自分の体はガラスでできている。うっかり何かにぶつかったり、人に触れられたりしたら、粉々に割れてしまう——。中世の終わりから17世紀ごろのヨーロッパでは、本気でそう信じ込んだ人たちの記録がいくつも残っている。フランス国王までもがこの思い込みに苦しんだと伝えられる「ガラス妄想」とは、どんなものだったのか。
今日の知ってた?
🪟 中世の終わりから近世(おおむね15〜17世紀)のヨーロッパで、「自分の体はガラスでできていて、ぶつかったら割れてしまう」と信じ込む人々が記録されている。この症状はガラス妄想と呼ばれ、よく知られた例がフランス国王シャルル6世。人に触れられるのを嫌がり、割れないように服に鉄の棒を仕込ませていたと伝えられる。怖がったのは人との接触だけではなく、物にぶつかることも含めたちょっとした衝撃そのものだった。
背景:ガラス妄想とは
ガラス妄想は、自分の体の全部、あるいは一部がガラスでできていると思い込み、少しの衝撃で割れてしまうと強く恐れる状態のことだ。記録が目立つのは、中世の終わりから17世紀ごろにかけてのヨーロッパ。当時の医学では、体液のバランスが崩れて起こる「メランコリー(憂うつ症)」の一種として扱われ、医師たちが自分の診た患者の例を書き残している。
記録に残る人たちの中には、ほかのことではまったく理性的にふるまえる人もいた。ただ一点、「自分はガラスだ」という確信だけがどうしても揺るがない。だから人や物との接触を避け、なかには割れないよう藁に埋もれて眠っていた人の記録まである。
では、なぜよりによって「ガラス」だったのか。精神医学では、妄想の中身はその人が生きる時代の文化や技術を映しやすいと言われる。そこで当時のガラスに目を向けると、これがかなり特別な素材だった。ガラスそのものは古代からあったが、15世紀ごろにはヴェネツィアで無色透明に近い上質なガラスが作られるようになり、王侯貴族がこぞって求める高価な贅沢品になっていた。教会には色鮮やかなステンドグラスが輝き、裕福な家には窓ガラスが入り始める。光を通してきらめく美しさと、ひとつ落とせば二度と元に戻らないもろさ。当時の最先端で、値打ちがあって、しかも壊れやすい素材だったからこそ、「自分はもろくて壊れやすい」という不安が、ガラスという形をとりやすかったのではないか、という見方がある。
17世紀を過ぎると、ガラス妄想の記録はぐっと少なくなっていく。ガラスが特別な品ではなく、身近な日用品になっていったことと関係があるのでは、と考える人もいる。
もう少し詳しく
「割れないように鉄の棒を」——シャルル6世。1380年から1422年までフランスの王位にあったシャルル6世は、「親愛王」と呼ばれる一方で、「狂気王」の異名でも知られる。1392年、遠征の途中の森で突然錯乱し、剣を抜いて味方の騎士たちに斬りかかって死者まで出した。これを境に、王は生涯にわたって正気を失う発作をくり返したとされる。翌1393年には、宮廷の仮装舞踏会で王や若い廷臣たちの衣装に火が燃え移り、数人が焼け死ぬ惨事が起きた。王自身はかろうじて難を逃れたと伝えられる。そんな王が、自分はガラスでできていると思い込み、人に触れられるのを拒んで、服に鉄の棒を仕込ませていたという記録が残っている。
「尻が窓ガラスでできている」患者と、「ガラスの水差し」の貴族。16世紀半ばのオランダの医師レヴィヌス・レムニウスは、ほかのことではまったく理性的でしっかりしているのに、「自分の尻は窓ガラスと同じ素材でできている」ということだけは固く信じて疑わない患者を診たと書き残している。また、フランスの医師アンドレ・デュ・ローランとスペインの医師アルフォンソ・ポンセ・デ・サンタ・クルスは、それぞれ別々に、自分の体がガラスの水差しの形をしていると信じる貴族の例を記録した。その貴族は、夜のあいだに倒れてしまうのを恐れて、藁に埋もれて眠っていたという。
デカルトも、セルバンテスも書いていた。哲学者デカルトは1641年の著作『省察』のなかで、自分の手や体が自分のものであることまで疑うのは、「自分は王だと思い込む貧しい人」や「自分はカボチャだ、ガラスでできていると言い張る人」と同じくらい正気を失ったことになる、と書いている。また、『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスは、1613年の『模範小説集』に収めた短編「ガラスの学士」で、自分がガラスでできていると信じ込んだ青年を主人公にした。人を近づけまいとしながら、問われるままに鋭く皮肉のきいた答えを返し、評判になっていく人物として描かれている。
