「“よくいた”かどうかは怪しい」「日本の歴史の話は出典が要る」日本の女武者をめぐる豆知識に、海外のコメント欄が自分で待ったをかけた話

「“よくいた”かどうかは怪しい」「日本の歴史の話は出典が要る」日本の女武者をめぐる豆知識に、海外のコメント欄が自分で待ったをかけた話 歴史

「日本の歴史では、女性の戦士はわりとよくいた」——そんな豆知識が海外の掲示板に投稿され、注目を集めました。ところが、コメント欄の上位に並んだのは感心の声ではなく、「“よくいた”かどうかは怪しい」「日本の歴史の話は出典が要る」という指摘。日本語で事情を説明する書き込みまで現れました。日本について海外で広まっている話に、海外の人たち自身はどう反応したのか。日本側の資料で確かめられることと分けながら見ていきます。

※注:この記事は、海外で広まっている説と、それに対する海外の反応を紹介するものです。「女性の戦士がよくいた」という説そのものを、事実として紹介するものではありません。

今日の知ってた?

📣 海外の掲示板に投稿されたのは、「日本の歴史では女性の戦士はわりとよくいた。多くが戦の訓練を受けて合戦に加わり、兵を率い、女性だけの部隊もあった。それが17世紀ごろ、女性の地位が大きく下がるとともに衰えた」という豆知識。リンク先は、英語版Wikipediaの「Onna-musha(女武者)」の項目だった。

🤔 これに対してコメント欄では、「“よくいた”かどうかは怪しい」「日本の歴史の話は出典が要る」という指摘が上位に並んだ。

🏯 日本語の書き込みもあり、「戦うのは基本男性」「城を攻められたときの城内戦は女性も戦う場合があった」と説明している。

📚 巴御前や坂額(はんがく)御前、幕末の会津の中野竹子のように、戦った女性の話が伝わっているのは確か。ただ、それを「よくいた」とまで言えるのかは別の話で、コメント欄の議論もそこに集中した。

背景:「女武者」とは

「女武者(おんなむしゃ)」は、国語辞典(精選版 日本国語大辞典)に「武者の姿をした女性。武器を持って合戦する女性」と載っている言葉です。用例には、室町時代末の謡曲『巴』の「巴といひし女武者」という一節が挙がっています。

元のスレッドがリンクした英語版Wikipediaの項目は、女武者を「近代以前の日本にいた、武士階級の女性の戦士」と説明し、「戦のときに家や家族、名誉を守るため、武器の扱いを訓練されていた。その一部は、男性の侍とともに合戦で戦った」と書いています。この項目はもともと「Onna-bugeisha(女武芸者)」という題でしたが、「日本研究者などがこの語を使っている形跡が見当たらない」という改名の提案が通り、2021年1月にいまの題に改められました(項目のノートページの記録による)。

名前がよく挙がるのは、次のような人たちです。

巴御前。木曽義仲に従って戦ったとされる女性で、『平家物語』や『源平盛衰記』といった軍記物語に登場します。事典はどれも生没年を不詳とし、義仲の死後に尼になったという話も、「伝えられる」という書き方にとどめています。鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』や、当時の日記・書状には姿が見えないとされ、実際にどんな人物だったのかははっきりしません。

坂額御前。板額とも書きます。越後(新潟県)の豪族・城(じょう)氏の一族で、1201年(建仁元年)、甥の城資盛(すけもり)が鳥坂(とっさか)城(現在の新潟県胎内市)で鎌倉幕府に対して兵を挙げたとき、城中で弓を取って奮戦し、捕らえられました。こちらは『吾妻鏡』に記述があります。

神功皇后。コメント欄にも名前が出ますが、『古事記』『日本書紀』などが伝える伝承上の人物です。

戦国時代については、コメント欄の日本語の書き込みが、立花誾千代(ぎんちよ)、小松姫、井伊直虎の名を挙げています(次の「もう少し詳しく」で触れます)。

もう少し詳しく

「わりとよくいた」は投稿者の言い回し。リンク先の英語版Wikipediaの項目を確かめると、冒頭の説明は「その一部は合戦で戦った」で、「よくいた」にあたる表現は本文に見当たりません(2026年10月時点)。コメント欄が真っ先に引っかかったのも、この一語でした。

