「この格子柄はマクドナルド家のもの」「こちらはキャンベル家」——スコットランドのタータンには、氏族ごとに決まった柄がある、とよく言われる。日本の家紋のように、家ごとに図柄が割り当てられているという話だ。ところがこの「氏族タータン」の対応表は、1842年に世に出た一冊の偽の古写本から広まったものだった。作ったのは、スコットランドの氏族とは血筋のうえで何の関係もない兄弟である。
※注:スコットランドの「氏族(クラン)」は、同じ姓を名乗る人びとの広い親族集団を指す。日本の「家」よりかなり大きく、血のつながりがなくても同じ氏族に属することがある。
今日の知ってた?
🧵 「氏族ごとに固有のタータンがある」という決まりごとを広めたのは、1842年にエディンバラで刊行された『ヴェスティアリウム・スコティクム』という本だった。この本は1571年に書かれた写本を写したものだと称していたが、実際にはスコットランドの氏族と縁のない兄弟が作った偽物で、刊行前からウォルター・スコットに見抜かれていた。ただし格子柄の織物そのものは、それよりずっと前からハイランド地方で着られている。「格子柄が全部でっち上げ」という話ではなく、「どの柄が誰のものか」という割り当てが近代に作られた、という話である。
背景:タータンは「家の印」ではなかった
布としてのタータンは古い。タータンは、縦糸と横糸に同じ色の並びを繰り返して織り込むことで格子ができる毛織物のこと。スコットランドでは1530年代の王室の会計記録にすでに「タータン」の名前が出てくるし、複雑な格子の布としては、1980年代に見つかった「グレン・アフリック・タータン」が16世紀のものとされている。織物としての歴史そのものは疑いようがない。
ただし「どの柄が誰のものか」は決まっていなかった。何を着るかは、その土地の織り手の腕と、手に入る染料で決まっていた。同じ谷に住む人たちが似た柄を着ることはあっても、それは氏族の紋章だからではなく、近くの職人が同じ材料で織っていたからにすぎない。18世紀の肖像画には、一人の人物が上下でまったく違う格子を身につけている例も残っている。
1746年、ハイランドの服装そのものが禁じられた。1745年のジャコバイト蜂起(スチュアート家の復位をめざした反乱)が鎮圧されたあと、政府は「服装禁止令」でハイランド地方の民間人がキルトやタータンを着ることを禁じた。解除されたのは1782年。三十数年の空白のあいだに、着こなしも織りの習慣も一度途切れている。
1815年ごろ、族長たちに「自分の氏族の柄」が求められた。ロンドンのハイランド協会が、各氏族の族長に自分の氏族のタータンの見本を送るよう呼びかけている。ところが求められた側にも「うちの柄」という発想がなく、手近な柄を選んで印を押して送った、という話が伝わっている。答えが用意されていないのに問いだけが先にあった、という状態だった。
そして1822年、「スコットランドらしさ」が作り直された。ジョージ4世がエディンバラを訪れたとき、その演出を任されたのが『アイヴァンホー』で知られる作家ウォルター・スコットだった。国王自身がタータンをまとって現れ、族長たちにも「自分の氏族の装い」で出てくるよう声がかかった。ハイランドの意匠がスコットランド全体を代表する記号として広まったのは、このあたりからだと言われている。
もう少し詳しく
兄弟の正体。『ヴェスティアリウム・スコティクム』を世に出したのは、ジョン・ソビエスキ・スチュアート、チャールズ・エドワード・スチュアートを名乗る二人組だった。本名はアレン。兄のジョン・カーター・アレン(1795〜1872)はウェールズのオイスターマス生まれ、弟のチャールズ・マニング・アレン(1802〜1880)はイングランドのオックスフォードシャー生まれで、父のトーマス・アレンは元海軍士官である。
名乗っていたのは「王家の隠し孫」。1839年ごろから兄弟は、父トーマスがチャールズ・エドワード・スチュアート——1745年の蜂起を率いた王位請求者、通称ボニー・プリンス・チャーリー——の隠し子で、ひそかにイングランドへ移されたのだと主張しはじめた。この主張が通れば、彼らの父こそが当時のヴィクトリア女王に代わる正統な王だということになる。弟が名乗っていた「チャールズ・エドワード・スチュアート」は、その王位請求者と同じ名前だった。
1842年、エディンバラで刊行。『ヴェスティアリウム・スコティクム』は、1571年の写本を忠実に写したものだと称して、氏族ごとのタータンを図版つきで並べた豪華本だった。価格は10ギニー。買える人がかなり限られる値段である。
ウォルター・スコットは、本が出る前に見抜いていた。スコットは1832年に亡くなっているので、刊行された本そのものは見ていない。ただ、スコットランドの古物研究者の学会からの依頼で写本の一部の写しを見せられ、その言葉づかいだけを根拠に「この写本自体が完全な捏造に違いない」と憤然と断じたと伝えられている。スコット自身、「氏族をタータンで見分けるという発想は近代の流行にすぎない」と書き残していた。1822年の演出役を務めた当人が、氏族タータン説そのものは認めていなかったことになる。
