「1のあとにゼロが20個」1946年のハンガリーが発行した“1垓ペンゲー札”…物価がおよそ15時間ごとに倍になった国の話

「1のあとにゼロが20個」1946年のハンガリーが発行した“1垓ペンゲー札”…物価がおよそ15時間ごとに倍になった国の話 歴史

1946年7月、ハンガリーで額面「1垓(がい)ペンゲー」の紙幣が発行された。数字にすると、1のあとにゼロが20個並ぶ。実際に発行された紙幣としては、史上最高の額面とされている。当時のハンガリーは記録に残るなかで最悪のハイパーインフレのさなかにあり、ピーク時には物価がおよそ15時間ごとに倍になっていたと推計されている。

※注:「垓(がい)」は「京(けい)」の1万倍にあたる数の単位で、1垓は10の20乗。元スレの英語表記「100クインティリオン」と同じ数を指す。ペンゲーは1946年まで使われていたハンガリーの通貨。

今日の知ってた?

💴 1946年7月、ハンガリー国立銀行は最後のペンゲー紙幣として1垓ペンゲー札(10の20乗=100,000,000,000,000,000,000ペンゲー)を発行した。実際に発行された紙幣としては史上最高額面とされる

📈 インフレのピークは1946年7月。米国の経済学者スティーブ・ハンケとニコラス・クルスの推計では、月間のインフレ率は約4京1900兆%(4.19×10の16乗%)、1日あたり約207%で、物価が倍になるまでおよそ15時間だった

🖨️ さらに1桁上の10垓ペンゲー札(10の21乗)も印刷されたが、こちらは発行されなかった

🔄 1946年8月1日に新通貨フォリントが導入され、1フォリント=40穣(じょう)ペンゲー(4×10の29乗ペンゲー)の比率で切り替えられた

背景:ペンゲーとは

ペンゲーは1920年代に導入されたハンガリーの通貨で、第二次世界大戦が始まるころまでは比較的安定していた。

状況を変えたのは戦争だった。ハンガリー中央統計局の推計では、大戦の終わりまでに国富のおよそ40%が失われ、1945〜46年度の国民所得は1938〜39年度の半分に届かなかった。そのうえ1945年1月の休戦協定で、ハンガリーは総額3億ドル相当の賠償(うち2億ドルがソ連向け、残る1億ドルがチェコスロバキアとユーゴスラビア向け)を6年かけて物資で支払うことになり、占領にあたるソ連軍側が必要とする通貨や燃料・食料なども提供する義務を負った。

ペンゲーの価値は戦時中から下がり始めていたが、1945年の半ばにはハイパーインフレの状態に入り、1946年7月の末には通貨としての価値を完全に失った。ハンガリーの公共メディアのニュースサイトは、原因として戦費、財政規律の崩壊、戦災、ソ連軍による裏付けのない軍用通貨の発行、物不足を挙げている。

もう少し詳しく

ゼロを減らすための単位。桁が増えすぎたため、紙幣には「ミルペンゲー」(100万ペンゲー)、「B.ペンゲー」(1兆ペンゲー)という単位が使われた。ゼロの数を減らし、図柄はそのままで色と単位名だけを変えて刷り直せるようにするための工夫だった。1垓ペンゲー札の額面も、ハンガリー語では「Százmillió B.-pengő(1億B.ペンゲー)」と呼ばれる。1億×1兆で、10の20乗ペンゲーになる。

税ペンゲーという物差し。1946年1月1日には、物価の上昇に連動する「税ペンゲー(アドーペンゲー)」という単位が導入された。当初は政府と銀行が計算に使う単位で、のちに税ペンゲー建ての証券が一般向けにも発行されている。ハンガリー中央統計局の資料によると、1税ペンゲーの価値は1月1日に1ペンゲー、6月1日に16万ペンゲー、7月1日に75億ペンゲー、7月31日には20垓ペンゲー(2×10の21乗)まで膨らんだ。

