「ドイツ系の名前が誇りでなくなる日も遠くない」血統を問われた『指輪物語』の作者トールキンが書いた返信の下書きは2通。送られたのはどちらだった…?

「ドイツ系の名前が誇りでなくなる日も遠くない」血統を問われた『指輪物語』の作者トールキンが書いた返信の下書きは2通。送られたのはどちらだった…? 人物・偉人

「arisch という語で何をおっしゃりたいのか、私にはよく分かりません」。arisch はドイツ語で「アーリア人の」という意味です。1938年、『ホビットの冒険』のドイツ語版を出そうとした出版社から、アーリア人の血統であることの確認を求められた作者J・R・R・トールキンは、返信の下書きにそう書きました。トールキンの本職は、オックスフォード大学で古い言語を教える教授です。言語学の世界で「アーリア」は、インド・イラン系の言語を指す用語でした。出版社はその道の専門家に向かって、学術用語を別の意味で使った問い合わせを送ったことになります。海外掲示板では文面に喝采が集まる一方、「実際に送られたのは別の1通らしい」という指摘も入りました。

※注:元スレッドのタイトルは、「ベルリンの出版社」に「皮肉をこめた返事を書いた」という紹介です。資料で確かめると、この出版社(リュッテン・ウント・レーニング社)の当時の所在地は、ベルリンの南西に隣り合うポツダムでした。また、トールキンは返信の下書きを2通書いて、どちらを送るかを英国の出版社に任せています。よく引用される痛烈な文面は英国側に残っていたほうで、ドイツへ送られたのはもう1通の短い下書きだったとされています。この記事では、「下書きにこう書いた」ことと「実際に送られた」こととを分けて紹介します。

※注:手紙の引用は、英語の原文から当サイトで訳したものです。トールキンは英語の手紙のなかに、arisch などいくつかの単語をドイツ語のまま書き込んでいます。

今日の知ってた?

📮 1938年7月、ドイツの出版社リュッテン・ウント・レーニング社が、『ホビットの冒険』のドイツ語版の話を進める前提として、作者J・R・R・トールキンに「アーリア人の血統であること」の確認を求めた。

✍️ トールキンは7月25日付で返信の下書きを2通書き、どちらを送るかを、英国の出版社アレン・アンド・アンウィン社のスタンリー・アンウィンに任せた。

📜 現存する1通には、「私はアーリア系、つまりインド・イラン系の出ではありません」とある。ユダヤ系かどうかを尋ねているのなら、という前置きに続けて、「あの才能ある民族の先祖が、私には一人もいないらしいのを残念に思います」とも書かれている。

❓ ドイツへ送られたのは、もう1通の短い下書きだったとされる。その手紙は見つかっておらず、正確な文面は分かっていない。

📚 契約はまとまらず、『ホビットの冒険』のドイツ語版が出たのは、19年後の1957年だった。

背景:トールキンと「アーリア人の証明」とは

J・R・R・トールキン(1892〜1973年)は、『ホビットの冒険』と『指輪物語』の作者として知られる英国の作家です。ただし本職は言語学者で、1925年から1945年まで、オックスフォード大学でアングロサクソン語(古英語)の教授を務めていました。古英語をはじめとするゲルマン系の古い言語と、その言葉で書かれた神話や伝説を研究していた人です。第一次世界大戦では英国陸軍の将校になり、1916年にフランスの戦線へ送られています。

『ホビットの冒険』は1937年9月21日、英国のジョージ・アレン・アンド・アンウィン社から出版されました。翌1938年、同社はドイツ語版について、ドイツの出版社リュッテン・ウント・レーニング社と交渉を進めます。そのさなか、7月22日付の手紙がドイツ側からトールキンに送られました。ドイツ語版に関心はあるが、話を進める前に、あなたがアーリア人の血統であることを確認してほしい、という内容です。

