イギリスの国王には、年に一度、必ず出向かなければならない建物がある。ロンドンのウェストミンスター宮殿、つまり国会議事堂だ。国王は議事堂の一室で式服に着替え、王冠をかぶり、議員たちの前に出ていく。そしてその着替えの部屋の壁には、1649年に一人の国王が首を刎ねられたときの死刑執行令状の写しが掛かっている、という話が海外の掲示板で盛り上がっていた。処刑されたのはチャールズ1世。議会に手を出した王である。
※注:ここでいう「議会開会式」は、新しい会期の始まりを告げる年に一度の行事のこと。国王が議事堂に出向き、貴族院(上院)の議場で玉座に座り、「国王演説」を読み上げる。ただし演説の中身を書くのは国王ではなく、そのときの政権である。
今日の知ってた?
📜 1649年にチャールズ1世を処刑した死刑執行令状の写しが、ウェストミンスター宮殿の「ローブ室」——年に一度の議会開会式で、国王が式服に着替える部屋——に飾られている。議会に手を出した君主がどうなるかを、当の君主に思い出させるための儀礼的な戒めなのだという。掲示板ではこの一点をきっかけに、イギリス議会に残る奇妙な手順の数々が次々と持ち出されることになった。
背景:議会に押し入った王が、首を刎ねられるまで
チャールズ1世は1625年に即位したイングランドの王である。彼は、王の権威は神から直接与えられたものであって、議会から借りているものではないと本気で考えていた。ところが当時のイングランドでは、新しい税を取るには議会の同意が要る。金の要る王と、金の蛇口を握る議会は、即位直後から噛み合わなかった。
※ 王権神授説:王の統治権は神に由来するのだから、地上の誰にも王を裁く資格はない、という考え方。チャールズ1世は裁判の場でもこの立場を崩さず、自分を裁く法廷そのものを認めないと言い張った。
1629年、彼は議会を解散し、そのまま11年間も議会を開かずに統治する。忘れられていた古い名目の徴収を掘り起こして金を集めたため、反発はむしろ積み上がっていった。決定的だったのは1642年1月である。チャールズ1世は武装した者たちを引き連れて、庶民院(下院)の議場に自ら踏み込み、5人の議員をその場で逮捕しようとした。イングランドの王が庶民院の議場に足を踏み入れたのは、後にも先にもこのときだけだ。
だが5人はすでに知らせを受けて逃れており、議場は空振りに終わった。王が議長に居場所を問いただすと、議長は、この議場が命じないかぎり自分には見る目も語る舌もありません、と答えて口を割らなかったと伝えられている。王は議場を見回して「鳥は飛び去ったようだ」とつぶやいたという。
この一件を境に、王と議会は決裂した。同じ年のうちに内戦が始まり、議会側の軍を率いたオリバー・クロムウェルが勝つ。1649年1月、王は特別に設けられた法廷で反逆の罪に問われた。彼は最後まで罪状に対する答弁を拒み、王を裁ける法廷など存在しないと主張し続けたが、判決は死刑だった。1月30日、彼はロンドンの街頭に組まれた処刑台で斬首される。寒さで体が震え、恐れていると誤解されるのを嫌ってシャツを二枚重ねて着ていった、という逸話が残っている。
この死刑執行令状には、59人が署名し、それぞれの印を押した。クロムウェルの名はその中にある。王を失ったイングランドはその後11年間、王のいない共和国として運営された。そして1660年、処刑された王の息子がチャールズ2世として即位し、王政が戻る。ここから、令状に並んだ59の署名は、まったく別の意味を持ちはじめることになる。
もう少し詳しく
国王は年に一度、自分から議会に出向く。ただし、入れる部屋は決まっている。議会開会式の日、国王はウェストミンスター宮殿に到着すると、まずローブ室に入って式服をまとい、王冠を身につける。そこからロイヤル・ギャラリーと呼ばれる長い部屋を歩いて抜け、貴族院の議場に入り、玉座に座って国王演説を読み上げる。この動線に庶民院の議場は含まれていない。1642年のあの日以来、イギリスの君主は一度も庶民院の議場に足を踏み入れていないからだ。
扉は、わざと閉められる。国王が貴族院で待っているあいだ、庶民院の議員たちを呼びに行く役目を負っているのが「黒杖官」と呼ばれる役職の人物である。黒い杖を手にした黒杖官が庶民院の扉に近づくと、扉はその目の前で音を立てて閉じられる。彼は杖で扉を三回叩き、そこでようやく中に通される。庶民院は独立しており、外から押しかけて呼びつけることはできない、招き入れられて初めて入れる——という筋を、毎年その場で演じ直しているわけだ。扉には長年叩かれ続けた跡が残っている。
