「逃げ切ったと思っていたのに」ソ連に情報を渡していたと報じられた87歳の元秘書がもらした一言…英国はなぜ彼女を訴追しなかったのか?

「逃げ切ったと思っていたのに」ソ連に情報を渡していたと報じられた87歳の元秘書がもらした一言…英国はなぜ彼女を訴追しなかったのか? 歴史

ロンドン郊外で庭いじりとジャム作りをして暮らしていた87歳のひいおばあちゃんが、1999年、ソ連のスパイだったと報じられました。名前はメリタ・ノーウッド。金属の研究機関で秘書として働きながら、およそ40年にわたって、英国の核開発に関わる資料などをソ連側に渡していたとされる人物です。海外掲示板では「なぜソ連に?」「刑務所に入れるべきだった」と意見が割れていました。

※注:元スレッドのタイトルは彼女を「英国の核兵器計画で部門長の秘書をしていた」と紹介していますが、出典で確認できる勤務先は、核開発計画に関わる研究を行っていた「英国非鉄金属研究協会」という金属の研究機関です。また「KGBにケンブリッジ・ファイブより高く評価された」は、2014年に公開された記録についての報道にもとづく表現です。この記事では、誰の評価なのかを示しながら紹介します。

※注:「ケンブリッジ・ファイブ」は、キム・フィルビーら、1930年代にケンブリッジ大学でソ連側に引き入れられ、英国の政府機関や情報機関で働きながら情報を流していた5人のスパイのことです。

今日の知ってた?

🕵️ メリタ・ノーウッド(1912〜2005年)は、英国非鉄金属研究協会の秘書として働きながら、およそ40年にわたってソ連の情報機関に資料を渡していたとされる。KGBでの最後のコードネームは「ホーラ」。

⚛️ 協会は、英国の核開発計画「チューブ・アロイズ」に関わる金属の研究を行っていた。彼女が秘書として仕えた上司は、この計画の諮問委員会の委員だった。

📰 正体が公になったのは1999年9月、彼女が87歳のとき。KGBの元文書係ヴァシリー・ミトロヒンが持ち出した記録をもとにした本がきっかけだった。

⚖️ 英国の法務当局は同年12月、訴追しないと発表した。彼女は2005年に93歳で亡くなるまで、一度も罪に問われていない。

📁 記録を紹介した本は、彼女を「KGB史上もっとも重要な英国人女性工作員」と書いている。ただし、渡した情報がソ連の核開発にどこまで役立ったのかは、今も見方が分かれている。

背景:「コープから帰ってきたスパイ」メリタ・ノーウッドとは

メリタ・ノーウッドは1912年、英国南部のボーンマスで生まれました。母は英国人、父はラトビア出身で、レーニンやトロツキーの著作を翻訳し、自分の発行する新聞に載せていた人物です。その父は、彼女が6歳のときに結核で亡くなっています。1932年、彼女は英国非鉄金属研究協会に秘書として就職しました。1930年代半ばに英国共産党に入り、1935年に党の幹部の推薦でソ連の情報機関NKVD(KGBの前身)とつながり、1937年に正式な工作員になったとされます。1938年には、関わっていたスパイ網のメンバー3人が逮捕されましたが、彼女はこのとき拘束されていません。

勤め先の協会は、銅や亜鉛など鉄以外の金属を扱うメーカーの業界団体が1920年に設立し、政府も資金の一部を出していた研究機関です。第二次世界大戦中は軍需に関わる研究を数多く引き受け、そのなかに英国の核開発計画「チューブ・アロイズ」に関わるものがありました。「チューブ・アロイズ(管用合金)」は、中身を悟られないよう、わざと紛らわしく付けられた名前です。ノーウッドは協会の幹部G・L・ベイリーの秘書で、ベイリーはこの計画の諮問委員会に加わっていました。彼女は上司の金庫から書類を持ち出して撮影し、元に戻していたと伝えられています。ソ連からは労働赤旗勲章を贈られ、1972年に退職しました。

すべてが表に出たのは1999年です。KGBの対外情報部門で文書係をしていたヴァシリー・ミトロヒンは、機密ファイルの内容をひそかに手書きで写し、靴の中やポケットに隠して持ち出しては、週末ごとに郊外の別荘に埋めていました。1992年、彼はその記録とともに英国へ渡ります。ケンブリッジ大学の歴史家クリストファー・アンドルーとの共著として本が出たのが1999年9月。英紙タイムズは9月11日、この本をもとに彼女のことを一面で報じ、「コープから帰ってきたスパイ」という見出しを付けました。その日、87歳のノーウッドは自宅の前で、用意した声明を読み上げています。

