けんかで眼鏡が割れ、破片で角膜に傷を負った近視の少年が、治ってみると前よりよく見えるようになっていた——。近視を手術で治す試みの出発点として、英語圏でよく紹介される話です。ただ、この逸話は出どころがはっきりせず、しかも日本ではその30年ほど前から、同じ発想の手術が行われていました。海外掲示板の反応とあわせて紹介します。
※注:少年の逸話は広く紹介されていますが、きっかけを「けんか」とする記事と「自転車での転倒」とする資料があり、細部は出典によって異なります。当時の論文や診療記録といった一次資料での裏付けは、今回確認できませんでした。この記事では「そう伝えられている話」として扱います。なお、この記事は手術の歴史を紹介するもので、治療の効果や安全性を評価するものではありません。
今日の知ってた?
👓 「割れた眼鏡の破片で角膜に傷がつき、治ってみたら近視が良くなっていた」——ソ連の眼科医スヴャトスラフ・フョードロフ(1927〜2000年)は、けんかでけがをした少年を診たのをきっかけに近視の手術を思いついた、と伝えられている。
🔍 その手術が放射状角膜切開術(RK)。角膜に車輪のスポークのような放射状の切り込みを入れて中央を平らにし、近視を弱める方法で、1970年代にソ連から世界へ広まった。
❓ ただし、逸話の裏付けははっきりしない。米公共ラジオNPRは2006年の記事でこの話を「医学の神話のような話」と呼び、「本当かどうかは分からない」と書いている。少年が「自転車で転んだ」とする資料もある。
🏥 角膜に切開を入れて近視を治す手術には、日本に先例がある。順天堂の眼科医・佐藤勉が1943〜1959年に行った「佐藤式近視手術」だ。
💡 現在のレーシックは、メスではなくレーザーで角膜を削る手術で、RKとは仕組みが違う。
背景:角膜に切り込みを入れる近視手術「RK」とは
近視は、目に入った光が網膜の手前で焦点を結んでしまう状態です。放射状角膜切開術(RK)は、目のいちばん外側にある透明な膜「角膜」に、中心部を残して放射状の切り込みを入れる手術でした。切り込みは角膜を貫通しない深さで、8本から16本ほど。こうすると角膜の中央が平らになり、光を曲げる力が弱まって、焦点が網膜に近づきます。
この手術を1970年代に広めたのが、モスクワの眼科医スヴャトスラフ・フョードロフです。NPRによれば、彼はまずウサギで実験を重ねて切り込みの本数と長さを割り出し、専用のダイヤモンド製のメスも設計しました。1982年の米誌『タイム』によると、フョードロフはこの年の国際学会で、自分の診療所では1日に20〜25件の手術をしていると説明しました。
フョードロフは、手術の進め方でも知られていました。NPRによると、彼はソ連国内や友好国に診療所を開き、「医療の工場」のように運営したそうです。キューバの診療所を見た米国の眼科医は、患者を乗せたベッドがステンレスの扉をくぐり、最初の執刀医の顕微鏡の下で止まる「ベルトコンベアのような」仕組みだったと振り返っています。執刀医は、それぞれ決まった工程だけを受け持ちました。ソ連の市民にとってこの手術は眼鏡より安く(費用は国の負担)、順番待ちは2年に及んだといいます。
手術は米国にも渡りました。1978年に米国で最初のRKが行われ、米国立眼研究所(NEI)によれば、件数は1989年の年間約3万件から、1994年には約25万件に増えています。その1994年、NEIが支援した追跡研究の、手術から10年後の結果が発表されました。両目に手術を受けた人の約7割が「遠くを見るのに眼鏡やコンタクトレンズを使っていない」と答えた一方、手術した目の43%で、度数が遠視の方向へ少しずつずれていく変化が続いていたと報告されています。翌1995年、米国でレーザーを使う別の方法が承認され、RKは新しい手術に置き換えられていきました。
もう少し詳しく
