「3年で3倍にしろ」と言われた男が「1年でやります」と答えた…ソ連の一州が食肉生産を3倍にした方法

「3年で3倍にしろ」と言われた男が「1年でやります」と答えた…ソ連の一州が食肉生産を3倍にした方法 歴史

上から「3年で3倍にしろ」と言われたとき、いちばん危ないのは「無理です」と言う人ではなく、「1年でやります」と手を挙げる人かもしれない。1959年のソ連で、実際にその宣言をして、そして本当に数字だけは達成してしまった地方幹部がいた。翌年、同じ土地の生産量は5分の1まで落ちた。

※注:ニキータ・フルシチョフは、スターリンの死後にソ連の最高指導者となった人物(在任1953〜1964年)。「州党第一書記」は、州単位の共産党委員会(ロシア語の略称でオブコム)のトップで、その地域の行政と経済を事実上取り仕切る立場にあたる。

今日の知ってた?

🥩 1959年、ソ連のリャザン州は食肉の供出量を1年で3倍にした。だがそれは牛を増やしたからではなく、その年に生まれた子牛をすべて、さらに乳牛や繁殖用の牛の多くまで食肉に回した結果だった。州党第一書記アレクセイ・ラリオノフは「社会主義労働英雄」の称号を受けたが、翌1960年、リャザンの食肉生産は前年の5分の1ほどまで落ち込んだと伝えられている。彼は解任され、まもなく亡くなった。

背景:「追いつき追い越せ」という号令

始まりは1957年の一言だった。フルシチョフは経済成長でアメリカに「追いつき、追い越せ」と打ち出し、その一環として食肉生産を3年で3倍にすると宣言した。数字そのものは演説の中の景気のいい一節にすぎなかったが、ソ連の計画経済では、演説で出た数字がそのまま各地方に割り振られるノルマになる。

1年経っても数字は動かなかった。そこで党中央委員会は各地の党委員会に対し、食肉生産の改善に向けて「断固たる措置」を取るよう求める決定を出したとされる。この瞬間、地方の党幹部にとっての問題は「どうやって牛を増やすか」から「どうやって上に良い数字を出すか」に静かにすり替わった。牛を増やす方法は限られているが、数字を出す方法はいくらでもあるからだ。

そもそも、牛は1年では増えない。牛の妊娠期間はおよそ9か月あり、生まれた子牛が出荷できる体になるまでにはさらに1年以上かかる。3年で3倍でも農業の常識からすればかなり無茶な数字で、1年というのは生き物の時間の都合上どうやっても届かない。この点は、当時の農業関係者なら誰でも知っていたはずのことだった。

もう少し詳しく

ラリオノフは「増やす」代わりに「今あるものを全部出す」ことを選んだ。1958年、彼はフルシチョフに直接、リャザン州なら1年で達成できると約束したと伝えられている。そして翌年、彼が実際に取った手段は次のようなものだったとされる。

  • 1959年に生まれた子牛を、育てずにすべて食肉に回す
  • 州内の乳牛・繁殖用の牛の多くも同じように処理する
  • コルホーズの農民が個人で飼っていた家畜を取り上げる
  • 近隣の州から肉を買い集める(その資金は、農業機械や建設に充てるはずだった予算を回した)

※ コルホーズ=ソ連の集団農場。農民は共同で耕作しながら、家の周りの小さな畑や数頭の家畜を私的に持つことが認められていた。取り上げられたのは、その「自分の牛」にあたる。

1959年末、リャザンは英雄の州になった。この年、州は15万トンの食肉を供出したと伝えられる。前年のおよそ3倍である。ラリオノフには「社会主義労働英雄」の称号が贈られ、州にはレーニン勲章が授与された。中央から見れば、これは「やればできる」という何よりの証拠だった。全国の新聞が「リャザンの奇跡」を伝え、他の州にも同じことをやれという圧力がかかっていく。

※ 社会主義労働英雄=ソ連で労働・生産の功績に対して贈られた最高位の称号。レーニン勲章は同国の最高位の勲章で、称号にはこの勲章が併せて授与された。

翌年、数字は音を立てて崩れた。1960年のリャザン州の食肉生産は3万トン前後まで落ちたとされる。当然で、種になる牛がもういなかった。州の家畜数は1958年の3分の1程度になっていたと伝えられている。さらに、自分の牛を取り上げられた農民たちが集団農場での労働に身を入れなくなり、穀物の生産まで半減した。9月にラリオノフは解任され、その翌月に亡くなっている。自ら命を絶ったとされ、当時の新聞は心臓発作と報じたと伝えられる。

