大統領を辞めたばかりの男が、世界一周の旅の途中で日本に立ち寄った。そして明治天皇と2時間ほど向き合い、こう言い残していったという——外国から金を借りてはいけない、エジプトが落ちた深淵に、日本まで落ちることのないように。この一言が、その後の日本の財政の舵取りに効いたと伝えられている。
※注:ユリシーズ・S・グラントは、南北戦争で北軍を率いて勝利に導いた将軍で、そのままアメリカ合衆国第18代大統領を2期務めた人物(在任1869〜1877年)。日本での知名度は高くありませんが、アメリカでは50ドル紙幣の肖像になっています。
今日の知ってた?
📏 1879年(明治12年)、大統領退任後に世界一周の旅に出ていたユリシーズ・S・グラントは日本を訪れ、8月10日、東京の浜離宮で明治天皇と2時間におよぶ会談を行った。その席でグラントは、外国の勢力に対して債務を負うことを強く戒め、日本が「エジプトが落ちたのと同じ深淵に落ちる」ことのないようにと警告した。この忠告は天皇とその側近たちに「強い印象」を与えたと伝えられ、その後数年のあいだに持ち込まれたいくつもの借款の提案が退けられることにつながった。
背景:エジプトが落ちた「深淵」とは何だったのか
グラントが持ち出したエジプトの話は、当時の東アジアでは「たとえ話」ではなく、目の前で進行している生々しい事例だった。
会談の中身は、日本側にも記録が残っている。『日本外交文書』に収められた対話の筆記によると、席には三条実美太政大臣、岩倉具視右大臣、寺島宗則外務卿、徳大寺実則宮内卿が控えていた。話題はヨーロッパの外交、普通選挙、税、条約改正、教育、清との琉球をめぐる争いと多岐にわたる。外債についてグラントは、国がもっとも避けるべきなのは外国に借金を負うことだと述べ、「エジプト、スペイン又はトルコを見よ。其の景況実に憐むべし」と例を挙げた。そのうえで、日本の外債は幸いまだ巨額ではないと聞くので、一日も早く返し、なるべくこれ以上は外国から借りないほうがよい、と続けている。「エジプトが落ちた深淵」という言い回しは、ジョン・ラッセル・ヤングが英語でまとめた旅の記録のほうに出てくる。イアン・オースティン氏(豪エディス・コーワン大学)が2018年の論文で引く一節では、外国への借金は日本を「エジプトが落ちた深淵へ導くことにしかならない」とされ、グラントはこれを「たいへん熱心に」説いたという。
エジプトは19世紀を通じて近代化を進め、その象徴がスエズ運河だった。ただしその資金の多くはヨーロッパからの借入でまかなわれ、返済が行き詰まる。結果として、イギリスとフランスの官僚がエジプト政府の内側に入り込み、財政と公共事業の権限を握るという事態になった。さらにエジプトは、外国人が関わる裁判に外国人の判事が管轄権を持つ条約も結んでおり、司法の一部もすでに手を離れていた。
杏林大学の紀要に載った半田英俊氏の論文(2022年)が、この経緯を整理している。スエズ運河は1869年11月に開通したが、通る船は見込みを下回り、財政難を救うには至らなかった。1875年、エジプトは手持ちのスエズ運河会社の株を売りに出し、イギリスがすかさず買い取って筆頭株主となる。そこからイギリスは支配を強め、1879年には君主イスマーイール・パシャが退位を迫られるところまで進んだ。借りる側の立場の弱さは金利にも出ていた。大蔵大輔の吉田清成がロンドンで7か国の外債の利息を調べた記録では、最も高いのは7%のエジプトだった。吉田が担当していた日本の七分利付外債も、その名のとおり利率は7%で、日本はエジプトと同じくらいの国としか見られていなかったことになる。
グラントが日本に立ち寄った1879年は、まさにこの財政管理が動いている最中にあたる。エジプト側では主権を取り戻そうとする動きが起き、それは数年後、イギリスによる軍事占領という形で決着することになる。借金から始まって、財政、司法、そして国そのものの独立が順番に失われていく——その過程を、当時の人々はリアルタイムで見ていた。
