17世紀のスウェーデンには、重さが20キロ近くある「硬貨」がありました。銅でできた長方形の分厚い板で、額面は10ダレル。あまりに重くて扱いにくいこの銅のお金が、ヨーロッパで最初の紙幣が生まれる背景になったといわれています。海外掲示板では「おつりも銅の板で返ってくるのか」と買い物の場面を想像する声が相次ぎ、ヤップ島の石のお金や古代スパルタの鉄の通貨にまで話が広がっていました。
※注:ダレル(daler)は当時のスウェーデンの通貨単位です。同じ「ダレル」でも銀貨で数える単位と銅貨で数える単位があり、板のお金の額面は、銀貨で数えるほうのダレル(daler silvermynt)で刻まれていました。
※注:元スレッドのタイトルは「史上最も重い流通貨幣」「それがヨーロッパで最初に紙幣を発行した理由」としています。ただ、スウェーデン国立銀行(リクスバンク)が公開している資料によると、最大の10ダレルの板は試験的に作られたもので、多くは国外に輸出され、国内の支払いにはあまり使われませんでした。紙幣が生まれた直接のきっかけも、1660年に銅貨の基準が改められて起きた取り付け騒ぎです。銅貨の重さは「背景のひとつ」として、以下で順に紹介します。
今日の知ってた?
🪙 1644年、クリスティーナ女王の時代のスウェーデンで、額面10ダレルの銅の板のお金(プレートマネー、スウェーデン語でplåtmynt)が作られた。重さは19.7キロ、大きさはおよそ33×63センチ。スウェーデン国立銀行(リクスバンク)や同国の経済博物館(王立貨幣陳列室)は、これを「世界最大の硬貨」と紹介している。
⚖️ 重くなったのは、当時の硬貨が「額面と同じ値打ちの金属を含む」ように作られていたから。銅は銀よりずっと安いため、同じ金額の銅貨は銀貨の100倍近い重さになった。
⛏️ 背景には、17世紀前半にヨーロッパの銅の3分の2を供給していたファールン銅山がある。スウェーデンは1624年、銅を通貨の基準にする銅本位制を取り入れた。
🏦 1661年、ヨハン・パルムストルックが率いるストックホルム銀行(Stockholms Banco)が、ヨーロッパで最初の紙幣(銀行券)を発行した。重くてかさばる銅貨より便利だとして、すぐに広まった。
📉 ところが紙幣を刷りすぎて値打ちが下がり、銀行は行き詰まる。1668年、パルムストルックは死刑を言い渡され(のちに減刑)、同じ年に、現在のスウェーデン国立銀行にあたる新しい銀行が作られた。世界最古の中央銀行とされる。
🌏 「最初」といってもヨーロッパでの話。中国では11世紀にはすでに紙幣が使われていた。
背景:銅の国スウェーデンと「板のお金」
17世紀のスウェーデンは、ヨーロッパきっての銅の産出国でした。中部の町ファールンにある銅山(鉱山と町は2001年に世界遺産に登録)は、17世紀前半にヨーロッパの銅の3分の2を供給していたとされ、銅はこの国でいちばん重要な輸出品でした。当時のスウェーデンはいまのフィンランドも含む国で、戦争を重ねながら、三十年戦争が終わる1648年ごろまでにバルト海の周りへ領土を広げていきました。
1624年、スウェーデンは銅を通貨の基準とする「銅本位制」を取り入れ、銅貨を作りはじめます。スウェーデン国立銀行(リクスバンク)の説明によると、理由はふたつありました。長引く戦争で銀や金が足りなくなっていたこと、そして銅の値段を保ちたかったことです。掘り出した銅の一部を国内で硬貨にしてしまえば、そのぶん輸出に回る量が減り、国際価格が上がる。そういう狙いでした。
ただ、銅のお金には大きな弱点がありました。当時の硬貨は、額面と同じ値打ちの金属を含んでいるのが当たり前だったのです。銅は銀よりずっと安いので、同じ金額を銅で用意しようとすると、とんでもない量になります。リクスバンクが刊行した銀行史は、経済史家エリ・ヘクシャーの数字をもとに、銅貨は同じ金額の銀貨の100倍近い重さになったと説明しています。
1630〜40年代にファールン銅山の産出量が大きく増えると、銅の値段を支えるために、大きな板の形をした銅貨を作ることが決まりました。こうして1644年、中部の町アーヴェスタの造幣所で、最初の板のお金「プレートマネー」が作られます。額面は10ダレル、重さ19.7キロ、大きさはおよそ33×63センチ。2リットルのペットボトル約10本分の重さがある、1枚の銅の板です。板という形と呼び名は、スウェーデンが1540年代から輸出用に作っていた銅の板にちなむといいます。
