「1896年、テキサスの何もない土地に4万人が集まった」お目当ては蒸気機関車2両を正面から衝突させる見世物…

「1896年、テキサスの何もない土地に4万人が集まった」お目当ては蒸気機関車2両を正面から衝突させる見世物… 歴史

1896年、テキサス州の何もない平原に4万人が押し寄せました。目当ては音楽でも選挙演説でもなく、2両の蒸気機関車をわざと正面から衝突させるという見世物です。企画したのは鉄道会社の社員で、その人の名字はクラッシュ。冗談のような話ですが、この日は実際に人が亡くなっています。

※注:ここでいう「見世物」は、サーカスや興行の一種として料金や集客を目的に催された公開イベントのこと。19世紀後半のアメリカでは、こうした一日限りの興行が大衆娯楽の中心にありました。

今日の知ってた?

📏 1896年9月15日、テキサス州ウェイコの北にある何もない土地に約4万人が集まり、2両の蒸気機関車が正面から衝突するのを見物した。「クラッシュ・アット・クラッシュ」と呼ばれるこの興行の観客数は、当時のテキサス第2の都市の人口を上回っていた。企画したのはミズーリ・カンザス・テキサス鉄道(通称「ケイティ」)の旅客係、ウィリアム・ジョージ・クラッシュ。想定されていなかったボイラーの爆発によって破片が飛び散り、2人が死亡、6人以上が重傷を負った。

背景:機関車をぶつけて見せるという商売

1890年代のアメリカに、テレビもラジオも映画館もありません。地方に暮らす人にとって年に何度かの楽しみといえば、巡回してくるサーカス、郡や州のフェア(農産物品評会と遊興が一体になった催し)、そして町にやってくる興行師の出し物くらいでした。日常から離れた「一度きりの大きな出来事」に対する飢えは、現代の感覚では測りにくいほど強かったと言われます。

その空白に鉄道会社が目をつけます。当時のアメリカは鉄道網が全土に広がりきった時期で、各社は乗客の奪い合いをしていました。同時に、旧式化して現役を退いた機関車が各社に余っていました。使い道のない鉄の塊と、刺激に飢えた大衆。この二つを結びつけたのが「機関車をわざと衝突させて見せる」という発想です。ケイティ鉄道のウィリアム・ジョージ・クラッシュは、これを自社最大の宣伝企画として実行に移しました。

実は、この企画には手本がありました。同じ1896年の5月30日、オハイオ州ランカスターの近くにあるバックアイ・パークで、コロンバス・アンド・ホッキング・バレー鉄道が機関車の衝突を見せ、約2万人を集めていたのです。この公園は、近くの都市コロンバスの住民を週末の行楽に誘い出すために、鉄道会社自身が造ったものでした。入場料は取らず、もうけは客を運ぶ運賃から出す。クラッシュはこの成功を、テキサスでもっと大きな規模でなぞろうとしたわけです。

クラッシュの企画も、観覧そのものは無料で、会場へ向かう臨時列車の運賃だけを取る仕組みでした。米メンタル・フロス誌やベイラー大学図書館の記事によると、往復の運賃は2ドルです(州内のどこからでも3.50ドルだったとする資料もあります)。つまり鉄道会社は、見世物ではなく「会場へ人を運ぶこと」で稼ぐ設計にしていたわけです。ケイティ鉄道の予想は2万〜2万5,000人でしたが、当日はそれを大きく上回る、およそ4万人が集まりました。

もう少し詳しく

会場のために、町がひとつ作られた。選ばれたのは、ウェイコの北約23km、ウェストという町の南約5kmにある、何もない浅い谷でした。ケイティ鉄道はそこに井戸を2本掘り、サーカス団リングリング・ブラザーズのテントを張って食堂にし、観覧席、演説台、記者席、電信局2か所、臨時の駅までこしらえます。駅の上には大きな看板が掲げられ、この場所は企画者の名前から「クラッシュ」と名づけられました。地図に載らない町が、たった一日のために立ち上がったことになります。当日、鉄道会社は各地から臨時列車を何本も仕立てて観客を運び込みました。

「爆発しない」と技師たちは保証していた。この企画で最大の争点は、衝突の衝撃でボイラーが破裂しないかという点でした。記録によれば、ケイティの技師たちはクラッシュに対し、機関車のボイラーは破裂に耐える設計になっており、高速で衝突しても爆発する可能性は低いと請け合っています。この保証を前提に、クラッシュは一般の見物人を線路から少なくとも200ヤード(約180m)離し、報道陣だけを100ヤード(約90m)まで近づけることにしました。蒸気機関車のボイラーには、沸点を超えた高温の水と高圧の蒸気が詰まっています。外壁が壊れて圧力が急に失われると、内部の水が一瞬で蒸気に変わって膨張し、破壊的な爆発につながる——とされていますが、当時この危険がどこまで正確に理解されていたのかは、はっきりしません。

