「最後の要求はウイスキー4本と運転手付きの車、そして妻と過ごす24時間」1978年、旅客機を一晩乗っ取った男の結末は…?

「最後の要求はウイスキー4本と運転手付きの車、そして妻と過ごす24時間」1978年、旅客機を一晩乗っ取った男の結末は…? 歴史

「操縦室を見せてもらえませんか」。1978年9月、フィンランドの国内線で、ひとりの男性客が客室乗務員にこう頼みました。機長は見学を許しましたが、男の上着のポケットには弾を込めた拳銃が入っていました。機はそこから翌朝まで国内とオランダの間を飛び回ることになり、最後に男が出した要求は、ウイスキー4本と運転手付きの車、そして「妻と自宅で過ごす24時間」でした。

※注:当時はまだ2001年の米同時多発テロ(9.11)より前で、乗客が頼めば操縦室を見学させてもらえることも珍しくありませんでした。フィンランドの国内線では、搭乗前の保安検査も行われていませんでした。

今日の知ってた?

✈️ 1978年9月30日、フィンランドのオウル発ヘルシンキ行きフィンエアー405便(乗客乗員49人)が、操縦室の見学を申し出た乗客に乗っ取られた。

💰 犯人は身代金として航空会社に67万5000マルッカ、新聞社に15万マルッカを要求。当時の米通信社の報道では、航空会社分が約16万8000ドル、新聞社分が約3万8000ドルで、合わせて20万ドルあまり。

🛫 機はヘルシンキとオウルを往復し、オランダのアムステルダムで給油して引き返したのち、翌朝オウルに戻った。最後の要求はウイスキー4本・運転手付きの車・妻と自宅で過ごす24時間。

⚖️ 警察は「翌日に投降する」という約束を待たずに自宅へ踏み込み、男を逮捕。けが人はなく、1979年に禁錮7年1か月の判決が言い渡された。

背景:ハイジャックが「交渉ごと」だった時代

1960〜70年代は、世界各地でハイジャックが相次いだ時代です。犯人の目的の多くは身代金や亡命で、乗っ取った機体と人質を盾に交渉するのが典型でした。旅客機そのものを武器にするという発想は、2001年の9.11まで航空業界にはほとんどなく、操縦室への出入りも今よりずっと緩やかでした。

フィンランドにとっても、ハイジャックは遠い国の話ではなくなりつつありました。1971年にはヘルシンキ発コペンハーゲン行きのフィンエアー機で、30歳の女性が拳銃で乗っ取りを図り、客室乗務員に銃を取り上げられています。1977年7月には、ソ連の国内線機が乗っ取られてヘルシンキ・ヴァンター空港に降りました。それでも国内線では保安検査が行われておらず、拳銃を持ったまま搭乗できたのです。

犯人のアールノ・ランミンパッラス(Aarno Lamminparras)は、北部の都市オウルに住む30代後半の元建設請負業者でした。社長を務めていた輸出会社が1976年に倒産し、1978年1月には破産にからむ罪で起訴されています。事件を詳しく追った本によれば、この年の春から夏にかけて酒量が増え、夫婦仲にもひびが入っていたといいます。

もう少し詳しく

兵役手帳を見せて「見学」を申し出る。便は9月30日の午後3時すぎにオウルを離陸しました。機内で酒を飲んでいたランミンパッラスは、30分ほどたったころ客室乗務員を呼び、兵役手帳を見せて操縦室に入れてほしいと頼みます。機長がこれを許すと、ヘルシンキ・ヴァンター空港に近づいたところで拳銃を突きつけ、操縦室のドアに鍵をかけました。カバンには大ぶりのナイフと、操縦士を縛るための縄と革ベルトも入っていました。

※注:フィンランドには徴兵制があり、兵役に就いた男性には、その記録を記した「兵役手帳」が交付されます。

身代金の内訳には慈善団体も。ヘルシンキで乗客の多くを解放したあと、男は機をオウルへ引き返させ、その途中で航空会社に67万5000マルッカを要求しました。内訳は、50万が自分の家族へ、10万が戦傷病者のためのカウニアラ病院へ、7万5000が児童福祉団体の「SOSこどもの村」へ。家族の分の現金は臨時便でオウルへ運ばれ、国はこの金の返還を求めないとする運輸大臣署名の念書まで添えられました。夜中にヘルシンキへ戻ると、今度はフィンランド最大の新聞ヘルシンギン・サノマットの幹部を空港に呼び出し、自分の話を独占で載せる権利の代金として15万マルッカを要求しています。

人質のなかに、ユーロビジョンの歌手。ヘルシンキからオウルへ向かう機内には、女性客8人が人質として残されました。そのひとりが、前年1977年のユーロビジョン・ソング・コンテストにフィンランド代表として出場した歌手モニカ・アスペルンドです。彼女がそこで歌った『ラッポニア(Lapponia)』の作曲者アールノ・ラニネンも同じ便に乗っていて、こちらはヘルシンキで解放されました。犯人は彼女が乗っていることに気づいていなかったとされますが、報道の関心は彼女の安否に集まりました。

