
このときアンは、死の床での宣誓を望み、リスターの前で誓いを立てています。「全能の神の御前で、死の床にあって申し上げます。私はごまかしなどしていません。この6年間に口にしたのは、一度だけ黒スグリ数粒の中身と、ときおり少しの水とお茶だけ。この4年半は、それすら口にしていません」。宣誓のあと、委員会は正午に「体調が回復するまで」監視を中止すると決めました。部屋に通された娘は母の顔を見て「死にかけている」と言い、アンも「ええ、もうおしまいよ」と答えました。
監視が終わると、元気になっていった。ところが、医師たちの見立てに反して、アンは日が傾くにつれて持ち直していきます。ベッドの上で起き上がり、たらいの水で手を洗うほどでした。委員の一人チャールズ・ボットは、娘が「お客さんが来る」と告げた途端、アンが急に話もできないほど弱った様子に戻ったのを見て、疑いを強めます。酢水のハンカチを渡したときに、飲み込むところもはっきり見ました。翌朝、ボットが家を調べると、隠された布が次々に出てきました。排せつの跡のついた布のほか、監視中に着ていた肌着もありました。アンはこの肌着を別のものとすり替え、そちらに同じようなしみを新しくつけて、ごまかそうとしていたのです。
見つかった証拠から委員会は、アンが監視の最後の2日間に飲み物をとっていただけでなく、監視が始まる前からとっていたと結論づけました。それでもアンはしばらく、「体の中で急に変化が起きた」と言い張っていたそうです。
娘が認めたティーポット。娘は取り調べに、家族がお茶を飲み終えたあと、ティーポットをいつも母の手の届く棚に置いていた、ときには砂糖とミルクも入れていた、と話しました。ただ、母が固形物を食べるのを見たことはない、とも言っています。後の文献には、娘がスープを含ませたタオルを母の口に当てていた、キスのふりをして口移しで飲ませていた、という話も出てきます。英国人名辞典は、1回目の監視のときは朝晩のキスで流動食を渡していたのだろう、と推測しています。
告白書には×印。5月4日、委員会が集まった日に、治安判事リスターがアンと話し、告白書ができあがりました。文面はこうです。「タットベリーのアン・ムーアは、だまそうとしたすべての方々に許しを請い、何よりも、深く背いてしまった神に心から悔いて慈悲と許しを願い、この6年間、ときどき食べ物をとっていたことを、ここに厳粛に申し上げます」。アンは署名の代わりに×印をつけ、娘のメアリーが立会人として名前を書いています。委員会はこれを、ちらしと新聞広告で広く知らせました。
その後。告白のあとのアンの消息は、はっきりしません。英国人名辞典は、下宿先で盗みを働き、マクルズフィールドとナッツフォードの監獄に入ったことしか分からない、としています。亡くなった年も、1813年とする資料と1825年とする資料があります。アンのしたことを、初期の社会的な抗議のひとつと見る歴史家もいれば、単なる詐欺と見る歴史家もいます。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
オーストラリアにも、食べなくても生きられると言っている女性がいるよね。ジャスムヒーンという名前で、「光と空気で生きる」みたいな考えを広めてる。テレビ番組が実際に食べずに過ごさせてみたら、数日で「空気が汚れているせいで栄養がとれない」と言い出して、結局中止になったはず。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
変わり者のカルトくらいに思われがちだけど、これを信じて実際に亡くなった人がいるんだよ。しかも本やセミナーにして売ってるんだから、笑い話じゃ済まない。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
信じられなくて調べたけど、本当だった。1999年にメルボルンで53歳の女性が亡くなっていて、付き添っていた夫婦は過失致死で実刑。なのに本人は、亡くなった女性のやり方について「誠実な気持ちから出たものではなく、動機が正しくなかったのかもしれない」とコメントしたらしい。あの人こそ牢屋に入るべきだろ。
4. 海外の名無しさん(>>2への返信)
狙われるのは、病気で弱っている人や、もともと食べることに悩みを抱えている人なんだよね。藁にもすがりたい人が、自分の食べ方を肯定してくれる人を見つけてしまう。そう考えるとかなり悪質だよ。
5. 海外の名無しさん
昔のデマを調べていて見つけた話なんだけど、いちばん驚いたのは1回目の監視。16日間見張っても食べた様子がなくて、一度は「本物」とされたんだよ。いつも開けている窓から、空気中の水素を取り込んでいるんじゃないか、なんて説まで大まじめに書かれてた。
6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
200年前のバズり方、体を張りすぎだろ。いいねの代わりにお金が届くとはいえ、6年もベッドから出られない設定を続けるのは、どう考えても割に合わない。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
すみません、スープしみしみのタオルをひとつ。サイドに乾パンもつけてください。19世紀の英国風でお願いします。
8. 海外の名無しさん
体重計を嫌がったときの言い分が面白い。「減ればやせたと言われ、増えれば食べたと言われる。どっちにしても責められる」。でも、本当に食べなくても平気な体なら、量られて困ることは何もないはずなんだよね。始まる前から逃げ道を用意していたように見える。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
1813年に、ベッドごと載せて0.1グラムあまりの差まで分かるという計量機があったのにも驚いた。しかも運ぶ途中で雨に濡れたから、乾く分まで計算に入れてる。委員会、本気すぎる。
