古い本に虫があけた小さな穴が、ページ泥棒の決め手になった——。19世紀の終わりから20世紀前半のイギリスで名を知られた蔵書家トーマス・J・ワイズは、大英博物館が所蔵する貴重な古書からページを抜き取り、欠けのある自分の本を「全ページそろった一冊」に仕立てていた。何年も後、司書や研究者たちは、盗まれたページの虫食い穴が元の本の前後のページの穴とぴたりとつながることを示し、その出どころを証明してみせた。
※注:当時の大英博物館は、国を代表する巨大な図書館部門も抱えていた。この部門はのちに独立し、現在の大英図書館になっている。
今日の知ってた?
📚 イギリスの有名な蔵書家トーマス・J・ワイズは、大英博物館の貴重な古書からページを抜き取り、自分の本の欠けたページを埋めていた。一度に抜くのは数ページだけで、発覚しにくかった。のちに司書や研究者たちは、盗まれたページに残る虫食い穴が、元の本の前後のページの穴とぴたりと重なることを突き止め、折り目や押し跡、染みの形もあわせて、そのページがもともと博物館の本の一部だったことを証明した。
背景:トーマス・J・ワイズとは
名の知れた蔵書家で、書誌学者でもあった。トーマス・J・ワイズは、19世紀の終わりから20世紀前半のイギリスで、珍しい本や原稿を集めるコレクターとして名を上げた人物。書誌学者、つまり本の版や印刷、成り立ちを調べる専門家としても知られていた。その一方で、貴重な本や原稿に手を加えて自分の蔵書の値打ちを上げていたことで、悪名を残している。
生前の名声は本物だった。ワイズ(1859〜1937年)は、学生のころから小遣いをロンドンの露店の古本につぎ込んでいた叩き上げの収集家だ。手元の重複本を売ったり、アメリカの収集家ジョン・ヘンリー・レンなどの代理で本を買い付けたりして、コレクションの資金をまかなった。書誌学への貢献でオックスフォード大学から名誉修士号を受け、1922〜24年には英国書誌学会の会長も務めている。蔵書が「アシュリー・ライブラリー」と呼ばれるのは、最初の妻と暮らしたロンドンのアシュリー・ロード52番地にちなむ。
偽造でも知られる。ワイズは、19世紀のイギリスの作家や詩人の作品について、本当は存在しなかった「初版本」を刷ってこしらえ、貴重な本として売っていた。この偽造は、本人の生前の1934年に、若い古書店主ジョン・カーターとグレアム・ポラードの2人の調査で暴かれている。2人は紙の化学分析や活字の書体の特定を手がかりに、それらの「初版」が偽物であることを証明した。推理作家のドロシー・L・セイヤーズは英紙サンデー・タイムズの書評で、「推理の手法を好む人なら、どんな小説よりも夢中になるだろう」とこの調査をたたえた。
「全ページそろった一冊」は値打ちが違う。何百年も前の本は、長い年月のあいだにページが抜け落ちたり破れたりしていることが珍しくない。全ページがそろった本は、欠けのある本よりずっと価値が高い。ワイズは、自分の本に足りないページを、大英博物館が持つ同じ版の本から抜き取って補っていた。当然、博物館の本のほうは、そのページが欠けた状態になる。
もう少し詳しく
狙われたのは古い戯曲の本。ページを抜き取られたのは、17世紀前半を中心にイギリスで印刷された戯曲(芝居の台本)の本で、多くはロンドンで刷られたものだった。一度に抜くのは数ページだけだったため、盗まれたことに気づくのはきわめて難しかった。
傷んだ本を安く買い、足りないページを盗んで埋めた。2023年に英文芸誌リテラリー・レビューに寄稿した研究者ジョセフ・ホーンによると、当時の戯曲の本は表紙も付けずに糸で綴じただけの薄い冊子で、最初と最後のページが傷んだり失われたりしやすかった。ワイズは傷んだ本を安く買い、ほかの欠けた本のページで補修していたが、市場で必要なページが見つからないときに、大英博物館の本から抜き取った。博物館の本に残った切り口は刃物ではなく手で破った跡で、少しずつ引きちぎったように見えるという。
製本屋の言葉「もちろん、盗んでるのさ」。こうして寄せ集めた本は、ワイズがひいきにした製本会社リヴィエール・アンド・サンが仕上げた。紙を漂白して色をそろえ、穴をふさぎ、余白を継ぎ足して、革で装丁する。こうした「仕立て直し」は当時の古書の世界では珍しくなかった。ところが、テキサス大学オースティン校のハリー・ランサム・センターには、ワイズがレンに売ったマーロウの戯曲『マルタ島のユダヤ人』の初版があり、何枚かのページは大英博物館の本から破り取られたページと一致し、最後のページには博物館の蔵書印と大きさも形もぴったり同じ丸い補修跡がある。同センターには、リヴィエールの社員が「ワイズはばらのページをどこから手に入れているのか」と尋ね、支配人のアーサー・カルキンが「もちろん、盗んでるのさ!」と答えたという未公開の手紙も残っている。
