「船長になりすまし、南軍の砦の前を合図だけで通り抜けた」1862年、奪った船で家族ごと自由へ渡った男

「船長になりすまし、南軍の砦の前を合図だけで通り抜けた」1862年、奪った船で家族ごと自由へ渡った男 歴史

1862年、アメリカ南部の港から、一隻の船が夜のうちに出ていった。舵を握っていたのは船長ではない。その船で働かされていた、奴隷の男だった。彼は船長になりすましたまま、いくつもの砦の真正面を決められた合図だけで通り抜け、そのまま敵側の艦隊に船ごと投降した。狙いは、自分と家族の自由である。名前をロバート・スモールズという。

※注:当時のアメリカは南北戦争のさなかにあった。奴隷制を守る側として合衆国からの離脱を宣言した南部諸州の政府軍を南軍、それに対する合衆国政府軍を北軍と呼ぶ。南部では黒人の多くが法律上「所有物」として扱われ、港湾や船の仕事にも駆り出されていた。

今日の知ってた?

🚢 1862年、奴隷だったロバート・スモールズは、自分が乗組員として働かされていた南軍の武装船「プランター号」を奪い、船長になりすまして複数の砦の前を通過し、そのまま北軍海軍に船ごと引き渡した。船には彼の家族も乗っていた。目的は、自分たちの自由を手に入れることである。彼はその後、下院議員を5期務めている。

背景:奴隷にされた「港いちの腕利き」

舞台はサウスカロライナ州チャールストンの港である。南部有数の要港で、当時は南軍の重要な拠点だった。港の入口には砦がいくつも構えていて、出入りする船は許可なしには通れない。そして港の外には、南部の物流を締め上げるために北軍の艦隊が張りついていた。海上封鎖である。

その港で、プランター号という船が働いていた。もとは輸送用の蒸気船で、南軍が軍務に使っていた船である。乗組員は11人。うち3人が白人の士官で、残る8人は奴隷とされた黒人だった。ロバート・スモールズはその8人のひとりで、役目は操舵手。つまり、船を実際に動かしていたのは彼である。

ここが話の要になる。港のどこが浅いか、どの水路をどう抜けるか、砦の前を通るときにどんな合図を出せば通してもらえるか。それを毎日の仕事として体に入れていたのは、船長ではなく、船を持たされていない側の人間だった。南軍にしてみれば、船を任せられるほど腕が確かで、しかも法律上は物として扱っている相手、という認識だったのだろう。この認識のずれが、そのまま隙になる。

もう少し詳しく

ある夜、白人の士官3人が全員そろって船を離れた。港に停泊したまま、上陸して一晩過ごすことにしたのである。船に残されたのは、奴隷とされた乗組員たちだけだった。スモールズは彼らをまとめ、その夜のうちに港を出ることを決める。逃げ道を探して待っていたというより、条件がそろった瞬間に動いた、という手際だった。

全員が乗ったわけではない。2人は、危険を冒すよりも残るほうを選んでいる。失敗すればどうなるかは、誰よりも本人たちがよく分かっていた。船は港内で家族を拾い、それから外洋を目指す。つまりこの脱出は、自分たちだけが身軽に逃げる話ではなく、女性や子どもを乗せたまま、南軍の防衛線の真ん中を突っ切るという話になる。

砦の前を通る場面が、この話の心臓部である。スモールズは船長になりすました。そして船が通るときに求められる合図を、決められたとおりに出していった。相手が疑わなければ、船は素通りできる。疑われれば、その時点で終わる。一発でも撃たれれば、乗っているのは自分だけではない。彼は合図を間違えなかった。船はいくつもの砦の前を、何事もなかったかのように抜けていく。

そして最後にもうひとつ関門がある。港の外で待っているのは、南軍の船を沈めるために張っている北軍の艦隊である。南軍の船が近づいてくれば、当然撃たれる。ここを撃たれずに切り抜けて、プランター号は北軍側に引き渡された。船と、その船に積まれていたものと、彼が頭に入れていた港の情報が、そのまま北軍の手に渡ったことになる。

