日本ではクリスマスになると行列ができる、あのフライドチキンの店。店頭に立つ白いスーツの創業者は、実在の人物である。そしてその本人が、自分の売った会社の料理を食べて「これはヘドロだ」と言い放ち、最後は自分の名前をめぐって古巣と法廷で殴り合っていた——という話が、海外の掲示板で掘り返されていた。
※注:「カーネル」は軍隊の階級ではない。ケンタッキー州の知事が功労者に贈る名誉称号で、日本でいえば県の名誉県民に近い。サンダースが実際に軍で大佐だったことはない。
今日の知ってた?
🍗 1964年、カーネル・サンダースは自分が育てたケンタッキーフライドチキンを200万ドルで売却した。当時は1ドル=360円の固定相場だったので、その場の金額としては約7億2000万円。今の貨幣価値に直すとおよそ2000万ドル(日本円で30億円前後)に相当すると言われる。ところが手を離れたあとの味に納得がいかず、彼はグレイビーソースを「ヘドロ」と呼んで公然と批判した。そして1968年、自分の店「クローディア・サンダース ザ・カーネルズ・レディ・ディナーハウス」を開店。これに会社側が訴訟を起こし、サンダースは1億2200万ドルで反訴。最終的に和解となり、サンダースは100万ドルを受け取り、自分の店も手元に残した。
背景:フライドチキンを売り歩いた老人
ハーランド・サンダースは1890年、アメリカのインディアナ州に生まれている。職を転々としたのち、ケンタッキー州コービンでガソリンスタンドに併設した食堂を営みはじめ、そこで出していた鶏の揚げ物が評判になった。圧力鍋を使って短時間で揚げる調理法と、香辛料を配合した独自の下味。これが、のちに世界中の店で使われることになる中身のすべてである。
この話でいつも驚かれるのが、彼が本格的に事業を広げはじめたのが60代半ばだったという点だ。高速道路の経路が変わって店の前を通る車が減り、商売が立ちゆかなくなったところから、彼は車にレシピと圧力鍋を積んで全米のレストランを回りはじめる。売っていたのは自分の店ではなく、「うちのレシピで揚げて、一羽ごとにいくらか払ってくれ」という契約だった※ フランチャイズ=本部が商標と調理法を貸し、店は独立した経営者が出す仕組み。日本のコンビニと同じ形。当時のアメリカの外食では新しいやり方だった。断られ続けながら軒先で鶏を揚げてみせ、気に入った店主とだけ握手をして次の町へ行く。この地道な行商のようなやり方で、店は数百軒に増えた。
そして1964年、彼は73歳になっていた。事業は大きくなりすぎ、書類仕事も金勘定も、もう一人の老人が抱えられる規模ではない。投資家グループに200万ドルで会社を譲り、本人は看板役として残るという形が選ばれた。白いスーツにあごひげのあの姿は、以後も広告に出続ける。会社を手放しても、顔だけは店頭に残ったわけである。
もう少し詳しく
問題は、その「顔」に本人の口がついていたことだった。売却後の会社は当然、原価を下げ、手順を簡略化し、店舗を増やす方向に舵を切る。サンダースはそれが我慢できなかった。特に彼が繰り返し攻撃したのがグレイビーソースで、これを「ヘドロ」と呼んで公然と批判している。看板になっている本人が自社の商品を不味いと言って回るのだから、会社にとってこれ以上やりにくい相手はいない。
1968年、彼は自分の店を出す。ケンタッキー州シェルビービルに開いたその店の名前が「クローディア・サンダース ザ・カーネルズ・レディ・ディナーハウス」——クローディアは妻の名前で、「カーネルの奥方の食堂」といった意味になる。屋号に自分ではなく妻を立てているあたりに、この件が単なる意趣返しではなかったことがうかがえる。ここでは彼が納得する手順で作った料理が出された。
会社側は、これを黙って見ていなかった。サンダースの名前も、あの調理法も、契約上はもう会社のものである。看板の当人が別の店で似たものを出せば、買った側からすれば話が違うということになる。訴訟が起こされ、サンダースは1億2200万ドルという桁違いの金額で反訴した。200万ドルで売った男が、その60倍を求めて古巣に噛みついたわけである。
決着は和解だった。サンダースは100万ドルを受け取り、自分の店を続けることも認められた。金額だけ見れば会社側が押し切った形にも見えるが、彼が欲しかったのは金よりも「自分の名前で出す料理を自分で決める権利」だったのだろうと思う。彼はその後も広告塔として姿を見せ続け、1980年に90歳で亡くなった。
ちなみに日本との縁は、彼が会社を手放したあとに始まっている。日本1号店ができたのは1970年で、大阪万博での実験店舗を経て名古屋に常設店が開いた。「クリスマスにはケンタッキー」という売り方が始まったのは1974年とされる。つまり、日本人が知っているあの光景は、創業者がグレイビーの味に怒って古巣と揉めていたのとほぼ同じ時期に立ち上がっている。世界でいちばん熱心にこのチェーンを迎え入れた国の話を、本人はどこまで知っていたのだろうか。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
サンダースは晩年の20年近くをカナダのトロント近郊で過ごしていて、現地の店をかなり熱心に手伝っていたらしい。アメリカを離れてもチキンからは離れられなかったわけで、そこがなんとも人間くさい。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
地元だけど正直に言うと、トロントの店もそんなに美味しくないよ。しかもこっちの店はマッシュポテトを置いていない。あの人が手伝っていたはずの土地なのに、なぜそこが抜け落ちたのか本当に謎だ。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
マッシュポテトが無いって、代わりに何か別のものが付いてくるの?あれが無かったらグレイビーの行き場が消えると思うんだけど、まさかフライドポテトにかけろということなんだろうか。
4. 海外の名無しさん