決定的な批判は1847年。同じ年に兄弟が物語本『世紀の物語』(原題 Tales of the Century)を出したのをきっかけに、『クォータリー・レビュー』誌に「スチュアート家の相続人たち」と題した匿名の論文が載り、王家の血筋という主張も『ヴェスティアリウム・スコティクム』も徹底的に否定された。書いたのはグラスゴー大学の法学教授ジョージ・スキーンだとされている。論文は「この十六世紀の写本と称するものは完全な作り物であり、何の典拠にもならない」と結論づけた。
それでも本は生き残った。偽物だと判明したあとも、本に載った柄の一覧は消えなかった。織元にとっては「あなたの家の柄はこれです」と示せる商品目録として都合がよく、氏族の側にも自分たちの柄があるのは悪い話ではなかったからだ。歴史家ヒュー・トレヴァー=ローパーは、この本を「純然たる空想と臆面もない偽造で貫かれている」と切って捨てているが、それでも現在の氏族タータン一覧の多くは、この本を出発点に整えられている。
今は公式の登録簿がある。2008年にスコットランド議会が法律を作り、タータンの公式な登録簿が置かれた。運営しているのは国の記録機関で、新しい柄は今も次々に登録されている。企業の色を織り込んだもの、自治体の記念柄、慈善団体の柄——氏族の伝統というより、現役で動いているデザインの仕組みに近い。
「創られた伝統」という言葉。近代に作られたのに、大昔から続いているように見える伝統。こうしたものを扱った研究の論集が邦題『創られた伝統』として訳されており、ハイランドのタータンはその中でも代表例として取り上げられてきた。
日本から見ると。家ごとに決まった図柄という発想自体は、家紋になじみのある日本人には分かりやすい。ただタータンの場合、その対応表が作られた時期がはっきり近代で、しかも作った人の正体まで判明しているところが珍しい。日本で目にするタータンの多くは、学校の制服のスカートや、バーバリーの定番チェック(1920年代にコートの裏地として使われたのが始まりとされる)のように、氏族とは切り離されたただの柄として入ってきている。その広がりの出発点に、19世紀の作り直しがあったわけだ。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
スコットランド在住だけど、こっちではわりと知られている話だよ。氏族ごとの割り当てが後付けだというだけで、タータンやハイランドの装いが昔から着られていたこと自体は変わらない。そこを混ぜて「全部が嘘だった」と言われると、さすがに違うと言いたくなる。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
公式の登録簿を眺めるのが好きなんだけど、新しい柄が毎月のように増えていくんだよね。消防団の柄とか、記念行事の柄とか。伝統というより、今も現役で回っているデザインの仕組みだと思ってる。
3. 海外の名無しさん
面白いのは、ウォルター・スコット本人が氏族タータンの話を信じていなかったところ。写本の写しを見せられて「言葉づかいだけで捏造だと分かる」と怒ったと伝わっている。「氏族を柄で見分けるなんて近代の流行だ」とも書き残しているしね。
4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
でもスコットって、ほかのスコットランドらしい伝統もけっこう作っていた人では。1822年の国王訪問の演出も彼の仕事で、あの一件で「タータンといえばスコットランド」のイメージが固まったようなものだろう。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
つまりスコットランド的というより「スコット的」な伝統だったわけだ。名字がそのまま説明になっているの、出来すぎていて笑ってしまう。
6. 海外の名無しさん
うちの祖母はこれを本気で信じていた。母が姉妹そろっての記念写真を撮ろうとしてタータンを買ってきたんだけど、うちはマクドナルド氏族なのにキャンベルの柄を選んでしまってね。祖母が血管を切りそうな勢いで怒って、母は買い直しに行かされた。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
その二つの氏族のあいだには何百年も前からの遺恨があるからね。間違えたのが柄だけで済んで本当によかったと思う。おばあさんの反応はまったく正しい。
8. 海外の名無しさん
歴史というものがどれだけ後世の創作でできているかには、毎回おどろかされる。しかも一度広まってしまうと、否定する論文が出たあとでも平然と生き残るんだよな。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
「歴史は勝者が書く」ではなく「長く残る紙に書いた人が書く」が正しいと思っている。ローマ史が好きでよく読むけれど、ネロなんて同時代の記録と、死んだ直後の記録と、数百年後の記録とで人物像がまるで別人だ。どれが本当なのかは、もう誰にも分からない。