※注:「コープ」は、英国の生活協同組合が運営する身近なスーパーのことです。見出しは、ジョン・ル・カレのスパイ小説『寒い国から帰ってきたスパイ』のもじりです。

もう少し詳しく

本人は何と語ったのか。声明の中心はこうです。「私がしたことは、お金のためではありません。大きな犠牲を払って、ふつうの人々に手の届く値段の食べ物と交通、よい教育、医療を与えた新しい体制が、打ち負かされるのを防ぐ助けになりたかったのです」。自分が手にできる情報が、ロシアが英国やアメリカ、ドイツに後れを取らないために役立つかもしれないと考えた、とも述べました。同じ声明には「一般論としては、自分の国に対するスパイ行為には賛成しません」という一文もあります。タイムズには「同じ状況なら、また同じことをすると思う」と語ったとされ、「逃げ切ったと思っていたのに」という言葉も伝えられています。夫は彼女の活動を知っていて、反対していたそうです。娘と近所の人たちは、報道を知って驚いたといいます。

当局はいつから知っていたのか。当時の内務大臣ジャック・ストローが1999年10月に議会で説明した経緯は、次のとおりです。彼女は1945年、機密を扱うための身元審査を受けました。その時点で懸念はあったものの、資格を与えないほどの根拠はないとされます。その後の調査で1951年に資格は取り消され、実際には1949年以降、政府の機密に正規に触れる立場にはありませんでした。1960年代、英国の国内向け情報機関である保安局(MI5)は大がかりな調査のすえ「1940年代にスパイだった」と結論づけますが、法廷で使える証拠はないと判断しました。1992年にミトロヒンの記録が届いたときも、その判断は変わりませんでした。

なぜ訴追されなかったのか。ミトロヒンの記録は本人が書き写したメモで、KGBの原本でもその複写でもないため、それだけでは法廷に出せる証拠にならないとされました。加えて1992年当時は、記録から浮かんだ別のスパイ事件の調査を守るため、内容を伏せておく必要があると判断されています。1999年春に書類を受け取った法務長官は「刑事手続きに進める最後の機会は1992年だった」と結論づけました。本人が公に認めたあと、検察当局はあらためて書類を検討しましたが、同年12月、訴追しないと発表されています。野党は議会で、年齢が判断に影響したのかどうかを問いただしました。翌2000年には議会の委員会が報告書を出し、保安局の対応に誤りがあったと指摘しています。これを受けて、訴追について法務当局に相談する手順が改められました。

受け止めは割れた。英国では、訴追すべきだったという意見と、彼女の重要性そのものを疑う意見の両方が出ています。2014年には英誌スペクテイターが、訴追しなかったことを「国としての気概の欠如」と批判する論説を載せました。一方、1999年12月の英誌ニュー・ステーツマンには、「存在しなかったスパイ」と題する記事が出ています。

渡した情報はどれほど重要だったのか。ここは今も見方が分かれます。重く見る側では、アンドルーとミトロヒンの本が彼女を「KGB史上もっとも重要な英国人女性工作員であり、英国でもっとも長く活動したソ連のスパイ」と位置づけています。2014年にミトロヒンの記録がケンブリッジ大学チャーチル・カレッジで公開されたときには、記録が彼女を「忠実で、信頼でき、規律ある工作員」と評する一方、ケンブリッジ・ファイブのガイ・バージェスを「つねに酒の影響下にある」、ドナルド・マクリーンを「秘密を守るのが得意でない」と書いていたことが報じられました。先に挙げたスペクテイターの論説も、この公開を受けて、モスクワは彼女をキム・フィルビー以上に価値のある存在と見ていた、と書いています。元スレッドの「ケンブリッジ・ファイブより高く評価された」は、こうした報道を踏まえた表現とみられます。彼女の伝記を書いた歴史家デイヴィッド・バークは、高温でのウラン金属のふるまいに関する情報がソ連の核実験を早めた、と主張しています。