当時の時点ですでに「不味い」と怒っていたのか…。1970年前後の味を知っている人からすると、今の状態を見せたら卒倒するどころでは済まない気がする。基準が高すぎたのか、本当に落ちていたのか。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
今のケンタッキーは「買収されたあとに少しずつ質が削られていく」の見本みたいな存在だと思う。値段は上がるのに一つひとつは小さくなって、衣の味付けもどこか薄くなった。順番に全部やられている。
6. 海外の名無しさん(>>4への返信)
一説にはエクストラクリスピーが昔の味にいちばん近いと言われている。ただ、それでも当時とはかなり距離があるらしくて、結局あの頃を知っている人しか答え合わせができないんだよな。
7. 海外の名無しさん
シェルビービルのあの店、何度か行ったことがある。だいたいは親戚の集まりでね。最後に行ってからもう20年近く経つけれど、料理はどれも良かったという記憶しかない。今もあると聞いて少し安心した。
8. 海外の名無しさん
当時この騒動の最中に社内で回っていたメモに名言があってね。「アンクル・ベンのところで働きたかった。あの人は実在しないから」。看板の人物が生きていて怒鳴り込んでくる会社の苦労が、一行に凝縮されている※ アンクル・ベン=アメリカで長く売られていた米製品のブランド。パッケージの人物は架空のキャラクターで、実在しない。
9. 海外の名無しさん
抜き打ちで店に現れて、杖で家具を叩きながら怒鳴り散らしたという話が残っている。料理を「ひどい」と言って床にぶちまけ、その場でグレイビーを作り直させたとか。情熱と言えば情熱だけど、働いている側からすればたまったものじゃない。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
正直、少し話が出来すぎている気もするんだよな。誰かが語り継いでいるうちに角が生えた類の逸話に見える。とはいえ自分で調べる気力がないので、今日のところは信じておくことにする。
11. 海外の名無しさん(>>9への返信)
その話には続きがあって、ある店主が彼の作り直したグレイビーをこっそり持ち出して、隣町の店に置いておいたらしい。そこへ本人が現れて、同じものを味見して「ひどい」と言い、また床に捨てて作り直したそうだ。
12. 海外の名無しさん
晩年はオンタリオ州のミシサガに移り住んで、カナダの市民権を取ろうとしていたんだよね。ケンタッキーという地名を世界に広めた張本人が、最後はカナダ人になろうとしていたという事実がなんとも味わい深い。
13. 海外の名無しさん
先週、道路で車に轢かれたフライドチキンが落ちているのを見かけて、一瞬でどこの店のものか分かってしまった。あの衣は轢かれても身元が割れる。褒めているのか貶しているのか、自分でもよく分からない。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
店が分かったところまでは信じるとして、轢かれているというのはどうやって判別したんだ。ただ落ちていただけかもしれないだろう。その情報量の多さが気になって、肝心の話が頭に入ってこない。
15. 海外の名無しさん
新しく開いた店の名前が「クローディア・サンダース ザ・カーネルズ・レディ・ディナーハウス」って長すぎないか。奥さんの名前を看板に出したかった気持ちは伝わるけど、予約の電話で名乗るのが大変そうだ。
16. 海外の名無しさん
最近見た動画によると、アメリカ国内の店舗は苦戦していて閉店が続いているらしい。その一方で海外、特に中国では出店が止まらないほど好調とのこと。同じ看板なのに、国によって話が真逆になっている。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
向こうの店は品質そのものが違うからね。伸びている市場には金をかけて、成熟した市場からは削れるだけ削る。経営の教科書に載っていそうな動きを、そのまま実演しているように見える。
18. 海外の名無しさん(>>16への返信)
東京の店は本当に別次元だった。同じチェーンとは思えないほど衣がきちんとしていて、旅行中に二回も行ってしまったよ。あれを知ってしまうと、地元の店に入るのが少しつらくなる。
19. 海外の名無しさん
自分から会社を売っておいて、あとから味に文句を言うのは正直どうなんだろうと思ってしまう。金を受け取って権利を手放した以上、買った側が何をどう変えようが口を出す筋合いは無いはずで。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
そこは少し違う気がする。彼は売ったあとも顔と名前を看板として貸し続けていたわけで、質の落ちた料理に自分の顔がくっついてくる状態だった。それなら文句を言う権利はあると思うよ。
21. 海外の名無しさん
創業者が抜けたとたんに味が変わるのは、どこの国の飲食でも起きている話だよね。うちの近所にも同じことをやった店があって、代が替わった年に一度食べてから、それきり行かなくなってしまった。
22. 海外の名無しさん
日本ではクリスマスにこのチェーンで行列ができると聞いて驚いたんだけど、店頭のあの白いスーツの人形がサンタの格好で立っていると知って二度驚いた。本人が見たら何と言っただろうか。
まとめ
60代半ばから鍋とレシピを積んで行商のように店を回り、73歳で200万ドルを受け取って手を離した男は、その後も自分の顔が貼られた店に入っては味に怒っていた。グレイビーを「ヘドロ」と呼び、妻の名を冠した自分の店を出し、古巣に訴えられて1億2200万ドルで反訴し、100万ドルで折り合った。コメント欄は「あんな昔に不味かったのなら今を見たら卒倒する」という嘆きから始まり、途中で「売った本人が文句を言うのは筋違いでは」という声と「顔を貸したままなら言う権利はある」という声がぶつかり、最後は東京や中国の店を褒める書き込みで妙に和やかに終わっていた。日本の読者としては、クリスマスに列ができるあの光景がちょうどこの揉め事と同じ時期に始まっていた、というのがいちばん引っかかる部分かもしれない。

コメント
質を落とすなというのを契約にいれるべきなんだろうw