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「彼女の日記だけが、いまも見つかっていない」アンネ・フランクの姉マルゴーも日記をつけていた…

「彼女の日記だけが、いまも見つかっていない」アンネ・フランクの姉マルゴーも日記をつけていた… 歴史

『アンネの日記』は、日本の教科書にも載る、世界でいちばん読まれた日記のひとつだ。だが、あの隠れ家にはもう一冊、いまも見つかっていない日記があったという。書いていたのは、アンネの3歳上の姉、マルゴー・フランク。妹の言葉が全世界に読まれる一方で、姉の言葉はどこにも残っていない。

※注:フランク一家が身を潜めたアムステルダムの建物の一室は、オランダ語で「アハターハイス(Achterhuis=裏の家)」、日本では『隠れ家』の名で知られる。

今日の知ってた?

📔 アンネ・フランクには、3歳上の姉マルゴー・フランク(1926年生まれ)がいた。アンネ自身の日記の記述から、マルゴーも自分の日記をつけていたことが分かっている。だがその日記は戦後ついに発見されず、今日では「失われた文学(lost literature)」と呼ばれている。姉妹はともに、1945年初め、収容所が解放される直前にベルゲン・ベルゼンで命を落とした。

背景:マルゴー・フランクという人

マルゴー・フランクは1926年、ドイツのフランクフルトで生まれた。フランク家の長女で、3歳下の妹がアンネだ。姉妹の性格はかなり対照的だったと伝えられる。明るくおしゃべりで、思ったことをすぐ口にするアンネに対し、マルゴーは物静かで成績優秀な、いわゆる「良い子」。将来は助産師になりたいという夢を持っていたともいわれ、彼女は彼女で、自分の人生をきちんと思い描いていた一人の少女だった。

そんな姉妹が隠れ家での日々を、それぞれ日記に書きつけていた。だが世に出たのは妹アンネの一冊だけ。マルゴーの日記は戦後の混乱のなかで行方が分からなくなり、その中身は今日に至るまで、誰の目にも触れていない。

もう少し詳しく

妹の日記は、偶然が守り抜いた。1944年8月4日、密告によって隠れ家は摘発される。床に散乱した書類の中からアンネの日記帳とメモを拾い集め、戦後まで隠し持って守り抜いたのが、一家を支え続けたミープ・ヒースら協力者たちだった。それが唯一生き延びた父オットーの手に渡り、のちの出版につながる。だがマルゴーの日記は同じ部屋にあったはずなのに、ついに見つからなかった。マルゴー自身が収容所へ持って行って失われたのか、助けてくれた人々の名を守るために自ら処分したのか——その最期は、今も分かっていない。

「日記」ではなく「作品」でもあった。アンネの日記は、途中から性格が変わっている。1944年、ロンドンの亡命政府の閣僚がラジオで「戦争の記録を残しておこう」と国民に呼びかけたのを聞き、アンネは自分の日記を『隠れ家』という一冊の本に仕上げるつもりで書き直しはじめた。つまり後半は、他人に読まれることを意識した回顧録に近い。姉のマルゴーが何を、どんなつもりで書いていたのかは、その手がかりごと失われてしまった。

一家を隠れ家へ追い込んだのは、姉宛ての一枚の紙だった。1942年7月5日、当時16歳のマルゴーのもとに、ドイツの労働収容所への「呼び出し状」が届く。オランダのユダヤ人移住局からの、10日以内に出頭せよという命令だった。一家がもともと予定していた隠れ家入りは7月16日。それを繰り上げ、翌7月6日の朝に家を出たのは、このマルゴーへの召集がきっかけだった。世界で最も読まれた日記が生まれる引き金を引いたのは、姉に届いた一枚の令状だった、ということになる。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
マルゴーは今年でちょうど100歳になるはずだった。それに合わせて、アムステルダムのアンネ・フランク・ハウスが彼女の生涯を紹介する特設サイトを公開している。「アンネの姉」ではなく、一人のマルゴーとして知ってほしい、という思いが伝わってくる。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
数週間前に実際にアンネ・フランク・ハウスへ行ってきた。順路のいちばん最後にマルゴーの展示があって、彼女も日記をつけていたこと、そしてそれが見つかっていないことが紹介されていた。静かで、ずっと胸に残る展示だった。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
あの家は本当に、教会の中みたいに静かなんだよな。列に並んでいる間はみんな喋っているのに、中に入った瞬間に誰も声を出さなくなる。人生で経験した中でも、いちばん厳粛な場所のひとつだった。

4. 海外の名無しさん
もしマルゴーの視点で、あの隠れ家の日々を読めていたら——とつい想像してしまう。今わたしたちが知っているのは全部アンネの目から見た世界で、同じ部屋にいた姉が何を感じていたかは、まったくの空白なんだよな。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
それは本当に思う。アンネは同居していたフリッツ・プフェファーを嫌っていて、日記では「デュッセル(=間抜け)」というあだ名で書いている。でも同じ人を、マルゴーはどう見ていたのか。同じ出来事でも、書き手が変われば景色は全然ちがったはずだ。

6. 海外の名無しさん
アンネがこれほど特別なのは、逆説的だけど「特別な子じゃなかった」からだと思う。ごくふつうの、どこにでもいる少女。彼女を一人の人間として見たとき、同じように消えていった何百万人も、みんな一人ひとりだったんだと気づかされる。