これは一つの州だけの話ではなかった。規模は小さいものの、似たようなことはソ連の各地で起きていたと言われる。フルシチョフ自身も、気候の合わない地域にまでトウモロコシの作付けを広げさせるなど、思いつきに近い農業政策を進めていた。こうした失敗の積み重ねは彼の威信を大きく削り、1964年の失脚につながる一因になったとされる。1957年にモスクワで語られた「追いつき追い越せ」の号令は、隣の中国にも伝わり、翌年に始まる大躍進政策のスローガンに影響を与えたとも言われている。

この構造には名前が付いている。経済学者チャールズ・グッドハートにちなんでグッドハートの法則と呼ばれるもので、「指標が目標になった瞬間、それは良い指標ではなくなる」という言い回しで広く知られている。食肉の供出量は、本来「その土地の畜産がどれだけ健全か」を測るための物差しだった。ところがそれ自体が目標になると、物差しの数字を上げるだけの行為——つまり牛を減らす行為——が正解になってしまう。リャザンで起きたのは、まさにこれである。

※ グッドハートの法則=ある数値を管理目標に設定すると、人はその数値を上げること自体に最適化してしまい、数値が本来測っていたはずの実態との対応が壊れる、という経験則。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
彼がやったことを並べると、その年に生まれた子牛を全部処理して、乳牛と繁殖用の牛にも手を付けて、農民の私有の家畜を取り上げて、足りない分は隣の州から買った、になる。買う金は農業機械と建設に使うはずだった予算から出したそうだ。つまり来年の生産力を全部前借りして今年の数字にした、ということでしかない。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
最後の一項目がいちばん救いようがないと思う。牛を減らすだけなら畜産の問題で済んだけど、機械と建設の予算まで肉の買い付けに溶かしたら、翌年に立て直す手段まで先に失っている。回復のための道具を売って回復の見込みを買った形になる。

3. 海外の名無しさん
畜産をやっている人間からすると、群れの規模を大きくするには何年もかかるというのは説明するまでもない前提の話なんだ。3年でも相当きつい。1年でやると言った時点で、それは畜産の計画ではなくて、書類の上の計画だったということになる。

4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
牛の妊娠期間だけで9か月あるからね。仮に全部の雌が同時に妊娠したとしても、1年後に増えているのは出荷できない子牛だけ。数字の上で3倍にする方法は、増やす以外に一つしかなかったという話でもある。

5. 海外の名無しさん
ソ連時代の失敗の多くは、結局グッドハートの法則で説明がつく。有名なのはモスクワの照明工場が、シャンデリアの生産ノルマを重量で課された話だ。工場はどんどん重いシャンデリアを作るようになり、最後は天井が持たないところまでいった、とよく語られている。測り方を決めた人が、測られる側の創意工夫を甘く見ていた。

6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
テレビの生産でも重さで測っていた時期があると聞いたことがある。真偽のほどは分からないけれど、重量で評価すると必ず重くなるというのは、あまりに人間らしい反応で笑ってしまう。誰も嘘はついていないのに、全体としては嘘みたいな結果になる。

7. 海外の名無しさん
これを計画経済だけの病気だと思って読むと、たぶん一番大事なところを取り逃がす。上場企業の四半期決算でまったく同じことが起きているよ。今期の利益を作るために来期以降の元手を削るというのは、どこの資本主義の会社でも普通に見られる光景だ。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
新しい経営陣が来て、開発費を止めて、遊休資産を売って、人を減らして、その年の利益を過去最高にして巨額の賞与を受け取って去っていく。数年後に会社が立ち行かなくなる頃には、本人はもう別の会社にいる。牛を全部処理した話と骨格は変わらない。

9. 海外の名無しさん
体制の名前よりも、組織の中で誰が生き残ったかの問題だと思う。長い時間をかけて、有能な人が「なんでもはいと言う人」に置き換わっていった。上司を喜ばせるために事実を曲げられる人ほど昇進する仕組みを作ったら、いずれ上には気持ちのいい報告しか届かなくなる。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
それは本当にどこにでもある。うちの部署でも、無理だと言った人が外され、できますと言った人が担当になり、半年後に地獄を見た。規模が国全体になると被害が家畜と農民に及ぶ、という違いがあるだけで、起きていることは同じ形をしている。

11. 海外の名無しさん
話の中でいちばん割を食ったのは、自分の牛を取り上げられた農民たちだよ。翌年に穀物の生産まで半減したのは、単に人手が減ったからではなくて、真面目にやっても取り上げられると分かってしまったからだ。信頼を壊すのは一年で足りるけど、取り戻すのには何年もかかる。