10. 海外の名無しさん
委員会が「回復するまで中止」と決めた途端にどんどん元気になって、ベッドに座って手を洗ってたっていうのが、もうコントみたい。そのうえ、お客さんが来ると聞いた瞬間に、また弱った演技に戻るんだから。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
しかもその日の昼前には、死の床だと言って「6年間、黒スグリを少しと、水とお茶しか口にしていない」と宣誓してるんだよね。告白はその4日後。誓いの文面に、ちゃっかりお茶が入っているのも味わい深い。
12. 海外の名無しさん
サラ・ジェイコブよりは賢かったね。1869年のウェールズで、本当に食べていないのかを看護師たちに見張られた女の子。たぶん親をがっかりさせたくなかったんだろうけど、そのまま餓死してしまった。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
まだ12歳だったんだよ。両親は過失致死で有罪になってる。解剖では腸の下のほうに便が残っていて、監視が始まる直前までは何か食べていたことが分かったそうだ。本当に悲しい話だよ。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
Netflixの映画『聖なる証』(原題:The Wonder)を思い出した。食べずに生きているという少女を、フローレンス・ピュー演じる看護師が見張る話で、このサラ・ジェイコブの件がかなり下敷きになっているらしい。ピューの演技が本当によかった。
15. 海外の名無しさん
この件だったか別の件だったか忘れたけど、家族がキスするふりをして、口移しで食べ物を渡していたって話を読んだことがある。こういう「食べない人」の話、当時は流行みたいにあちこちであったらしいね。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
こっそり栄養を渡す話なら「ローマの慈愛」も思い出す。古代ローマの伝説で、餓死の刑で牢に入れられた父親に、面会に来た娘が自分の乳を飲ませていた話。ルーベンスなんかも絵にしてる。伝説では、それを知った役人たちが心を打たれて、父親を許したことになってるんだ。
17. 海外の名無しさん
アメリカにも、食べずに生きられると言ってテレビに出て有名になったワイリー・ブルックスって人がいた。1983年にコンビニからホットドッグとお菓子を抱えて出てくるところを見られたって話があって、その後は「マクドナルドの店舗はすべて、5次元の霊的な入り口に守られた土地に建っている」と言い出して、ダブルクォーターパウンダー・チーズとダイエットコーラをすすめてた。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
ダブルクォーターパウンダーが手に入らない地域なら、クォーターパウンダー・チーズを2つ重ねてもいい、って注意書きまであるのが最高。そのくせ「どんな種類の水も飲むな」なんだよね。水はダメでダイエットコーラはいい理屈を聞いてみたい。
19. 海外の名無しさん
自分は29日間、何も食べずに過ごしたことがある。正直、生きているというより、ゆっくり死に向かっている感じだった。刑務所にいたとき、甲状腺がなくて毎日飲まなきゃいけない薬をいつまでももらえなくて、抗議のハンストをしたんだ。死ぬつもりはない、水は飲み続けると伝えて、30分おきに様子を見られながらね。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
自分は入院して18日くらい点滴だけで過ごして、12キロ痩せた。まったくおすすめしない。3日目には、テレビで冷凍ピザのCMが流れるだけで目が離せなくなってた。
21. 海外の名無しさん
結局、この人は何がしたかったんだろう。お金目当てだったにしても、6年も寝たきりのふりを続けるのは相当きついと思うんだけど。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
注目されたかったんだと思う。クラスに1人はいたでしょ、「親と宇宙船に乗って月に行ったことがある」「部屋に100万ドルあるけど見せられない」って言う子。ああいう人は、何百年も前からずっといるんだよ。
23. 海外の名無しさん
昔の資料に、彼女は有名になる前から「道徳的に堕落していた」って書いてあって笑った。理由を読むと、夫と別れたあと、別の男性との間に子どもがいたこと。寝たきりのふりより、そっちを真剣に責めているのが時代を感じさせる。
24. 海外の名無しさん
日本の即身仏の話を思い出したけど、あれは真逆だよね。食べる物を木の実などに少しずつ絞っていく修行の末に亡くなって、ミイラとして祀られたお坊さんたち。「食べなくても平気」とは言わず、食を断った先に死があると分かったうえでやっている。
25. 海外の名無しさん
奇跡を起こせると言う人は、ちゃんと条件をそろえて試されると、決まって失敗する。それで全部分かるよね。ただ、この人は最後に認めただけまだましで、あのオーストラリアの人は明らかに弱っていたのに、最後まで自分は正しいと言い張ってた。
まとめ
1807年ごろから「何も食べずに生きている」と評判になり、見物人とお金を集めたアン・ムーア。1808年の監視は切り抜けたものの、ベッドごと計量機に載せた1813年の監視は9日目に打ち切られ、死の床での宣誓からわずか4日後に「ときどき食べていました」と告白しました。コメント欄では、現代の「不食」をうたう人たちの失敗や、信じた人が亡くなった事例に話が広がり、笑い話では済まないという声が目立ちました。

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