衝突は、想定どおりに起きて、想定外の結果になった。使われたのは、引退したボールドウィン社製の機関車2両(999号と1001号)です。午後、2両はそれぞれ貨車を6両ずつ引いて線路の両端から加速しました。貨車の連結器は衝突に耐えられないと考えられたため、外れないよう鎖で結ばれていました。乗務員は速度をつけたところで飛び降り、無人の2両が時速70km前後で正面から激突します。ここまでは筋書きどおりでした。しかし衝撃で両方のボイラーが爆発し、金属や木の破片が観客の方向へ飛びました。ウェイコの歴史を伝えるベイラー大学のサイトによると、メスキートの木に登って見物していたアーネスト・ダーナルは、飛んできた破片を受けて即死しています。死者は2人とする資料が多い一方で、ベイラー大学図書館のブログのように「少なくとも3人」とするものもあります。制限線の内側にいたはずの見物人が、実際にはかなり前方まで詰めかけていたことも被害を広げたと見られています。

その日を記録しに来た人も負傷した。会場には報道関係の写真家が入っていました。そのうちの1人、ウェイコの写真家ジャーヴィス・ディーンは、飛来した金具を受けて片目を失っています。歴史に残る写真を撮ったその瞬間に、撮影者自身が被害者になったかたちです。犠牲者の遺族と負傷者に対しては、現金の補償に加えて、生涯有効の乗車券が渡されたと伝えられています。ディーンが受け取った賠償金は、当時の額で1万ドルにのぼったとされます。

企画者は解雇され、翌日に呼び戻された。ウィリアム・クラッシュはその晩のうちに責任を問われて解雇されます。ところが翌日、この出来事が全米の新聞に載り、ケイティ鉄道の名前が異例の規模で報じられていることが分かると、会社は彼を呼び戻しました。クラッシュはその後57年にわたって同社に勤め続けたと記録されています。

ジョプリンが曲にした衝突。テキサス出身のラグタイム作曲家スコット・ジョプリンは、この出来事を題材にしたピアノ曲『グレート・クラッシュ・コリジョン・マーチ』を書き、衝突からおよそ1か月後の1896年10月15日に著作権を登録しています。曲はケイティ鉄道にささげられ、楽譜には衝突の音をピアノで再現する弾き方の指示まで書き込まれていました。ただ、ジョプリン自身が会場で衝突を見たのか、ケイティ鉄道で働く知人から話を聞いたのかは、はっきりしていません。ジョプリンは「ラグタイム」——20世紀初頭のアメリカで流行した、跳ねるようなリズムのピアノ音楽——を代表する作曲家です。

その後も続いた「機関車の衝突ショー」。死者を出したにもかかわらず、機関車をわざと正面衝突させる見世物は、その後もあちこちのフェアで続きました。ギネス世界記録によると、「ヘッドオン・ジョー(正面衝突のジョー)」と呼ばれたジョセフ・コノリーは、1896年9月9日、クラッシュの6日前にアイオワ州デモインの州フェア会場のそばで最初の衝突を見せ、1932年8月27日までに73回、計146両の機関車を壊しています。最後のショーは大統領選挙の年で、機関車がつないだ古い客車には「フーヴァー」「ルーズベルト」と書かれていました。クラッシュの町は一日で消えましたが、1976年にはテキサス州歴史委員会が、現場から数マイル離れたウェストの町のケイティ鉄道の駅に、この出来事を伝える史跡標識を建てています。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
正直に言うと、自分もその場にいたと思う。1896年の田舎で機関車が正面からぶつかるのを見られると聞かされたら、荷馬車でも徒歩でも駆けつけるって。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
次の開催はいつですか、どこで申し込めますか。冗談で書き始めたのに、打ってるうちに本気で見たくなってきた。

3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
死者と重傷者が出たと先に知らされたうえでも、たぶん自分は行ってしまう。そういうところが人間にはあるんだと思う。

4. 海外の名無しさん
当時の暮らしがどれだけ退屈だったか、現代人はかなり過小評価している。この衝突は何年も町の話題であり続けたはずで、行かなかった人は一生悔しがったと思う。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
130年経った今も俺たちがこうして話しているんだから、宣伝としては大成功だったということになるな。

6. 海外の名無しさん(>>4への返信)
郡や州のフェアでは、しばらくのあいだ古い機関車をぶつけて見せるのが定番の出し物だったらしい。一度きりの狂気ではなく、何十年か流行っていたというのが逆に怖い。

7. 海外の名無しさん
企画したのがウィリアム・クラッシュという名前の人だったのが出来すぎている。クラッシュは英語で「衝突する」「押しつぶす」の意味なので、名前が仕事を決めた例だ。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
「クラッシュ氏はクラッシュさせるのか」「はい、クラッシュ氏はクラッシュさせます」。名前を読み上げただけで企画書の説明が終わってしまう。