※注:ユーロビジョン・ソング・コンテストは、ヨーロッパ各国の代表歌手が歌で競う、毎年恒例の国際音楽祭です。

アムステルダムまで飛んで、また戻る。未明、ヘルシンキで残りの人質と交渉役の法律家が降ろされ、機内には犯人と機長、副操縦士、客室乗務員の4人だけが残りました。機はアムステルダムのスキポール空港へ飛んで給油し、いったんストックホルムへ向かいかけたものの、犯人が予定を変えてヘルシンキへ引き返します。ヘルシンキに降りる前、男は警察無線を通じて「自宅で家族と1日過ごさせてくれれば、翌日に投降する」と約束しました。機が最後にオウルへ降りたのは、翌朝9時少し前のことです。機体は合わせて12時間20分飛び続け、給油のあいだもエンジンは一度も止められませんでした。

「翌日に投降する」はずだった。男は用意された運転手付きの車で、空港から自宅へ帰りました(当時の英語圏の報道では「リムジン」)。ところが警察は約束の翌日を待たず、同じ日の夕方4時45分に自宅へ踏み込んで逮捕します。当時の報道によると、警察は自宅の電話を盗聴しており、おとなしく投降するつもりがないとうかがわせる通話があったと説明しました。事件を通じて、けが人は1人も出ていません。

判決と、その後の人生。精神鑑定で限定責任能力と判断され、1979年4月に禁錮7年1か月の判決を受けました(英語圏では「7年」と報じられています)。人質を取る行為そのものを罰する条文がフィンランドの刑法に加わったのは1982年で、この事件もそのきっかけのひとつになりました。男は刑期の半分を務めて1982年に出所し、名前を変えて、1984年からはスウェーデンに定住します。バスの運転手や清掃会社の経営をして暮らし、2013年にフィンランド公共放送Yleの番組で取材を受けたときも、なぜあんなことをしたのかは自分でも説明できず、決断は「頭の中の爆発」だったと語っています。同じ2013年には事件をもとにした映画『Kaappari』(「乗っ取り犯」の意)が公開されましたが、制作側から一度も連絡がなかったことに不満を示し、観ることも断ったそうです。2020年にスウェーデンで亡くなり、その死が報じられたのは2024年のことでした。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
オウル→ヘルシンキ→オウル→ヘルシンキ→アムステルダム→ヘルシンキ→オウルと、スレ主の概算だと合計4500kmくらい飛び回ったあとで「家に帰してくれ」が通るのがすごい。運転手付きの車で自宅まで送ってもらったハイジャック犯なんて初めて聞いた。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
あれだけのことをやっておいて、家に帰ってくつろいでたら捕まりました、ってのが一番間抜けだと思う。それに50人近くを人質に取って禁錮7年ちょっと? 何十年でもおかしくない罪だろ。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
「何十年」って感覚はアメリカ基準だと思うよ。アメリカは罪ごとの刑を足し算するから懲役100年みたいな判決も出るけど、フィンランドは複数の罪をまとめて1つの刑にするし、有期刑の上限もずっと低い。そもそも刑の組み立て方が違うんだ。

4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
仕組みの違いは分かった。それでも50人近くを人質に取って7年ちょっとってのは納得いかない。単純に割ったら、人質1人あたり2か月もないんだぞ。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
逆に考えてみてよ。人質を無事に帰しても皆殺しにしても刑が同じなら、追い詰められた犯人はどっちを選ぶ? 刑に差をつけておくのは、人質の命を守るためでもあるんだよ。

6. 海外の名無しさん
フィンランド人として補足させて。裁判では精神鑑定で限定責任能力とされていて、犯行中はお酒も入ってた。心を病んだ人を何十年も閉じ込めるより、治療して社会に戻す方を選ぶ国なんだよ、ここは。

7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
精神面の事情は分かる。でも酔ってたことが何の言い訳になるのかは分からない。自分で飲んでから操縦室に入ったんだろ?

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
酔ってたから刑が軽くなった、って話じゃないと思う。効いたのは精神鑑定の方だろうね。それと当時のフィンランドの刑法には、人質を取る行為そのものを罰する条文がまだなかった。人質罪が加わったのは1982年で、この事件もきっかけの1つになったらしい。

9. 海外の名無しさん
一番びっくりしたのは、見ず知らずの客が「操縦室を見せて」と頼んで「どうぞどうぞ」で通っちゃうところ。今の感覚だとありえないよな。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
9.11の前はわりと普通だったよ。子どもはよく操縦室に招いてもらえたし、長時間の操縦は退屈なこともあるから、大人の客が20〜30分おしゃべりしに来ても歓迎されることがあった。旅客機を丸ごと武器にするなんて誰も考えてなくて、ハイジャックの怖さは「人質が撃たれるかどうか」だけだったんだ。