背景には当時のドイツの事情があります。ナチス政権のもとで、ユダヤ系の人々は出版の世界から締め出されていました。アレン・アンド・アンウィン社を率いていたスタンリー・アンウィンは、このあとトールキンに送った返信で、ドイツの法律では、出版社は著者がユダヤ人でないことを証明しなければならないのだ、と説明しています。

問い合わせをしたリュッテン・ウント・レーニング社そのものも、この流れの当事者でした。ドイツ語版ウィキペディアによると、同社は1844年にフランクフルトで創業した出版社です。1936年、ユダヤ系だった経営者の2人が、文筆と出版を統制していた当局から、会社を「アーリア人」の出版者に売るか、廃業するかを迫られました。会社はポツダムの出版者に売却されてポツダムへ移り、「ユダヤ系」や「国際的」とみなされた著者は刊行リストから外されています。トールキンに手紙が送られたのは、その2年後のことです。

そして「アーリア」という語です。もとは古代のインドやイランの人々が自分たちを呼んだ言葉で、19世紀の言語学では、インド・イラン系の言語を指す用語として使われました。のちに、インドからヨーロッパにまたがる言語グループの祖先全体を指す使い方も広まります。1850年代にはフランスの著述家ゴビノーが「アーリア人種」という考えを唱え、これがやがてナチスの人種論の土台になりました。当時のドイツで「アーリア人」は、事実上「ユダヤ人ではない者」を意味する言葉として使われていました。古い言語の研究者だったトールキンは、この語の本来の意味をよく知る立場にいました。

もう少し詳しく

トールキンの最初の反応。トールキンは7月25日、まずスタンリー・アンウィンに宛てて手紙を書きました。ドイツから来た手紙を同封し、こう尋ねています。「私がこの無礼を受けるのは、ドイツ系の名前を持っているせいでしょうか。それとも、あの国の正気とは思えない法律は、あらゆる国のあらゆる人間に arisch の血統証明を求めているのでしょうか」。

自分としては証明(手紙ではドイツ語で Bestätigung と書いています)など出さずに済ませ、ドイツ語訳は流れてしまってかまわない、という気持ちだ、とトールキンは続けます。「出そうと思えば出せるのですが」と、かっこ書きで断ったうえでのことです。理由も添えられていました。「ユダヤの血が(おそらく)まったく入っていないことを、必ずしも名誉だとは思いません。私にはユダヤ人の友人が大勢いますし、あのまったく有害で非科学的な人種論に私が賛同している、という見方に少しでも根拠を与えることになれば残念です」。

とはいえ、ドイツ語版が出るかどうかは、英国の出版社の仕事にも関わります。トールキンは「いちばんの当事者はあなたですから、あなたの了承なしにドイツでの出版の機会を危うくするわけにはいきません。そこで、返事の案を2通お送りします」と書き、どちらを使うかをアンウィンに任せました。

現存する下書きに書かれていること。2通のうち、いま読めるのは1通だけです。トールキンの手紙を集めた書簡集(ハンフリー・カーペンター編、1981年刊)に収められています。そこに載っている文面は、礼を述べたあと、こう始まります。「残念ながら、arisch という語で何をおっしゃりたいのか、私にはよく分かりません。私はアーリア系、つまりインド・イラン系の出ではありません。私の知るかぎり、先祖のなかにヒンドゥスターニー語やペルシャ語、ロマの言葉、あるいはその同系の方言を話した者は一人もおりません」。

言語学の用語としての「アーリア」に、文字どおりに答えてみせたわけです。そのうえで、相手が本当に聞きたいことに話を移します。「ですが、お尋ねの趣旨が、私がユダヤ系かどうかということでしたら、こうお答えするほかありません。あの才能ある民族の先祖が、私には一人もいないらしいのを残念に思います」。