「女性だけの部隊」の根拠は。英語版Wikipediaは「16世紀には女性だけで構成された戦闘部隊があった」と書き、その例に、池田せんが率いたという200人の女性鉄砲隊を挙げています。続けて、侍女18人とともに徳川家康の軍と戦ったお田鶴(たづ)の方、女性34人を率いて毛利軍に斬り込んだ鶴姫の名も並びます。

このうちお田鶴の方は、引間(ひくま)城(浜松市)の話です。浜松市は、夫を亡くしたあと城を守るために戦い、「18人の侍女と共に、悲壮な討ち死にをしたとされる」と紹介しています。鶴姫は、岡山県の常山(つねやま)城が1575年(天正3年)に攻められたときの「常山女軍の戦い」として、地元に伝わる話です。どちらも、自分たちの城が攻め落とされる場面の出来事でした。池田せんについては、日本語版Wikipediaの同じ人物の項目が「指揮したとされる」と書いたうえで、出典とされる史料が確認できないと注記しています。

古戦場の人骨の話。英語版Wikipediaは、女性が合戦に加わっていた証拠として、1580年に武田勝頼と北条氏が戦った地から出た人骨の調査を挙げています。105体のうち35体が女性だった、というものです。

もとになっているのは、人類学者の鈴木尚(ひさし)が1989年に『人類学雑誌』に発表した論文です。調べたのは、静岡県沼津市の千本浜にある首塚の人骨。沼津市歴史民俗資料館の資料によると、1900年(明治33年)に風害で松林のなかの古い塚が崩れ、百人余り分の人骨が見つかって、のちに葬り直されたものです。論文は、葬られていたのは105体以上で、そのうち約3分の1が女性だったと推定し、抄録に「中世の合戦には、男性のほか、常に女性が1/3ほど参加したらしい」と記しています。

一方、スレッドに貼られた歴史専門の掲示板の回答(2019年)は、この首塚にも触れています。骨の性別はDNAではなく形から判定したものだと断ったうえで、「分かるのは、塚に葬られた暴力による死者の5分の1から3分の1が女性だったということ。正規の戦闘員の5分の1から3分の1が女性だった、ということではない」と指摘。戦いに巻き込まれた地元の女性たちだったのではないか、という見方を、自分の仮説だと断って示しています。同じ骨でも、読み取り方は分かれているわけです。

「17世紀に衰えた」理由は朱子学?英語版Wikipediaは、「江戸時代の新儒教(朱子学)の影響で、女武者の地位は大きく下がり、務めは家の中のことに絞られていった」と説明しています。これに対してコメント欄では、「朱子学はその何百年も前に日本に入っていた」「身分が固定され、戦がなくなったことのほうが大きいのでは」という異論が出ました。事典(日本大百科全書)によると、朱子学は鎌倉時代に日本に伝わって禅僧に研究され、江戸時代の初めに藤原惺窩(せいか)や林羅山らが現れて盛んになりました。伝わったのは鎌倉時代、盛んになったのは江戸時代、ということになります。

薙刀が「武家の女性の武芸」になったのは江戸時代。同じ事典によると、薙刀(なぎなた)は平安時代の後期から下級の武士や僧兵に好まれた武器で、戦国時代の末には、槍や鉄砲に押されて戦場での地位が大きく下がりました。江戸時代に入ると武家の女性の護身具となり、やがて武家の子女の教養として広く稽古され、嫁入りのときに薙刀を持参する風習も生まれて、女性の代表的な武芸とされるようになります。スレッドの題が「衰えた」とする時代に、武家の女性の薙刀の稽古は、むしろ広まっていたことになります。

1868年の会津。「17世紀ごろに衰えた」という説明と時期が合わない、よく知られた例もあります。1868年(慶応4年)の会津戦争では、会津藩士の娘で薙刀の名手だった中野竹子らが新政府軍と戦い、竹子は銃弾を受けて亡くなりました。この女性たちは「娘子隊(じょうしたい)」などと呼ばれています。同じ戦争で、のちに新島襄の妻となる山本八重(新島八重)は鶴ヶ城の籠城戦に加わり、銃を手に戦ったと伝わります。英語版Wikipediaも、同じ項目のなかでこの会津の例を紹介しています。