この「エジプトの失敗」がどれほど広く共有されていたかは、コメント欄で紹介されていた1904年の中国最後の科挙の設問がよく物語っている。日本とエジプトを並べ、双方の得失から学べと受験生に書かせる問題が、国家の最高試験に出ていたのである。
もう少し詳しく
当時の日本にとって、借款は決して非現実的な選択肢ではなかった。関税自主権を持たず、領事裁判権を認めた不平等条約を抱えたまま、鉄道も工場も軍も一から作らなければならない。しかも西南戦争(1877年)の戦費を紙幣の増発でまかなった影響で、物価は上がり財政は苦しかった。外から資金を入れるという話は、いくらでも持ち込まれる状況にあった。だからこそ「借りるな」という助言は、単なる一般論ではなく、そのとき目の前にあった選択肢を潰す種類の言葉だった。
翌年、忠告はさっそく試された。西南戦争の戦費は約4,157万円で、当時の年間予算(約4,921万円)に迫った。政府は国立銀行の紙幣と政府紙幣の増発でしのいだが、1878年から79年にかけて紙幣の値打ちが目に見えて下がる。そこで財政を担当していた参議の大隈重信は1880年5月、外債で5,000万円の正貨(金貨・銀貨)を集め、政府の手持ち1,750万円と合わせて、出回りすぎた紙幣を回収する案を出した。薩摩出身の黒田清隆らは賛成したが、三条、岩倉、伊藤博文、井上馨、山縣有朋、松方正義らが反対した。最後は明治天皇の勅諭で見送りが決まる。半田氏は、反対派が多かったことや大隈と伊藤の主導権争いに加えて、前年のグラントとの会談が天皇の判断に重い意味を持ったとみている。日清戦争のあと、天皇は侍従長の徳大寺を通じて、大蔵大臣に就いた松方に「外債を起こさず、国内の債券でまかなうように」と伝えており、その書簡にも、先年のグラント将軍の進言が引かれている。
日本もエジプトも、外国人を大量に雇った点では同じだった。明治政府はいわゆるお雇い外国人を数千人規模で招いている。違ったのは、その扱い方のほうだ。日本は彼らに独立した決定権を与えず、助言と教育の役割に限定した。費用は地租改正で組み直した国内の税収から出し、日本人が技術を身につけるにつれて人数を意図的に減らしていった。一方のエジプトは、外国人に権限そのものを渡してしまった。雇うかどうかではなく、権限と財源をどちらが握っているか。分かれ目はそこにあった、というのがコメント欄で最も支持を集めていた整理である。
ただし「日本はその後ずっと外国から借りなかった」わけではない。そもそも日本は、グラントが来る前に2度、外債を出している。1度目は鉄道を敷くためにイギリス人ネルソン・レーを通じて借りた九分利付外債で、レーの思惑で、政府が意図しない形の外債になってしまった。2度目は家禄の整理などにあてた七分利付外債で、金利が予想以上に高く、当初の約3,000万円を1,000万円に減らしている。グラントが「幸いまだ巨額ではない」と言った日本の外債は、この2本を指すとみられる。その後も、よく知られている通り、日露戦争(1904〜05年)の莫大な戦費は、ロンドンやニューヨークで発行した外債に大きく頼っている。グラントの忠告が効いたのは、日本の足腰がまだ弱かった時期の「当面のあいだ」であって、永久にではなかった。むしろ、最も足元を見られやすい時期を新たな外債なしで通過したことのほうが大きかったのかもしれない。
グラントの側の事情も少し触れておきたい。彼はこのとき、大統領を退いた身での長い世界一周の旅の終盤にいた。各国の指導者と会って回るなかで、債務によって国が動かせなくなっていく実例をいくつも見てきたはずである。日本では借金の話だけをしたわけでもない。清の李鴻章からは琉球をめぐる争いについて日本政府への伝言を頼まれ、非公式の仲介役も引き受けた。8月25日に上野公園で開かれた歓迎会には天皇も出席し、グラントはローソンヒノキを、妻ジュリアはタイサンボクを植えた。1929年には、このとき東京の歓迎委員を務めた渋沢栄一と益田孝が、グラントが日本で語った言葉を刻んだ記念碑を建てている。もっとも、皮肉なことに彼自身は帰国後、投資事業の看板に担ぎ出されたあげく、それが実態のないものだったために自分と親族の資産をほとんど失うことになる。息子が始めたウォール街の投資会社「グラント&ウォード」に私財を預けたところ、共同経営者のフェルディナンド・ウォードが融資を操っていて、1884年5月に会社は破綻し、一家の財産はのみ込まれた。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
