「熱帯地方に氷を売る」――そう言い出した若者を、当時の人々は鼻で笑いました。冷凍庫もエアコンもない19世紀、北国の氷を船で運んで売るなんて正気の沙汰ではない。ところがこの男は、笑った人々を全員見返してしまったのです。
今日の知ってた?
📏 アメリカ人実業家 フレデリック・テューダー(通称「氷王」)は、ニューイングランドの天然氷を熱帯地方やインドへ船で運ぶ「氷の貿易」を一から築き上げた。最も儲かったのはインド向けで、1833年の初航海では、おがくずで断熱した180トンの氷のうち100トンが、4か月近い航海を経てカルカッタに無事届いた。
背景:「氷の貿易」とは
19世紀初頭、人類はまだ「冷たさを作り出す」技術を持っていませんでした。火を起こして暖を取ることは大昔からできても、ものを冷やすには「より冷たい何か」をぶつけるしか方法がなかったのです。そこで目をつけられたのが、冬のあいだ湖や池に張る天然の氷でした。ニューイングランド(アメリカ北東部)では冬に厚く凍った湖の氷を切り出して貯蔵し、それを船で温暖な地域へ運んで売るという商売が生まれます。フレデリック・テューダーは、この「氷を商品として遠くへ運ぶ」というアイデアを事業として確立した中心人物でした。
最初の挑戦は1806年。テューダーはボストン北方のソーガスにある池から切り出した約130トンの氷を、カリブ海のマルティニーク島へ送りました。地元紙ボストン・ガゼットは「冗談ではない。氷を積んだ船がマルティニークへ向けて税関を出た。滑りやすい投機にならないことを祈る」と皮肉たっぷりに報じています。結果は赤字でした。氷を使う習慣のない土地では、氷そのものより先に「氷で何ができるか」を売る必要があったのです。テューダーは現地でアイスクリームを作って見せたり、氷を冷蔵箱に入れて使う方法を教えたりし、はじめは安値で売って市場を育てようとしました。
事業はなかなか軌道に乗らず、テューダーは1812年から1813年にかけて、借金のために債務者監獄に入れられたこともあります。それでも1815年には、再び借金をしてキューバのハバナに新しい貯氷庫を建てています。周囲に笑われ、牢屋に入っても、氷から手を引かなかったわけです。
もう少し詳しく
笑われた事業を、おがくずと仲間の発明で成立させた。テューダーが最初に「熱帯に氷を売る」と言い出したとき、周囲は本気で取り合いませんでした。長い航海の途中で全部溶けてしまうと誰もが考えたからです。決め手になったのは、製材所で捨てられていたおがくずでした。ただで手に入るうえ、断熱材としてよく効いたのです。1824年からテューダーの事業に加わったナサニエル・ワイエスは、馬に引かせて湖の氷を切り出す2枚刃の道具を考案し、氷の塊のあいだにおがくずを詰めて保存する方法も編み出しました。米アメリカン・ヘリテージ誌(1991年)は、この詰め方をワイエスの工夫として紹介しています。氷の大量生産が可能になったのは、ワイエスの道具のおかげだといわれます。
1833年、カルカッタへの4か月の航海。この年の5月12日、ブリッグ船トスカーナ号が、冬に切り出した180トンの氷を積んでボストンを出港しました。行き先はインドのカルカッタ(現コルカタ)。約2万6000キロ、4か月近くかかる航路で、船長の航海日誌によれば、9月にカルカッタに着いたとき、船にはまだ100トンの氷が残っていました。3分の2近くが溶けずに届いたことになります(この航海は「3か月の旅」と書かれることもありますが、出港日と到着日から数えると4か月近くになります)。届け先の人々の喜びようは大変なもので、ある英国人は「あの朝、カルカッタのどれだけの食卓が氷の塊で輝いたことか」と回想しています。当時のインド総督ウィリアム・ベンティンクもこの事業を公にたたえ、住民たちはすぐに貯氷庫を建てる資金を出し合いました。実はこのころのテューダーは、コーヒーの取引で20万ドルもの借金を抱えていました。インド向けの氷は、その窮地からの逆転劇でもあったのです。
ソローも書き残した、氷の行き先。テューダーの事業が広がると、ボストン近郊の湖や池の氷は世界各地へ運ばれるようになりました。作家ヘンリー・デイヴィッド・ソローは著書『ウォールデン 森の生活』に、「マドラスやボンベイやカルカッタの住民が、わたしの井戸の水を飲んでいる」という趣旨のことを書いており、アメリカン・ヘリテージ誌はこれを、テューダーの商売がどこまで届いていたかを示す一節として紹介しています。人工の製氷が19世紀半ばから始まったあとも、天然氷の取引は1880年代まで伸び続けました。「ボストンの氷王」テューダーは、1864年にボストンの自宅で亡くなっています。
