酸っぱくて歯ごたえのある青リンゴ「グラニースミス」。名前の「グラニー」は英語で「おばあちゃん」のことで、商品名のように聞こえますが、実在の女性から取られた名前です。1868年、シドニー近郊の農場で、イギリスから移り住んだマリア・アン・スミスという農婦の土地に1本の苗木が育ちました。言い伝えでは、捨てたリンゴのくずから偶然生まれた苗木で、小川のそばで芽を出したといいます。本人はこのリンゴが世界に広まるのを見ないまま、2年後に亡くなっています。
今日の知ってた?
🍏 青リンゴ「グラニースミス」の名前の主は、1838年にイギリスからオーストラリアへ渡った農婦マリア・アン・スミス。1868年、シドニー近郊イーストウッドの農場の小川のそばに、彼女の言う「タスマニア産のフレンチ・クラブアップルの残り」から育った苗木があった。本人は1870年に死去し、売り物の品種になったのは死後の1890年代だった
背景:グラニー・スミスとは誰だったのか
シドニー北西部のライド市(シティ・オブ・ライド)が公開している郷土史の資料によると、マリア・アン・スミスは旧姓をシャーウッドといい、1799年の暮れにイングランド南東部サセックスの農村ピーズマーシュで生まれました(洗礼は1800年)。父親は農業労働者で、本人も若いうちから農家に奉公に出ています。19歳で隣の教区ベックリーの農場労働者トーマス・スミスと結婚し、ベックリーで19年暮らすあいだに8人の子どもを産みました。
転機は1838年です。当時のイギリス領ニューサウスウェールズ植民地(今のオーストラリア南東部)は、農業や職人の技術を持つ移民を求めて、イギリス本国に募集の担当者を送っていました。スミス一家はこの募集に応じ、移民船レディ・ニュージェント号で、1838年11月27日にシドニーへ着きます。連れていたのは、生き残っていた5人の子どもでした。夫のトーマスは、キッシング・ポイント(今のライド)の競売人スマートのもとで、年5ポンドと食料の支給という条件で働き始めます。1842年には9人目の子ウィリアムが生まれ、地元の聖アン教会で洗礼を受けました。一家でただ一人の、オーストラリア生まれの子どもです。
1855〜56年、夫妻はようやく自分の土地を手に入れます。フィールド・オブ・マーズと呼ばれた共有地の外れ、今のイーストウッドにあたる場所の2区画、合わせて約24エーカー(約10ヘクタール)を605ポンドで買い、果樹園を営むようになりました。ライド市の郷土史サイト「ライド・ヒストリー・ハブ」によれば、マリアは毎週シドニーの市場まで作物を売りに通い、そこで「グラニー・スミス(スミスばあさん)」と呼ばれるようになったといいます。
マリアは1870年3月9日に亡くなり、ライドの聖アン教会の墓地に葬られました。夫のトーマスはその6年後に亡くなっています。二人の墓石は今もこの墓地に残っています。
もう少し詳しく
「捨てたリンゴから生えた」話は、56年後の聞き取りが出どころ。リンゴの誕生をはっきり書いた記録は、本人の存命中には残っていません。いちばん古い記録は、1924年6月25日の農業紙『ファーマー・アンド・セトラー』に載った記事です。書いたのは地元ダンダスの果樹農家で郷土史家のハーバート・ラムジー。彼は同じ地域の果樹農家エドウィン・スモールらに話を聞きました。スモールの記憶では、1868年、12歳くらいだった彼は父親と一緒にマリアに呼ばれ、農場の小川のそばに生えていたリンゴの苗木を見せてもらったそうです。マリアは、その苗木はタスマニア産のフレンチ・クラブアップル(小粒で酸っぱい野生に近いリンゴ)の残りから育ったのだと説明しました。ヒストリー・ハブには、傷んだ実を小川のそばに捨てたという形で書かれています。つまり「捨てたリンゴの残りが、小川のそばで芽を出した」という話は、本人の言葉を、56年後に少年時代の記憶として聞き取ったものです。ウィキペディアなどには「台所の窓から芯を投げ捨てたら、窓の下に生えた」という別の言い伝えも載っていますが、ライド市の資料には出てきません。どちらにしても、だれかが狙って掛け合わせた品種ではなく、偶然に生えた1本だった、という点は資料で一致しています。