※ 黒杖官:貴族院に属する式部官で、正式には「黒杖を持つ式部官」にあたる。近年は女性が務めることもある。
国王が議事堂にいるあいだ、議員が一人、王宮に残される。開会式のあいだ、政権側の議員が一人「人質」として王宮に留め置かれ、国王が無事に戻ってきたところで解放される、という慣例がある。かつて王と議会が本気で殺し合っていた時代の緊張が、そのまま形式だけ残ったものだ。同じように、開会式の前には議事堂の地下が儀礼的に捜索される。1605年に議事堂を爆破しようとした計画が未然に防がれた事件に由来する手順である。
ただし、令状が本当に「その部屋」にあるのかは、意見が割れている。元スレッドでは、議会の来館者向け部署に勤めていたという人物が異議を挟んでいた。この話のもとになっている百科事典の記述には出典が付いておらず、死刑執行令状の写しは少なくとも近年の時点では、ローブ室ではなく隣のロイヤル・ギャラリーにあったという。国王が着替えを終えたあとに通り抜ける、あの長い部屋のほうだ。そしてローブ室に飾られているのは、王の権限を制限した文書として名高いマグナ・カルタの精密な複製だという。展示の向き先も、国王というより見学者だろうという見立てだった。開会式の日はあの一帯が丸ごと作り替えられるため、どちらの文書も一時的に動かされている可能性が高い、とも書かれている。
そして署名は、11年後に読み返された。1660年に王政が戻ったとき、新しい王のもとで大赦法が出された。内戦中の行いは原則として不問にする、という法である。ところがこの法は、死刑執行令状に関わった者たちだけをはっきりと例外に指定した。生きていた者は追われ、捕らえられ、処刑された。すでに死んでいたクロムウェルは墓から掘り出され、遺体のまま刑を執行されている。王を裁くために作られた紙が、そのまま「誰を裁くか」の名簿として使われたことになる。壁に掛かっているのが君主への戒めだけを意味しないのは、そういう経緯があるからだ。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
たしか、扉を三回ノックして、議会側の人間に一度は入室を断られる、みたいな儀式がなかったっけ。あれも王様の権力は無条件じゃないぞという意思表示だと聞いた覚えがあるんだけど、合っているのかな。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
合っている。黒杖官という役職の人が、庶民院に向かって「貴族院に来て国王演説を聞くように」と伝えに行く役目を負っているんだけど、彼が扉に近づいた瞬間、目の前で扉が閉められる。それから三回ノックして、ようやく中に通される。庶民院は独立していて、勝手に押しかけて呼びつけることはできない、招き入れられて初めて入れる、という意味だよ。うちの国の伝統の多くがそうであるように、奇妙な見世物の格好をしているけれど、中身は民主主義の仕組みのけっこう大事な部分だ。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
格好をしている、というより、あえてそう見せているんだと思う。隠すためじゃなくて、目に見える形で毎年やってみせるためのものだ。憲法の条文にどう書いてあるかより、扉を閉めて見せたほうが誰の記憶にも残る。
4. 海外の名無しさん(>>2への返信)
昔は、黒杖官が呼びに来るたびに決まって皮肉を飛ばす議員がいて、あれが毎年の楽しみだったんだよな。引退してしまってから、その一言がなくなったのが地味に寂しい。
5. 海外の名無しさん
出勤して、着替えのために部屋に入ったら、前任者の死刑執行令状が額装されて壁に掛かっている。しかも「念のため、お忘れなきよう」という顔で。想像しただけで背筋が伸びる職場だ。
6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
要するに「調子に乗るなよ」という手紙を、わざわざ額に入れて掛けてあるわけだ。文面は堅苦しいのに、伝えたいことは一行で済むという意味では、いちばん効率のいい社内通知かもしれない。