忠告はだいたい今日まで生きていると思う。日本は現在も国債の大半を国内で保有していて、外国に首根っこを押さえられる構造になっていない。150年近く前の助言がここまで効いている例も珍しい。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
自国通貨を発行できる大きな国は、たいてい似たような形になる。日本が特別に賢かったというより、規模と通貨を持っている国はそういう選択が取れる、という話でもあると思う。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
補足すると、大きな国は国内経済そのものが大きいから、債務を国内で吸収できるだけの余力がある。意図的にそう設計したというより、そうできる体力があった国が結果的にそうなっている、という順序だ。
4. 海外の名無しさん
日本はアメリカ国債を1.2兆ドルくらい持っている。借りるなと言われた国が、150年後には世界有数の貸し手側に回っているというのは、なんとも言えない気分になる。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
ついでに言うと、アメリカも自国の国債の4分の3くらいは国内で保有している。外国が握っている割合は、ニュースの印象よりずっと小さい。
6. 海外の名無しさん
日本とエジプトの違いを整理するとこうなる。日本は数千人規模で外国人専門家を雇ったが、彼らに独立した権限は一切与えず、助言と教育だけをさせた。費用は土地税制の改革で確保した国内の税収でまかない、日本人が技術を身につけるにつれて意図的に人数を減らしていった。エジプトは外国人が関わる裁判に外国人判事の管轄を認める条約を結び、運河の建設に巨額を借り、返せなくなった結果としてイギリスとフランスの役人を政府の内側に入れることになった。違いは結局、グラントの忠告そのものだ。巨額の対外債務を負うな、そして国内の権限を外国人に渡すな。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
エジプト側の事情も足しておくと、ムハンマド・アリーが始めた近代化——とくに世俗的な教育制度の整備——は、イギリスによってかなりの部分が解体された。学校は閉じられ、経済は本国の都合に合わせて組み替えられた。インドでやったことを、そのまま繰り返している。
8. 海外の名無しさん(>>6への返信)
エジプトは地理的にどうしようもない位置にある。ギリシャ、ローマ、アラブ、オスマン、フランス、イギリス、ソ連、アメリカと、征服と独立回復を延々繰り返してきた土地だ。日本が育てられたような「長く続く独立した制度と文化」を積み上げる余裕がなかった。農地と航路が魅力的すぎて、列強がそれを取るためのコストを惜しまなかったからだ。
9. 海外の名無しさん
1904年に中国で最後に行われた科挙の設問のひとつがこれ。「日本が改革を始めたとき、彼らは西洋人を雇い、日に日に強くなった。エジプトは千人を超える外国人を雇ったが、財政と司法の統制を失い、恒久的に弱体化した。それぞれの事例を詳しく検討し、その得失から学ぶ方策を示せ」。エジプトの失敗は、東アジアでそれくらい有名だった。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
受験生がどう答えたのか、読めるものは残っているんだろうか。当時の人がこの二つの国をどう比べたのか、答案そのものを見てみたい。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
