「良い馬が全速力で駆けるくらいの速さだった」時速6キロの車にはねられた、記録に残る最初の歩行者

「良い馬が全速力で駆けるくらいの速さだった」時速6キロの車にはねられた、記録に残る最初の歩行者 歴史

「良い馬が全速力で駆けるくらいの速さだった」——1896年、英国で記録に残る最初の「自動車にはねられた歩行者の死」について、ある目撃者はそう証言した。ところが運転していた男の申告では、その車の速度は時速4マイル。約6.4キロで、人間の早歩きとほとんど変わらない。100メートル進むのに1分近くかかる乗り物である。しかもその男は運転歴3週間、免許という制度はまだ存在せず、道路のどちら側を走るのかすら教わっていなかった。

※注:記事に出てくる「検死官」は、英国やその制度を受け継いだ国にある公職のこと。事故死や急死など、原因のはっきりしない死について調べ、陪審とともに公開の審問を開く役割を持つ。誰かを裁くための裁判ではなく、「なぜその人は亡くなったのか」を公の記録として残すための手続きである。この記事に出てくる評決も検死官の言葉も、すべてその審問の場に残されたものだ。

今日の知ってた?

🚗 1896年8月17日、ロンドンのクリスタル・パレス(水晶宮)で、44歳のブリジット・ドリスコルが自動車にはねられて亡くなった。英国で記録に残る、自動車による最初の歩行者の死である。当時、英国じゅうを走っていたガソリン自動車は20台に満たなかった。運転していたアーサー・エドソールは運転歴3週間。免許制度そのものが存在せず、道路のどちら側を走るかの指導も受けていない。本人が申告した速度は時速4マイル(約6.4キロ)で、車はあらかじめその速さしか出ないよう細工されていたという。6時間におよぶ検死審問の末、陪審が出した評決は「事故死」。誰も罪に問われなかった。

背景:車の前を、赤い旗を持った人が歩いていた時代

19世紀の英国には、自動車を「危険な機械」として厳しく縛る法律があった。公道を走る車には決められた人数の乗員が必要で、そのうちのひとりは赤い旗を持って車の前を歩き、周囲に接近を知らせなければならない。速度も、市街地では時速2マイル(約3.2キロ)、それ以外の場所でも時速4マイル(約6.4キロ)までと決められていた。要するに「歩く人に追い越されない速さで走れ」という制度である。

その縛りがほどけたのが、まさに1896年だった。議会は速度制限を時速14マイル(約22.5キロ)まで引き上げ、赤い旗を持って前を歩く義務も廃止する。自動車という乗り物が、ようやく「見せ物」から「交通手段」へと踏み出した年である。そしてこの法律が議会を通ったのは、ドリスコルの事故のほんの少し前のことだった。

とはいえ、この時点の英国にガソリン自動車は20台もない。ほとんどの人にとって自動車は、写真で見たことがあるかどうかという代物だった。事故が起きたクリスタル・パレスの敷地では、その珍しい機械を人々に見せるため、3台の車がデモ走行をしていた。ドリスコルは16歳の娘メイと友人を連れて、その催しを見に来ていたのである。

もう少し詳しく

時速6.4キロが、どれくらい遅いか。大人が「ちょっと急いでいるとき」の歩きが、だいたい時速5〜6キロである。つまりこの車は、駅の構内を急ぎ足で歩く人とほぼ同じ速さでしか進めなかった。100メートル走るのに約56秒。ベビーカーを押している人に、しばらく並走された挙げ句に置いていかれてもおかしくない。一方、証言に出てくる「全速力で駆ける馬」は、時速にすると50キロを軽く超える。同じ場面を見ていた人が、8倍近く離れた数字を口にしたことになる。

証言は、見事なまでにばらばらだった。運転手のエドソールは「時速4マイルで走っていた」と述べ、車はもともとその速度しか出ないよう制限されていたと説明した。車の最高速度自体は時速8マイル(約12.9キロ)だったという。あとから証言に立ったある辻馬車の御者は、あの車は時速4.5マイルより速くは走れないと断言している。ところが目撃者のひとりは、車は「ものすごい速さ」で「消防車のようだった」「良い馬が全速力で駆けるくらいだった」と語った。娘のメイは、車が自分たちのほうへジグザグに向かってきたと述べている。別の記録では、ドリスコル自身が近づいてくる車を前に「困惑した様子だった」とされる。同じ数十秒間の出来事について、これだけ食い違いが残っている。