続けてトールキンは、高祖父が18世紀にドイツから英国へ渡ってきたこと、自分の血筋の大半は英国のもので、自分は英国の臣民であること、それで十分なはずだということを書いています。先の大戦(第一次世界大戦)では英国軍に加わったが、そのあいだもドイツ系の名前を誇りにしてきた、とも。そして、こう付け加えました。「この種の無礼で的外れな問い合わせが文学の世界の決まりごとになるのなら、ドイツ系の名前が誇りの源でなくなる日も、そう遠くはないでしょう」。

結びでは、この問い合わせは自国の法律に従うためのものなのだろうと認めつつ、それを他国の国民にまで当てはめるのは筋違いだ、と書いています。そもそも血統は作品の価値と何の関係もない。その価値については、私の Abstammung(ドイツ語で「血統」)を持ち出すまでもなく、すでにご納得のようですが——という一文で、下書きは終わります。

実際に送られたのはどちらか。ここが、この話でいちばん誤解されやすいところです。上の痛烈な文面は、英国の出版社の側に残っていた下書きです。トールキンの書簡を1通ずつ整理している目録サイト「トールキン・コレクターズ・ガイド」は、研究者がまとめた年譜などを典拠に、アンウィンがドイツへ送ったのは「2通目の、短いほうの手紙」だったと記しています。同サイトの整理では、書簡集に載っている痛烈な文面は、長いほうの下書きにあたります。アンウィンは7月28日付の返信で、トールキンの手紙はこの事務所で大いに愉快がられ、満足の種にもなった、と伝えていました。

送られたほうの手紙は、いまも見つかっていません。米国の文芸サイト「リテラリー・ハブ」は、もう1通は血統の確認の求めに触れない内容だったと紹介したうえで、どちらが送られたのかははっきりしない、と書いています。資料によって書き方に濃淡はありますが、痛烈な版が「ドイツの出版社に届いた」と言える根拠は見当たりません。確かなのは、トールキンがこの文面を書き、送ってかまわない案のひとつとして出版社に預けた、というところまでです。

その後について分かっていることは多くありません。同じ目録サイトによると、8月9日の時点でトールキンはドイツの出版社から返事を受け取っていて、どう答えるかをアレン・アンド・アンウィン社の担当者に相談しています。結局、契約は結ばれませんでした。

ドイツ語版が出るまで。『ホビットの冒険』の最初の外国語訳は、1947年のスウェーデン語版です。ドイツ語版は1957年、ヴァルター・シェルフの訳で、レックリングハウゼンのパウルス出版社から刊行されました。最初の題は『Kleiner Hobbit und der große Zauberer』(小さなホビットと偉大な魔法使い)。1938年の問い合わせから19年がたっていました。

3年後、息子への手紙。トールキンの怒りは、その後の手紙にも残っています。第二次世界大戦のさなかの1941年6月9日、息子のマイケルに宛てた手紙にはこうあります。「私はこの戦争で、あのいまいましい無知な小男アドルフ・ヒトラーに、燃えるような個人的な恨みを抱いている」。続けて、ヒトラーは「あの気高い北方の精神」を「台なしにし、ねじ曲げ、誤った使い方をして、永久に呪われたものにしている」と書きました。その精神のことをトールキンは、ヨーロッパへのこの上ない貢献であり、自分がずっと愛し、本来の姿で示そうとしてきたものだ、と呼んでいます。