虫食い穴は、ページの「指紋」になる。古い本の虫食い穴は、甲虫などの幼虫が紙を食べ進んでできたトンネルの跡だ。日本の古い和本に開いている小さな穴も、シバンムシという甲虫の幼虫などのしわざとされる。琉球大学附属図書館の解説によると、紙の表面を食べる紙魚(シミ)とは違い、シバンムシ類の幼虫はトンネル状に穴をあけながら食べ進み、排泄物でページどうしがくっついて開かなくなることもある。虫は閉じた本の中を掘り進むので、穴は何ページにもわたって、ほぼ同じ場所に続いていく。ただし通り道は少しずつ曲がるので、穴の位置や形はページごとに微妙にずれる。この並び方は、本ごとにまったく違う。
元の本と突き合わせると、穴が一本につながる。虫食い穴のある本から1枚を抜き取って、別の本に綴じ込んだとする。差し込まれた先の本では、前後のページに同じ穴がないか、あっても位置が合わない。ところが、元の本の、抜き取られた箇所の前後のページと突き合わせると、穴の位置も形もぴたりと重なり、虫の通り道が一本のトンネルとしてよみがえる。盗まれたページの出どころは、こうして明らかになった。
折り目や染みも手がかりに。一冊に綴じられていたページ同士は、折り目の位置や、紙に残った押し跡、にじんだ染みの形もつながっている。こうした跡も、抜き取られたページがもともと博物館の本の一部だったことを示す証拠になった。普通なら本の値打ちを下げるだけの傷みが、ここでは動かぬ証拠に変わったわけだ。
暴いたのは、元暗号解読所の若手司書。ワイズが1937年に亡くなると、未亡人が約7,000冊の蔵書を6万6,000ポンドで大英博物館に売った。その目録づくりを担当した若手司書デイヴィッド・フォクソンは、第二次世界大戦中にブレッチリー・パーク(イギリスの暗号解読の拠点)で働いた経歴の持ち主で、ワイズの本に差し込まれたページが博物館の本の欠けと合うことに気づいた。虫食い穴だけでなく、綴じ糸の穴や染み、紙のきずまで照合して、どのページがどの本から来たかを割り出し、1956年10月に英紙タイムズで公表、1959年に英国書誌学会から報告書を出した。かつてワイズが会長を務めた学会である。テキサス大学の司書ファニー・ラッチフォードも、レンの旧蔵書を携えてイギリスに渡り、照合に協力した。フォクソンの集計では、博物館の古い戯曲本から抜かれたのは206枚で、89枚がワイズの蔵書から、60枚がレンの旧蔵書から見つかった。
全貌はいまも分からない。2025年12月、いまはアシュリー・ライブラリーを所蔵する大英図書館が、ワイズの未亡人が1939年に亡くなったあとロンドンの古書店が手に入れた「ばらのページの束」の目録化を伝えた。中には、ワイズが自分の本から抜いて博物館のページと差し替えた元のページや、博物館から盗んだのに結局使わなかったページも入っていた。それでも出どころの分からないページが残っており、同図書館は、ワイズの手口は2〜3冊のあいだでページを入れ替えるより込み入ったもので、仕立て直された本がいまも各地のコレクションに残っているかもしれない、としている。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
司書を敵に回すな。これに尽きる。古い本の虫食い穴まで証拠として突きつけてくる人たちだぞ。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』で、エヴリンが酔っぱらって「私は……司書よ!」って胸を張る場面があるでしょ。あれは笑うところだと思ってたけど、この話を読んだら、本気で誇っていい肩書きだった。
3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
アメリカなんかだと、正規の司書になるには図書館情報学の修士号がいるのが普通なんだよ。勉強の中身は、調べものと検索のプロになるための訓練がほとんど。自分の館にある本のことを知らない司書のほうが、むしろ心配になる。あれは天職なんだと思う。
4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