少年の逸話は、どこまで確かめられるのか。掲示板の投稿は「殴り合いのけんか」としていますが、英語版ウィキペディアの記事(2026年10月時点)では、少年は1974年に「自転車で転んだ」ことになっています。その記述には、2011年から「要出典」の印が付いたままです。角膜に傷をつけたのが眼鏡の破片なのか、破片を取り除くための医師の切開なのかも、資料によって違います。2006年のNPRの記事は、けんかの話を紹介したうえで、「本当かもしれないし、そうでないかもしれない。外科医であると同時に創意あふれるセールスマンでもあったフョードロフは、医学文献で過去の失敗例を読んで取り組み始めた、というほうがありそうだ」という趣旨のことを書いています。2019年の科学ニュースサイト「サイエンスアラート」は、フョードロフ本人が語った話として紹介しつつ、「作り話か事実かはともかく」と断っています。少年の名前や年齢を示した資料も、フョードロフ自身の言葉をじかに引いてこの話を伝える資料も、今回は見つかりませんでした。
本人は別のきっかけも語っている。1982年の『タイム』によれば、フョードロフはニューヨークでウディ・アレンの映画『スリーパー』(1973年)を見ました。冷凍睡眠から未来で目覚めた主人公も、彼と目が合う未来の医師も、眼鏡をかけている。それを見て「筋が通らない、と思った。どうすれば眼鏡をかけずに済むだろうかと考えた」と話しています。一方、2024年に眼科の専門誌『BMC Ophthalmology』に載った総説は、少年の話には触れていません。フョードロフは1960年に日本を訪れて佐藤(後述)の手術法を学び、1969年に別の医師が出した初期の成績を知って同僚と取り組み直し、1974年に患者への手術を始めた——という経緯を記しています。
先にあった日本の手術。角膜を切って形を変える試みは19世紀末からあり、オランダの眼科医レーンデルト・ヤン・ランスがウサギで系統立った実験をしています。これを近視の手術として本格的に行ったのが、順天堂大学で眼科の初代教授を務めた佐藤勉(1902〜1960年)でした。佐藤は1939年、円錐角膜(角膜が薄くなって前に突き出す病気)の患者の角膜に裏側から切開を入れると、角膜が平らになることを報告します。その後、角膜の表と裏の両面に放射状の切開を入れる近視手術を始めました。順天堂大学の学位論文の要旨によれば、この手術は1943〜1959年に順天堂医院で行われています。
ところが当時は、角膜のいちばん内側にある内皮細胞の役割が、まだ十分に分かっていませんでした。裏側からの切開がこの細胞を傷つけ、年月がたってから水疱性角膜症(角膜がむくんで濁る病気)を引き起こすことが、のちに判明します。前述の総説によれば、合併症が最初に記録されたのは、佐藤の没後15年たってからでした。2013年の順天堂大学の論文も、佐藤式の手術を受けた平均81.8歳の患者4人(5眼)に対する、角膜内皮の移植手術を報告しています。順天堂大学の眼科は公式サイトで、佐藤の手術について、手技の面で多くの課題を残した一方で、角膜内皮細胞の重要性や、角膜の形を変えて屈折を矯正するという考え方など、多くの知見を後世に残したと紹介しています。なお、フョードロフの方法は、角膜の表側だけに切り込みを入れるものでした。
レーシックとはどうつながるのか。レーシックは、角膜の表面を薄くめくって「ふた」を作り、その下をエキシマレーザーという紫外線のレーザーで削ってから、ふたを戻す手術です。土台になった技術は2つあります。ひとつは、スペイン出身の眼科医ホセ・イグナシオ・バラケルが、1950年代に移住先のコロンビア・ボゴタで開発した、角膜を薄く切り出して形を変える手術。もうひとつがエキシマレーザーで、1980年前後に米IBMの研究者たちが生体の組織を精密に削れることを見いだし、1983年に眼科医スティーヴン・トロッケルが目の手術への応用を持ちかけました。この2つを1990年前後に組み合わせたのが、ギリシャの眼科医イオアニス・パリカリスらです。
つまりレーシックは、RKの切り込みを改良して生まれたものではありません。ただ、接点はあります。トロッケルらは1985年、摘出された人の目を使い、ダイヤモンドのメスの代わりにエキシマレーザーでRKと同じ放射状の切開を入れる実験を発表しました。レーザーは初期には、RKのメスの代わりとしても試されていたわけです。「レーシックの前身」という言い方は、近視を手術で治す流れの先駆けという意味でなら当たっていますが、技術の系譜としては別の枝、ということになります。
