「砲弾で右腕を失ったあと、ばねで指が動く鉄の手を作らせて戦場に戻った」16世紀ドイツの騎士の話

「砲弾で右腕を失ったあと、ばねで指が動く鉄の手を作らせて戦場に戻った」16世紀ドイツの騎士の話 人物・偉人

右腕を失った男が、鍛冶職人に鉄の手を打たせた。指は一本ずつ関節で折れ曲がり、内側に仕込まれたばねと歯止めで位置が保たれる。使うときは残った左手で指を押し込み、握りたい形を決めて固定する。16世紀のドイツにこれを注文した騎士がいて、しかも彼はそのあと数十年にわたって戦場に立ち続けた。名前をゴットフリート・フォン・ベルリヒンゲン、通称ゲッツという。

※注:当時のドイツ語圏は「神聖ローマ帝国」という枠組みの中にあった。皇帝はいたが中央集権の国家ではなく、大小数百の領邦・司教領・自由都市がそれぞれ自前の兵と裁きを持ち、隣同士で争いながら緩くまとまっている状態を指す。戦場の主力になりつつあったのは、ランツクネヒトと呼ばれる、報酬と引き換えに雇われる長槍歩兵の集団だった。ゲッツは彼らと同じく「雇われて他人の戦に加わる」側に立ちながら、身分としては帝国に直属する騎士という、少し変わった立場の人物である。

今日の知ってた?

📏 16世紀ドイツの騎士ゴットフリート(ゲッツ)・フォン・ベルリヒンゲンは、砲弾によって右腕を失ったあと、ばねで指の動く鉄の義手を作らせ、傭兵として数十年にわたり戦い続けた。義手の指は関節ごとに曲がり、もう片方の手で位置を決めて固定する仕組みだったとされる。彼は「鉄の手のゲッツ」と呼ばれ、60代になってもなお従軍し、80歳を過ぎるまで生きた。

背景:騎士が自分の戦争を持っていた時代

16世紀初めのドイツ語圏は、ひとつの国というより、数百の単位に割れた土地の集まりだった。皇帝を頂点に据えた形はあるものの、実際に兵を養い、道を封鎖し、隣の領主と揉めれば自力で決着をつけるのは、それぞれの領邦や都市の側である。この時代、貴族には「フェーデ」と呼ばれる私闘の権利が形の上でまだ残っていた。手続きを踏んで相手に宣告すれば、自分の権利のために武力で報復すること自体は、必ずしも無法とは見なされなかったのである。

ただし、その足元は急速に崩れつつあった。皇帝の側は帝国全体に及ぶ平和令を出して私闘を禁じようとし、都市の商人たちは街道の安全を求めていた。同時に戦場そのものも変わっていく。重い甲冑をまとった騎士が馬で突撃して決着をつける戦い方は、密集した長槍歩兵と、火薬を使う武器の前で急速に価値を落としていた。この記事の主人公が右腕を持っていかれたのも、まさにその火薬の側の兵器、大砲によってである。

※ フェーデ:中世からドイツ語圏に残っていた、貴族が自分の権利のために私的な戦いを仕掛ける慣行のこと。訴える先の裁判所が実質的に機能していなかった時代の名残で、16世紀には皇帝によってたびたび禁じられ、しだいに違法な暴力として扱われるようになっていった。

職を失いつつあった騎士たちが向かった先のひとつが、傭兵である。自分の領地の収入だけでは立ち行かないので、金と引き換えに他人の戦争へ加わる。ゲッツもその流れの中にいた。彼は生涯にわたって雇い主を変えながら戦い続け、その合間に自分自身の私闘を仕掛け、そして晩年には、自分の一生をかなりの分量の文章にして書き残している。彼について同時代の他の騎士よりも詳しいことが分かっているのは、この本人の記録が残っているからである。

もう少し詳しく

腕を切ったのは、砲弾ではなく自分の剣だったと伝えられている。元スレッドで早い段階に出ていたのがこの話である。砲弾が腕をそのまま持っていったのではなく、着弾の衝撃で自分の剣が押し込まれ、その剣が腕を断ったのだという。ある書き込みは「砲弾を剣で受け止めようとした、という筋書きだったらもっと格好よかったのに」と冗談を書いていた。実際には、そこまで劇的な立ち回りがあったわけではないらしい。