フォリントへの切り替え。1946年8月1日に導入されたフォリントは、1フォリント=40穣ペンゲー=2億税ペンゲーで旧通貨と交換され、対ドルでは1ドル=11.74フォリントと定められた。ハンガリー国立銀行の金準備(約30トン)は、1945年1月に列車で、当時ドイツに併合されていたオーストリアのシュピタール・アム・ピュールンへ運び出され、終戦時に米軍の管理下に入っていた。この金は1946年8月に返還され、新通貨の裏付けに充てられた。

路上に捨てられた紙幣。1946年の夏には、価値を失った紙幣がブダペストの路上に捨てられていた。清掃員が高額紙幣をほうきで掃き集める様子を写した報道写真が残っており、当時は国外の新聞にも掲載された。

ジンバブエの100兆ドル札との比較。高額紙幣としてよく知られるジンバブエの100兆ジンバブエドル札(2009年1月発行)は、10の14乗。額面の数字だけを比べると、1垓ペンゲー札はその100万倍にあたる。ハンケとクルスの推計では、ジンバブエのピーク時(2008年11月)でも物価が倍になるまでの時間は約24.7時間だった。

同じ1946年の日本。日本でも敗戦直後に激しいインフレが起き、1946年2月に金融緊急措置令が出されて、預金封鎖と新円への切り替えが行われた。ハンガリーがペンゲーを廃止したのは、同じ年の8月である。ただし、物価が半日あまりで倍になったハンガリーとは、規模がまったく違う。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
物価が15時間で倍になるって、裏でいったい何が起きたらそうなるの? 誰か仕組みを説明してほしい。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
ひとことで言うと「燃えさかる火にガソリンをかけて、その炎に税金をかけた」。自分の理解だと、第一次大戦後にオーストリア=ハンガリーが解体されて経済が分断され、第二次大戦中はドイツ経済に頼りきりになり、戦後はその相手ごと消えた。政府は止められないインフレをむしろ財源にして、最後は通貨ごと取り替えた、という流れ。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
細かいことを言うと、オーストリア=ハンガリーは同じ君主をいただく2つの国だった。共通だったのは軍と外交、それに中央銀行くらいで、あとはほぼ別々の国として動いてたよ。

4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
法律上は別の国でも、長年ひとつにつながって育った経済と物流は、そう簡単には切り分けられないよ。工業はオーストリアやチェコの側に集まっていて、のちのハンガリーにあたる地域はほとんど農業だったと聞くし。

5. 海外の名無しさん
お金の価値って結局、使う人たちが信じるかどうかで決まるんだよ。戦時中の配給と物々交換で、人々はもう紙幣を信用しなくなっていた。それでも復旧作業の賃金は現金で払われる。品物を持っている側は紙切れと引き換えには売りたがらず値を上げ、働く側は「明日は倍もらえないと食べていけない」と言い、政府はそれに合わせてお札を刷り続けた。そういう流れだったと理解してる。

6. 海外の名無しさん
この札が1枚あれば、億万長者どころか「垓万長者」だ! なお、それで買えるものはほとんど無い模様。

7. 海外の名無しさん
ジンバブエの100兆ドル札でも十分ひどいと思ってたのに、まだ上があったとは。しかも60年以上も前に。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
自分もあれが史上最大だと思ってた。こっちは額面でその100万倍だよ。桁が違うどころの話じゃない。

9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
それはつまり、ハンガリーがジンバブエの100万倍すぐれているという意味だよ。いまの最高額紙幣だって、ハンガリーは2万フォリントなのにアメリカはたったの100ドルだろ。そういう仕組みに決まってる。間違いない。

10. 海外の名無しさん
その日の給料を受け取ったら、その足で食料品店へ走ったと聞いたことがある。数時間で紙くずになる前に、とにかく何でもいいから食べ物に換えようとしたらしい。自分なら、小麦粉の袋みたいな現物で払ってくれと言うと思う。

11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
実際その段階では、もうお金は使われなくなっていて、みんな品物どうしを交換し始めてたんだよ。

12. 海外の名無しさん
インフレのきっかけは政府の判断でも、実際に進むのは一人ひとりの行動を通してなんだよね。売り手は客の持っているお金が増えたのを見て値上げし、働く側は賃上げを求め、みんな値上がりする前に買おうと急ぐ。それがまた次の値上げを呼ぶ。雪だるま式だ。

