「約30人の脚本家に声をかけて、全員に断られた」映画『アイアンマン』製作陣の回想に、海外「いや普通に知ってたけど?」

「約30人の脚本家に声をかけて、全員に断られた」映画『アイアンマン』製作陣の回想に、海外「いや普通に知ってたけど?」 音楽・エンタメ

いまやマーベル映画の顔になったアイアンマン。ところが2008年の映画第1作を作るとき、製作陣は約30人の脚本家に声をかけて全員に断られた、と関係者が振り返っています。海外掲示板では「そこまで無名だったか?」をめぐって、「友達は誰も知らなかった」「いや普通に知ってた」と記憶が真っ二つに割れていました。

※注:「30人に断られた」は製作側の関係者が後年に語った回想で、断った脚本家の名前や人数を確かめられる資料は今回見つかりませんでした。この記事では、誰の発言かを示したうえで紹介します。

今日の知ってた?

📏 「約30人の脚本家に声をかけたが、全員に断られた」——映画『アイアンマン』(2008年)のアソシエイト・プロデューサー、ジェレミー・レイチャムが、2012年発売の『アベンジャーズ』映像ソフトに収録された特典ドキュメンタリーでそう振り返っている。

🎬 断られた理由として挙げられているのは2つ。キャラクターの知名度が比較的低かったことと、マーベルが単独で製作する映画だったこと。

✍️ 脚本ができあがったあとも、書き直しの依頼は何度も断られたという。

📚 一方で映画化の企画そのものは1990年から動いており、マーベルが自分で作ると決める前にも、別の映画会社のもとで何人もの脚本家が関わっていた。

背景:実現まで18年かかった映画『アイアンマン』とは

アイアンマンは、1960年代前半にマーベル・コミックに登場したヒーローです。映画化の話は1990年4月、ユニバーサル・ピクチャーズが権利を取得したところから始まりました。ところが企画はなかなか形にならず、権利は1996年までに20世紀フォックスへ、1999年12月にはニュー・ライン・シネマへと移っていきます。

その間、脚本には何人もの書き手が関わりました。フォックス時代には、原作者のひとりであるスタン・リーと脚本家のジェフ・ヴィンターが物語を作り、1999年10月にはクエンティン・タランティーノに脚本と監督の打診があったと報じられています。ニュー・ライン時代には、テッド・エリオットとテリー・ロッシオ、ティム・マッキャンリーズ、デヴィッド・ヘイターらが脚本を手がけました。それでも映画は実現せず、権利は最終的にマーベルへ戻ります。

転機は2005年です。マーベルは金融大手メリルリンチから5億2500万ドルの融資を取りつけ、他社に映画化を任せるのをやめて自社で製作する体制に切り替えました。同年11月、企画を白紙から立ち上げ直し、『アイアンマン』を自社製作の第1作として発表します。配給はパラマウント・ピクチャーズ。マーベルがディズニーの傘下に入るのは、その4年後の2009年です。レイチャムの語る「30人」は、この立ち上げ直しのあとの脚本家探しを指しているとみられます。

もう少し詳しく

知名度は、マーベル自身も課題だと見ていた。コミックのファンには長年おなじみのヒーローでしたが、一般の知名度は高くなかったとされます。当時マーベル・コミックの編集長だったジョー・ケサダによれば、映画の製作初期に行った調査では、とくに子どものあいだで認知度に問題があり、「ロボットだと思っていて興味がない」という反応が出たそうです。そこで公開前に、アイアンマンを紹介する短編アニメを3本作ったといいます。

主演もリスクと見られていた。2006年4月に監督に就いたジョン・ファヴローは、ロバート・ダウニー・Jr.の起用を望みましたが、マーベル側の幹部は反対しました。ダウニーには、1996年以降に薬物に関係する逮捕を繰り返し、保険の引き受け手がつかず起用できない俳優と見なされた時期がありました(2003年以降は薬物を断っているとされます)。ファヴローは「創作面でこれが最良の選択だと示すのが、監督としての自分の仕事だった」と語っており、ダウニーの起用は2006年9月に決まりました。

撮影が始まっても脚本は完成していなかった。最終的な脚本は、2組の脚本家チームが別々に書いた版をファヴローがまとめたものです。それでも2007年3月の撮影開始時点では完成しておらず、会話の場面には即興が多く取り入れられました。共演のジェフ・ブリッジスは、この現場を「2億ドルの学生映画」と表現しています。

