参加人数に上限なし。競技場は町そのもの。守るべき決まりは「人を殺さないこと」くらい——中世イングランドで行われていた民衆フットボールは、しばしばそんなふうに紹介されます。現代のサッカーやラグビーの遠い祖先にあたる荒っぽい行事ですが、驚くことに、形を変えながら今も続けている町がある。海外掲示板には、実際に参加した人やその同僚の証言まで並びました。
※注:シュローヴタイド(告解火曜日)は、キリスト教で四旬節が始まる直前の祝祭日。英国では古くから、この日やその翌日に町ぐるみの球技を行う地域がありました。
今日の知ってた?
📏 中世イングランドの民衆フットボールは、参加人数が決まっておらず、村や町そのものが競技場だった。統一された競技規則は存在せず、「殺人以外はだいたい何でもあり」と語られるほど荒っぽい行事だったとされる。あまりに乱暴で騒乱のもとになるとして、中世のイングランドでは王や都市当局が繰り返し禁止令を出した記録が残っている。
背景:民衆フットボールとは
ここでいうフットボールは、現代の競技とはほとんど別物です。研究者は「民衆フットボール」「モブ・フットボール」などと呼びますが、実態は地域ごとにばらばらで、統一された名前すらありませんでした。共通しているのは、祝祭日に村や町の住民が二手に分かれ、ボールを目標地点まで運ぶという大枠だけです。
ボールは布を詰めたものや革製、動物の膀胱を使ったものなど。目標地点は教会の門、水車小屋、川の一点といった、数キロ離れた場所に設定されることもありました。参加者は何十人、地域によっては何百人規模になったといわれます。プレー中は建物も畑も川も、そこにあるものすべてが競技場です。
だからこそ、これは「スポーツの試合」というより「共同体の年中行事」に近いものでした。勝敗も大事ですが、それ以上に、町ぐるみで一日を潰す祭りとしての性格が強かったのです。
もう少し詳しく
権力者にはひたすら迷惑だった。中世のイングランドでは、この球技に対して禁止令が何度も出されています。理由として挙げられたのは、騒乱や器物の損壊、そして「弓の稽古の妨げになる」こと。当時の兵力は長弓兵に支えられていたため、若い男たちが休日にボールを追いかけて過ごすのは国防上の問題と見なされたわけです。逆に言えば、何度も禁止令が必要になるほど、人々はやめなかったということでもあります。
ルールがなかったからこそ、たくさんの競技に枝分かれした。この手の球技が近代スポーツに変わったのは19世紀のイングランドです。学校やクラブがそれぞれのローカルルールを文書にまとめ始め、手を使うか使わないかといった方針の違いから、サッカー(アソシエーション・フットボール)とラグビーが別々の道を歩きます。さらにゲーリックフットボール、オーストラリアンフットボール、アメリカンフットボールなど、地域ごとに違う「フットボール」が生まれました。名前が同じなのに競技内容がここまで違うのは、出発点が「地域ごとに勝手に決めていた」ものだったからです。
現在も続く行事は「中世のまま」ではない。英国のダービーシャー州アッシュボーンで毎年行われるロイヤル・シュローヴタイド・フットボールは、町を南北に分けた二組がボールを運び合う大がかりな行事として知られています。ウォリックシャー州アザストンの球技や、イタリア・フィレンツェのカルチョ・ストーリコも、同じ系統の古い球技を受け継ぐ行事です。ただし、これらはいずれも現代の主催者が運営する催しで、開催時間や進行の取り決めがあり、沿道の店舗は窓を保護し、救護の体制も整えられています。荒っぽさは残っていても、中世の慣習をそのまま再現しているわけではない、という点は押さえておきたいところです。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
博物館の中の話みたいに読んでたけど、これ英国の一部の町では今もやってるからね。歴史の展示じゃなくて現役の年中行事なんだ。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
昔の同僚が毎年その試合に出てて、人が押し合う塊に巻き込まれて脚を3か所折ったことがある。で、当然のように「それは反則ではない」と言われたらしい。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
そもそも「反則」という概念が成立しないんだと思う。違反が生まれるにはまず規則が要るわけで、規則がないなら何をしても違反にならない。理屈は通ってる。
4. 海外の名無しさん
ダービーシャーのアッシュボーンで毎年見てるけど、町全体が事実上封鎖される。店は窓に板を打ちつけて、通りは人で埋まる。一度体験する価値のある光景だよ。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