その後の人生のほうが長い。スモールズは戦後、自分が奴隷として生まれ育ったサウスカロライナ州ボーフォートの家を、旧主人の家族から買い取っている。船を渡した際に得た金の一部が原資だった。そして政治の道に入り、下院議員を5期務めた。奴隷として港で舵を握っていた男が、同じ州から選ばれて連邦議会に座る。1862年の一夜から、そこまでがひとつづきの人生である。

※注:ここでいう議会はアメリカ連邦議会の下院。各州から人口に応じて選ばれ、任期は2年である。5期はのべ10年ほどにあたる。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
この人の人生、なんで映画になっていないんだ。船を奪って、砦の真正面を平然と通り抜けて、そのあと議員になる。脚本家が考えたら「さすがに盛りすぎ」と突き返される筋書きが、全部実話だというのが一番おかしい。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
企画自体はあったはずなんだけど、ここ数年まったく話を聞かない。権利だけ押さえたまま止まっている作品はいくらでもあるから、そのまま埋もれてしまった口かもしれない。もったいない。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
そもそも南北戦争を扱った映画自体、最近はめっきり減った。扱いにくい題材だと思われているんだろう。ただこの話は、誰が正しいかを議論する前に、単純に脱出劇として面白い。そこだけで二時間もつと思う。

4. 海外の名無しさん
いちばんすごいのは船を盗んだところじゃないと思う。船長のふりをしたまま、砦の真正面をゆっくり通っていった部分だ。合図をひとつ間違えれば終わり、見張りが一人でも引っかかれば終わり。しかも自分だけじゃなく家族も乗せている。度胸というより、準備と段取りの勝利だと思う。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
彼は港と水路を知り尽くした操舵手だった。ほかの船が検問をどう通っているかも、毎日その場にいれば嫌でも覚えてしまう。逃げるための資格が過剰にそろっていた人というか、機会が来た瞬間に迷わず動けるだけの下地が、仕事として最初から積み上がっていた。

6. 海外の名無しさん
士官3人が「今夜は上陸するか」と全員そろって船を空けている、という部分で笑ってしまった。自分たちが物扱いしている相手が、実はその船をいちばん上手に動かせる人間だという自覚がまるでない。ある意味すごい楽観主義だ。

7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
見張りは必ず立てましょう、という教科書に載せられる事例。この3人がそのあとどうなったのかも気になる。船を丸ごと敵に持っていかれた責任を、上にどう説明したんだろう。

8. 海外の名無しさん
当時の南部では、奴隷にされた人が逃げること自体が「説明のつかない出来事」として扱われていて、逃亡を病気として説明しようとする理屈まで作られていたらしい。逃げたくなる理由が本人の側にあるとは考えなかったわけで、そこがいちばん薄気味悪い。

9. 海外の名無しさん
細かい話だけど「重武装の軍艦」というのは少し盛っている。もとは輸送用の船で、載っていたのは大砲が1門と榴弾砲が1門。戦列艦を乗っ取ったような絵を思い浮かべると、実物とはだいぶ違う。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
ではその榴弾砲で一度撃たれてみてほしい。そのうえで「軽装備でした」と言えるなら認める。何門積んでいたかという話と、撃たれる側から見た話はまったく別物だと思う。

11. 海外の名無しさん
自分がいちばん引っかかったのは、乗組員のうち2人が「行かない」と決めたところだった。目の前に自由へ向かう船があって、それでも残る判断をした人がいる。失敗したときに何が起きるかを、いちばん現実的に想像できていたのは、その2人だったのかもしれない。

12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
責められる話じゃないと思う。うまくいけば全員自由、失敗すれば全員終わり。しかも家族まで巻き込む賭けだった。乗ると決めた人の勇気と、残ると決めた人の恐怖は、たぶん同じ重さで釣り合っている。