コメント欄に名前が出た戦国の女性たち。立花誾千代は、大友氏の重臣・戸次(べっき)道雪の娘で、7歳で家督を譲られて立花山城(福岡県)の城主になりました。福岡県の観光サイトは、その武勇伝を「伝説として伝えられています」と紹介しています。小松姫は本多忠勝の娘で、真田信之の妻。1600年、関ヶ原の合戦を前に敵味方に分かれた義父の真田昌幸が沼田城(群馬県)に入ろうとしたのを、城門を閉じて拒んだという逸話で知られます。井伊直虎は女性の領主として知られてきましたが、2016年の末に、男性だった可能性を示す史料が見つかったと報じられ、男性だったとする説も出ています。このほか、忍(おし)城(埼玉県行田市)の城主の娘・甲斐姫は、1590年に石田三成の水攻めを受けたとき、母とともに城を守ったと人名事典にあります。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
“よくいた”かどうかは怪しいと思う。こういう話こそ、歴史専門の掲示板の人たちに確かめてもらったほうがいいんじゃないかな。

※ 歴史専門の掲示板(r/AskHistorians):歴史に詳しい回答者が、出典を添えて質問に答える海外の掲示板。回答の基準が厳しいことで知られる。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
任せて。まさにその質問が、その掲示板で過去に出てる。題は『女性の侍はどれくらいいて、家の外の戦でどれくらい戦っていたのか』。回答から引用するよ。
「日本の歴史を通じて女性の戦闘員がいたことは、実際に分かっている。世界のほかの地域と同じだ。記録にも出てくる。ただ、戦国時代については記録がとてもよく残っていて、軍勢の動員に関する記録も数多い。もちろん完全ではないが、ふだんどんな人が戦に呼び出されていたのか、見当はつく。そして私は、女性の戦闘員を載せた動員記録を一つも知らない。名前が出てくるときは、いつも男性だ。女性を載せた記録が存在しないとは言わない。ただ、あるとしても例外のはずだ。歴史を通じて、戦闘員として並外れた働きをした女性のことがわざわざ書き残されているのは、戦場に立つ女性が例外であって、普通ではなかったことを示していると思う」

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
付け加えると、侍の文化では時代によって、家が襲われたら女性も家と家族を守れることが求められていた。だから時代によっては、女性も武器の扱いをある程度は教わっていた。でもそれは、遠征する軍勢のなかで女性が目立つ存在だった、というのとは別の話だよ。民話や物語を文字どおりに受け取りすぎる傾向は日本国内にもあるけど、外国語の世界ではもっとひどい。日本について書かれた有名な本のなかには、史料の吟味が甘いうえに、そもそも日本語を話すことも読むこともできない人が書いたものがあるから。

4. 海外の名無しさん(>>2への返信)
あの掲示板は本当にすばらしいよ。質の高い回答にこだわり続ける姿勢には、いつも頭が下がる。

5. 海外の名無しさん(>>2への返信)
結論にはまったく同感。女性の兵がいたこと自体は分かっているわけだしね。ただ、戦国時代の動員記録がよく残っているという主張は、さすがに無理があると思う。そんなに残ってないよ。とくに、雑兵の名前まで並んだ名簿なんてまずないし、日本語は言葉に男女の区別がないから、記録から性別を読み取るのも難しい。

6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
戦国時代の記録の残り方が「とてもいい」と言えるのかどうかは、自分には判断のしようがない。ただ、あの回答者は「動員記録がたくさんある」と言っているだけで、それが完全だとも、それで全部だとも言ってないよ。自分の知る限りそれは本当で、ただ、残り方は地域によってばらつく。よく残っている地域もあれば、すぐ近くなのにほとんど残っていない地域もある。