同じ年の別の設問に対する、のちに政治家となる受験生の答案なら残っている。「対等な二国が向き合えば国際法が力になり、力の差がある二国が向き合えば力が国際法になる」と書き出して、列強が「領土の保全」を名目に掲げながら実際には自分の利益だけを持ち帰った事例を、延々と並べていく内容だ。100年以上前の答案なのに、読んでいて背筋が寒くなる。
12. 海外の名無しさん
グラントという名前にピンと来ない人向けに補足すると、南北戦争で北軍を率いて勝った将軍で、そのままアメリカ大統領を2期務めた人。日本での知名度は低いようだけど、こちらでは50ドル紙幣の顔になっている。
13. 海外の名無しさん
ちなみにこの「外国から借りるな」と説いた本人は、大統領を辞めたあと投資会社の看板に担ぎ出されて、その中身が実態のない詐欺だったせいで、自分と親族の貯金をほとんど全部失っている。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
そこから喉のがんで死にかけながら回想録を書き上げて、家族に残す金を取り返した。しかもそれが、英語で書かれた自伝の最高峰のひとつとまで言われている。出版はマーク・トウェインが手伝った。何度も破滅したと思われては、そのたびに自力で深淵から這い上がってくる人だ。
15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
トウェインの売り方がまた凄い。北部一帯に1万人の販売員を送り込み、その多くは北軍の軍服を着た退役軍人で、決められた口上を持って一軒ずつ回らせた。しかも将軍の死が悼まれている、まさにそのタイミングで。予約だけで35万部入ったという。
16. 海外の名無しさん
それで、その忠告は実際に日本のためになったんだろうか。それとも痛みを伴うだけの、余計なお節介だったのか。結果を知っている側からは何とでも言えるので、そこが気になる。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
少なくとも部分的には正しかったと思う。日本は借款に頼らずに近代化をやり遂げたし、当時の列強が返済を口実にどこまでやるかは、エジプトを見れば分かりきっていた。貸す側の善意を前提にできる時代ではなかった。
※注:日本はグラントの来日前に、鉄道建設のための九分利付外債と、家禄の整理などにあてた七分利付外債の2本を出しており、のちの日露戦争の戦費も外債に大きく頼っている。借款にまったく頼らずに近代化した、というわけではない。
18. 海外の名無しさん(>>16への返信)
皮肉なのは、債務を使って他国を支配していた側の国が、後になって「取り立てに来られないだけの軍事力があるなら、いくら借りても平気だ」と気づいてしまったこと。自分で仕掛けた罠を、仕掛けた側だけがすり抜けている。
19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
それは軍事力の話ではないと思う。踏み倒せば投資家が国債を買わなくなるだけだ。アメリカ国債が求められているのは返してきた実績があるからで、実際に一度も債務不履行を起こしていない。担保になっているのは大砲ではなく信用のほうだ。
20. 海外の名無しさん
逆の見方もできる。もし列強が日本の財政に手をかけていたら、その後の日本が対外的に取った動きは、もっと難しくなっていたかもしれない。借りなかったことが、良いことばかりを生んだとは限らないと思う。
21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
それはさすがに飛躍が過ぎる。その理屈でいくと、20世紀に起きたことの原因がだいたいグラントの2時間の会談ということになってしまう。歴史の因果をそこまで一本の線で引くのは無理がある。
22. 海外の名無しさん
現代でも、外国からの借り入れは発展途上の経済にとって罠になりうる。国際通貨基金の融資にせよ、中国の一帯一路にせよ、条件の欄に何が書いてあるかで意味がまるで変わってくる。仕組みそのものは150年前と大差ない。
23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