鉄の手は「握る」道具ではなく、「形を決めて留めておく」道具だった。元スレッドの表題にあるとおり、この義手は指がばねで動く、当時としてはかなり込み入った機構を持っていた。ただし、生身の手のように自分の意思で握ったり開いたりできたわけではない。指は関節ごとに折れ曲がるようになっていて、使う側が反対の手で位置を決め、そこで固定する。つまり作業の前にあらかじめ「この形」と決めて組んでおき、必要がなくなれば解除する、という使い方である。手綱を握らせておく、盾を保持させておくといった用途を考えれば、それで十分に用は足りた。

細部については、コメント欄でかなり突っ込んだ訂正が入った。詳しい人物の書き込みによれば、義手は一つではなく二つ作られている。最初のものは造りが粗く、人差し指と中指、薬指と小指がそれぞれ二本ずつ組になって動き、親指はそれと逆向きに動いて物を挟んだ。握りは手の甲側の部分を押すと緩む仕組みだったという。ただしこの一つ目は剣やペンを持てるほどのものではなく、盾や手綱を保持する用途に限られたと見られている。二つ目はより精巧で、指が一本ずつ独立して曲がり、決めた位置が解除するまで保たれた。こちらはペンを持つことはできたが、剣となるとやはり無理だった、というのがその説明である。繊細な造りゆえに戦場には向かず、地元では「日曜の手」、つまりよそ行きの手と呼ばれていたとも書かれていた。本人が字を書くときに使っていたのは、残っていた左手のほうである。

それでも、戦い続けたこと自体は誇張ではない。右腕を失ったのは20代半ばの頃とされ、そこから彼の経歴はむしろ長くなる。雇い主を変えながら各地の戦に加わり、60代になってもまだ従軍していた。元スレッドでもっとも多くの人が驚いていたのは、義手の機構よりもこの一点だった。麻酔も消毒の概念もない時代に腕を切断されて生還し、そのうえ半世紀近く現役でいて、最後は80歳を過ぎるまで生きている。「どこかで計算が間違っているとしか思えない」という感想が並んでいた。

英雄譚として磨き上げるには、経歴に血の匂いが濃すぎる。コメント欄には、彼を無条件に持ち上げることへの冷ややかな視線も一定数あった。傭兵として数十年ということは、要するにそういう職業を選び続けたということでもある。私闘を仕掛け、身代金を目当てにした誘拐にも手を染め、聖職者をさらって破門された記録まで残っている、という指摘があった。晩年は城で回想録を書きながら過ごした、という締めくくり方は確かに絵になるが、そこに至るまでの数十年は決して牧歌的なものではない。

200年後、若きゲーテが彼を舞台に載せた。この人物の名前が今日まで残っている最大の理由は、おそらく義手ではない。1773年、まだ二十代前半だったゲーテが、本人の回想録を下敷きにした戯曲『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』を発表し、これが世に出るきっかけとなる作品になった。自分の一生を書き残した騎士がいて、200年後にそれを読んだ若い作家が舞台に載せ、そこから国民的な知名度がついた、という流れである。

そしてドイツでは、彼の「あの一言」が今も生きている。戯曲の中で彼が言い放つ台詞のひとつが、そのまま悪態として定着した。訳すと品がないのでここでは伏せておくが、身体の一部を持ち出して相手を完全に突き放す、たいへん直截な文句である。ドイツ語圏では「ゲッツの引用」と言えばそれだけで通じ、地域によっては「シュヴァーベンの挨拶」とも呼ばれる。さらにややこしいことに、モーツァルトがこの同じ文句をそのまま題にした6声のカノンを書き残している。作曲はゲーテの戯曲のおよそ9年後にあたり、この言い回しが世に広まっていった順序としても筋が通る、とコメント欄では指摘されていた。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
この人、鉄の手の話ばかりが有名だけど、正直そこは人生の一部でしかない。腕を失う前も後もやっていることが桁外れで、読み進めるほど話が大きくなっていく。誰か映画にしてほしい。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
自分が一番びっくりしたのは寿命だった。60代になってもまだ戦場に出ていて、最終的に80歳を過ぎるまで生きている。同時代の平均から見ると、どこかで計算が間違っているとしか思えない数字だ。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
晩年は城にこもって自分の回想録を書いていたらしい。しかもかなりの分量を残していて、そのおかげで彼については同時代の他の騎士よりずっと詳しいことが分かっている。ペンを持っていたのは左手のほうだ。