結果はどうなったか。映画は2008年5月に全米で公開され、世界興行収入は5億8500万ドルを超えました。日本での公開は同年9月27日です。翌2009年8月には、ディズニーがマーベルを40億ドルで買収すると発表しました。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
80年代後半から90年代はX-MENの人気がすごすぎて、他のキャラはみんな霞んでたんだよ。でも映画会社が分かってないのは、大事なのは人気キャラかどうかじゃなくて、良い映画かどうかだってこと。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
90年代に子どもだった身としては、世の中はX-MENとスパイダーマン、あとバットマンとスーパーマンで回ってた。それ以外は、よそのアニメにたまにゲストで出てくる人たちって感じだったな(笑)

3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
だからこそ『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』みたいな作品もヒットしたわけだよね。公開前にあのメンバーを知ってた人がどれだけいたか、って話。

4. 海外の名無しさん
意外に思う人も多いけど、アイアンマンはどう見てもB級、時代によってはC級のキャラだった。映画が公開されるまで、うちの友達は誰ひとり知らなかったよ。俺の家のリビングにはポスターが貼ってあったのに。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
そうそう、コミックに多少なじみのある人以外は誰も知らなかった。当時のA級といえばスパイダーマン、バットマン、スーパーマン。90年代後半なら、スポーンやブレイドのほうが人気があったかもしれない。

6. 海外の名無しさん(>>4への返信)
それ、よく言われるけどさ。アベンジャーズの創設メンバーで、歴史も長いんだよ。90年代の終わりから2000年代の初めに持ってたマーベルの図鑑でも、わりと主要キャラの扱いだった。スパイダーマンやX-MENほどじゃないにせよ、雑魚ではなかったよ。

7. 海外の名無しさん
この話は何度も聞くけど、正直ピンとこない。私はコミックを読む人間じゃなかったけど、映画が公開されたときにはアイアンマンのことを普通に知ってた。たいていの人は知ってたと思うんだけどな。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
アニメがあったからね。単に、声をかけられた脚本家たちの世代には刺さってなかっただけじゃないかな。

9. 海外の名無しさん
70年代の終わり、ど田舎で育った子どもの頃に、フランス語吹き替えのマーベルのアニメを観てた。仲間内で一番人気だったのは間違いなくアイアンマンで、次がキャプテン・アメリカ。だから「アイアンマンはそれほど人気がなかった」と知ったときは本当に驚いた。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
住んでた場所と世代で全然違うんだろうね。うちの周りでは、アベンジャーズは「親の世代のヒーロー」って扱いだった。悪くはないけど、子どもの自分にはX-MENのミュータントたちのほうが断然面白くて。だからマーベルがアベンジャーズ路線で映画を作ると聞いたときは正直がっかりしたんだ。結果は、コミックおたくだった子どもの頃の自分が夢見た以上の出来だったけどね。

11. 海外の名無しさん
ロバート・ダウニー・Jr.がこの役をつかんだのは、できすぎなくらいぴったりだと思う。2000年代の初め、彼のキャリアは薬物での逮捕が続いてどん底だった。映画会社からも客を呼べる俳優とは見られず、リスク扱い。完全に干されてはいなかったけど、信用もされていなかった。そこから人生を立て直して、マーベル最初の大ヒットを生んだんだ。いまや伝説だよ。本当によかった。

12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
しかも同じ年の夏には『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』にも出てたんだよね。正直、当時は彼が誰なのかも、過去に何があったのかも知らなかった。無名に近いコミックのヒーローと、役作りが行きすぎた俳優というきわどい役。その両方を夏の大ヒット作にして、どっちも15年以上たった今でも色あせてない。
※ 『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』(2008年)は、戦争映画の撮影現場を舞台にしたコメディ。ダウニーは、黒人兵士の役になりきろうとして肌の色まで変えてしまう白人俳優を演じ、アカデミー助演男優賞の候補になった。

13. 海外の名無しさん(>>11への返信)
ダウニーがはまり役だったのは間違いない。でも、彼を起用するために戦って、あの映画を監督したジョン・ファヴローのことも忘れないでほしい。ヒーロー映画の空気をがらっと変えたのは彼だよ。それと、B級C級のヒーローでも主役に育てられると見抜いていたケヴィン・ファイギも。
※ ケヴィン・ファイギは『アイアンマン』の製作者のひとりで、マーベル・スタジオの社長。

14. 海外の名無しさん
ダウニーの復活といえば『キスキス,バンバン』も大きかった。あれで俳優としての評価を取り戻したんだと思う。しかも単純に、すごく面白い映画なんだ。
※ 2005年のアメリカ映画。ダウニーが主演したコメディ調のスリラーで、日本では2006年に公開された。