7. 海外の名無しさん(>>2への返信)
それで言うと、記録に残っている女武者は、ほとんどが自分の城を守った例みたいだね。つまり非常時の手段で、中世ヨーロッパを含めて、世界のあちこちにあったのと同じようなことだったんだと思う。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
そうだね。ただ、「頼れる守り手になることを見込んで、ふだんから正式に訓練しておく」のと、「もう後がない土壇場で駆り出される」のとは違う。そこは地域や時代によって分かれる大きな点の一つで、かなり重要な違いだと思う。

9. 海外の名無しさん(>>7への返信)
そうですね。だから名前が残っている「戦った女性」は大名や武将の妻が多いです。立花誾千代とか本多小松。例外として、当主をした井伊直虎がいますが。

※ 日本語で書き込まれたコメント。「本多小松」は、本多忠勝の娘で真田信之の妻となった小松姫のこと。井伊直虎には、男性だったとする説も出ている(本文「もう少し詳しく」参照)。

10. 海外の名無しさん
①戦うのは基本男性。常備兵は男性だけだし、徴兵も男性のみ。
②ただし、城を攻められたときの城内戦は女性も戦う場合があった(抵抗しないと殺されますし)。そのため、武士階級の女性の嗜みには薙刀など武芸の稽古もあった。
日本製の戦国時代のゲームキャラの何人かは、実際に戦ったエピソードが残っています。

※ これも日本語で書き込まれたコメント(原文のまま)。

11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
日本語のコメントだ。翻訳にかけて読んだけど、このスレでいちばん分かりやすい説明かもしれない。基本は男性、ただし城を攻められたら女性も戦う。すっきりした。

12. 海外の名無しさん
いや、それは一般的なことじゃなかったよ。

13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
一言で片づけるなあ、と思ったけど、スレを最後まで読んだら、だいたいこの一言に落ち着いてた。

14. 海外の名無しさん
日本の歴史の話は、何であれ出典が要る。日本自身が物事をかなりきれいに取り繕って語るうえに、西洋は西洋で、日本のものなら何でもバラ色の眼鏡ごしに見てしまうから。

15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
弥助の件があったばかりだし、出典は絶対に必要だよね。誤解のないように言っておくと、弥助は日本でも人気のある人物だし、かっこいい話だし、ゲームの主人公になるのも大賛成。そのうえで、史料で確かめられることと推測とは、分けて語らないといけないと思う。

※ 弥助:織田信長に仕えたとされるアフリカ出身の人物。

16. 海外の名無しさん(>>14への返信)
えっ、よくできた日本刀でも戦車の装甲は斬れないってこと? そんなばかな。

17. 海外の名無しさん
Wikipediaの記事によると、女性の地位が下がったのは、江戸時代に新儒教(朱子学)が力を持ったせいらしい。それで朱子学について調べ始めたら止まらなくなったんだけど、この思想が女性とその役割について具体的に何を説いていて、どうしてそういう結果になったのかは、結局よく分からなかった。

18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
朱子学が日本に伝わったのは、それより何百年も前だよ。盛り上がったり下火になったりはあっても、ずっと有力な思想だった。だから、その説明は厳密に検証したら持たないと思う。自分ならむしろ、江戸時代に身分の線引きが厳しく固められたこと、戦がなくなったこと、そのせいで侍が名ばかりの戦士階級になっていったことと結びつけて考える。朱子学のほうを一言でまとめるなら、儒教は全体としてかなり家父長的な思想、ということになる。

※ 朱子学:中国・南宋の朱熹(しゅき)が大成した儒学。事典によれば、日本には鎌倉時代に伝わり、江戸時代に幕府の保護を受けて広まった。

19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
たぶんそれが当たっていると思う。封建制というのは、基本的に全員の役割が固定される仕組みだからね。なかでも日本の封建制はとくに厳格だった。実力主義の面があったローマの仕組みを、いくらかは残していた中世の西ヨーロッパの国々と比べると、なおさら。