7. 海外の名無しさん
これ、自分の名前もチャールズだったら、ちょっと刺さり方が違うんじゃないだろうか。他人事として眺めるのと、同じ名前で眺めるのとでは、たぶん見え方が変わってくる気がする。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
ただ、チャールズという名の王が全員ひどい目に遭ったわけではないよ。処刑されたのは1世で、次のチャールズ2世は色々あったけれど最後は病で亡くなっている。とはいえ1世が処刑台で首を差し出したのは、一撃で終わらせてもらうためだったと伝わっている。当時の斬首は刃が鈍かったり執行人が緊張したりで何度も打ち下ろす羽目になることがあって、歴史を読んでいると、執行人にも本番の緊張があったのだと分かって妙な気持ちになる。
9. 海外の名無しさん
議会の来館者向け部署で働いていたことがあるので書いておくと、この話はたぶん正確ではない。もとになっている百科事典の記述には出典が付いていないはずだ。死刑執行令状の写しは、少なくとも近年の時点では隣のロイヤル・ギャラリーにあった。国王が着替えを終えたあとに通り抜けるほうの部屋だね。着替えをするローブ室に飾ってあるのは、王の権限を制限する文書として有名なマグナ・カルタの精密な複製のほうだ。しかもあの令状の展示は、国王向けというより見学者向けだと思う。開会式のときはあの一帯が完全に作り替えられるので、令状もマグナ・カルタも一時的に動かされている可能性が高い。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
言われてみると、確かに引っかかる。王政が戻ったとき、チャールズ2世がこんなものを宮殿に残すのを許したとは思えないんだよな。むしろ真っ先に燃やさせそうなものだ。父親を殺した文書を「よい戒めになります」と言われて受け入れる息子はいない。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
令状に並んだ署名は、その後むしろ復讐の名簿として使われたんだよ。1660年に出された大赦法は、原則として内戦中の行いを不問にする一方で、この令状に関わった者だけをはっきり例外にした。生きていた者は捕らえられて処刑され、すでに死んでいたクロムウェルは墓から掘り出されて、あらためて刑を執行されている。つまりあの紙は、王を裁く側の道具であると同時に、王の側が誰を裁くかを決める名簿にもなった。
12. 海外の名無しさん
前回、国王が庶民院の議場に自分の足で踏み込んだときは、何人かの議員を逮捕しようとして、そのまま内戦になり、最後には王の首が落ちた。だから今の国王は、自分では行かずに黒杖官を送って「こちらへ来てほしい」と伝えてもらう。あの回りくどい手順には、ちゃんと前科があるわけだ。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
1642年のことだね。逮捕しようとした5人はすでに知らせを受けて逃げていて、王は議場を見回して「鳥は飛び去ったようだ」と言ったと伝わっている。議長は王に対して、この議場が命じないかぎり自分には見る目も語る舌もありません、と答えて居場所を教えなかった。それ以来、国王は一度も庶民院の議場に足を踏み入れていない。
14. 海外の名無しさん
ちなみに国王が議事堂にいるあいだ、議員が一人、王宮のほうに人質として留め置かれる決まりもある。国王が無事に戻ってきたら解放される。冗談みたいな話だけれど、今も毎年きちんとやっているんだよ。
15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
あの人質役、待遇がものすごくいいらしいんだよな。立派な部屋で待たされて、出てくるものも一級品だと聞いた。年に一度、数時間じっとしているだけでそれなら、自分が立候補したいくらいだ。
16. 海外の名無しさん
よその国だと、選挙で選ばれた元首のほうが、うちの世襲の君主より歯止めが緩かったりする。国王ですらこれだけ縛られている国に住んでいるのは、正直ちょっと誇らしい。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