どうして「捨てた残り」から新しい品種ができるのか。リンゴは、種から育てると親とは別の性質の木になります。花粉を運ぶ相手の木の性質が混ざるうえ、同じ木の実でも種ごとに出てくる性質が違うためです。ですから同じ品種を増やすには、種をまくのではなく、元の木の枝を別の木に継ぎ足す「接ぎ木」で増やします。店に並ぶグラニースミスは、どれも1868年の1本から接ぎ木で受け継がれてきた木の実です。この木の成り立ちについては見方が分かれていて、ウィキペディアはヨーロッパの野生リンゴと栽培リンゴの交雑とみられるとしていますが、ライド市の資料は、今では突然変異が固定したもの(英語で「スポーツ」と呼ぶ)と考えられていると書いています。
売り物になったのは、本人の死後20年たってから。マリアが生きているあいだ、このリンゴが商品として売り出されることはありませんでした。それでも近所の果樹農家が栽培を続けます。中でもエドワード・ギャラードは、1880年にスミス家の農場の一部を買い取り、1914年に亡くなるまでこのリンゴを育てて売り続けました。1890年4月には近くのキャッスル・ヒルの農業品評会に「スミスの実生」の名で出品され、翌1891年には「グラニー・スミスの実生」が料理用リンゴの部門で賞を取ります。1892年には、多くの農家がこの名前で出品するようになっていました。決め手になったのは1895年です。ニューサウスウェールズ州農務省の果樹担当官アルバート・ベンソンが「グラニー・スミスの実生」を輸出向きの品種に挙げ、州のバサースト試験場で大規模な栽培を始めました。ウィキペディアによると、このリンゴは熟成を進めるエチレンというガスをあまり出さず、条件がよければ最長1年ほど保存できます。船で遠くまで運べることが強みになり、1975年にはオーストラリアのリンゴの収穫の4割を占めるまでになりました。南半球の各地のほか、フランスやアメリカでも栽培されています。1968年にビートルズが設立した会社アップル・コアのロゴも、グラニースミスの写真です。
地元では今も「おばあちゃんの町」。日本ではまだ珍しい品種。イーストウッドのスレルフォール通りには、農場の一部だった場所に「グラニー・スミス記念公園」があり、1988年に記念の銘板が置かれました。1957年に始まった「グラニー・スミス・フェスティバル」は、最初の年の観客が約5,000人だったのが、今では10万人を超える行事になっています(ライド・ヒストリー・ハブ)。ライド市の案内によると、2026年も10月17日の土曜日にイーストウッドで開かれ、パレードや屋台、花火が予定されていました。一方、日本ではこの品種はあまり育てられていません。東京・世田谷公園の前で2012年に開業したアップルパイ店「グラニースミス アップルパイ&コーヒー」は、公式サイトで、この品種は主に海外で生産されているため「日本国内での生産量は極わずか」と説明しています。同店は青森県と長野県の提携農家と一緒に一から植え始め、今では数千本まで増えたといい、秋の収穫期から春先にかけて数量限定のアップルパイに使っています。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
グラニー・スミスが住んでた地区では、今でも毎年このリンゴのお祭りがあるんだよ。本人が育てた場所で、その名前の祭りが続いてるってすごくない?