4. 海外の名無しさん
みんな鉄の手に感心しているけど、自分が一番すごいと思ったのは、16世紀に腕を切断されて生き延びたことのほうだ。麻酔もなければ消毒という発想もない。義手の話は、その難関を突破したあとにようやく始まる。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
当時の止血は焼けた鉄を押し当てるか、煮えた油を注ぐかだったと聞いた。処置そのものが拷問みたいなもので、それを耐えてもそのあと傷が化膿すればだいたい終わり。運の要素が大きすぎる。

6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
そう考えると「砲弾で腕を失ったので鉄の手を作らせた」という一文には、ものすごく重い前提が省略されているんだよな。そこまでたどり着けた人がほとんどいなかった、という前提が。

7. 海外の名無しさん
腕を失った経緯も普通じゃない。砲弾が直接腕を持っていったのではなく、着弾の衝撃で自分の剣が押し込まれ、その剣が腕を断ったのだと伝えられている。自分の得物にやられたわけだ。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
砲弾を剣で受け止めようとした、という筋書きだったらもっと格好よかったのにと思ってしまった。実際にはただ近くに落ちただけなんだろうけど、こういう話は勝手に脚色されながら広まっていく。

9. 海外の名無しさん
ドイツ語圏の人間として一点だけ。ゲッツというのはゴットフリートの愛称であって、まったく別の名前ではない。自分もこれを知ったのは大人になってからで、長いこと二人の別人だと思い込んでいた。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
英語でロバートがボブになるのと同じ理屈だね。愛称のほうが短くて呼びやすいから、結局そっちだけが歴史に残ってしまう。正式な名前で呼ばれる機会が本人の生前からほとんどなかったんだろうな。

11. 海外の名無しさん
細かい話で恐縮だけど、この件はかなり誤解が広まっているので書いておきたい。彼の鉄の手は一つではなく二つ作られている。最初のものは造りが粗く、人差し指と中指、薬指と小指がそれぞれ二本ずつ組になって動いた。親指はそれと逆向きに動いて物を挟み、握りは手の甲側を押すと緩む仕組みだった。ただしこれで剣やペンを持てるほどではなく、盾や手綱を保持する用途だったと考えられている。二つ目はもっと精巧で、指が一本ずつ独立して曲がり、決めた位置が解除するまで保たれた。こちらはペンは持てたが、それでも剣は無理だったとされている。

12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
その二つ目のほうは、地元では「日曜の手」と呼ばれていたと読んだことがある。要するによそ行きだ。繊細な造りだから戦場には持ち出さないし、そもそも本人は普段からほとんど着けていなかったらしい。

13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
戦場で使えなかったからといって、価値が下がる話でもないと思う。歯車もばねも手作業で作っていた時代に、指を一本ずつ独立して固定できる機構を組み上げた職人がいたわけで、自分はむしろそっちに感心した。

14. 海外の名無しさん
創作で腕を失った戦士を出すと「非現実的だ」と言われることがあるけれど、実在の記録が普通に残っているんだよな。しかも義手の現物と図まで残っている。現実のほうが先を行っている例だと思う。

15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
公平に言うと、これは当時としても相当な例外だった。例外だったからこそ500年経った今も名前が残っていて、こうしてまとめの題材になっている。ただ、創作なら例外を主役にしてもいいはずだとは思う。