そこは少し込み入っていて、立憲君主が無力なのは、法律で禁じられているからというより、長く続いた慣習と不文律が積み上がった結果という面が大きい。要するに紳士協定の束だ。実際、議会が通した法案は今でも君主の裁可を経て初めて法律になる。拒もうと思えば、紙の上では拒める。ただ、それをやろうとした人たちがどうなったかを、あの部屋の壁が教えてくれるわけだ。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
選挙で選ばれた元首と世襲の君主に、そっくり同じ儀式を持ち込むのは意味が違ってくると思う。この儀式が効くのは、選ばれてもいない相手を選ばれた側が押し返す、という筋があるからで、両方とも選挙で選ばれている場合には成立しない。それどころか、元首を君主のような存在に見せてしまいかねない。
19. 海外の名無しさん
その令状に署名したのはクロムウェルとその一派だけれど、彼らはその後、チャールズ1世よりよほど締め付けの厳しい統治をやっている。王を倒した側が理想的だったわけではまったくない。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
それはそのとおりだけれど、あの混乱を経たあとに出てきたのが、ヨーロッパのどこよりも早く君主の権力を縛った議会の仕組みだったのも確かなんだよね。ほかの国が同じ結論にたどり着くまで、そこから何百年もかかっている。誰も理想的でなかった時期の産物が、いちばん長持ちしているのが皮肉だ。
21. 海外の名無しさん
三代並べると分かりやすい。チャールズ1世は絶対君主として振る舞おうとして首を落とされた。チャールズ2世は議会とうまくやって、まずまず人気があった。その弟がまた絶対君主をやろうとして、力ずくで追い出された。以来ずっと、妙な妥協の上に成り立っている。
22. 海外の名無しさん
伝統というのは、とっくに忘れられてしまった問題に対する答えなんだよな。答えの形だけが残って、問題のほうを誰も覚えていない。あの部屋は、答えの隣に問題のほうも貼り出してある珍しい例だと思う。
23. 海外の名無しさん
開会式の中継は意外と面白くて、解説がその場で歴史の講義をしてくれる。誰がどういう役職で、なぜそんな妙な動きをするのかを一つずつ説明してくれるから、それだけで一本の番組として成立している。ちなみに演説の中身を書いているのはそのときの政権で、国王は「私の政府は〜します」という一覧を読み上げているだけだ。
24. 海外の名無しさん
とはいえ、選挙で選ばれた元首には剣がないからな。池に住む謎の女から授かった剣が。……という冗談が通じるのはコメディ映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』を観た人だけだと思うけれど、池に寝そべった女が剣を配ることは統治の正当な根拠にはならない、というあの台詞まで含めて、この話題にはやたらと似合ってしまう。
まとめ
1649年にチャールズ1世を処刑した死刑執行令状の写しが、議会開会式で国王が式服に着替える一帯に飾られている——議会に手を出した君主の末路を、当の君主の動線上に置いておく、という話である。コメント欄では、黒杖官の目の前で扉が閉められて三回のノックを求められる手順、開会式のあいだ議員が一人王宮に留め置かれる慣例と、同じ源を持つ儀礼が次々に持ち出された。
一方で、議会の来館者部署に勤めていたという人物からは、令状の実際の展示場所は隣のロイヤル・ギャラリーで、着替えの部屋にあるのはマグナ・カルタの複製だという訂正も入っている。
奇妙な見世物にしか見えない手順の一つひとつに、実際に首が落ちた過去がぶら下がっている。伝統とは忘れられた問題への答えだ、という書き込みがあったが、この一件に限っては、答えの隣に問題のほうも額装されて掛かっていることになる。
元ソース: 1649年のチャールズ1世の死刑執行令状の写しは、議会開会式で国王が式服に着替える部屋に飾られている。議会に手を出した君主に何が起こりうるかを思い出させる、儀礼的な戒めとして

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