なぜ、その速度で人が亡くなったのか。元スレのコメント欄でいちばん盛り上がったのがこの疑問だった。有力なのは「はねられた勢いで転倒し、頭を打った」という見立てである。当時の車には、衝撃を吸収するような構造は何ひとつない。鉄と木でできた重い箱が、まっすぐ人に当たる。そして人間は、車が関係なくても、転んで頭の打ちどころが悪ければ亡くなることがある。低速だから安全、という直感は、残念ながら成り立たない。ただ、この点について確かなことは元スレの範囲では語られていない。

「二度と起きてほしくない」という言葉。検死審問は6時間に及んだ。陪審の評決は「事故死」で、運転手を含め誰も罪には問われていない。審問の最後に、検死官パーシー・モリソン(サリー州クロイドン地区)が述べたとされる言葉が、いまも繰り返し引用される。こんなことが二度と起きないよう願う——という趣旨のひとことだ。英国で自動車の運転に免許が必要になるのはこの7年後の1903年、実技試験が必修になるのは1935年のことである。

1896年の日本には、まだ自動車がなかった。この年は明治29年にあたる。街を行き交っていたのは人力車と馬車で、自動車という乗り物は国内をまだ1台も走っていない。日本に自動車が初めて持ち込まれたのは、これより2年あとの1898年(明治31年)とされている。前年の1895年には、京都で日本初の営業用電車が走り始めたばかりだった。英国が「歩行者の死をどう扱うか」で6時間の審問を開いていたころ、日本ではまだ、その問いが生まれる手前にいたことになる。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
1896年8月17日、44歳のブリジット・ドリスコルは、16歳の娘メイと友人を連れてクリスタル・パレスを訪れていて、そこでデモ走行していた3台のうちの1台にはねられた。当時、英国内のガソリン自動車は20台未満。運転していたアーサー・エドソールは運転歴3週間で、免許はそもそも必要なく、道路のどちら側を走るべきかの指導も受けていなかった。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
検死官が最後に「こんなことが二度と起きないよう願う」と述べた、というくだりが全部持っていく。願いは通らなかったどころではなく、その後の130年でこの国も世界も、その一点をひたすら積み上げてきたわけで。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
気になって調べたら、自動車が生まれてから今日までに、車の中で、あるいは車によって命を落とした人は数千万人規模になるという推計が出てきた。数字は出どころによってかなり幅があるから鵜呑みにはできないけれど、桁は動かない。ひとりめの名前がはっきり記録に残っているのが、かえって重い。

4. 海外の名無しさん
その目撃者、さすがに当てにならないだろう。馬のギャロップは平均で時速50キロくらい、競走馬なら60キロを超える。この車は最高速度でも時速13キロ弱で、どうやっても出せない速さだ。19世紀の英国に住んでいて、馬を一度も見たことがなかったわけでもあるまいに。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
確かな筋から聞いた話だと、その場に居合わせた人の証言というのは、おそろしく不正確らしいんだ。ちなみに今のこの発言も、その場に居合わせていない人の証言である。

6. 海外の名無しさん(>>4への返信)
時速6キロしか出ない「良い馬」がいるなら、それは乗馬用ではなくてふれあい動物園に配属すべきだと思う。子どもが横を歩いて追い抜いていく速度の馬を全速力と呼ぶ文化圏、ちょっと見てみたい。

7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
真面目な話をすると、当時わざとゆっくり歩かせる馬車はあった。牛乳やワインみたいにガラス瓶で運ぶ荷物の配達は、揺らすと商品が割れるから速く走らせない。「馬=速い」という前提そのものが、実は用途ごとにかなり違っていたはず。

8. 海外の名無しさん
そもそも時速6キロの衝突でどうやって人が亡くなるのか、そこが想像できずにいる。今の車みたいに衝撃を逃がす構造がないぶん怪我はひどくなるだろうけど、それにしても早歩きと同じ速さだぞ。

9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
転んだときに頭を打つ、それだけで十分に足りてしまう。飼い犬に足を取られてつまずいた人が亡くなることだってあるし、生存率の統計はどの速度域でも100%にはならない。速いか遅いかではなく、どこを打つかの話なんだと思う。

10. 海外の名無しさん(>>8への返信)
避けられそうな気がしてしまうんだよな。ジグザグに近づいてきたとは書いてあるけど、振り返って小走りすれば追いつかれない速度ではある。どういう状況だったのか、どうしても絵が浮かんでこない。

11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
たぶん、体が固まって動かなくなったんじゃないかな。19世紀末の人にとって、自走する鉄の馬車がこちらへ向かってくるという光景は、この世に存在しないはずのものが来る、という体験だったはずで。国内に20台しかない機械だからね。何が起きているか理解する前に終わってしまったんだと思う。

