女海賊アン・ボニー。名前だけなら聞いたことがある、という人は多いはずだ。ところが記録をたどると、彼女が海賊として船に乗っていた期間はたった61日しかない。1720年8月22日、ナッソーの港から一隻の船を盗み出し、同じ年の10月22日にジャマイカ近海で捕まるまで。2か月足らずで、彼女の海賊人生は終わっている。
※注:この一件のうち、裁判の経過については当時ジャマイカで印刷された裁判記録が残っている。ただし、アン・ボニーの生い立ちや人柄として語られる話の大半は、1724年にロンドンで出た『海賊列伝』(原題 A General History of the Pyrates)という一冊の本に由来する。著者は「チャールズ・ジョンソン船長」という名義で、正体はいまも分かっていない。この記事では、その本にしか出てこない話は、そうと分かるように書き分けている。
今日の知ってた?
⚓ 有名な女海賊アン・ボニーが海賊として活動した期間は、記録に残る限り61日間だけだった。1720年8月22日、仲間とともにナッソーの港でスループ船ウィリアム号を盗み出し、同年10月22日、ジャマイカ近海で海賊狩りを任されていた私掠船長ジョナサン・バーネットに捕らえられて終わる。捕まったときに船に乗っていたのは、頭目のジョン・ラカム(通称キャリコ・ジャック)を含めて14人ほどだったとされる。しかも、活動期間が極端に短いのは彼女に限った話ではない。黒ひげことエドワード・ティーチでさえ、海賊としての活動はおよそ2年。それが黄金時代では長いほうに入る。
背景:アン・ボニーと「海賊の黄金時代」
名前だけが、やけに広く知られている。アン・ボニーは、海賊ものの創作でたびたび題材にされてきた人物だ。日本語版が出ているものだと、海賊を主人公にしたアクションゲーム『アサシン クリード IV ブラック フラッグ』に、主人公の船の副長として登場する。海外ドラマ『Black Sails/ブラック・セイルズ』では主要人物のひとりだ。名前を知っている層は意外に厚いのに、実際の経歴となると、ほとんど知られていない。
生い立ちは、ほぼ一冊の本の記述に頼っている。アイルランドで弁護士の私生児として生まれ、父とともに北米のカロライナへ渡り、船乗りのジェームズ・ボニーと結婚してナッソーに移り、そこでジョン・ラカムと出会う——よく語られるこの経歴は、先に触れた『海賊列伝』に書かれているものだ。同時代の別の史料で裏づけが取れているわけではない。この本は20世紀のなかごろ、『ロビンソン・クルーソー』で知られるダニエル・デフォーの筆だとする説が広まって図書館の目録まで書き換えられたが、1980年代以降に根拠が乏しいと指摘され、いまは否定的な見方が強い。海賊史はこの一冊への依存度が高く、そこに書いてあることは「史実」というより「その本の記述」として扱うのが無難とされている。
「海賊の黄金時代」そのものが、思うほど長くない。広くとっても1650年代から1730年代のおよそ70〜80年。しかもカリブ海がいちばん騒がしかったのは1710年代の数年に集中している。海賊たちが拠点にしたバハマのナッソーが無法地帯だったのは1706年ごろから1718年まで。1718年にイギリスから総督ウッズ・ロジャーズが着任し、恩赦と武力で片をつけてしまう。アン・ボニーが船に乗ったのは、その幕引きの2年後にあたる。
もう少し詳しく
61日の中身。ジョン・ラカムは一度は恩赦を受けて海賊をやめていたが、1720年8月、仲間とともに港につながれていたスループ船ウィリアム号を奪って海に戻った。以後の2か月で襲ったのは、金銀を積んだ大型船ではなく、漁船や小型の商船といった手近な獲物が中心だった。10月22日、ジャマイカ近海で海賊狩りを任されていた私掠船長ジョナサン・バーネットの船に見つかり、短い戦闘のすえ全員が捕らえられる。
裁判は、あっけなく終わった。11月16日から17日にかけて、ラカムと男の乗組員の裁判が当時のジャマイカの中心地セント・ジャゴ・デ・ラ・ベガ(現在のスパニッシュ・タウン)で開かれ、全員が有罪。ラカムは翌18日に絞首刑になっている。アン・ボニーとメアリ・リードの裁判は11月28日に別途開かれ、こちらも有罪、死刑判決だった。
ここで「腹を訴える」という手が出てくる。二人は判決のあと、自分は妊娠していると申し立てた。当時のイギリス法では、妊娠中の女性の死刑執行は出産まで先送りされる決まりがあり、この申し立ては実際に認められて、二人の執行は止まった。
※注:この制度は英語で「pleading the belly(腹を訴える)」と呼ばれ、当時のイギリスでは死刑判決を受けた女性が使える数少ない合法的な猶予手段だった。申し立てがあると、既婚女性から選ばれた陪審が本人を調べて妊娠の有無を判断した。有罪そのものが消えるわけではなく、執行の日が先に延びるだけである。
そして、記録がぷつりと途切れる。メアリ・リードは翌1721年4月、判決を受けたまま獄中で死亡した。熱病だったとされる。一方のアン・ボニーには、処刑された記録も、釈放された記録も残っていない。『海賊列伝』は彼女について「出産のときまで牢に留め置かれ、その後も刑の執行は繰り返し先送りされた。それからどうなったかは分からない。ただ、処刑されなかったことだけは確かだ」と書いて、そこで筆を置いている。のちの時代に「父親が身請けして故郷に帰り、再婚して長生きした」という話が広まったが、同時代の史料で裏づけられてはおらず、あくまで一つの説にとどまる。