軽く見る側にも根拠があります。ニュー・ステーツマンの記事を書いたジャーナリストのフィリップ・ナイトリーは、彼女が出産のため1943年に職場を離れて1946年まで戻らなかったこと、元同僚たちが「秘密の研究ではなかった」と話していることを挙げ、KGBが協会の仕事を過大に見ていたのではないかと論じました。上司のベイリーは彼女の政治的な交友について注意を受けていて、何も漏らさないよう気をつけていた、という指摘もあります。先に触れたとおり、1949年以降の彼女は政府の機密に正規には触れられませんでした。KGBが高く評価していたことと、ソ連の核開発に実際にどれだけ役立ったかは、分けて考える必要がありそうです。

小説と映画になった。ノーウッドの生涯は、英国の作家ジェニー・ルーニーの小説『Red Joan』(2013年)の着想のもとになり、2018年にはジュディ・デンチ主演で映画化されました。日本では『ジョーンの秘密』の題で2020年8月に公開されています。ただし映画は大きく脚色されています。主人公はケンブリッジ大学で物理学を学び、核開発計画の内部で働く女性で、恋人を通じてソ連側と関わり、1945年の原爆投下に衝撃を受けて情報を渡すと決め、晩年に逮捕されます。実際のノーウッドは秘書で、核兵器が生まれる前の1930年代から共産党員として自分の意思で協力しており、逮捕も訴追もされませんでした。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
正体が公になったのは、退職してずいぶん経ってからなんだよね。そのとき英国の新聞が付けた見出しが「コープから帰ってきたスパイ」。近所のスーパーの名前とスパイが並んでるあたりが、なんとも英国らしい。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
それって『寒い国から帰ってきたスパイ』のもじり? それとも自分が深読みしすぎてるだけかな。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
深読みじゃなくて、まさにそれ。ジョン・ル・カレが書いた有名な冷戦スパイ小説のタイトルにかけてあるんだよ。

4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
同じ作者の『ティンカー、テイラー、ソルジャー、バーコードスキャナー』も名作だから、ぜひ読んでほしい。
※ ル・カレの代表作『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』をスーパーのレジにひっかけた冗談。

5. 海外の名無しさん
ちゃんとした西側の国に住んでいながら、全盛期のソ連を見て「ぜひあちら側で」と思える気持ちが、どうしても理解できない。

6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
鉄のカーテンの向こうの暮らしは外からほとんど見えなかったし、信頼できる情報なんてまず手に入らなかったんだよ。逆も同じでね。1989年に訪米したエリツィン(のちのロシア大統領)が、ヒューストン近郊のごく普通のスーパーに立ち寄って強い衝撃を受けた、というのは有名な話。お互いに相手の実情が見えてなかったんだ。

7. 海外の名無しさん(>>5への返信)
彼女が大人になったのは世界恐慌のまっただ中だよ。自分たちが育った時代とは前提がまるで違う。資本主義のファンが増えるような時期じゃなかったはず。

8. 海外の名無しさん(>>5への返信)
スターリン時代の実態が広く知られる前、共産主義が西側の人にどれだけ魅力的に見えていたかは、今の感覚だと想像しにくいと思う。進歩的な人たちの多くが「あれが未来だ」と信じていた。1956年にフルシチョフがスターリンを批判するまで支持を続けた人も多いし、もっと後まで続けた人もいる。

9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
でも同じ1930年代、ソ連の国内はすでに厳しい抑圧の中にあって、人々は貧しさにあえいでいたわけでしょ。時代のせいにしすぎるのもどうかと思う。少なくとも英雄ではないよ。

10. 海外の名無しさん
本人の声明が残ってる。「私がしたことは、お金のためではありません。大きな犠牲を払って、ふつうの人々に手の届く値段の食べ物と交通、よい教育、医療を与えた新しい体制が、打ち負かされるのを防ぐ助けになりたかったのです」。そのうえで「一般論としては、自分の国に対するスパイ行為には賛成しません」とも言ってるんだ。

11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
「賛成しない」と言いながら何十年も続けたのか…。ただ、報酬を受け取らなかったというのが本当なら、少なくとも言ってることとやってることは一致してるんだよな。

12. 海外の名無しさん
87歳だろうと関係ない。刑務所に入れるべきだったと思う。国の機密を外国に渡したことに変わりはないんだから。

13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
公になった時点で87歳、しかも情報を渡した相手の国はすでに消滅してる。そんな人を今さら刑務所に入れても得るものは少ないし、長年見逃してきた情報機関が恥をかくだけ、という判断だったんじゃないかな。