12. 海外の名無しさん
「なぜ避けなかったのか」という話がこれだけ伸びているのを見て、少し引っかかっている。実際に亡くなった人がいて、名前も年齢も、その日連れていた娘の名前まで記録に残っている。避けられたはずだと繰り返すのは、130年前の見知らぬ人に注意力の採点をしているのに近い。責める先があるとしたら、そこではないと思う。

13. 海外の名無しさん
この車、速度リミッターが付いていたというところが妙に好きだ。最高で時速8マイル出る機械に、わざわざ4マイルまでしか出ないよう細工していたわけで。時速13キロの乗り物に安全装置を付ける真剣さ、嫌いになれない。

14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
個人的には、彼はリミッターを外していたんじゃないかと思っている。ただ、事故のあとで「無謀な運転をしていた」とまで言われるのは避けたくて、審問では制限速度どおりの4マイルだったと言い張った。娘さんがジグザグに向かってきたと証言しているのが、どうにも引っかかる。

15. 海外の名無しさん(>>13への返信)
信じられないかもしれないけど、今の車にもリミッターは付いている。ただ設定がとんでもなく高いだけで、友人の車は時速200キロで頭打ちになるし、その気になれば解除もできる。130年前と心配していることの中身はほとんど変わっていなくて、目盛りが動いただけなんだよな。

16. 海外の名無しさん
「運転歴3週間」「免許は不要」「道路のどちら側を走るか教わっていない」。この3つが並んでいるのが本当につらい。3つ目がいちばん怖くて、ルールを守れなかったのではなく、そもそも守るべきルールが用意されていなかったということだから。

17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
これ、そんなに大昔の話でもない。1912年生まれの祖父は車を買ったとき、販売店の裏で動かし方をひととおり教わって、その日の午後には家族を乗せて80キロ先の海まで走っていったらしい。試験は一度も受けていないのに、免許はいつの間にか手元にあって、1990年代までずっと運転していた。

18. 海外の名無しさん
昔いた職場の同僚は1927年生まれで、戦時中、14歳から救急車を運転していたと言っていた。空軍基地の近くに住んでいたから人手として駆り出されたそうで、戦後に活動をやめるとき、試験も受けないまま免許を渡されたらしい。ちなみに彼女は、僕がこれまで同乗した中で最悪の運転をする人だった。買い物に行くときも常に緊急走行だった。

19. 海外の名無しさん
この事故のほんの少し前に、議会が速度制限を引き上げて、赤い旗を持って車の前を歩く義務を廃止していた、というのが効いている。市街地で時速2マイルだったものが一気に14マイルになった直後の出来事なわけで。

20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
「速度制限の大幅緩和から数週間、歩行者が死亡」。見出しとしては完成しすぎていて、当時の新聞がどう書いたのか気になってしまう。もっとも実際の速度は緩和前の上限すら下回っていたわけで、原因は速度そのものではなかったんだろうけど。

21. 海外の名無しさん
娘さんの「ジグザグに向かってきた」という証言、作り話をする理由が見当たらないから、そこそこ信用していいと思っている。まっすぐ走れていないなら、速度が何マイルだろうと運転として問題がある。ただ、当時は無謀運転にあたる罪自体がまだ用意されていなかった可能性が高い。裁く枠組みがないところで起きた最初の一件、ということになる。

22. 海外の名無しさん
自分がこの話でいちばん覚えておきたいのは、ブリジット・ドリスコルという名前が残っていることだ。統計の1件目としてではなく、娘と友人を連れて珍しい機械を見に出かけた44歳の人として、記録の中にちゃんといる。この先も名前を出して語られ続けるという意味では、いちばん語られたくない形の有名人ではあるけれど。

まとめ

1896年、英国で記録に残る最初の「車にはねられた歩行者の死」。運転手の申告は時速4マイル(約6.4キロ)、人間の早歩きとほぼ同じ速さで、当時この国には自動車が20台もなかった。それでも人ひとりが亡くなり、6時間の審問の末に「事故死」の評決が出て、誰も罪には問われていない。コメント欄では「馬のギャロップは時速50キロ超なのだから証言が不正確すぎる」というツッコミと、「低速でも転んで頭を打てば十分に致命傷になる」という冷静な指摘が並走し、途中からは「なぜ避けなかったのかと130年前の人を採点するのはどうなのか」という声も出た。免許も、走る側も、罪の名前すら決まっていなかった時代に、最初の一件は起きている。検死官が残した「二度と起きないよう願う」というひとことだけが、いまも宙に浮いたまま引用され続けている。

元ソース: 1896年、英国で記録に残る最初の「車にはねられた歩行者」は時速およそ4マイルではねられていた。ある目撃者はその速さを「良い馬が全速力で駆けるくらい」と表現している。運転手は運転歴3週間、免許は不要で、道路のどちら側を走るかも教わっていなかった

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