短命だったのは、彼女だけではない。黒ひげことエドワード・ティーチが海賊として活動したのは1716年ごろから1718年11月22日に討ち取られるまでで、およそ2年。黄金時代の海賊船長の多くは、短期間の荒稼ぎのあとは追われ続け、最後は捕まって絞首刑、という筋書きをたどっている。裏を返せば、名前が歴史に残っている海賊の多くは、捕まって裁かれ、記録が作られたから名前が残ったともいえる。静かに足を洗って普通の暮らしに戻った者は、追いかけられもしなかったぶん、そのまま歴史から消えている。
ちなみに、埋蔵金はほとんど神話に近い。海賊が奪ったものの大半は、砂糖や織物、酒、船具といった積荷だった。金貨銀貨が手に入ることもあったが、埋めて隠した記録がはっきり残っているのはウィリアム・キッドくらいで、あとは港で売りさばいて、その場で使い切ってしまうのが普通だったとされる。
有名な最期のせりふも、出どころは同じ本。牢で最後に会ったラカムに向かって、アン・ボニーが「男らしく戦っていれば、犬みたいに吊るされることもなかったでしょうに」と言い放った——この場面は『海賊列伝』に書かれているもので、裁判記録には出てこない。彼女の人物像として真っ先に引かれる一言だが、事実と確認できるものではない。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
有名な海賊って、どいつもこいつも驚くほど活動期間が短いんだよな。黒ひげでさえ1年半から2年くらいで、しかもそれが長いほうに入るという。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
よく考えるとすごい話で、黄金時代自体が70年ほど、船長の平均的なキャリアは2年くらい。それなのに、誰でも名前を挙げられる海賊がこれだけいるわけだ。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
歴史に名前が残ってる海賊の多くは、捕まって裁判にかけられて処刑されたから記録が残ったんだよ。派手にやって追われて吊るされた連中の名前だけが残る。逆に、稼いだ金をちゃんと持って静かに引退した連中は、追いかける理由もないから記録にすら出てこない。うまくやった側ほど無名という、皮肉な構図になってる。
4. 海外の名無しさん
そもそも「海賊の黄金時代」って、言葉の響きのわりにぜんぜん長くないんだよな。文化的な存在感と実際の年数がまったく釣り合ってない。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
西部開拓時代も同じ。たしか実質30年から40年くらいしかない。映画やドラマの本数から受ける印象だと、100年くらい続いてそうなものだけど。
6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
鉄道が通りきって、新しく手に入れた土地に統治がちゃんと届くまでの、ちょうど空白の期間だったんだと思う。戦争帰りで職のない男がそのまま無法者になった、という流れもあったんだろうね。
7. 海外の名無しさん(>>4への返信)
たぶんみんな、王朝の話とか、ファンタジー小説の「500年続いた黄金時代」みたいなイメージと混ぜて考えてるんだと思う。現実の「時代」は、だいたい人の一生より短い。
8. 海外の名無しさん
いや70年って、人間のスケールで見れば十分長くないか。生まれてから死ぬまでまるごと黄金時代のなかで過ごした人だって普通にいたわけで。
9. 海外の名無しさん
海賊の拠点として有名なバハマのナッソーにしても、無法地帯だったのは1706年から1718年までの12年ほど。しかも本当に海賊の都と呼べる状態になったのは、失業した私掠船乗りが大量に流れ込んだ1713年以降で、イギリスが取り返す1718年まで。つまり「みんながイメージする海賊時代」は、70年80年と言われるうちのたった5年分だったりする。
10. 海外の名無しさん
かっこいい女海賊の話が読みたいなら、アイルランドのグレイス・オマリーを調べてほしい。活動期間は数十年におよんでいて、しかも晩年にはエリザベス1世と直接顔を合わせて交渉までしている。スケールが違う。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
彼女のドキュメンタリーをこの前観たけど、本当に肝が据わった人だった。女王との会見では、互いの言葉が通じないのでラテン語で話したと伝えられている。逸話として盛られている部分もあるだろうけど、会見そのものは記録に残っている出来事だ。
12. 海外の名無しさん
鄭一嫂(ていいっそう)はどうなんだ。19世紀初めの南シナ海で、数百隻規模の船団を動かしていた人。規模でいえばカリブ海の海賊とは比べものにならない。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