ゲルマン系の古い言葉で書かれた神話や伝説は、トールキンが研究者として向き合ってきたものでした。それを歪められたことへの憤りが、短い文面から伝わってきます。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
手紙の文面を貼っておくね。「先祖にヒンドゥスターニー語やペルシャ語を話した者は一人もおりません」と大まじめに答えたあとで、「ユダヤ系かというお尋ねなら、あの才能ある民族の先祖がいないらしいのを残念に思います」と続くんだ。3年後には息子あての手紙で、ヒトラーを「あのいまいましい無知な小男」と呼んで、愛してきた北方の精神をねじ曲げられたことへの「燃えるような個人的な恨み」を書いている。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
ヒトラーのしたことを「ねじ曲げた」と書いているのが、いかにもこの人らしい。もともと気高かったものを歪めてしまうのが悪だ、という見方は、作品に出てくる悪の描き方とそのまま重なるよね。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
トールキンは言語学者で、インドからヨーロッパに広がる言語の祖先をめぐる研究の歴史にも通じていたんだ。ナチスが好んだ「アーリア人種」の説は、その研究から派生したものだった。つまり、ナチスの言い分がでたらめだと知っていただけじゃない。専門家として、なぜでたらめなのかを正確に分かっていたんだよ。

4. 海外の名無しさん(>>2への返信)
言葉の達人だよね。それも英語だけじゃないし、いま使われている言語だけでもない。『指輪物語』も『シルマリルの物語』も、もとをたどれば、趣味で作っていた架空の言語に、それを話す人々と世界を用意したようなものなんだから。

5. 海外の名無しさん
見ただけで分かるはずの「優れた血統」を、わざわざ手紙で本人に問い合わせないと確かめられない。その時点で、理論のほうが自分で破綻を認めているようなものだと思う。

6. 海外の名無しさん
トールキンほどの言語学者に向かって、血統だの民族の伝統だのを問いただす。ロバが、鳴き声の美しい小鳥ナイチンゲールに歌い方を教えようとしているようなものだよ。

7. 海外の名無しさん
言葉だけで相手を仕留めた名文、というやつだね。見事としか言いようがない。これを受け取った出版社の人がどんな顔をしたのか、その場で見てみたかった。

8. 海外の名無しさん
この手紙はトールキン関連の話題でときどき引用されるんだけど、ひとつ押さえておいてほしいことがある。トールキンはこの文面と、もう少し角の立たない文面の2通を英国の出版社に渡して、どちらを送るかは出版社に決めさせたんだ。

9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
リンク先の記事には、英国の出版社あての手紙も一緒に載っているよ。本人が「返事の案を2通お送りします」と書いている。

10. 海外の名無しさん(>>8への返信)
補足すると、よく出回っているこの文面は、英国に残っていたほうなんだ。書いたのは間違いなくトールキン本人。でも「ドイツの出版社にこれを送りつけた」という形で広まっている話は、そのままでは正しくない。

11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
自分が読んだ記事には、どちらが送られたのかは実は分かっていない、と書いてあった。ただ、こっちを送ったとは考えにくいよね。それでも、トールキンの頭の中をのぞける資料としては十分に面白い。

12. 海外の名無しさん(>>10への返信)
もう1通は英国の出版社の書類から見つかっていないそうだから、送られたのはたぶんそっち。もっと外交的な文面だったのかもしれない。

13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
外交的なほうだったなんて、できれば信じたくないなあ。こっちが届いていてほしかった。

※注:本文で紹介したとおり、現存するのは英国の出版社側に残っていた痛烈な下書きだけです。ドイツへ送られたのはもう1通の短い下書きだったとされていますが、その手紙は見つかっておらず、文面は分かっていません。

14. 海外の名無しさん
モルドールの炎より熱い皮肉だった。ひとつの政権をまるごと相手にしているのに、文章は最後まで格調高いまま。これは真似できない。

※注:モルドールは『指輪物語』に登場する、火山のある闇の国です。

15. 海外の名無しさん
要約すると、とびきり丁寧な言葉づかいで「どうぞお引き取りを」と言っているだけなんだよね。

16. 海外の名無しさん
この人のことだから、「それなら自分でドイツ語に訳します」と言い出すんじゃないかと、半分くらい本気で思った。

17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
ドイツ語の単語を、わざわざそのまま手紙に混ぜて返しているくらいだしね。「そちらの言葉は分かっていますよ」という圧を感じる。