ウォリックシャーのアザストンにも似た行事がある。あちらは歴史的な一戦を記念して始まったと地元では言われてるけど、由来の部分は伝承の域を出ないみたい。
6. 海外の名無しさん
今の感覚でいう「スポーツ」として見るからおかしく思えるだけで、当時は競技というより共同体の行事だったんじゃないかな。真剣ではあったけど、性質が違う。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
サッカー、ラグビー、ゲーリック、オーストラリアン、アメリカン。同じ「フットボール」を名乗りながら全部ルールが違うこと自体が、元がどれだけ曖昧だったかの証拠だと思う。
8. 海外の名無しさん
殺人禁止ルールと給水タイムのせいで試合の流れが途切れる。まったく最近の競技運営はわかってない、と中世の人なら言いそう。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
「ルールはなしだ!」「……去年のことがあったから、1つだけルールを作る」「デイブのせいでこうなったんだぞ」みたいな会議があったに違いない。
10. 海外の名無しさん
冷めた見方をすると、これはスポーツではなく年に一度だけ公認された暴動だよね。競技として洗練させようという発想が、そもそも誰にもなかった。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
むしろその「公認された暴動」の部分が機能だったんだと思う。狭い村で溜まった不満を、決まった日に決まった形で吐き出させる。祭りにはだいたいその役目がある。
12. 海外の名無しさん
説明を読むかぎり、これはサッカーよりラグビーの近い親戚に見える。ボールの形を変えて「相手に大怪我をさせない」を数条足せば、だいたいラグビーになる。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
両方の祖先というのが正確だと思う。実際、規則を先に文書化したのはラグビー側で、そこから手を使わない流儀が分かれていった順番になる。
14. 海外の名無しさん
イタリアのフィレンツェで続いているカルチョ・ストーリコも同じ系統だよ。(歴史衣装をまとって広場で行う伝統球技)あれを初めて見たときは、格闘技の団体戦かと思った。
15. 海外の名無しさん
現代サッカーで選手が接触もしていないのに倒れて痛がるのを見るたび、この記事を思い出すことになりそう。祖先が知ったら卒倒するんじゃないか。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
そこは笑うところだけど、逆に言えば接触の基準が厳しくなったからこそ、選手生命が20年近く続く時代になったわけで。倒れる演技はその副産物なんだと思う。
17. 海外の名無しさん
小学校の昼休みのサッカーがまさにこれだった。人数無制限、校庭全部が競技場、ルールは誰も覚えてない。楽しかったし、ゴールキーパー役がいちばん鍛えられた。
18. 海外の名無しさん
昔の人は遊び方を知ってたんだよなあ。町の全員が同じ日に同じ一日を共有するなんて、今はスタジアムの中でしか起きない。
19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
気持ちはわかるけど、麻酔も抗生物質もない時代に脚を折るのがどういうことか考えると、あまり牧歌的には思えない。生活の糧を失う人も普通にいたはず。
20. 海外の名無しさん
ディスクワールドの小説にこの手のフットボールが競技として整えられていく話があって、まさにこの時代の話をやっている。あの作者らしい皮肉が効いてる一冊。
21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
「フットボールについて大事なのは、それがフットボールだけの話ではないということだ」という一節が好きすぎる。この記事を読んでから読むとまた違って見えそう。
22. 海外の名無しさん
正直、丘の上から転がるチーズを追いかけて全速力で斜面を落ちていく行事に比べたら、まだ安全そうに見えるのがすごい。英国は本当にどうかしている。
まとめ
人数も競技場も決まっておらず、町ひとつを舞台にボールを運び合った中世の民衆フットボール。統一されたルールがなかったからこそ、そこから枝分かれした「フットボール」は世界各地でまったく違う競技になりました。コメント欄では、実際に見物した人の証言や現代スポーツとの比較で盛り上がる一方、「これは競技ではなく公認された暴動だ」「医療のない時代の骨折を美化しすぎ」という冷静な指摘も並びました。ルールが増えたことを退屈と見るか、続けられる形にした工夫と見るか。そこが分かれ目のようです。

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