9. 海外の名無しさん
「予想外にも、衝突の衝撃で両方のボイラーが爆発した」という一文がずっと引っかかっている。予想外だろうか、それは。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
当時は本気で大丈夫だとされていたらしい。ケイティの技師たちは、ボイラーは破裂しにくい設計になっていて、たとえ高速で衝突しても爆発する可能性は低いとクラッシュに保証していた。

11. 海外の名無しさん(>>9への返信)
現場に一人くらいは「あの、ぶつかったらボイラー爆発しますよね」と言った人がいたと思う。そして聞き流されたんだと思う。

12. 海外の名無しさん
写真の話がすごい。あの日の撮影者の一人は、飛んできた金具で片目を失っている。見世物を記録しに行って、その見世物に負傷させられたわけで。

13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
本当かどうか調べる気になれない話ってあるよね。これはこのまま信じておきたいので、私はこれ以上の追跡調査をしません。

14. 海外の名無しさん
遺族と負傷者への補償に生涯有効の乗車券が含まれていたというのが、いろんな意味で当時を物語っている。まず券なんだ、という気持ちになる。

15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
しかも企画した本人はその晩いったん解雇されて、宣伝効果の大きさが分かった翌日に呼び戻されている。その後57年も同じ会社にいたそうで、この部分だけ今の話としても通用する。

16. 海外の名無しさん
観客を線路から遠ざける制限線は引いてあったのに、みんなじりじり前へ出てしまったんだろうな。破片がどこまで飛ぶかを誰も知らない時代だったわけで。

17. 海外の名無しさん
スコット・ジョプリンが現地にいて、この出来事を題材にした行進曲を残している。ラグタイムの作曲家がこんなところでネタを拾っているのが、いかにも当時らしい。

※注:ジョプリンが会場で衝突を見たかどうかは確かめられていない。ケイティ鉄道で働く知人から話を聞いて作曲したという見方もある(ベイラー大学図書館などによる)。

18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
事故を曲にするなんて不謹慎に聞こえるけど、大きな出来事をすぐ曲にして楽譜を売るのは当時ごく普通の商売だった。今でいう速報の動画みたいなものだと思う。

19. 海外の名無しさん
「ねえ、機関車がぶつかるの見に行かない?」「テレビで何やってる?」「テレビって何だ?」「よし、機関車を見に行こう」。実際こういう会話だったと思う。

20. 海外の名無しさん
娯楽が指先に全部そろっている今でも、深夜の暴走行為を見物しに人が集まったりする。人間は目新しさと、みんなで同じものを見た体験が好きなだけで、当時の4万人を馬鹿にはできないと思う。

21. 海外の名無しさん
4万人という数字が異常。何もない平原に臨時の町をこしらえて、鉄道会社が客を列車で運び込んだわけで、集客イベントとしての設計はやたら完成度が高い。

22. 海外の名無しさん
亡くなった二人が見物に来ていた人だったと知ってから、この話の見え方が少し変わった。歴史の珍事として面白いのは確かだけど、その日ちゃんと誰かが命を落としている。

まとめ

1896年9月15日、テキサスの何もない土地に約4万人が集まり、2両の蒸気機関車が正面衝突する様子を見物しました。企画したのはケイティ鉄道の旅客係ウィリアム・ジョージ・クラッシュ。技師たちの「爆発しにくい」という保証に反してボイラーが破裂し、飛散した破片で2人が死亡、6人以上が重傷を負っています。コメント欄では「自分も絶対に行っていた」という素直な反応と、「予想外と書かれているが予想外だろうか」という冷静な突っ込みが半々でした。娯楽が乏しかった時代の熱狂を笑うのは簡単ですが、目新しさと人だかりに引き寄せられる性質は今も変わっていない、という指摘が印象に残ります。

参考資料

元ソース: 1896年、テキサスの何もない土地に4万人が集まり、2両の機関車をわざと衝突させる見世物を見物した

コメント

  1. junk より:

    湧別機雷事故思い出した…

  2. Reddit名無しさん より:

    アメリカ人って映画でも現実でもクラッシュとか爆発、事故が大好きだよね。
    ナスカーとかモンスタートラック、航空機ショー、アメフトなんかのスポーツ事故で「なんてこった!」とか叫んだり神妙な顔して追悼したりしてるけど、それが目的の部分あるだろって思っちゃう。

  3. Reddit名無しさん より:

    ジョジョの「スティール・ボール・ラン」レースは、いかにも漫画的な発想だな(現実ではありえないな)と思いながら読んでたが、
    同時代(1890年代)に現実ではこういう見世物が実際にあったんだと思うと、なんだか感慨深い