自分の修士課程は、情報の整理(分類とか目録づくりとか)、利用者に調べ方を教えるための指導法、利用者が本当は何を探してるのかをつかむ訓練が中心だった。選択でデータベースの設計と運用もやった。なのに世間の司書のイメージは、返却日のハンコを押して「シーッ」って言う人。……まあ、それもやるけどさ。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
自分は図書館情報学の修士を取ってから、金融業界に進んだ。情報を整理してデータベースに落とし込む技術が、そのままお金の管理にも効くんだよね。おかげで仕事ではかなり重宝されてる。
6. 海外の名無しさん
要するに、本の世界の科学捜査だな。拳銃の弾に残る傷を照合して銃を割り出すのと同じ発想で、紙に残った傷を突き合わせて出どころを割り出してる。普段なら値打ちを下げるだけの虫食いが決め手になる、ってところがたまらない。
7. 海外の名無しさん
英語だと、本の虫食い穴も、SFに出てくる時空をつなぐ穴も、どっちも「ワームホール」なんだよ。だから見出しをぱっと見たとき「司書たちがワームホールを照合して犯人を特定」って読めて、本泥棒ひとり捕まえるのに時空を超えるのはやりすぎだろと思った。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
司書たち、本を傷める奴を捕まえるためだけにワームホール技術を開発しちゃったのか。職業意識が高すぎて、ちょっと怖い。
9. 海外の名無しさん
待って、本を食べる虫って本当にいるの? 「本の虫」って、読書好きを指すただの言い回しだと思ってた。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
いるよ。といってもミミズみたいな「虫」じゃなくて、たいていは甲虫や蛾、ゴキブリなんかの幼虫。紙や糊を食べながら、本の中をトンネルみたいに掘り進んでいくんだ。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
話の本筋には関係ない細かい指摘で悪いけど、ゴキブリはさなぎにならない虫だから、英語だと子どもは「幼虫(ラーバ)」じゃなくて「若虫(ニンフ)」って呼び分けるんだ。生まれたときから、親をそのまま小さくしたような姿をしてる。
12. 海外の名無しさん(>>9への返信)
うちにある古書にも、本物の虫食い穴が開いてるよ。ページをめくっていくと、同じあたりに小さな穴が何ページも続いてて、虫がどっちへ進んだのかまでたどれる。
13. 海外の名無しさん(>>9への返信)
面白いことに、英語の「ブックワーム(本の虫)」は、読書好きの人を指す使い方のほうが、本を食う虫を指す使い方より100年くらい古いらしい。虫が紙をかじること自体はずっと前から知られていて、そこから人間のあだ名が生まれた。虫そのものがブックワームと呼ばれるようになったのは、もっと後なんだって。
14. 海外の名無しさん
大英博物館から盗んで、自分のコレクションに加える? パルテノン神殿の彫刻をはじめ、よその国から持ち帰った品の返還をあちこちから求められてる、あの大英博物館が今回は盗まれる側とはね。立場が逆じゃないか。
15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
気持ちは分かるけど、盗まれたのは16〜17世紀ごろのイギリスの戯曲の本で、多くはロンドンで刷られたものだよ。今回ばかりは正真正銘イギリスの持ち物だから、そのネタはちょっと当てはまらない。
16. 海外の名無しさん
英語版ウィキペディアによると、ワイズは結婚して数年で奥さんに出ていかれてる。理由は「夫が結婚生活より蔵書に夢中だったから」。そのまま正式に離婚。離婚なんてめったにない時代のイギリスで、だぞ。どれだけ本にのめり込んでたんだよ。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
奥さんより本を選んだ男が、最後は他人の本からページを抜き取ってまで自分の本をそろえてたわけか。筋金入りにもほどがある。
18. 海外の名無しさん
身内の話で恐縮だけど、ワイズの偽造を追及した司書のひとり、テキサスのファニー・ラッチフォードは僕の大おばなんだ。『ジェーン・エア』や『嵐が丘』のブロンテ姉妹が子どものころに書いた、小さな手作りの本の研究でも知られてて、細かいところを絶対に見逃さない人だった。僕が小さいころは、よくうちの農場に遊びに来てくれてね。ピアノを弾く母に、自分では持て余すからって、コンサート用のグランドピアノをぽんと譲ったこともある。一族でいちばんカッコいい人だったよ。