7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
だからこそ、マルゴーの日記を「アンネに次ぐ貴重な一冊」として特別扱いするのも、少し違う気がしている。失われたのはマルゴーの言葉だけじゃない。名前すら残らなかった人たちの、無数の日記や手紙も、同じように消えてしまったんだ。

8. 海外の名無しさん
実はこのマルゴーこそ、一家が隠れ家に入る直接のきっかけになった人なんだよな。1942年、16歳の彼女に労働収容所への呼び出し状が届いて、フランク一家は予定を繰り上げて姿を消した。

9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
そう考えると重い。世界でいちばん読まれた日記が生まれたのは、姉に届いた一枚の召集令状がきっかけだった。歴史というのは、こういう小さな紙切れ一枚で流れが変わってしまうんだな。

10. 海外の名無しさん
マルゴーは物静かで成績優秀な、いわゆる「良い子」で、明るくてよく喋るアンネとはかなり対照的だったらしい。将来は助産師になりたいという夢もあったそうで、ちゃんと自分の未来を描いていた一人の少女だったんだよな。

11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
アンネ自身も日記の中で、「マルゴーはいつも褒められて、私はいつも比べられる」みたいなことを書いていた気がする。姉妹あるあるが、あんな極限状況でも普通にあったんだと思うと、逆になんだか切なくなる。

12. 海外の名無しさん
「失われた文学」って言葉、大げさに聞こえるかもしれないけど、たぶん正確なんだと思う。フィクションだけが文学じゃない。一人の人間が本気で書き残そうとした記録も、立派に文学だよ。

13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
同意。しかも失われたのは有名な作家の原稿とかじゃなくて、ふつうの十代の女の子が綴っていた日々の言葉だ。そういうものが根こそぎ消えてしまうのが、あの時代のいちばん残酷なところだと思う。

14. 海外の名無しさん
意外と知られていないけど、アンネの日記は途中から「出版される本」として書き直されているんだよな。ただの秘密の日記じゃなくて、後から本人が推敲した回顧録にかなり近い。

15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
それ、1944年にロンドンの亡命政府がラジオで「戦争の記録を残しておこう」と国民に呼びかけたのを、アンネがラジオで聞いたのがきっかけらしいね。彼女は自分の日記を、一冊の本に仕上げるつもりだった。

16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
ちなみにその「戦争の記録を集める」という構想は、戦後のオランダで実際に形になっていて、NIOD(オランダ戦時資料研究所)として今も残っている。アンネの願いは、別のかたちでちゃんと実現したとも言えるんだよな。

17. 海外の名無しさん
学校の必読書だったから、アンネに姉がいたのは知っていた。でも、その姉も日記をつけていたっていうのは今日はじめて知った。今日の豆知識はまさにこれだ。

18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
うちの国でも必読書だったな。ただ世界的に見ると「読んだことがない」「姉がいたのも知らなかった」という人が想像以上に多いみたいで、それはそれで少し驚いた。

19. 海外の名無しさん
『アンネの日記』を「悲惨な状況で書かれたから価値がある」とだけ思っている人がいるけど、単純に文章がうまいんだよ。観察が鋭くて、ユーモアもある。だからこそ、マルゴーの筆はどんなだったんだろうと余計に気になってしまう。

20. 海外の名無しさん
アンネもマルゴーも、1945年の初め、ベルゲン・ベルゼンでチフスにかかって亡くなった。収容所が解放される、ほんの数週間前のことだ。あと少し時間があれば、という「時間の残酷さ」がずっと頭から離れない。

21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
生き延びたのは父のオットーだけだった。もし二人の娘の日記が両方とも残っていたら、彼はそれを並べて読めたのかもしれない。でも手元に戻ってきたのは、妹の一冊だけだった。想像すると言葉が出ない。

22. 海外の名無しさん
たとえ中身が永遠に分からなくても、「マルゴーも日記をつけていた」という事実そのものが大事だと思う。彼女にも、書き留めておきたい内面の世界がちゃんとあった、ということなんだから。

23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
完全に消えてしまったわけでもないんだよ。戦前にマルゴーがアメリカの文通相手に宛てて書いた手紙が何通か残っていて、公開されている。日記そのものは失われても、彼女自身の言葉が、ほんの少しだけこの世に残っているんだ。

24. 海外の名無しさん
特設サイト、見てきた。マルゴーを「アンネの姉」という括りじゃなく、助産師を夢見た一人の女性として紹介していて良かった。誰かの付属品としてじゃなく、彼女自身として覚えておきたいと思った。

25. 海外の名無しさん
「失われた」と口にするたびに思うのは、消えたのは一冊の本じゃなくて、一人の人間の世界まるごとなんだ、ということ。マルゴーの日記の話は、それをそっと思い出させてくれる気がする。

まとめ

世界でいちばん読まれた日記のすぐ隣に、いまも見つからないもう一冊の日記があった——姉マルゴー・フランクの日記だ。コメント欄には、彼女の視点であの隠れ家を読めていたら、と想像する声、消えたのは一人の言葉だけではないと気づく声、そしてアンネの日記が生まれた背景(出版を意識した推敲、マルゴーへの召集令状)をたどる知識の共有まで、しみじみとした反応が並んだ。「失われた文学」という言葉が指すのは一冊の本ではなく、一人の少女が生きた世界そのものなのだ、と多くの人が受け止めていた。

元ソース: 豆知識:アンネ・フランクには姉マルゴーがいた。アンネの日記によれば姉も日記をつけていたが、その日記は見つかっておらず「失われた文学」とされている

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