フョードロフのその後。NPRによれば、RKが盛んだったおよそ20年のあいだに、ロシアと米国で100万人以上がこの手術を受けました。フョードロフ自身は人工の眼内レンズの分野でも先駆者のひとりで、ソ連崩壊後は実業家としても成功し、1996年にはロシア大統領選に立候補しています。2000年6月、ヘリコプターの墜落事故で亡くなりました。72歳でした。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
まさにこういうことが起きるから、眼鏡をかけたまま殴り合うなんて自分には考えられない。普通はまず外すだろ。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
いやあ、自分は目が悪すぎて、眼鏡を外したら相手に拳が当たる気がしないんだよな…。まあ、そもそも殴り合いをしないで生きてきたおかげで、今のところ困ったことはないけど。
3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
眼鏡をかけたまま殴られたことが3回あるけど、毎回、片方の耳から外れてぶら下がるだけだった。残りを自分で投げ捨てて、あとは80年代のゾンビ映画みたいに両腕を前に突き出して、次の一発をもらう前に相手にしがみつこうとしてたよ。
4. 海外の名無しさん
眼鏡の子をいじめるつもりで殴ったら、結果的に相手の視力を治してしまった——って想像すると、なんとも言えない気分になるな(笑)
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
『スポンジ・ボブ』のあれだ。顔を台無しにするはずが、イカルドがかえって男前になっちゃうやつ。
6. 海外の名無しさん(>>4への返信)
子どもの頃しょっちゅう顔を殴られては眼鏡を壊されてた身としては、自分の近視が治らなかったのがちょっと悔しい。うちの場合、増えたのは眼鏡の修理代だけだったよ。
7. 海外の名無しさん
ちょっと待って。そもそも、強い近視の子を相手に殴り合いをしたのは、いったいどこの誰なんだよ…。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
不意打ちだったんだろうね。文字どおり、見えてなかったわけで。
9. 海外の名無しさん
子どもの頃に見てたアニメでは、「眼鏡をかけてる相手を殴ったりしないよな?」ってセリフが定番だった。最近の作品ではすっかり見かけなくなった気がする。いつの間にか、世の中がそこを気にしなくなったのかな。
10. 海外の名無しさん
水を差すようだけど、この話、出どころがはっきりしないんだよね。けんかだったと書いてる記事もあれば、自転車で転んだと書いてる資料もある。話としてできすぎてるし、話半分に聞いておくのがいいと思う。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
フョードロフは、腕と同じくらい売り込みもうまい人だったらしいからね。アメリカの公共ラジオの記事も「本当かどうかは分からない」と書いてた。逸話は逸話として楽しむくらいが、ちょうどいいのかも。
12. 海外の名無しさん
投稿主さん、ありがとう。面白い話題なので補足させて。今のレーシックの成り立ちにもっと深く関わったのは、ホセ・イグナシオ・バラケルという眼科医だと思う。レーザーが登場するずっと前、20世紀の半ばから、刃物で角膜の形を変える手術に取り組んでいた人だよ。フョードロフの方式は90年代にはすたれてしまったしね。コロンビアにあるバラケルのクリニックは今も続いていて、私は20年前にそこで手術を受けたんだ。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
でも投稿のタイトルは「レーシックの前身」としか言ってないよ。レーシックそのものを作ったとは書いてない。まあ、レーシックの土台が50年代からの研究で、そこにレーザーの進歩が追いついた、というのはその通りだと思うけど。
14. 海外の名無しさん
近視を手術で治す道を1970年代に切り開いたのは、ソ連なんだよな。国が一生ぶんの眼鏡の面倒をみるより、若いうちに手術してしまうほうが安くつく、という理屈だったらしい。とはいえ、70年代のソ連製レーザーを自分の目に当てる勇気があるかと聞かれると…。