11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
この男は兵役手帳まで見せて頼んでるんだよな。「身元のしっかりした人間です」ってアピールだったのかもしれないけど、カバンの中には操縦士を縛るための縄まで入ってた。最初から計画してたんだと思うとぞっとする。

12. 海外の名無しさん
結局、何がしたかったんだろう。金を持って逃げ切れると本気で思ってたのか、それとも追い詰められて、とにかく何かを爆発させたかっただけなのか。

13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
本人も後年のインタビューで理由は説明できなかったらしい。乗っ取りを決めたのは「頭の中の爆発」だった、って言い方をしてる。会社が潰れて起訴されて、夫婦仲も壊れかけてた時期だから、とっくに限界だったんだろうね。

14. 海外の名無しさん
身代金の内訳が妙に律儀なのが引っかかる。家族に50万、戦傷病者の病院に10万、子どもの福祉団体に7万5000マルッカ。乗っ取り犯が寄付先まで指定するなんて聞いたことがない。

15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
いい人ぶりたかったのかもしれないけど、他人に銃を向けて集めた金で寄付しても美談にはならないよ。受け取る側の病院だって、夜中に空港へ呼び出されて困っただろうし。

16. 海外の名無しさん
新聞社にまで金を払わせてるのが一番笑った。フィンランド最大の新聞に「俺の話を独占で載せる権利」を売りつけたらしい。乗っ取りの真っ最中に、自分の手記の版権ビジネスを始める犯人がいるとは。

17. 海外の名無しさん
人質の中に、前年のユーロビジョンにフィンランド代表で出た歌手がいたってのも初めて知った。しかもその曲の作曲者まで同じ便に乗ってたとか。犯人は気づいてなかったらしいけど、報道は彼女の安否で持ちきりだったそうだ。

18. 海外の名無しさん
「妻と24時間」はロマンチックな要求に聞こえるけど、実際は着陸が朝の9時前で、警察が踏み込んだのは夕方の4時45分。24時間のはずが8時間ももたなかったわけだ。奥さんからしたら、何がなんだか分からなかっただろうな。

19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
そもそも、なんで家に帰らせたんだろう。人質を全員解放した時点で、空港で取り押さえればよかったのに。

20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
約束を破ったら、次にハイジャックが起きたとき犯人が交渉に乗らなくなるからじゃない? 「どうせ降りた瞬間に取り押さえられる」と思われたら、人質を手放す理由がなくなる。

21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
でも結局、約束の翌日を待たずに踏み込んでるんだよな。当時の報道だと、警察は自宅の電話を盗聴していて、おとなしく投降する気がなさそうな通話があったと説明してる。それなら警察を責めるのは難しい。

22. 海外の名無しさん
「24時間も必要だったのは、最後まで”フィニッシュ”したかったからだろうな。フィンランド人だけに」……はい、自分で言っておいて帰ります。
※ 英語のFinnish(フィンランドの)とfinish(終える)をかけたダジャレ。

23. 海外の名無しさん
機長と副操縦士と客室乗務員の3人が、休憩もなしに19時間近く、銃を持った男と一緒に機内にいたってところにもっと光を当ててほしい。給油のあいだもエンジンは止めなかったらしいし、よく最後まで機体を無事に着陸させてくれたと思う。

24. 海外の名無しさん
出所後の話も興味深い。刑期の半分で出てきて名前を変え、スウェーデンに移ってバスの運転手をしたあと、清掃会社を立ち上げて2009年に売却、そのまま引退。二度と同じことはしてないんだから、更生はしたってことだよな。

25. 海外の名無しさん(>>24への返信)
更生したのはいいことだと思う。ただ、映画になったとき本人は「制作側から何の連絡もなかった」と不満を漏らしてたらしい。一晩じゅう人質にされた側の気持ちを思うと、それはちょっと複雑だな。「いい話」で終わらせるのは違うと思う。

まとめ

操縦室の見学を頼んだひとりの乗客が、旅客機を翌朝まで乗っ取り、身代金を手にしたうえで「妻と自宅で24時間」を求めた――1978年のフィンエアー405便の事件は、保安検査もなく、操縦室への出入りも緩やかだった時代だからこそ起きた出来事でした。けが人は出ませんでしたが、乗員や人質は長い時間、銃を持った男と同じ機内に閉じ込められていました。コメント欄では禁錮7年1か月という刑の重さをめぐって、アメリカ式の厳罰と北欧の更生重視の考え方がぶつかり、「更生したのはいいが、美談ではない」という声も上がっていました。

元ソース: 1978年、フィンランドの男が操縦室の見学を頼んだあと国内線を乗っ取ったと知った。17時間・4500kmに及ぶ乗っ取りで20万ドルを超える身代金を手にし、最後の要求はウイスキー4本、運転手付きのリムジン、そして妻と2人きりで過ごす24時間だった

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