日本にも「ボストン氷」が来ていた。ボストンの天然氷は日本にも届いています。小学館の和樂webによると、幕末に横浜が開港したころ、ボストンから船で氷が運ばれてきました。アフリカを回って半年以上かかる航海で、みかん箱ほどの大きさの氷が3両もしたといいます。これに目をつけたのが、横浜で牛肉や牛乳を扱う店を開いていた中川嘉兵衛です。富士山麓や諏訪湖、東北各地で氷を切り出しては横浜へ運ぼうとして失敗を重ね、ようやく成功したのが函館の五稜郭でした。明治3(1870)年に五稜郭に製氷場を設けて売り出した「箱館氷」は、輸入氷より安くて質が良いと評判になり、外国の業者との競争に勝ち抜いて、皇室の御用達にもなりました。テューダーが切り開いた「遠くの冬を運ぶ」商売は、日本では国産の氷が輸入氷を追い出す形で決着したわけです。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
氷って実際、驚くほど溶けないんだよな。うちは冬に積み上げた雪が6月になっても残ってたりする。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
そうそう。だから永久凍土は夏に30℃超えても何千年も解けずに残ってるわけで。塊が大きいほど冷たさを保てるんだよね。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
HVAC(建物の冷暖房)でも氷は蓄エネルギーに使われてるよ。電気が安い夜中に巨大な氷を作って、昼の冷房ピークでそれを溶かして冷やす。19世紀の発想がいまだに現役なの面白い。
4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
シカゴのダウンタウンにまさにそういうビルがある。親父が「夜にでっかい氷の塊を作って、電気代の高い時間帯にその氷で建物を冷やすんだ」って教えてくれた。
5. 海外の名無しさん
19世紀のメルボルンでは、金持ちが新大陸の氷をわざわざ船でアメリカ→太平洋経由で取り寄せてたらしい。真夏に氷入りレモネードを出して客に見せびらかすためだけに。
6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
浪費といえば浪費だけど、オーストラリアの灼熱の中で飲むキンキンのレモネードは、人生で一番うまい一杯だっただろうな…。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
それを言われると反論できない。あの暑さの後の一杯なら、いくら払っても惜しくない気持ちはわかる。
8. 海外の名無しさん
「氷王」って聞くと、王冠かぶってお姫様でも追いかけてそうな響きだよな。実際はおがくずまみれの商人だったわけだけど。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
魔法が俺を生かしてくれる、でもそのせいで狂っていく…みたいなノリで氷を運んでたと思うと笑える。
10. 海外の名無しさん
ずっと不思議なんだけど、人類は40万年前から火で「好きなときに温める」ことができたのに、「冷やす」ほうは19世紀半ばまで、より冷たいものを持ってくる以外に手段がなかったんだよね。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
一応、水が蒸発する力を使えばある程度は冷やせたよ。空気がかなり乾いていれば、30℃のときに20℃くらいまでは下げられる。氷ほど冷たくはならないけどね。
12. 海外の名無しさん
うちの家族はミネソタで氷を切り出して氷室に入れてたけど、次の冬が来てもまだ氷が残ってることがほとんどだったよ。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
テキサス育ちの自分からすると、その話だけでもう信じられないレベルなんだが。
14. 海外の名無しさん
