スマートフォンの歴史を振り返るとき、必ず名前が挙がるのがノキアです。iPhone登場の3年前、同社の社内にはインターネットにつながる大画面タッチ端末の試作機があり、アプリを売るオンラインストアの構想もあった——どちらも世に出ないまま止まった、と後年になって報じられました。海外の掲示板では、当時を知る人の証言と、冷静な反論が入り混じりました。
※注:シンビアン(Symbian)は当時のノキアなどが採用していた携帯電話向けの基本ソフト。「シリーズ60」はその上で同社が展開していた高機能機種向けのソフト基盤で、当時の主力でした。
今日の知ってた?
📱 2004年、ノキアの社内では、インターネット接続に対応した大画面タッチスクリーン端末の試作機がフィンランド本社で法人顧客に披露されていた。同じ年、オンラインのアプリ配信ストアの初期案も社内で却下されたとされる。アップルがiPhoneを発表するのは2007年、App Storeの開設は2008年のことだった。
世界首位のまま、社内で止まった試作機
この話が広く知られるようになったのは、米紙ニューヨーク・タイムズが2010年に報じた記事がきっかけです。それによると、アップルがiPhoneを出す数年前、ノキアの研究部門は大きな画面を備えたインターネット対応のタッチ端末の試作機を用意していました。その試作機は2004年、フィンランドのエスポーにある本社で、「開発中のもの」の一例として法人顧客に披露されたとされています。
証言したのは、当時シリーズ60の開発チームでマーケティングを担当していた元社員のアリ・ハッカライネン氏。その2004年の発表を自ら行った人物です。同氏によれば、経営陣は「コストのかかる失敗作になりかねない」と懸念し、製品化には進みませんでした。同じ記事では、別の元社員の話として、2004年にノキア自身のオンライン・アプリ配信ストアの初期案が社内で却下されたことも伝えられています。
当時のノキアは、携帯電話の出荷台数で長く世界一を保っていた会社です。一時は世界シェアの4割前後を握っていたとされ、社内には「このまま行ける」と考えるだけの実績がありました。記事の中で元社員たちが語っていたのも、技術力の不足ではなく、成功に膨れ上がった組織が動きを鈍らせていたという話でした。
ただし、当時の判断はそこまで不可解でもない
当時のタッチ画面は、今と別物だった。2000年代半ばの携帯電話が採用していたのは感圧式(抵抗膜方式)の画面で、指で軽く触れても反応せず、爪や専用のペンで押し込む必要がありました。iPhoneが載せた静電容量方式は、触れるだけで反応し、複数の指も同時に扱えます。同じ「タッチ画面」でも操作感はまるで違い、2004年の試作機を触った人が未来を確信できたとは限りません。
アプリを配る文化も、まだ存在しなかった。意外に忘れられがちですが、2007年に発売された初代iPhoneにもApp Storeはありませんでした。当初アップルが示していたのは、ブラウザでウェブアプリを開き、そのショートカットをホーム画面に並べるという使い方です。外部の開発者にアプリの販売が開放されたのは、翌2008年のApp Store開設からでした。つまり「アプリを売る場所」という発想が正解だと確定していた時期は、2004年にはまだ来ていません。
ノキアも、その後まったく動かなかったわけではない。同社は2007年に「Ovi」というサービス群を発表し、2009年には自前のアプリ配信ストアを開始しています。また、リナックスをもとにしたマエモ(Maemo)という独自の基本ソフトを開発し、2009年にはこれを載せた端末も発売しました。ただ、主力のシンビアン系との二本立てが続いた末、携帯端末事業は2013年にマイクロソフトへの売却が発表され、翌年に完了。ノキアブランドの携帯電話は表舞台から退きました。
※注:マエモ(Maemo)は、パソコン向けリナックスに近い作りの携帯機器用OS。会社の撤退後も、有志によるコミュニティ主導のプロジェクトとして開発が続いています。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
初代iPhoneが出た時点ではApp Storeなんて存在しなかったことは、意外と忘れられている。当初の想定は、ブラウザでウェブアプリを開いて、そのブックマークをホーム画面にアイコンとして並べるという形だった。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
つまり最初は「ウェブサイトがそのままアプリ」という発想だったわけで、ノキアが却下したストア構想と、あの会社の当初案は実はそんなに遠くなかったことになる。
3. 海外の名無しさん
今でも「アプリを入れてください」と案内された先が、ただのホーム画面ブックマークだったサイトはいくらでもある。20年近く経っても同じ形が生き残っているのが面白い。
4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
それは今ウェブアプリ、あるいはPWA(ウェブサイトをアプリのように扱う仕組み)として正式に整理されている。開発費が安く済むうえ、多くの用途では本当にこれで十分なんだよね。
5. 海外の名無しさん
当時ノキアのタッチ画面の機種を使っていた知り合いがいたけど、画面をかなり強く押し込まないと反応しなかった。触れれば動く今の感覚とはまるで別物で、正直ボタンのほうが速かった。
6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
あれは圧力を検知して動く仕組みだったから。今のは指が触れるだけで反応する方式で、同じ「タッチ画面」と呼んでいても中身も操作感もまったく違う。