13. 海外の名無しさん
家族も同じ船に乗っていた、という一行が頭から離れない。砦の前を通っているあいだ、船の中で息を殺していた人たちがいたわけで。奥さんの話も忘れないでほしい。北軍の艦隊に撃たれずに済んだのは彼女のおかげだった、という話をどこかで読んだことがある。細かい経緯までは書かれていなかったけれど。

14. 海外の名無しさん
素朴な疑問で申し訳ないんだけど、この時代に黒人が連邦議会に入れたの? 人種隔離が撤廃されるより一世紀近く前だよね。自分の中の年表と順番が合わなくて混乱している。

15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
戦争が終わった直後の一時期には、南部の州から黒人の議員が何人も出ている。ただし、その流れは長くは続かなかった。選挙のたびに投票のハードルが足されていって、南部から黒人議員がほぼ消える時期が何十年も続く。まっすぐ進んだのではなく、進んだあとで押し戻された、というのが実際の順番になる。

16. 海外の名無しさん(>>14への返信)
1870年代のサウスカロライナで黒人が議員をやっていた、というその一点だけでも相当な話だと思う。しかも1期や2期ではなく5期。当時どれだけの逆風の中でそれをやったのかは、こちらが想像するしかない。

17. 海外の名無しさん
戦後の話のほうがむしろ効く。彼は自分が奴隷として生まれた家を買い取っている。しかも旧主人の未亡人が認知症で「自分の家」に戻ってきてしまったとき、追い返さずに、昔の部屋でそのまま最期まで暮らさせたという話が残っているらしい。

18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
いい話として流れているけど、自分だったら絶対にそこまではできない。そこは正直に言っておきたい。あの人が実際に優しかったのはそのとおりとして、同じことができない人を責める材料にだけはしてほしくない。

19. 海外の名無しさん
その家、数年前に売りに出ていたのを見かけた。ボーフォートの街なかにある、ごく普通の白い家だった。不動産サイトの写真をいくら眺めても、そこで何があったのかは何ひとつ分からない。

20. 海外の名無しさん
船を渡して終わり、ではなかったところがまた効いている。彼は積荷の記録を頭に入れていて、港の周りの砦にどれだけの物資が届いているかを北軍側に伝えられた。どの砦が手薄かが分かってしまうわけで、これは船一隻よりよほど大きかったはずだ。

21. 海外の名無しさん
アメリカで完全に忘れられているわけでもなくて、学校や船、道路に彼の名前がついているし、サウスカロライナ州には5月13日に彼の名を冠した記念日もある。ただ、州の外でどれくらい知られているかとなると、正直かなり怪しい。

22. 海外の名無しさん
自分は学校で一度も習わなかった。年号を暗記させられる出来事よりも、こういう話のほうがよほど記憶に残ると思う。教科書に入りにくいのは、たぶん短すぎず長すぎず、ちょうど「一項目」に収まらないからなんだろうけど。

まとめ

1862年、奴隷とされていたロバート・スモールズは、自分が働かされていた南軍の船「プランター号」を奪い、船長になりすまして砦の前を通り抜け、北軍に船ごと引き渡した。船には家族が乗っていて、乗組員のうち2人は残ることを選んでいる。コメント欄で盛り上がっていたのは、脱出そのものの手際に対する感嘆と、「なぜこれが映画にも教科書にもなっていないのか」という不満だった。一方で「重武装の軍艦というのは盛りすぎ」という細かい訂正も入り、残った2人の判断を擁護する声もあった。そして多くの人が、船を奪った夜より、戦後に自分が奴隷として生まれた家を買い戻したという後日談のほうに反応していた。

元ソース: 1862年、奴隷だったロバート・スモールズは南軍の武装船を奪い、船長になりすまして砦を通過し、北軍海軍に引き渡して家族の自由を手にした。彼はのちに下院議員を5期務めている

コメント

  1. Reddit名無しさん says:

    米国の南北戦争は戦史として面白い、引用記事のようなストーリーもあって
    人間くささを感じるものが多いと感じる
    (戦い自体は米国最大の人的物的損害をもたらした災厄でしかないが、強い米国の礎にもなっているところが米国らしい)