19世紀にも。記録が減ったあとの時代にも、似た話は伝わっている。バイエルン王家の王女アレクサンドラは、「子どものころにガラスでできたピアノを飲み込んでしまった」と信じていたと言われる。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
この妄想で有名な王様って、発作が始まったころに、とんでもない事件を立て続けに経験してるんだよな。心の傷も関係してたんじゃないかと思ってしまう。それに、妄想や幻覚の中身は本人を取り巻く文化に左右される、って読んだことがある。だとしたら、当時のヨーロッパの何が、ガラスをここまで特別なものにしてたんだろう。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
教会のステンドグラスは関係ありそう。毎週のミサで見上げる、光を通してきらきら輝く神聖なもの。それなのに、石ひとつ投げられたら割れてしまう。
3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
ガラス自体は古代ローマの時代からあったけど、ほとんど無色透明な上等のガラスがヴェネツィアで作られるようになったのが15世紀ごろ。王侯貴族が競って欲しがる、当時の最先端の贅沢品だったんだ。高くて、美しくて、しかも割れやすい。不安の形として、これ以上ぴったりな素材もなかったのかもしれない。
4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
妄想の中身が時代で変わる、っていうのは面白いよね。ラジオやテレビが普及してからは「電波で操られている」という訴えが出てきた、なんて話も聞く。その時代でいちばん新しくて、仕組みがよくわからないものが入り込みやすいのかも。
5. 海外の名無しさん
昨夜ちょうど、Netflix映画の『キング』(2019年)を観たところだった。あれにも出てくるフランス王シャルル6世が、まさにこの妄想に苦しんだ人なんだよ。知ったばかりのことに、なぜか立て続けに出くわすあの現象がまた起きた。
6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
シャルル6世は、ガラス妄想の話になると必ず名前が挙がる王様だね。人に触られるのを嫌がって、割れないように服の中に鉄の棒を仕込ませていたって話が伝わってる。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
鉄の棒で補強って、発想が完全に建物の耐震補強なんだよな。でも本人は大真面目で、毎日「いつ割れるか」と怯えてたんだと思うと、笑うより先に切なくなる。
8. 海外の名無しさん
『ドン・キホーテ』のセルバンテスが、まさにこれを題材にした短編を書いてる。日本語だと「ガラスの学士」と訳されてる作品。自分はガラスでできていると信じ込んだ主人公が、人を寄せつけないまま、辛辣で気の利いた受け答えで評判になっていく話なんだ。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
デカルトの『省察』にも出てくるよ。自分の手や体が自分のものだと疑うくらいなら、「王様だと思い込んでいる貧乏人」や「自分はカボチャだ、ガラスでできていると言い張る人」と同じくらい正気じゃないことになる、っていう一節。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
デカルトがわざわざ例に出すってことは、当時の読者には「ああ、あれね」で通じるくらい知られた話だったんだろうな。カボチャのほうはいまいちピンと来ないけど。
11. 海外の名無しさん
自分の体がガラスの水差しの形をしていると信じてた貴族の話がすごい。夜中に倒れて割れないように、藁に埋もれて眠ってたんだって。寝床の扱いが、完全に引っ越し荷物の梱包なんだよ。
12. 海外の名無しさん
想像するだけで悪夢だよ。椅子に腰を下ろすことすら怖くてできないなんて、毎日どうやって過ごしてたんだろう。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
お尻が窓ガラスでできてると信じてた患者の記録もあるらしいからね。その人にとっては、腰を下ろすたびに命がけの大勝負だったわけだ。
14. 海外の名無しさん