もう少し詳しく
20キロの板は、ふだんの買い物に使われたのか。いちばん大きな10ダレルの板が作られたのは1644年と1645年の2年間だけで、枚数は2万6774枚でした。リクスバンクが刊行した研究によると、これらの板は主に輸出に回され、国内の支払いにはあまり使われなかったといいます。同行の銀行史も、このときの発行は「試し」にすぎなかったと書いています。その後、宰相アクセル・オクセンシェルナらが、板のお金なら「お金としても商品としても使える」ので国際取引に向くと主張し、1649年から本格的に作られるようになりました。額面は半ダレルから8ダレルまで。国内の支払いに使われたのは、主にこちらの小さい板です。とはいえ、17世紀の2ダレルの板でも3キロを超えていました。なお、10ダレルの板で現在まで残っているのは世界で8枚だけとされ、そのうち6枚を経済博物館(王立貨幣陳列室)が所蔵しています。
どのくらいの金額だったのか。目安になる数字があります。リクスバンクが刊行した研究によれば、少しあとの1666年の時点で、100ダレル(銀貨で数えるダレル)は、ストックホルムで特別な技能を持たない男性労働者が約340日働いて得る賃金にあたりました。単純に10分の1にすると、10ダレルはおよそ34日分。時期が20年ほどずれるのであくまで目安ですが、20キロの板1枚は、ひと月働いた賃金を超える額だったことになります。
運ぶのも盗むのもひと苦労。経済博物館によると、重い板のお金を運ぶために専用のそりが使われていました。リクスバンクの銀行史には、ヘクシャーが伝える話として、オーボ(現在のフィンランドのトゥルク)で170ダレル分の銅貨を盗もうとした2人組の泥棒が、膝の高さまでしか持ち上げられなかった、という逸話も紹介されています(この170ダレルは、銅貨で数えるほうのダレルです)。1649年にクリスティーナ女王が銅貨の発行を検討したときには、集めた税を運ぶ費用がかさむことが、強い反対理由のひとつになったそうです。
不便さを引き受ける銀行。この重さをどうにかする仕組みとして登場したのが、銀行でした。1656年11月、国王カール10世グスタフは、ヨハン・パルムストルックに銀行を開く許可を与えます。パルムストルックは1611年、オランダ出身の裕福な商人の息子としてリガ(現在のラトビアの首都)に生まれ、若いころは銀行業の進んでいたアムステルダムで暮らした人物です。翌1657年7月に開業したスウェーデン最初の銀行「ストックホルム銀行」では、客は重い銅の板を預けておき、支払いは口座の付け替えで済ませられるようになりました。国王の特許状は、これで人々は銅貨の扱いにつきものの「引きずったり運んだりといった面倒」から解放される、とうたっています。
ヨーロッパ初の紙幣は、取り付け騒ぎから生まれた。転機は1660年です。この年、政府は銅貨の基準を改め、新しく作る銅貨に含まれる銅を減らしました。すると、古い銅貨のほうが金属としての値打ちが高いことになり、預金者たちは「預けたときと同じ、重いほうの銅貨で返してくれ」と銀行に押しかけます。銀行は預かった銅貨を貸し出しにも回していたため、手元の銅貨が足りなくなりました。
そこでパルムストルックが考え出したのが、「信用券」(Kreditivsedlar)と呼ばれる紙の券です。1661年の夏に出はじめたこの券は、持ってきた人に銀行が額面どおりの硬貨を支払う、と約束するものでした。それまでヨーロッパにあった預かり証と違うのは、特定の預金と結びついていなかった点です。「この銀行は必ず払ってくれる」という信用だけを支えに、人から人へ渡り、どんな支払いにも使える。これがヨーロッパで最初の紙幣とされています。パルムストルック本人はのちに、ファールンの銅山で、掘り出した銅を量って納めた鉱夫に渡されていた受取証が、地元でお金の代わりに使われていたことから思いついた、と振り返っています。