19. 海外の名無しさん
地元の小さな文書館で働いてたことがある。エイブラハム・リンカーンが昔この郡に住んでいたことがあって、有名な資料じゃないけど、彼の署名が入った郡の記録がいくつか残ってたんだ。ある日、誰かがその記録を閲覧して、署名のあるページを破り取ってそのまま帰った。気づいたのは後になってからで、誰の仕業かは結局わからずじまい。小さな館だったから、そんなことをする人がいるなんて誰も想定してなかった。それ以来、リンカーン関係の資料は全部、警備のしっかりした州の文書館に移されて、うちには研究者向けのコピーが置いてあるだけ。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
こういうのが一番腹が立つ。ひとりの身勝手のせいで、その後の全員が本物を手に取れなくなるんだから。ワイズの件だって、ページを抜かれた本を次に開いた人は、何も知らずに欠けた本を読まされてたわけだし。
21. 海外の名無しさん
全部は突き止められてないってことは、今もどこかの古書の中に、大英博物館から抜き取られたページが何食わぬ顔で綴じ込まれてるかもしれないのか。古本好きとしては、ちょっとゾクッとする話だ。
22. 海外の名無しさん
夏のあいだ博物館で働いてたとき、博物館学の修士課程の学生が、整理されていない古写真の目録づくりをしてた。引き出しひとつに死体がひとつ隠せそうなほど巨大なキャビネットに、何千枚もの写真がほぼバラバラで詰まってるんだ。ある週、彼が町のお祭りの白黒写真を見せてくれた。手前に馬、奥の商店の前に古い車。それから1週間以上たって、写真の仕分けを手伝っていたら、彼が私の手から1枚をさっと取った。車の横に立つ人の写真で、画面の端に馬のお尻がかろうじて写り込み、奥にはカメラを構えた人がいた。つまり、通りの両側から数秒か数分の差で撮り合った2枚だったんだ。車の角度も写り方もまるで違うのに、彼は何千枚の中からそれを覚えてた。だから司書が「自分の館の本の状態は全部把握してる」と言っても、私は信じる。
23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
それ、今回の虫食い穴の照合とまったく同じ種類の才能だな。何千枚の中から「この2枚は同じ瞬間を向かい合って撮ったもの」って見抜くんだから。
24. 海外の名無しさん
図書館の人を怒らせるのは、殺し屋を怒らせるより危ないってことだな。『ジョン・ウィック:パラベラム』でも、あの伝説の殺し屋が図書館で本を武器に使ったあと、ちゃんと元の棚に戻してたし。
25. 海外の名無しさん(>>24への返信)
図書館で働いてる者として一言。どこから取ったか覚えてない本は、無理に棚に戻さず、机やブックトラック(本を運ぶワゴン)に置いといてもらえると本当に助かる。間違った棚に戻された本は、次の蔵書点検まで見つからないこともあるんだ。針の山から特定の1本を探すようなものだからね。
まとめ
蔵書家トーマス・J・ワイズは、大英博物館の古書からページを数枚ずつ抜き取り、自分の本を「全ページそろった一冊」に仕立てていた。その盗みを暴いたのは、前後のページとぴたりとつながる虫食い穴や、折り目、染みの跡だった。コメント欄では「司書を敵に回すな」の声を皮切りに、本を食べる虫は本当にいるのかという素朴な疑問から、文書館や博物館で働いた人たちの体験談まで話が広がった。
参考資料
- 大英図書館「『完全犯罪』――ばらのページとトーマス・J・ワイズの仕立て直した本」(2025年・英語)
- リテラリー・レビュー(ジョセフ・ホーン)「もちろん、盗んでるのさ!」(2023年・英語)
- ウィキペディア英語版「トーマス・ジェームズ・ワイズ」(英語)
元ソース: 有名な蔵書家が大英博物館の貴重な古書からページを盗んで自分の本を完成させていたこと、そして司書たちが盗まれたページの虫食い穴や折り目、押し跡を照合してそれを証明したことを知った


コメント
日本だと本を食べるのは「紙魚(シミ)」なんだよな、紙は判るけどなぜ魚の文字を当てたのか小さい頃から謎
偽出版に図書館からの窃盗。
Thomas J Wiseという名前の割に、やってる犯罪はセコいだけで賢くないという。
どこがwiseやねん。