18. 海外の名無しさん
血統や忠誠心で人をふるいにかける体制の弱点が、小さく表れた話だと思う。勝手に決めた基準に合わない有能な人を自分から締め出して、従順なだけの人を引き上げてしまう。ドイツの読者は名作を読む機会を19年も逃したわけだし、アインシュタインが国を去ったのも同じ理屈だよね。

19. 海外の名無しさん
エルフは色白でモルドールは暗いから、トールキンは差別的な作家だ、という意見をいまでも見かける。でも、光が善で闇が悪、夏は良い季節で冬は暗い季節、という象徴はキリスト教のなかにずっと昔からあるもので、20世紀の人種をめぐる議論よりはるかに古いんだ。

20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
光が善で闇が悪というのは、肌の色とは関係ないよね。アフリカのさまざまな文化にも同じ象徴があるし、たいていの神話に共通している。暗がりには獣が潜んでいるし、夜は危ない。それだけのこと。サウロンやオークが映しているのは、むしろ工業化と植民地支配に突き進んだ英国のほうだと思う。トールキンは工業化より前の素朴な暮らしを繰り返し良いものとして書いていて、それをいちばん体現しているのがホビットなんだ。

21. 海外の名無しさん(>>19への返信)
手紙が立派なのはそのとおり。ただ、作者がどう考えていたかと、作品がどう読めるかは別の話だとも思う。敵側の人間の描き方に引っかかる読者がいるのは分かるし、そこは議論が続いていいんじゃないかな。

22. 海外の名無しさん
『指輪物語』のサウロンは、ずっとファシズムの寓話(たとえ話)だと思って読んでいた。この手紙を読むと、ますますそう見えてくる。

23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
その読み方、本人が聞いたら全力で否定すると思うよ。寓話は嫌いだと公言していた人だからね。

24. 海外の名無しさん(>>22への返信)
作者の言い分は「寓話ではない。ただ、読者が自分の時代に当てはめて読むのは自由」だったよね。自分もそっちに賛成。あれは政治の話というより、内と外の悪に勇気をもって向き合う、という道徳の物語なんだと思う。ファシズムが悪だから、読むと重なって見えるんだ。

※注:『指輪物語』第2版(1966年)の序文で、トールキンは、この物語は寓話でも時事的なものでもないと書いています。作者が読み方を決めてしまう寓話と、読者が自由に自分の経験へ当てはめる読み方とは別のものだ、というのが本人の説明です。

25. 海外の名無しさん
1938年の時点で、こういう問い合わせにはっきり線を引いた。そこに人柄が出ていると思う。あの物語の世界を作った人のことが、前よりもっと好きになった。

まとめ

1938年、『ホビットの冒険』の作者トールキンは、アーリア人の血統の確認を求めてきたドイツの出版社への返信として、言語学者らしい皮肉をこめた下書きを書きました。ただし下書きは2通あり、よく引用される痛烈な文面は英国側に残ったほうで、ドイツへ送られたのは別の1通だったとされています。コメント欄では文面への喝采と並んで、その点を確かめ合うやり取りが続きました。届いたかどうかは別として、「あの才能ある民族の先祖がいないのを残念に思う」と書き残した1通は、作者がどこに線を引いていたのかを今に伝えています。

元ソース: J・R・R・トールキンは1938年、『ホビットの冒険』をドイツ語に翻訳する前に「アーリア人の血統」の証明を求めてきたベルリンの出版社に、返信の手紙を書いた。皮肉をこめた返事だった。『ホビットの冒険』がドイツ語に訳されたのは1957年になってから

コメント

  1. Reddit名無しさん says:

    German なんて嘘吐いていると判らんだろうな、たかが150年位しか無いのに血統とな!
    アーリア人ってのが二つ意味があってややこしい。
    1.白人ではないコーカソイド(インドヨーロッパ語族とも言う)
    2.ヒトラーが唱えたアーリア人。
    読み直したら混同した原因かw