13. 海外の名無しさん
聞いた話だと、食料の生産は足りていて政府の支援もあったから、これだけのインフレでも飢える人はあまり出なかったらしいけど、実際はどうだったんだろう。

14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
いや、戦争が終わった直後だよ。人口のかなりの割合が死亡・行方不明・捕虜になっていたし、首都は廃墟で、インフラも爆撃でぼろぼろだった。壊れずに残った生産設備は、賠償として列車でソ連へ運ばれた。食料も燃料も足りなくて、街の人はコートや時計や家具を農村へ持っていって食べ物と交換していたんだ。飢饉とまではいかなくても、飢えは広がっていたよ。

15. 海外の名無しさん
英語版ウィキペディアには「1946年8月にペンゲーがフォリントに置き換えられたとき、流通していたハンガリーの全紙幣を合わせた価値は、1米セントの1000分の1だった」と書かれている。ここまで来ると、額面よりも紙そのものの値打ちのほうが高い。

16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
路上に捨てられたお札を、清掃員がほうきで掃き集めている写真を見たことがある。あれがたしか、この時期のブダペストだったはず。

17. 海外の名無しさん
もうひとつ大きな要因がある。大戦の末期、ソ連軍が迫ってくるなかで、金準備がドイツ側へ運び出されたんだ。通貨の裏付けになっていたものが国内から消えたわけで、戦後に価値が急落したのも無理はない。

18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
占領したソ連軍(赤軍)が自前のお金を刷っていて、それもインフレに拍車をかけたという話もあったはず。どういう仕組みだったのかは、自分もよく分かってないけど。

19. 海外の名無しさん
こうなると通貨を捨てて、新しく作り直すしかない。うちの国がペンゲーからフォリントに替わったのが、まさにそれ。もっとも50年か100年も待てば、使えなくなった紙幣や硬貨に収集家がいい値段を付けてくれるかもしれないけどね。

20. 海外の名無しさん
ハンガリーではないけど、近くの国の出身。うちでも90年代にハイパーインフレがあった。ここまでの桁ではないにせよ、数か月で数百%、もしかすると数千%だったと思う。その最中に母は、アパートの住宅ローンを月給2か月分でまるごと払い終えたよ(笑)

21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
借金の額はそのままで、給料の数字だけが膨らむからそうなるのか。ローンを抱えていた人は助かって、こつこつ貯金していた人はすべてを失う。なんともやりきれない話だ。

22. 海外の名無しさん
誤解している人が多いけど、インフレが収まっても物価は元には戻らないよ。上がるのが止まるだけで、上がった分はそのまま残る。

23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
「量」と「その変化の速さ」の区別がついていない人は本当に多い。蛇口を絞ったからといって、コップに入った水が蛇口へ戻っていくわけじゃないのにね。

24. 海外の名無しさん
うちの国は第一次大戦のあとにも、ひどいハイパーインフレを経験してる。共産主義体制が終わったあとにもインフレが来たし(前の2回ほどではなかったけど)、数年前にもまた物価が大きく上がった時期があった。

25. 海外の名無しさん(>>24への返信)
それでも、15時間ごとに倍というのは別格でしょ。ハイパーインフレといえば1920年代のドイツ(ワイマール共和国)を思い浮かべていたけど、それをはるかに上回る例があったとは知らなかった。

まとめ

1946年7月のハンガリーでは、ピーク時に物価がおよそ15時間ごとに倍になり、1のあとにゼロが20個並ぶ1垓ペンゲー札まで発行された。コメント欄では、なぜそこまで進んだのかという仕組みの説明や、給料を受け取ったその足で買い物に走ったという話、ジンバブエの100兆ドル札との比較が続いた。お金の価値は、みんながそれを信じているあいだだけ保たれる。史上最高額面の紙幣は、そのことを示す記録でもある。

元ソース: 1946年7月、ハンガリーは史上最悪のハイパーインフレのさなかに、実際に流通した紙幣として史上最高額面となる1垓(10の20乗)ペンゲー札を発行した。当時は物価がおよそ15時間ごとに倍になっていた

コメント

  1. Reddit名無しさん says:

    今の日本も在日米軍が撤退したらこうなる