紙幣はたちまち人気になりました。重くてかさばる銅貨より、ずっと便利だったからです。リクスバンクは、銅貨の扱いにくさが紙幣の登場の「一因になった」と説明しています。「重すぎたから紙幣になった」は間違いとまでは言えないものの、直接のきっかけは銅貨の基準の変更と取り付け騒ぎで、重さは紙幣が歓迎された背景だった、というのが資料に沿った説明になります。
刷りすぎて、数年で行き詰まる。紙幣のおかげで、銀行は預金の額に縛られずに貸し出せるようになりました。1663年には国や大貴族への巨額の貸し付けが紙幣で行われ、出回る量が一気に膨らみます。すると紙幣の値打ちは下がりはじめ、硬貨に替えてくれと求める人が銀行に詰めかけました。銀行史はこれを、スウェーデンが初めて経験したインフレだったと書いています。1664年、政府と議会は貸し付けの回収と紙幣の引き揚げを決め、ストックホルム銀行は清算へ向かいました。
パルムストルックは銀行経営の責任を問われ、紙幣を出しはじめてから7年後の1668年、スヴェア控訴院で有罪となります。リクスバンクの年表によれば、言い渡されたのは死刑でした(同行の銀行史はもう少し細かく、職と特権を取り上げたうえで終身追放とし、銀行の損失を半年以内に弁償できなければ処刑する、という判決だったと書いています)。その後に減刑されましたが、1670年まで獄中で過ごし、翌1671年に亡くなりました。一方、同じ1668年の議会は、ストックホルム銀行の跡に新しい銀行を作ることを決めます。これが現在のスウェーデン国立銀行で、世界最古の中央銀行とされています。新しい銀行には、破綻のもとになった信用券の発行が禁じられました。
「ヨーロッパ初」であって、世界初ではない。紙のお金そのものは、中国が何百年も先でした。11世紀の宋の時代には、すでに「交子」と呼ばれる紙幣が使われています。ストックホルム銀行の紙幣も、ヨーロッパですぐに真似されたわけではありません。銀行史によれば、紙幣が広まっていくのは、1694年にイングランド銀行ができてからのことです。
板のお金のその後。プレートマネーは18世紀に入っても作られ、発行は1769年まで続きました。1776年の貨幣改革でスウェーデンの通貨は銀を基準とするものに一本化され、1777年1月1日、板のお金は通貨としての役目を終えます。最初の発行から数えて、約130年後のことでした。リクスバンクの研究は、銅本位制は驚くほど長続きしたものの、自らを終わらせる種を最初から抱えていた、とまとめています。銅の板で支払う手間があまりに大きかったことが、紙のお金の登場を促したからです。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
当時のスウェーデンには、ヨーロッパの銅の大半を掘り出していたファールン銅山があったんだよね。だったら貴重な金属を少しだけ使うより、たっぷりある銅でお金を作るほうが、自分の国の通貨を自分で握っていられる。理屈は通ってるよ。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
記憶が確かなら、通貨を握るためというより、戦争にお金を使いすぎて金や銀が底をつきかけていたのが大きかったはず。17世紀前半に一気に領土を広げたのはいいけど、それを支える本国は人口が少なくて、畑の実りもそこそこだったから。高額の銅貨は一時しのぎのつもりが、そのまま定着してしまったんだ。銀と同じ値打ちにするには大量の銅が要る。で、その銅だけは山ほどあった。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
人口の少ない本国が、バルト海じゅうに広げた領土を支えていた……って、まさかスウェーデン帝国は長続きしなかったとでも言いたいのか!?
4. 海外の名無しさん(>>1への返信)
その銅で、吊るして叩く大きな打楽器は作らなかったのかな。ファールンのゴング、なんつって……。
※ 銅山の町ファールン(Falun)と銅鑼(gong)をつなげると、法輪功の英語表記「Falun Gong」と同じつづりになる、というダジャレ。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
おい、それはヨーテボリのノリだろ! ファールンはダーラナ地方だぞ!