15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
レーザーは使ってないよ。角膜にメスで切り込みを入れたんだ。車輪のスポークみたいに、放射状にね。
16. 海外の名無しさん(>>14への返信)
しかも流れ作業だったんだよね。患者を乗せたベッドがベルトコンベアみたいに動いて、執刀医はそれぞれ決まった工程だけを担当する。昔のテレビ映像を見たことがあるけど、ほとんど工場だった。
17. 海外の名無しさん
切り込みで近視を治すという発想なら、日本のほうが早かったはず。佐藤という眼科医が1940〜50年代に、角膜の表と裏の両方から切開する手術をしていた。ただ、裏側の切開が原因で、だいぶ年月がたってから角膜が濁る人が出たそうで、眼科の歴史ではよく名前の出てくる話だよ。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
それは知らなかった。角膜の内側の細胞が大事だということが、当時はまだ分かっていなかったんだろうね。あとから振り返れば危うく見えるけど、その時代の知識の限界だったんだろうな。
19. 海外の名無しさん
素朴な疑問なんだけど、角膜を平らにすると、どうして近視が良くなるの?
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
近視の目は、角膜と水晶体を合わせた「光を曲げる力」が強すぎる状態なんだ。角膜を平らにすると、その力が弱まる。度の強い虫眼鏡だと近くのものしか見えないけど、度の弱い虫眼鏡ならもう少し遠くまで見える。それと同じ理屈だよ。
21. 海外の名無しさん
眼科医です。似た話をもうひとつ。第二次世界大戦のとき、操縦席の風防の破片が目に入ったパイロットたちの症例から、白内障の手術で入れる人工の眼内レンズにどんな素材が使えるかが分かったんだ。あのアクリル樹脂は、目の中で拒絶反応を起こさなかった。
※ 英国の眼科医ハロルド・リドリーの話として知られる。リドリーは1949年、ロンドンの病院で初めて人工の眼内レンズを入れる手術を行った。
22. 海外の名無しさん
私はこの手術を実際に受けた側。私の場合は傷あとが強く残ってしまって、大学病院では眼科医が10人くらい列を作って、私の目をのぞきに来た。切り込みの跡が放射状に残っているから、自分では「ピザの目」と呼んでる。
23. 海外の名無しさん
うちの父は、80年代にその放射状の手術を受けた世代。しばらくは裸眼で快適だったそうだけど、年を取ってから今度は近くが見づらくなって、結局また眼鏡をかけてる。本人は「あの頃はあれしかなかったからな」と笑ってるよ。
24. 海外の名無しさん
自分は数年前にレーシックを受けた。あくまで個人の感想だけど、これまでで一番いいお金の使い方だったと思ってる。ただ友人は「目にレーザーを当てるなんて、想像しただけで無理」と言って、ずっとコンタクトのまま。こればっかりは人それぞれだね。
25. 海外の名無しさん
偶然から生まれた発見は多いって言うけど、これは一歩間違えば失明していたかもしれない話だよね。自分なら絶対に引き受けたくない賭けだ。今の眼鏡のレンズはたいていプラスチック製で、昔のガラスほど派手には割れないだろうけど、それでも眼鏡をかけたままのけんかはやめておこう。
まとめ
けんかで眼鏡を割った少年の話は、細部が出典によって違い、一次資料での裏付けも確認できませんでした。確かめられたのは、角膜に切り込みを入れる近視手術が1970年代にソ連から広まったこと、日本ではそれより前に佐藤勉が同じ発想の手術を行っていたこと、レーシックは仕組みの違う別の系譜から生まれたことです。コメント欄には冗談に交じって、「話ができすぎている」「前身と呼べるのか」という冷静な指摘も並びました。
元ソース: レーシックの前身は、近視の少年が殴り合いのけんかをしたときに偶然見つかった。眼鏡が割れて破片が目に入り、医師がそれを取り除いたところ、細かな傷が角膜を平らにしていて、少年の近視が治っていた

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