20. 海外の名無しさん
有名な女性の戦士なら、たしかにいる。伝説上の神功皇后から、巴御前、井伊直虎、そして新島八重まで。でも、彼女たちがいまも知られているのは、女性の戦士がきわめて珍しかったからだと思う。女性が戦いから完全に締め出されていたわけじゃない。実際に戦った人もいれば、領主の妻や母、娘として兵を指揮した人もいる。ただ、それは例外だった。16世紀ごろにはもう、武家の女性は、信頼を取りつけるために差し出される人質のような立場でもあった。家の主が裏切れば、命はなかったんだ。

※ 神功皇后は『古事記』『日本書紀』などが伝える伝承上の人物、巴御前は軍記物語に登場する人物。新島八重は1868年の会津戦争で籠城戦に加わった(本文参照)。

21. 海外の名無しさん
一次史料は掘り返さないと出せないけど、女性が合戦に出るのが普通だったとは言えないと思う。娘に武芸を仕込むこと自体は、17世紀に入っても珍しくなかった(佐々木累という人を一度調べてみて。かっこいいから)。ただ、それはおもに攻めるためじゃなく、守るためのもの。女性が戦った考古学的な証拠もあるにはあるけど、大軍のなかのごくわずかだったはずだよ。

※ 佐々木累(るい):江戸時代前期の剣術家。人名事典によれば、藩士だった父に剣を学び、父の死後、江戸・浅草で道場を開いた。

22. 海外の名無しさん
女性の戦士なら中国にもよくいたよ。ディズニーが『ムーラン』で教えてくれたし、『グリーン・デスティニー』もそう言ってた(冗談です)。

23. 海外の名無しさん
薙刀の稽古をして、いざとなれば城を守る覚悟でいた。それだけでもう十分にすごい話だと思うんだけどな。わざわざ「よくいた」まで話を大きくしなくても。

24. 海外の名無しさん
スレの題を読んで「へえ」と思って開いたら、コメント欄で順番に訂正されていくスレだった。結局、題よりコメント欄のほうがずっと勉強になった。

まとめ

「日本の歴史では女性の戦士はよくいた」という豆知識に、海外のコメント欄は「“よくいた”かどうかは怪しい」「日本の歴史の話は出典が要る」と応じ、日本語の書き込みや、歴史専門の掲示板の回答が持ち寄られました。戦った女性はいたが、あくまで例外だった、という見方が大勢です。今回確かめた範囲でも、坂額御前やお田鶴の方、鶴姫のように、攻められた城で戦った話が目立ちます。題の一語をうのみにせず、出典を探して確かめ合う。そんなコメント欄でした。

元ソース: 「日本の歴史では女性の戦士はわりとよくいた。多くが戦の訓練を受けて合戦に加わり、兵を率い、女性だけの部隊もあった。17世紀ごろ、女性の地位が大きく下がるとともに衰えた」(海外掲示板への投稿)

コメント

  1. Reddit名無しさん says:

    ちゃんと資料が残ってる人もいるし
    実用してたかどうかはともかく女性サイズの武者鎧も結構見つかってんだよね
    有事の際は女性も戦う覚悟があったってことだし
    実際男性陣が出払った城を女性3代(祖母母娘)と年寄りで守った話もある

  2. Reddit名無しさん says:

    トンデモ理論を平然と開陳する(日本人にもいるが)外国人も多いが、ものすごく調べてる海外の人もやっぱいるのな
    俺なんか海外の歴史上の女性で戦場に出た人で知ってる名前なんてジャンヌ・ダルクくらいだよw

  3. Reddit名無しさん says:

    井伊家伝記「次郎法師は女(おなご)にこそあれ、井伊家惣領に生まれ候間」
    井伊家に次郎法師という女がいた
    次郎直虎と呼ばれる者がいて押印がある
    次郎法師=次郎直虎とする史料は存在してない
    なのよね。で、女性キャラを増やしたかったゲーム会社が古文書漁って井伊家伝記にあたって直虎を女キャラとして使った
    F層狙いで女性主人公ができる大河ネタを探してたNHKがそれを拾った

  4. Reddit名無しさん says:

    どれぐらいいたら「よくいた」の定義をせずに無駄に話し合うのは人類学系っぽいな

  5. Reddit名無しさん says:

    幕末では中沢琴って新徴組に所属してた女性いたから、昔からいそうな気はするよねw