7. 海外の名無しさん
そもそも当時の業界には「指で直接操作する」という前提が無かった。専用のペンを使うか、メール用に物理キーボードを付けるかの二択で製品が考えられていた時代だ。
8. 海外の名無しさん
アップルはiPhoneを作る前に、指の動きを読み取るキーボードを開発していた小さな会社を買っている。技術と技術者をまとめて確保していたわけで、思いつきで出てきた製品ではない。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
あの会社が最初に市場へ出た例はほとんど無いんだよな。ただ「最初にちゃんと使えるもの」を出すのが異常にうまくて、結果として後発なのに基準を決める側に回ってしまう。
10. 海外の名無しさん
仮に2004年にそのまま出ていたとして、成功したかどうかは別問題だと思う。当時は公衆無線LANも動画配信もSNSもほとんど無く、ウェブ自体がパソコンの画面向けに作られていた。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
ビジネス向けのメール端末が先に土台を作ったのも大きい。外出先でメールを読む習慣が広まったからこそ、次に来た画面の大きい端末が受け入れられた面はある。
12. 海外の名無しさん
アイデアそのものには値段がつかない。差がつくのは実行のほうだ。タッチ画面もアプリ配信も先例はあったのに、気持ちよく使える形にまとめ切ったのが一社だけだった、という話に見える。
13. 海外の名無しさん
経営判断としては当時それほどおかしくないと思う。製造コストが高くて市場があるかも分からない製品に会社の屋台骨を賭けろと言われても、株主に説明できる材料が何も無い。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
そこは同意しつつ、「作れる技術があった」ことと「出さないと決めた」ことは分けて評価したい。前者は誇っていいし、後者は今でも研究する価値のある失敗だと思う。
15. 海外の名無しさん
後知恵で叩くのは本当に簡単なんだよな。当時の資料を読むと、どの会社も次に何が来るか確信を持てていない。今「明らかな正解」に見えるものは、当時は無数の候補の一つだった。
16. 海外の名無しさん
同じ轍を踏んだ会社なら他にいくらでもある。写真フィルムの会社がデジタルカメラの技術を早くから持っていた話も、レンタルビデオ店が配信サービスの買収を断った話も、構図はそっくりだ。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
今まさに同じ判断を迫られている業界がいくつもあると思うと他人事じゃない。十年後に同じ調子で笑われている側にいる可能性は、普通にある。
18. 海外の名無しさん
ノキアがあの時期にアプリのストアを出していたとしても、相当な混沌になっていた気はする。当時の同社の配布の仕組みは審査らしい審査も無く、雑多なものが並んでいた記憶がある。
19. 海外の名無しさん
マエモを載せた端末を持っていたけど、あれは本当に良い機械だった。パソコン向けのソフトがほぼそのまま動いて、複数の連絡手段が一つの連絡先にまとまっていたのも当時としては先進的だった。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
あの基本ソフトは公開されていて、有志の手で今も開発が続いているらしい。会社が撤退しても作り手が残るという意味では、時代をかなり先取りしていたと思う。
21. 海外の名無しさん
大学時代の指導教員が当時のノキアの技術部門にいた人で、経営陣に「電話は電話だ」と返されたという話を聞かされたことがある。あくまで又聞きなので、どこまで本当かは分からないけれど。
22. 海外の名無しさん
慢心だけで説明するのは雑だと思う。当の会社は部品も無線技術も一流だった。ただ、基本ソフトと機械を一体で設計する文化を持っていなかった。負けた理由は油断ではなく、作り方の違いだ。
23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
相手側にはパソコン用の基本ソフトの蓄積と、携帯音楽プレーヤーで積み上げた小型機器の製造経験があった。あの二つが合流した時点で、勝負の土俵そのものが変わっていたのだと思う。
24. 海外の名無しさん
結局この会社の携帯端末部門は他社に売られて、ブランドも表舞台から消えた。ただ通信網の裏側では今も世界中で使われている。負けたのは一つの戦線だけ、という見方もできる。
まとめ
2004年の試作機とストア構想は、技術が足りずに消えたのではなく、「売れるかどうか分からない」という判断の前で止まりました。3年後に同じ二つを世に出した会社が市場を塗り替えたため、この決定は今も繰り返し引き合いに出されます。コメント欄では「慢心が招いた失敗」という定番の教訓に対して、「当時の通信環境では出しても成功したとは限らない」「後知恵で裁くのは簡単だ」という反論が並び、単純な失敗談としては片づかない話になっていました。
元ソース:かつて携帯市場を支配したノキアは、2004年の時点でiPhoneのような試作機とアプリ配信ストアの構想をどちらも持っていたが、その可能性を信じられず打ち切っていた

コメント
それを言ったら、2002年に世界初の曲がる液晶を開発した東芝が曲がるディスプレイの先駆けと言われてもおかしくないでしょ。
今じゃOLED曲がるディスプレイで韓国企業が先に実用化したから韓国が最初に開発したとか思われてるよね。
東芝のときはまだOLEDなどは技術的にまだまだ無理だったけど、静電容量方式自体は昔っからあったのに感圧式にしたNokiaの負けだよ。