14. 海外の名無しさん(>>12への返信)
気持ちは分かるけど、証拠が足りなければ裁けないのが西側のやり方なんだよ。もどかしくても、そこを曲げたら相手と同じになる。それに、あのケンブリッジ・ファイブだって、スパイの罪で裁判にかけられた人は一人もいないんだ。

15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
なるほど、そう言われると返す言葉がない。こっちは一市民として、愛国心から感情的に反応してただけだった。ひとつ勉強になったよ。

16. 海外の名無しさん
この人、映画『ジョーンの秘密』のモデルになった人だよね? ジュディ・デンチがおばあちゃんスパイを演じてたやつ。

17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
そうだよ。ただ映画はかなり作り変えてある。映画の主人公はケンブリッジで物理を学んだ女性で、恋人に引き込まれていく話。本物は秘書で、若い頃から共産党員として自分の意思で動いてた。逮捕される場面も映画だけの話だね。

18. 海外の名無しさん
まったく、女性は趣味と友達を持つことすら許されないっていうのか(笑)

19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
趣味はガーデニングとジャム作りと諜報活動。履歴書に書いたら、最後のひとつで面接がやたら盛り上がりそうだ。

20. 海外の名無しさん
庭いじりとジャム作りが日課のひいおばあちゃんが、実は何十年もソ連のスパイだった。近所の人たちは腰を抜かしただろうな。娘さんですら知らなかったそうだし。

21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
しかも80代の終わりになっても、共産党系の新聞を近所に配って歩いてたらしいよ。窓には反核団体のポスター、お茶を飲むのはチェ・ゲバラのマグカップ。思想はまったく隠してないのに、スパイだとは誰も思わなかったわけだ。

22. 海外の名無しさん
秘書って、偉い人の書類がぜんぶ通る場所にいるのに、誰からも重要人物とは思われないんだよね。スパイにとって、これ以上の隠れみのはないと思う。

23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
1930年代にMI5の女性協力者が「地下活動に向いたタイプだ」と報告していたのに、上層部が取り合わなかった、という話もあるんだよね。女にスパイは務まらないと考えていたから、だそうで。
※ MI5でスパイの運用を担当したマックスウェル・ナイトの伝記(ヘンリー・ヘミング著、2017年)が紹介している話。報告したのはモナ・マウンドという女性とされる。

24. 海外の名無しさん
そもそも、彼女の情報がソ連の核開発にどれだけ役立ったのかは意見が割れてるみたいだね。開発を早めたと言う研究者もいれば、たいした機密には触れられなかったはずだと言う人もいる。KGBに気に入られていたことと、実際に役に立ったことは別の話だし。

25. 海外の名無しさん
正体が報じられたときにこぼした言葉が「逃げ切ったと思っていたのに」だったそうだ。何十年も続けて、あと少しだったのにね。まあ、結局一度も罪に問われなかったんだから、最後まで逃げ切ったとも言えるけど。

まとめ

ロンドン郊外で静かに暮らしていた元秘書が、約40年にわたってソ連に情報を渡していた——1999年に公になったこの話は、裁判が開かれないまま、2005年の本人の死で幕を閉じました。コメント欄は「刑務所に入れるべきだった」という声と「時代背景を考えるべきだ」という声に分かれ、情報の重みについても見方は割れたままです。疑われながらも、目立たない秘書のまま数十年が過ぎていたことだけは確かなようです。

元ソース: メリタ・ノーウッドは、KGBからケンブリッジ・ファイブよりも高く評価されたという、ソ連のために働いた英国人スパイ。英国の核兵器計画で部門長の秘書という立場にあり、核兵器に関する資料をソ連側の担当者に渡すことができた

コメント

  1. Reddit名無しさん says:

    核開発というだけで怪しさ一杯。
    もちろん本人に対する疑惑ではなく、作り話感が一杯。

  2. Reddit名無しさん says:

    ウラン濃縮を諦めて、再処理で得られるプルトニウムに舵を切ったイギリス。
    コールダーホール原子力発電所だな。

  3. Reddit名無しさん says:

    2006年リトビネンコ事件ってのがあるんだが、ポロニウム210は極めて吸収が悪く、経口投与しても殆ど吸収されない。
    何があったのか、未だに謎。