16. 海外の名無しさん
ゲーテがこの人を主人公にした戯曲を書いている。1773年、まだ二十代前半の頃の作品で、これが世に出るきっかけになった。題名はそのまま『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』だ。

17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
その戯曲の元になったのが、さっき出ていた本人の回想録なんだよ。自分の生涯を書き残した騎士がいて、200年後にそれを読んだ若者が舞台に載せて、そこからさらに国民的な知名度がついた。流れがきれいすぎる。

18. 海外の名無しさん
ここまで誰も書いていないので言うけれど、ドイツでの彼の知名度の大半は、実は鉄の手ではなく「あの一言」のほうに由来している。訳すと品がないので伏せておくが、身体の一部を持ち出して相手を完全に突き放す、あの決まり文句だ。今でも現役で使われている。

19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
モーツァルトが同じ文句をそのまま題にした6声のカノンを残しているのが、また輪をかけてひどい。しかもゲーテの戯曲より9年ほどあとで、あの言い回しが世に広まっていった順序としても筋が通っている。

20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
学校で習うのは戯曲のほうなんだよ。でも誰も教えないのに、あの一言だけは国民全員が知っている。授業でこの名前が出た瞬間に教室の後ろのほうがにやにやし始めるのは、たぶん今も変わっていないと思う。

21. 海外の名無しさん
鉄の義手の剣士と聞いて、真っ先に思い浮かべた漫画があるという人はかなり多いと思う。自分もこのスレッドを開いた瞬間にその話を探しに来たし、案の定その手の書き込みで埋まっていた。

22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
あれは偶然だと作者本人が説明している。連載を始めた時点でこの騎士のことは知らず、数年経ってから読者に指摘されて初めて存在を知ったそうだ。主人公の名前もドイツ語由来ではなく、そのまま度胸という意味で付けられている。

23. 海外の名無しさん
格好いい話として消費されがちだけど、傭兵として数十年というのは、要するにそういう職業を選び続けたということでもある。私闘を仕掛け、身代金目当ての誘拐もやり、聖職者をさらって破門された記録まで残っている。英雄譚にするには血の匂いが濃すぎる。

24. 海外の名無しさん(>>23への返信)
当時はフェーデといって、貴族が自力で報復戦を仕掛ける権利が形の上ではまだ残っていた。皇帝の側はそれを禁じたがっていて、彼は何度もその線を踏み越えている。今の感覚でいう犯罪とも少し違う、微妙な立ち位置なんだ。

25. 海外の名無しさん(>>24への返信)
そういう時代に普通の人がどう暮らしていたのかを想像すると、そっちのほうが落ち着かなくなる。旅に出れば襲われるかもしれない、丘の向こうから誰か来て村ごと焼かれるかもしれない。今も世界の一部はそうなのだと言われれば、それまでの話ではあるけれど。

まとめ

16世紀ドイツの騎士ゴットフリート、通称ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンは、砲弾によって右腕を失ったあと、ばねで指の動く鉄の義手を作らせ、傭兵として数十年にわたり戦い続けた。指は関節ごとに曲がり、もう片方の手で形を決めて固定する仕組みだったとされる。60代になってもまだ従軍し、最後は80歳を過ぎるまで生きている。

コメント欄では、義手が実は二つ作られていたこと、二つ目は精巧すぎて戦場には向かず「日曜の手」と呼ばれていたことなど、細部への訂正が丁寧に入っていた。

麻酔も消毒もない時代に腕を切断されて生還したこと自体が最大の難関だったという冷静な指摘もあれば、私闘と誘拐と破門で埋まった経歴を英雄譚にするのは無理があるという声もある。そして話題は必ず、ゲーテの戯曲と、そこから今日まで生き延びてしまったドイツ語の悪態へと流れていくのだった。

元ソース: 16世紀ドイツの騎士ゴットフリート・フォン・ベルリヒンゲンは砲弾で右腕を失ったあと、ばねで指が動く精巧な鉄の義手を作らせ、剣を握り馬に乗って、その後も数十年にわたり傭兵として戦い続けた

コメント

  1. Reddit名無しさん より:

    ガッツの元ネタやん