正直、そこまで突飛な話にも思えないんだよな。細菌なんて知られていない時代は、ちょっとした傷が化膿して命取りになった。「自分の体はもろくて壊れやすい」という感覚が、今でいう「病気への不安が強すぎる状態」に近い形で出てきても不思議じゃない。
15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
感覚が人一倍敏感な人が、自分の体の感じ方を、その時代に使える言葉で説明しようとした可能性もあるよね。「ガラスみたいに壊れそう」が、当時いちばん伝わる言い方だったのかもしれない。
16. 海外の名無しさん
自分は、熱い飲み物のすぐあとに冷たいものが飲めない。温度差で歯にヒビが入って砕けそうな気がして。そんなことは起きないって頭ではわかってるのに、どうしても無理なんだ。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
わかってるのに怖い、っていう感覚は誰にでも少しはあるよね。その「わかってる」の部分ごと崩れてしまったのが、ガラス妄想の人たちだったのかもしれない。
18. 海外の名無しさん
昔、毎週恒例の友達とのバスケを休みたくなくて、市販の風邪薬を飲みすぎたことがある。試合の途中から、ボールがガラスでできてるとしか思えなくなって、「気をつけろ、割れるぞ!」とみんなに言い続けた。最後はボールを奪い取って、コートに寝そべって大事に抱きかかえてた。仲間は俺をコートの端まで連れていって、ボールを抱かせたまま、別のボールで試合を再開した。そっちのボールはガラスじゃなかった。
19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
最後の一文で吹いた。ボールを取り上げずに、そのまま抱かせておいてくれる友達が優しすぎる。あと、風邪薬の用量はちゃんと守ろう。
20. 海外の名無しさん
こういう話を聞くと、ネットで昔よく見かけた自己紹介ネタを思い出す。「生まれつき骨はガラス、皮膚は紙。毎朝脚が折れ、午後になると腕が折れる。夜は激痛で眠れず、心臓発作でようやく眠りにつく」。何度読んでも、律儀すぎるスケジュール感でじわじわくる。
21. 海外の名無しさん
アメリカのコメディドラマ『30 ROCK』に、骨が鳥みたいにスカスカだという、はかなげな婚約者キャラがいたのを真っ先に思い出した。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
その婚約者の名ゼリフまで覚えてる人が、ここから続々と集まってきそう。一瞬、ガラス妄想の話じゃなくてドラマのファン掲示板に迷い込んだのかと思ったよ。
23. 海外の名無しさん
タイトルを読んだ瞬間、頭の中でブロンディの「ハート・オブ・グラス」が流れ出した。もっとも、ガラスなのがハートだけならまだしも、全身ガラスとなると話の次元が違う。
24. 海外の名無しさん
この手の歴史って面白いけど、正直ちょっと怖くもある。1518年のストラスブールで、大勢の人が何日も踊り続けて止まらなくなった「踊りの疫病」の話を読んだときも、同じ気分になった。
25. 海外の名無しさん
笑い話っぽく紹介されがちだけど、当の本人たちは、毎日いつ割れるかと怯えながら暮らしてたんだよな。何百年も前の誰かの不安が、医者の記録や小説に残って、今こうして読めるのがなんだか不思議な気分だ。
まとめ
中世の終わりから17世紀ごろのヨーロッパで記録された「ガラス妄想」。服に鉄の棒を仕込ませたと伝えられるフランス王シャルル6世から、医師が書き残した名もない患者まで、自分の体が割れてしまうと本気で怯えた人たちがいた。コメント欄では、なぜガラスだったのかをめぐってステンドグラスや高価なヴェネツィアのガラスを挙げる声、デカルトやセルバンテスの作品にまで登場することへの驚き、そして「わかっていても怖い」という自分の体験を重ねる声が並んだ。
元ソース: 中世ヨーロッパには、自分の体がガラスでできていると信じ込み、割れるのを恐れて触れられるのを避ける「ガラス妄想」という心の病があった

コメント
ベネチアンガラスから板ガラスに換わる頃だな。
板ガラスの国産化を祝して、ベルサイユ宮殿鏡の間が作られた。
一方、21世紀の日本ではアニメキャラを見ると
「これ私のことだ」と自分を理想の自分に自己投影する女性が増えていた
よつばchで漫談解説してたやつだ
シャルル6世はずっと自分の体はガラス妄想にとりつかれてて、風呂にも入らないまま毛布に包まってたと