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
ついでにもう一つ。お墓もライドの聖アン教会にあるよ。高校が近くて、遠足で見に行った。誰でも普通にお参りできる場所にある。
3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
つい2週間前に家族で行ってきたところ。昔よりずいぶん規模が大きくなってて、人の多さにびっくりした。
4. 海外の名無しさん
まさに彼女の農場があった場所に住んでる。今はただの住宅地だけど、角を曲がるとグラニー・スミス公園があって、町の中心では毎年10月にお祭り。地元の自慢なんだ。食べるリンゴもこれしか好きじゃない。地元びいきなのか、元から好みなのかは自分でも分からない。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
オーストラリアには一度も行ったことないけど、自分もこれがいちばん好きな品種。アップルパイを作るならこれ一択だよ。
6. 海外の名無しさん
でも、捨てたリンゴのくずから新しいリンゴってどうやってできるの?そこがいちばん分からない。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
リンゴは種から育てても親と同じ実がならないんだよ。どの種からも新しい品種が生まれうるけど、ほとんどは酸っぱくて食べられない小さい実。たまに当たりが出たら、その木を接ぎ木で増やし続ける。種はまかない。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
じゃあ今まで食べてきたグラニースミスは、全部その最初の1本のクローンってこと?子孫じゃなくて分身なのか。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
そう。子どもの頃リンゴ農園で暮らしてたけど、種から育てた木は実がなるまで何年もかかるうえ、たいていまずい。だから新しい品種がめったに出てこないんだ。
10. 海外の名無しさん
ということは「リンゴは木から遠くに落ちない(子は親に似る)」ってことわざ、リンゴ自身にはまったく当てはまらないのでは。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
落ちる場所は確かに木の真下だから、ことわざの言葉としては正しい。ただ、落ちた実の種から育つのは、親とは別物の木なんだよな。
12. 海外の名無しさん
植物をクローンで増やすなんて、特別な作物だけの話だと思ってた。普通の果物でもそうなんだね。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
店に並んでる農産物は、かなりの割合がクローンだよ。バナナは代表格だし、柑橘類も丈夫な台木に接いで育てるのが普通。挿し木で増やせる植物はたくさんある。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
スーパーの果物売り場が、急にスター・ウォーズの『クローンの攻撃』ならぬ『クローンのおやつ』に見えてきた。
15. 海外の名無しさん
1970年代に南オーストラリアの小学校に通ってたけど、グラニー・スミスとそのリンゴはタスマニアのものだって習ったよ。当時の学校の教え方、だいぶ怪しかったんだな。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
半分は合ってるのかも。本人は「タスマニア産のクラブアップルの残りから育った」と説明してたらしいから、話が縮まって「タスマニアのリンゴ」になったんじゃない?
17. 海外の名無しさん
実は自分、彼女の子孫なんだ。同じ家系図には、オーストラリアの伝説の競走馬ファーラップの厩務員までいる。家系図って思わぬところにつながってるものだね。
18. 海外の名無しさん
地元の小学校でも毎年これをやってたよ。リンゴの着ぐるみを着た人たちが講堂に入ってきて、ステージに上がるの。ほかに何をしたかは覚えてないけど、その光景だけは妙に鮮明に覚えてる。
19. 海外の名無しさん
個人的には、グラニースミスよりピンク・レディーをかじる方が好き。断然甘いからね。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
自分は酸っぱいからこそグラニースミスが好き。甘いリンゴとは比べるものが違うよ。あの酸味の代わりは、ほかの品種には務まらない。
21. 海外の名無しさん
皮がキュッキュッて鳴るのが歯に響いてダメなんだ。自分にはざらっとした皮のコックス・オレンジ・ピピンがいい。あれこそリンゴの最高級車。
22. 海外の名無しさん
料理用と思われがちだけど、生で食べる人もたくさんいるよ。自分はいちばん好きなリンゴで、生でしか食べない。ピーナッツバターをつけると最高。
23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
塩をほんの少し振るのもおすすめ。酸味が和らいで甘みが立つ。スイカに塩を振るのと同じ理屈だと思う。
24. 海外の名無しさん
半年くらいの間に食べるリンゴって、実は採れたてじゃないんだよね。前の年に収穫して、酸素を減らした巨大な冷蔵庫で保管してたもの。農園でもいだのと店で買ったのとで味が違うのは、たぶんそのせい。
25. 海外の名無しさん
150年以上たっても、世界中で「スミスおばあちゃんのリンゴ」って呼ばれ続けてるの、いい話だな。名前を残したくて品種を作ったわけでもないのに。
まとめ
青リンゴ「グラニースミス」の名前の主は、1838年にイギリスからシドニー近郊へ移り住んだ農婦マリア・アン・スミスでした。「捨てたリンゴの残りから生えた」という誕生の話は、1924年の聞き取りが出どころで、本人は品種が売り出される前の1870年に亡くなっています。コメント欄では、地元のお祭りやお墓の思い出に加えて、「店のグラニースミスは全部、最初の1本のクローン」という話に驚く声が多く集まりました。
参考資料
- シティ・オブ・ライド(シドニー・ライド市)「グラニー・スミス」(英語)
- ライド・ヒストリー・ハブ(ライド市図書館)「グラニー・スミス――その名前、その果物、その遺産」(英語)
- ウィキペディア英語版「グラニースミス」(英語)
- グラニースミス アップルパイ&コーヒー「当店について」(日本語)
元ソース: 青リンゴ「グラニースミス」の名前の由来になった、本物の“グラニー・スミス”が1868年のオーストラリアにいた。しかも新品種は、捨てたリンゴのくずから偶然生まれた

コメント
世界に広がった小麦品種ノーリンテン。
金時芋を作った人の名前は残っていないな。