15. 海外の名無しさん
脚本家たちが尻込みした一番の理由は、たぶんキャラの知名度より、これが大手映画会社の後ろ盾のない、実質的に独立系の製作だったことだと思う。マーベルがディズニーに買収されるのは2009年。当時は最初の数本を作る資金をメリルリンチから調達していて、パラマウントとは配給の契約があっただけだった。

16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
そもそも人気のあるX-MENやスパイダーマンは、経営が苦しかった頃に映画化の権利をよその映画会社に渡してしまっていたからね。手元に残ったキャラで勝負するしかなかったんだよ。

17. 海外の名無しさん
ハリウッドのプロデューサーの発言を、そのまま事実として扱うのはもううんざりだ。この話は正しくないよ。ウィキペディアでも、この発言のすぐ前の段落に、それ以前にいろんな形で脚本に関わった書き手が少なくとも十数人は並んでる。これは「誰も知らない題材を、世界中を敵に回しながら大ヒットさせました」っていう、作り手の自分語りだよ。

18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
鵜呑みにするなというのは同感。ただ、その十数人は権利がよその映画会社にあった時代の人たちで、30人の話はマーベルが自分たちで作り直すと決めたあとのことみたいだから、両方とも本当という可能性はあるんじゃないかな。まあ「30人」を数えた記録が出てきたわけでもないし、話半分に聞いておくのがよさそうだけど。

19. 海外の名無しさん
考えてみると、1作目の『アイアンマン』が本当に良い出来だったのは、マーベルにとってものすごい幸運だった。B級かC級のキャラだったのに、あの成功があったからシリーズ全体が走り出せたわけで。しかも最初の4人のヒーローの映画のうち、2本は正直いまひとつだったのに失速しなかった。ちょっとした奇跡だよ。

20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
製作が発表されたとき、「いよいよネタ切れか」と思ったのを覚えてる。ハルクを知ってる人の半分くらいしかアイアンマンを知らないだろうし、そのハルクの映画もぱっとしなかった。観には行くけど絶対コケるな、と。ふたを開けてみたら、宣伝もうまい最高の娯楽映画だった。そうなると、観る前にキャラを知ってたかどうかなんて関係なくなるんだね。

21. 海外の名無しさん
今になって思うと、シリーズの最初の一人をアイアンマンにしたのは見事な判断だった。神でもなければ、半分怪物でも、超人兵士でもない。頭が切れて勇敢なだけの、ただの人間。それがその後に続く物語ぜんぶを、地に足のついたものにしてくれた。

22. 海外の名無しさん
無名だったって、本気で言ってるの? カプコンの格闘ゲーム『MARVEL VS. CAPCOM』シリーズで「プロトンキャノン!」って散々撃ってただろ。それにブラック・サバスの曲だってあるじゃないか。「アイ・アム・アイアンマン」って。

23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
水を差すようだけど、ブラック・サバスの「アイアン・マン」は、コミックのキャラクターとは関係なく書かれた曲だよ。作詞したメンバーは、子どもの頃アメリカのコミックを読んでいなかったと話してる。それが映画のエンドロールで流れることになったんだから、縁って不思議だ。

24. 海外の名無しさん
タランティーノの映画は全部好きだよ。全部好きなんだけど、アイアンマンを彼が撮ることにならなくて本当によかったと思ってる。

25. 海外の名無しさん
日本に住んでる友人に聞いてみたら、向こうでも映画の前は、アイアンマンの名前を知ってる人が周りにほとんどいなかったそうだ。アメコミといえばスパイダーマンかX-MEN、という感じだったらしい。それが今では子どもでも知ってるんだから、映画1本の力ってすごいよ。

まとめ

「アイアンマンの脚本を約30人が断った」という話は、製作側の関係者の回想として伝わっているものです。コメント欄は「友達は誰も知らなかった」という声と「普通に知っていた」という声に分かれ、「プロデューサーの話を鵜呑みにするな」という冷静な指摘も出ていました。確かなのは、企画が動き出してから18年かかったこの映画が、リスクと見られていた俳優を主役に迎えて、いまも続く巨大シリーズの出発点になったことです。

元ソース: 映画『アイアンマン』(2008年)の製作中、キャラクターがあまりに無名で30人の脚本家が依頼を断った。脚本ができてからも、書き直しの依頼は断られ続けた

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