インドはたしかに氷の市場として完璧だよな。生鮮食品の保存にも使えるし、これは良いアイデアで、しかも実際かなり長く成功したわけだ。
15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
ただ当時のインドの庶民は屋根で天日干しの保存食を作ったり、塩で漬物にしたりしてたんだよね。インドは昔、世界最大の塩の輸出国だったし。米や小麦粉みたいな主食は水を加えるまで日持ちするから、毎食その都度焼いたり炊いたりしてた。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
当時はイギリス統治下で、首都はカルカッタ。氷の主な届け先もそこだった。たぶん大半はイギリス人入植者向けで、肉や果物の保存、豪華なパーティー、バターやデザート用の氷なんかに使われたんだと思う。
17. 海外の名無しさん
ロジスティクスの豆知識として言うと、100トンって今でいうコンテナ約2.5個分なんだよな。当時はものすごい量に見えたはず。今の大型貨物船は2万4000個積めるけど。
18. 海外の名無しさん
100トンの氷が3か月もつカラクリを物理で言うと、氷の塊どうしが互いを冷やし合うからなんだよね。塊が大きくなるほど「氷に接している面」が「外気に触れる面」より圧倒的に多くなる。要するに体積は表面積より速く増えるってこと。100トンの氷は、実質「1トンの氷が99トンを凍ったまま守ってる」状態なんだ。
19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
なるほど、だからおがくずで隙間を埋めて塊を一体化させたのが効いたわけか。空気は水より熱をはるかに溜め込めないから、藁やおがくずで断熱するのが成功の鍵だったんだな。
20. 海外の名無しさん
東南アジア出身なんだけど、うちの言葉には「氷」や「雪」を表す固有の単語がそもそも無いんだ。当時、凍った水を初めて見た人たちの衝撃は本当に想像を絶するものだったと思う。
21. 海外の名無しさん
これ、パウル・セローの小説『モスキート・コースト』を思い出すな(映画でもドラマでもなく原作のほう)。ジャングルのど真ん中で氷を作ることこそ究極の力だと信じ込む男の話で、その説得力と「こいつ完全にイカれてる」感の同居が妙にゾクゾクするんだ。
22. 海外の名無しさん
「のちに銃殺隊の前に立つことになったアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親に連れられて初めて氷を見たあの遠い午後を思い出すのだった」――急にガルシア=マルケスの『百年の孤独』の冒頭を思い出した。
23. 海外の名無しさん
帆船時代だったのも地味に効いてると思う。19世紀初頭の船はまだ全部風頼みで、石炭や蒸気機関が普及する前。エンジンの熱で氷が溶ける心配がなかったのは結果的に追い風だったのかも。
24. 海外の名無しさん(>>23への返信)
しかも当時は整備された港もなく、流氷や氷棚で停泊そのものが危険だった。それを乗り越えて100トン届けたんだから、執念がすごい。
25. 海外の名無しさん
「冬を熱帯に売る」なんて、無理だと最初から知ってたら誰もやらなかったはず。知らなかったから出来た、の典型例だな。笑ってたやつら全員見返したのが痛快すぎる。
まとめ
氷王フレデリック・テューダーは、おがくずを断熱材に使い、4か月近い航海で180トン中100トンの氷をインドへ届けて「氷の貿易」を成功させました。コメント欄は「冷やす技術が無かった時代の発想に驚いた」という声から、永久凍土・HVAC蓄熱・帆船時代の事情まで、知的な脱線が止まらない展開に。笑われた事業を執念で形にした男への称賛が目立ちました。
参考資料
- スーザン・S・ビーン「冷たい鉱脈」アメリカン・ヘリテージ誌(1991年・英語)
- 和樂web(小学館)「かつて氷は超贅沢品!清少納言も食べた、日本のかき氷の歴史を詳しく紹介」(2019年・日本語)
- ウィキペディア英語版「フレデリック・テューダー」(英語)
元ソース: 「氷王」フレデリック・テューダーは氷の貿易を無から作り上げた。熱帯に冬を売ると笑われたが、おがくずで断熱し3か月の航海でも180トン中100トンの氷を届けた


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