国際通貨基金と聞くと、どうしてもトム・クルーズが所属している方の組織が先に頭に浮かんでしまう。あの人たち、いつから金貸しを始めたんだ。
24. 海外の名無しさん
1900年代初めのベネズエラも同じ道をたどっている。農産物の輸出が儲かり続ける前提で鉄道敷設の資金を借り、返せなくなったところにヨーロッパ数か国の艦隊が押しかけてきて、返済を確保するための経済統制を丸ごと飲まされた。エジプトの構図とほとんど同じで、残念ながら全員が教訓を学んだわけではなかったらしい。
まとめ
大統領を辞めた男が世界一周の途中で立ち寄り、2時間の会談で「エジプトが落ちた深淵に落ちるな」と言い残していく——伝わっている話としては、ずいぶん劇的である。コメント欄で最も支持を集めたのは、日本とエジプトを分けたのは外国人を雇ったかどうかではなく、権限と財源を誰が握っていたかだ、という整理だった。一方で「日本は借りなかったから偉い」で終わらせない声も多く、大国が国内で債務を消化できるのは単に体力があるからだという指摘や、逆に列強に財政を握られていた方が良かったのではという反実仮想まで出て、そこには「さすがに飛躍が過ぎる」と冷静な突っ込みが入っていた。ちなみに忠告の主本人は、この数年後に投資話に担がれて一族の資産をほぼ失っている。
参考資料
- 半田英俊「明治13年 外債募集案否決の背景」『杏林社会科学研究』第37巻2号(2022年・日本語・PDF)
- イアン・オースティン「グラント大統領と明治天皇:財政と資本をめぐる対話と、その貿易・産業への長期的な影響」(経営史学会 第54回全国大会 報告論文)(2018年・英語・PDF)
- 星条旗新聞「ユリシーズ・S・グラントの日本訪問を振り返る」(2004年・英語)
- 全米人文科学基金『ヒューマニティーズ』誌「グラントを南北戦争の回想録に向かわせたもの」(2018年・英語)


コメント
日露戦争の時借りちゃったんだよなあ、これが。
戦前から借りた分を全て返し終わったのがつい最近だったっけか?
生殺与奪の権を他国に握らせるな。
1986年に返済が終わった。
1986年に返済が完了したみたい。
また、この借金があったからこそ、債権者のUKの意向が最優先されて
戦後処理がひどくならなかったという点もあるし。
国債は単純に借金とも言い切れないんだよね
明治以降日本は英国国債の大口保持者になった
これのおかげで英国と同盟、不平等条約解消、日露戦争も勝ってる時点で停戦、英国の最新の戦艦を建造輸入などとても大きなメリットがありました
日本帝国が短期間で強大になったのは英国がバックにいたのも大きな原因
当時の円はゴミだが英国ポンドの後ろ盾により信用得た
その後米国の日英分断策により同盟は解消され英米と対立するようになる
実にアメリカ中心主義らしいプロパガンダ
ただのお目通りに過ぎない史実に「ワシが忠告した」の一言を投入するだけで魔法のように他人の手柄を横取りする鮮やかな詐欺だ
関税自主権の否定は侵略行為だがそれにとどまらない
世界から全てを奪う算段しかしていなかった侵略者本人が盗っ人猛々しいとはこのこと
ソース元の写真、明治天皇じゃなくて中国訪問時じゃない?
グラントageのための話でしかないやろ
エジプト云々言ってるが、明治の日本からして明治維新のアレコレで「このままでは外国に奪われる、支配される」って危機感とかで動いてたんやから、当然世界情勢も見れる範囲で見ているし、そういう危惧に対しても危険視して警戒しててあたりまえやん
そういう日本の自民自決、独立主権固辞っていう流れがのちの強国主義のアメリカなんかと衝突して世界大戦へって流れやし
当時のアメリカは雑魚国家。今のオーストラリア以下だよ
>>1
「貸した方」は実は日露両方に貸してるから、どっちが勝っても儲かることに変わりはないんだよな
聖書が利子を禁止した理由がよくわかるぜ
実際の個人にも言えることだな
ちっちゃい借金は借主を縛るだけだが、巨大すぎる借金はむしろ貸主を縛る
借主に滅んでもらうと自分が大損するから、力を貸し続けるしかないという
どっちが上のなのか分からなくなる笑えない状況になる