※ ヨーテボリはスウェーデン西海岸の都市で、ダジャレ好きの土地柄として知られる。
6. 海外の名無しさん
店の人に「お客さん、もうちょっと細かいの、ありませんかね……」って言われるやつだ。こっちだって、ここまで運んでくるだけで精一杯だったのに。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
しかも、おつりも銅の板で返ってくるんだろ。買い物を済ませても、帰りの荷物がほとんど軽くならない。
8. 海外の名無しさん
財布を落とす心配はないけど、財布を足の上に落とす心配はある。というか、もう財布じゃなくて荷車の話だよな、これ。
9. 海外の名無しさん
太平洋の島には、持ち上げるどころか動かすことさえ難しい大きな石を彫って、取引に使っていた人たちがいるんだぞ。あれを硬貨とは呼べないにしても、スウェーデンのバーベルのプレートくらいじゃ、こっちは驚かないね。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
ミクロネシアのヤップ島の石貨だね。真ん中に穴のあいた円盤形の石で、大きいものだと直径が3メートルを超える。
11. 海外の名無しさん(>>9への返信)
舟で運んでいる途中に海に沈んでしまった石もあるらしいよ。もう誰も目にすることはできないのに、「あそこに沈んでいるのは確かだ」とみんなが認めていたから、その後もふつうに持ち主が替わっていったんだとか。
※ ヤップ島の石貨についてよく紹介される話。大きな石は動かさず、「いまは誰のものか」を皆が承知していることで取引が成り立っていたとされる。
12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
次の『ナショナル・トレジャー』の筋書きはそれで決まりだな。海の底に沈んだお宝、ただし重すぎて誰にも引き上げられない。
13. 海外の名無しさん(>>9への返信)
ふん、その程度か。ザインキアン=ウル帝国は、岩石惑星をまるごと通貨にしているぞ。地球だって昔、ある裕福な姫君の持参金の一部だったんだ。
※ 架空の宇宙帝国の住人になりきった冗談。
14. 海外の名無しさん
古代スパルタも、金貨や銀貨の代わりに、重くて扱いにくい鉄の棒を国内の通貨にしていたと伝えられてるね。溶かして道具に作り直されないよう、熱いうちに酢につけて脆くしてあったんだとか。
※ ローマ帝国時代のギリシャ人著述家プルタルコスが、『英雄伝』のリュクルゴスの章に書いている話。伝説的な立法者リュクルゴスの定めとして伝わるもので、どこまで史実かははっきりしない。
15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
酢につけて冷やしたくらいでは、鉄の性質は表面のごく薄い部分しか変わらないと思うよ。運ぶのに困るほど脆かったのなら、もともとリンなどの不純物が多い鉄だった、というほうがありそうだ。
16. 海外の名無しさん
この銅の板、コペンハーゲンで実物を見たことがある。硬貨というより、どう見ても建材だった。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
いかにもデンマーク人のやりそうなことだ。われらの大事なダレルを盗みおって!
※ スウェーデンとデンマークは何度も戦争をしてきた隣国どうしで、こうした軽口は定番。
18. 海外の名無しさん(>>16への返信)
ウィキペディアに載っている写真は、大英博物館にある8ダレルの板だね。板のお金は、額面の小さいものならそこまで珍しくないから、よその国にあっても不思議じゃないよ。ただ、20キロ級の10ダレルは別格で、残っているのは世界で8枚だけらしい。
19. 海外の名無しさん
ウィキペディアの関連記事、最後のところで笑ってしまった。のちの時代に、財政を立て直そうと額面だけ高い銅貨を大量に出した大臣のゲルツ男爵は、失敗の責任を負わされて1719年に首をはねられた。で、その一文の締めが「この処罰はスウェーデン国民を大いに喜ばせた」。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
それはだいぶ話を端折ってるよ。あの銅貨は、国王カール12世が治世の終わりごろ、軍を立て直すお金を急いで作るための戦時の手段だった。国はもう戦争で疲れきって、敵は開戦のときより増えていたのに、王が和平を拒み続けたんだ。王には向けられない不満がゲルツに集まって、王が亡くなったとたん、ゲルツも片づけられたというわけ。
※ 大北方戦争の末期に、戦費をまかなうために出された「緊急貨幣」のこと。
21. 海外の名無しさん
これ、盗む側も大変だよな。忍び込んで1枚持ち上げたところで腰をやって、何も盗らずに帰った強盗が絶対いたと思う。
22. 海外の名無しさん
ヨーロッパで最初に紙幣を出した人が、刷りすぎて銀行を行き詰まらせて死刑判決って……。お金の歴史、第1話から展開が早すぎる。
23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
減刑はされたそうだけどね。それより、「紙のお金は刷りすぎると値打ちが下がる」を初回でもう実演してるのがすごい。その後何百年も、世界じゅうで同じことを繰り返してるわけだし。
24. 海外の名無しさん
細かいことを言うと、これは「ヨーロッパで最初」の紙幣ね。紙のお金そのものは、中国がその何百年も前から使ってる。
25. 海外の名無しさん
20キロの銅の板か、紙1枚か。そう聞かれたら、そりゃみんな紙を選ぶよ。でも「この紙には値打ちがある、信じてくれ」と最初に言い出した人の度胸も、相当なものだと思う。
まとめ
重さ19.7キロ、額面10ダレルの銅の板。17世紀スウェーデンのこの硬貨は、銅の産出国という事情と、「硬貨は額面と同じ値打ちの金属を含むもの」という当時の常識から生まれました。その不便さを背景に、1661年にはヨーロッパで最初の紙幣が登場しますが、刷りすぎて数年で行き詰まります。コメント欄はおつりの場面を想像する軽口でにぎわい、ヤップ島の石貨や古代スパルタの鉄の通貨など、「重すぎるお金」の話へ広がっていました。
元ソース: 1600年代のスウェーデン最大の硬貨は、重さ約20キロの10ダレル銅板で、史上最も重い流通貨幣だった。スウェーデンがヨーロッパで最初に紙幣を発行した国になったのはそのためだ

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