12. 海外の名無しさん
旧ソ連圏で育った人間からすると、この手の話は笑い話としてではなく、家の中の話として聞かされて育つ。祖父がよく、記録の上でだけ立派に存在していた設備の話をしていた。外から見ると出来の悪い風刺に見えるものが、内側では日常だったというだけのことなんだ。

13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
うちの祖母も似た話をする。視察が来る日だけ店の棚に商品が並んで、帰るとまた消えたと。当時の人が愚かだったわけではなく、それが一番損をしない立ち回りだった。制度が人にそう振る舞わせていた、という言い方が一番近い気がする。

14. 海外の名無しさん
同じ時期の中国でも、鉄鋼の生産ノルマを満たすために農具を溶かして鉄に変えたという話がある。作った鉄の相当量は使い物にならなかったうえ、農作業の道具が消えて収穫が落ちた。数字のために、数字を生む元手を壊してしまうところまでそっくりだ。

15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
視察の行程に合わせて、同じ鉄を夜のうちに次の村へ運んでおいた、という逸話も伝わっている。本当かどうかは分からないけれど、そういう話がいくつも残っていること自体が、当時の空気を物語っている気はする。

16. 海外の名無しさん
純粋に疑問なんだけど、1年でやりますと宣言した時点で誰か止めなかったのかな。畜産の担当者が一人でも横にいれば、それが物理的に無理だと5分で説明できたはずだ。誰も止めなかったこと自体が、この体制の一番怖いところだと思う。

17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
本人としては、破綻が表に出る前に中央へ栄転しているつもりだったのではないかと思う。実際、称号をもらった時点までは完璧に狙いどおりだった。想定より一年だけ、崩れるのが早かった。

18. 海外の名無しさん
真面目な話、鶏にしておけば1年で3倍もあり得たと思うんだよね。孵化から出荷まで数か月で回るし、掛け算の効きも段違いだ。誰も気付かなかったのではなく、党の演説で「肉」と言われた以上は牛でなければ格好がつかなかった、という話なのかもしれない。

19. 海外の名無しさん
うちの会社では去年から問い合わせの「解決率」が目標に設定された。結果として何が起きたかというと、難しい案件を受け付けない技術がみんな上手くなった。数字はきれいに上がって、現場の実感は悪くなった。規模はまったく違うけれど、読んでいて他人事に思えなかった。

20. 海外の名無しさん
中央委員会が「断固たる措置を取れ」と言った時点で、もう結末は決まっていたと思う。何をすべきか分からないまま強い言葉だけ降りてくると、下は「強い言葉に見える行動」で返すしかなくなる。手段を指定せずに気迫だけ要求するのは、粉飾を頼んでいるのとあまり変わらない。

21. 海外の名無しさん
ラリオノフを単純に笑う気にはなれない。断れば無能として外され、引き受ければ一年後に破綻する。どちらを選んでも終わりが用意されている場所に立たされていた人でもある。もちろん農民から牛を取り上げた責任は消えないけれど、彼一人の性格の問題に片付けると、同じことがまた起きると思う。

22. 海外の名無しさん
計画経済か市場経済かという線引きよりも、間違いに気付くまでの速さの問題として見るほうがしっくりくる。分散した経済では誰かが失敗しても、その失敗はその人のところで止まる。一か所で全部決めていると、一人の判断ミスがそのまま全員の失敗になる。壊れやすさの話であって、思想の優劣の話ではない。

23. 海外の名無しさん
一番怖いのは、この一年間、書類の上ではすべてが完璧に成功していたことだ。報告書も表彰も新聞記事も全部そろっていて、間違っていたのは現実のほうだった。今の自分の仕事にも、そういう完璧な書類がないと言い切れるかどうか、ちょっと考えてしまった。

まとめ

3年で3倍という号令に「1年でやります」と応じた州党第一書記は、牛を増やす代わりに子牛も乳牛も食肉に回し、農民の家畜まで取り上げて、1959年に数字だけを達成した。翌年、種になる牛は残っておらず、生産量は前年の5分の1ほどに落ちて、彼は解任され、まもなく亡くなった。コメント欄はソ連批判に流れるのかと思いきや、「四半期決算でうちの会社も同じことをしている」「解決率を目標にしたら難しい案件を受けない技術だけ上達した」という現代の職場の話がどんどん出てきて、最後は「書類の上だけ完璧だった一年」が自分にも心当たりがある、という空気で終わっていた。指標を目標に変えた瞬間に何が壊れるのかという話は、どうやら60年経っても古びていないらしい。

元ソース: フルシチョフが3年で食肉生産を3倍にすると号令をかけたら、ある州の第一書記が「1年でやる」と宣言。牛を全部つぶして達成し、翌年に生産が崩壊した

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