500隻を超える船団が、ポルトガルの船6隻くらいに負けたって話を聞いたことがある。数がすべてじゃないという見本みたいな話だよな。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
それはかなり話が縮んで伝わってる。ポルトガル艦隊との戦闘はあったけれど、彼女の船団が軍事的に壊滅させられたわけではない。実際に効いたのは内部分裂のほうで、赤旗と黒旗の艦隊が仲たがいしたところで清朝が交渉に持ち込んだ。1810年に恩赦を取りつけて降伏し、船も部下もかなり残したまま、官職まで受け取って引き上げている。負けたというより、有利な条件で店じまいした形だね。
15. 海外の名無しさん
61日と聞いて『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』のあのやり取りを思い出した。「お前は間違いなく、俺が今まで聞いたなかで最低の海賊だ」と言われる、あの場面。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
「だが、聞いたことはあるわけだ」だね。実際そのとおりで、61日しか海賊をやっていないのに300年後の掲示板で名前が話題になってるんだから、知名度の面では大成功もいいところだと思う。
17. 海外の名無しさん
正直に言うと、自分がこの名前を覚えたのはゲームだ。『アサシン クリード IV ブラック フラッグ』で主人公の船の副長になる人。あれは船に乗ってる期間が61日どころじゃなかった気がするけど。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
ゲームやドラマだと、何年も海の上で暮らしているように描かれるからね。そのイメージのまま実際の記録を見ると、2か月で終わっていることに面食らう。創作のほうが先に頭に入ってる人は多いと思う。
19. 海外の名無しさん
まだ観てないなら『Black Sails/ブラック・セイルズ』をすすめたい。1シーズン目は暴力と性描写を前に出しすぎていて人を選ぶけれど、2シーズン目から政治劇として一気に面白くなる。オープニング映像だけでも観る価値がある。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
あのドラマの船底引き回しの場面がきつかった。ロープで縛って船の底をくぐらせ、反対側まで引きずる刑罰なんだけど、船底にびっしり付いたフジツボがナイフみたいに体を削っていくと知って見方が変わった。しかも、いつ反対側に出られるのか本人には分からない。
21. 海外の名無しさん
埋蔵金の話もだいたい作り話だよ。奪ったものの大半は砂糖や布や酒みたいな積荷で、埋めるような金貨銀貨はそもそも手元になかった。当時の感覚でいえば、トラックを襲って積荷を奪い、急いで売りさばいて、入った金をその場で使い切る商売。貯めて隠す発想がない。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
埋めたことがはっきり分かっているのは、キャプテン・キッドくらいのものだね。しかもそれが有名になりすぎて、海賊はみんな宝を埋めるものだという話に化けてしまった。たった一つの実例が、ジャンルまるごとの定番設定になった例だと思う。
23. 海外の名無しさん
長く続いた人を挙げるなら、フランシス・ドレイクやヘンリー・モーガンのような私掠船の船長になる。国から私掠免許状という許可証をもらって敵国の船を襲う立場で、やっていることは海賊とほぼ同じなのに、扱いがまるで違う。モーガンなんて、イギリスとスペインが休戦条約を結んだという手紙が届く前にジャマイカを出港して、パナマの街を略奪して帰ってきている。
24. 海外の名無しさん(>>23への返信)
しかもモーガンは、そのあとロンドンに送られて裁かれたのに罪を問われず、逆にナイトに叙されてジャマイカの副総督になっている。同じことをして片方は絞首刑、片方は総督。結局のところ、後ろ盾があるかどうかだけの差だったんだよな。
25. 海外の名無しさん
本当の意味での海賊の全盛期は、古代の地中海だと思う。ローマが共和政だったころは海賊が深刻な問題で、艦隊を率いる頭目まで存在した。それがロマンチックに語られないのは、地中海側の記録が襲われた側の視点で残っているからだろうね。カリブのほうは、双方に冒険者めいた人物がいて、手紙や読み物の形で面白おかしく伝わった。誰が書き残したかで、後世の見え方はここまで変わる。
まとめ
女海賊アン・ボニーが海賊として海にいたのは、記録の上では1720年8月22日から10月22日までの61日間だけ。裁判で死刑判決を受けたあと妊娠を申し立てて執行が止まり、そこから先の記録は残っていない。コメント欄では「有名な海賊はみんな活動期間が短い」という話から、黄金時代そのものが70年ほどしかないこと、名前が残った海賊は捕まったから記録が作られたにすぎないこと、埋蔵金がほぼ神話であることまで、次々と身も蓋もない指摘が続いた。グレイス・オマリーや鄭一嫂といった「本当に長く活躍した人」の名前が挙がったのも、この記事の主役と対照的で印象に残る。

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