10. 海外の名無しさん
19世紀に作られたものでも、そこから180年ちかく人が着続けて、結婚式や葬式で意味を持ってきたのなら、もう伝統と呼んでいいんじゃないかな。始まりが新しいことと、今それが空っぽであることは別の話だと思う。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
同感。どんな伝統にも最初の一日はあるわけで、たまたまその日が記録に残っているかどうかの違いでしかない。ただ、始まりの日が分かっている伝統というのは、それはそれで面白い。
12. 海外の名無しさん
着るのは自由だし、好きにすればいいと思う。ただ「中世から途切れずに続く由緒ある柄です」と説明して売るのは、また別の話だよね。作られた経緯も一緒に伝えればいいだけなんだから。
13. 海外の名無しさん
商売としてあまりにも完成されているんだよな。「あなたの家の柄はこれです」と一覧表で示されたら、買わないという選択肢がほとんど残らない。しかもその一覧は、一度作ればずっと使える。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
刊行当時の値段が10ギニーだったらしいよ。図版つきの豪華本で、買えたのは相当な富裕層だけ。売り込む相手を最初から選んでいた感じがする。
15. 海外の名無しさん
柄だけじゃなくてキルトの形も意外と新しい。今のひざ丈のキルトは、1720年代にランカシャーから来たイングランド人の実業家が、かさばる大判の巻き布を仕事しやすく作り替えたものだ、という説をよく見かける。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
その説は定説のように語られがちだけど、反論もあるので気をつけたほうがいい。1690年代にはすでに、ひだを縫っていない短いキルトがあったという指摘もある。少なくとも「イングランド人が一から発明した」と言い切れる話ではないよ。
17. 海外の名無しさん
個人的にいちばん重いのは1746年の服装禁止令だと思う。三十数年も民間人が着るのを禁じられたら、着こなしも織り方も途切れてしまう。今「伝統」と呼ばれているものの多くは、その空白のあとに組み立て直されたものなんだよね。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
しかも禁じられていたのは民間人だけで、ハイランド連隊は軍服として着続けていた。禁止した側の軍隊が着ていたおかげで形が残った、というのはなかなか皮肉な話だ。
19. 海外の名無しさん
映画『ブレイブハート』を思い出した。13世紀から14世紀にかけての話なのに、登場人物が大判の巻き布を巻いた姿で出てくる。あの形が記録に現れるのは16世紀からなので、200年以上ずれている計算になる。
20. 海外の名無しさん
映画より影響が大きかったのは19世紀の絵画だと思う。霧の谷に立つ族長みたいな絵が大量に描かれて、あれで今の「スコットランドらしさ」の見た目がだいたい決まった。写真が普及するより先に、絵がイメージを固めてしまったわけだ。
21. 海外の名無しさん
日本の家紋みたいなものかと思いながら読んでいたんだけど、あちらは本当に家ごとに決まった図柄がずっと続いているんだろうか。詳しい人がいたら教えてほしい。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
気になって少し調べてみたけど、家紋のほうは出自がかなり古いらしい。ただ「どの家がどの紋を使うか」が整理されて一覧になっていく過程は、たぶんどこの国にもあるんだと思う。タータンの場合は、その整理を一冊の偽物がやってしまったところが特殊なんだろうね。
23. 海外の名無しさん
移民の子孫がルーツの印をほしがる気持ちは分かるよ。自分もその一人だからね。ただ、その印が19世紀に作られたものだと知ったうえで着るほうが、話としてはずっと面白いと思うんだよな。
まとめ
「氏族ごとに決まったタータンがある」という決まりごとを広めたのは、1842年にエディンバラで刊行された『ヴェスティアリウム・スコティクム』だった。1571年の写本の写しと称していたが、作ったのはスコットランドの氏族と縁のない兄弟で、ウォルター・スコットは生前からこれを捏造と見抜いていた。1847年には徹底的な批判論文も出ている。それでも柄の一覧だけは生き残り、今のタータン文化の土台になった。コメント欄では「布としてのタータンは本物だ」という現地からの補足、キルトの形をめぐる説と反論、そして「始まりが新しくても伝統は伝統では」という声まで、見方が分かれた。
元ソース: スコットランドの氏族タータン(氏族ごとに固有の柄があるという話)の歴史は、二人の兄弟が作り上げた歴史風の創作だったと知った

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