「何時間走っても、平屋より高いものが一つも見えなかった」19世紀の大平原で記録されたプレーリー・マッドネスとは…

「何時間走っても、平屋より高いものが一つも見えなかった」19世紀の大平原で記録されたプレーリー・マッドネスとは… 歴史

19世紀、ヨーロッパから北米中西部の大平原に渡り、そこに住みついた人たちのあいだで、抑うつ、人づきあいを避けるようになる、性格や生活習慣が変わる、といった不調が数多く記録されている。当時の人はこれを「プレーリー・マッドネス(草原の狂気)」と呼んだ。原因として真っ先に挙げられていたのは、病原体でも土地の呪いでもない。何もない、という一点だった。

※注:グレートプレーンズ(大平原)は、北はカナダから南はテキサスまで、ロッキー山脈の東側に南北へ細長く広がる草原地帯である。面積は区分のしかたで幅があるが、おおむね日本の国土の3倍以上。最大の特徴は「木がほとんど生えていない」ことで、見渡すかぎり背の低い草だけが続き、視界をさえぎるものが何もない。丘と林で細かく仕切られた日本の風景とは、成り立ちからして違う。ソッドハウス(soddy)は、その木のなさから生まれた家で、草の根がびっしり絡んだ表土を煉瓦のように切り出し、積み上げて壁にする。ホームステッド法(1862年)は、公有地160エーカー(約65ヘクタール)を申請し、5年間そこに住んで耕せば自分の土地になるという制度で、ほぼ無料で農地が手に入るため、ヨーロッパからの移民を含む大勢の人がこの平原へ流れ込んだ。

今日の知ってた?

🌾 19世紀にグレートプレーンズへ入植したヨーロッパ系の人々のあいだで、抑うつ・人づきあいを避ける・性格や習慣の変化・暴力といった不調が広く記録され、当時「プレーリー・マッドネス(prairie madness)」と呼ばれた。ただしこれはその時代の呼び名であって、病名ではない。今の医学に「プレーリー・マッドネス」という診断名は存在しない。現在は、極端な社会的孤立・変化に乏しい景色・止まない風・厳しい気候・冬の日照不足・偏った食事といった条件が同時に重なった結果として説明されることが多い。

背景:木が一本もない土地に、家を建てるということ

まず、その場所がどれくらい「何もない」のかを押さえておきたい。グレートプレーンズは半乾燥の草原で、川沿いをのぞけばほぼ樹木がない。地平線は文字どおり一直線で、目印になる山も林も建物もない。当時この土地に入った人の多くは、森のある北欧・ドイツ・東欧、あるいはアメリカ東部の出身だった。生まれてからずっと視界のどこかに木があった人が、いきなり木のない世界に置かれることになる。

木がないと、まず家が建たない。そこで使われたのがソッドハウスである。厚さ10センチほどに切り出した芝土のブロックを積み上げ、屋根にも土を載せる。断熱性は高く、冬は暖かく夏は涼しかったと言われるが、床は土のまま、雨が降れば天井から泥水がしたたり、壁の中には虫が住んだ。窓は小さく、屋内は昼でも薄暗い。燃料も同じ事情で、薪の代わりに乾かした牛や野牛の糞を燃やした。台所の火から寝る場所まで、生活のすべてが「木がない」という一点に縛られていた。

この土地がどれほど木に飢えていたかは、法律のほうによく出ている。連邦政府は1873年に木材栽培法を作り、区画のうち一定面積に木を植えて育てれば、さらに160エーカーを与えるという条件を出した。つまり国が賞金を出してまで木を植えさせようとしたわけである。ネブラスカ州で1872年に始まった植樹の記念日(アーバー・デー)が、のちにアメリカ全土へ広がったのも同じ土地柄からだ。木は自然に生えてこないので、人が一本ずつ植えるしかなかった。

※注:160エーカーは1辺がおよそ800メートルの正方形にあたる。区画が順番に埋まっていれば隣家は800メートル先という計算になるが、実際には鉄道会社に払い下げられた土地や、申請されないまま残った区画が虫食い状に挟まる。いちばん近い隣家まで数キロ、条件によってはそれ以上というのが珍しくなかった。徒歩なら往復で半日仕事、冬なら行くこと自体をあきらめる距離である。

そして天候が容赦なかった。夏は40度近くまで上がり、雹が畑を一晩で潰す。乾季には草原火災が地平線を横切ってくる。1874年から1877年にかけては、ロッキートビバッタの大群が中西部を襲った。1875年の記録では、一つの群れの広がりがおよそ50万平方キロ(日本の国土より広い)と見積もられている。畑も草も、干してあった洗濯物までも食い尽くされた。冬は逆で、1888年1月12日には、朝方が異様に暖かかった日の午後から急激に吹雪が襲い、推定235人が亡くなっている。そのかなりの数が、学校からの帰り道にいた子どもだった。この日はいまも「子どもたちの吹雪」と呼ばれている。

入植した人たちの出身も多様だった。ノルウェー、スウェーデン、ドイツ、ボヘミア。そして、ロシアの草原地帯から来た人たちもいる。18世紀にヴォルガ川流域へ入植したドイツ系の人々や、ウクライナ南部にいたドイツ系メノナイトの一部が、1870年代にカンザスやネブラスカへ渡ってきた。彼らが持ち込んだ寒さに強い冬小麦は、のちにカンザスの主力品種になった。同じ大平原でも、もともと草原で暮らしてきた人にとっては見慣れた風景だったという点は、あとで効いてくる。

もう少し詳しく

いちばん重い条件は、たぶん「誰にも会わない」ことだった。プレーリー・マッドネスの話でくり返し挙がるのが孤立である。隣家まで数キロ、町まで一日がかり。電話もラジオもなく、手紙が数週間に一度届けばいいほう。冬に大雪が来れば、その数週間さえ途切れる。家族以外の人間と一言も交わさない日が、何週間も続く。人の脳はそういう状態を想定して作られていない、というのが今の理解にいちばん近い言い方だと思う。現代でも、長期の社会的孤立が心身の健康に与える影響は繰り返し研究されていて、決して軽いものとして扱われていない。

次に挙がるのが、風の音である。これは当時の手記でも後の研究でも、驚くほど頻繁に出てくる。大平原には風をさえぎる林も丘もないので、風は減速せずに家へ届き、しかも一日中止まない。屋根の土を鳴らし、窓枠を鳴らし、草原全体をざわざわと鳴らし続ける。眠っているあいだも聞こえている。生活音がほかに何もない場所では、この音だけが延々と続く音源になる。ある種の単調な刺激が人をすり減らせるというのは、感覚としてはわかる話だ。

記録では、女性のほうが多く残っている。これは当時からよく言われていたことで、理由もいくつか挙げられている。男性は畑仕事や家畜の売買、町への買い出しといった「外へ出る用事」を持っていた。対して女性は家と家のまわりが生活のほぼ全部で、外に出る口実が構造的に少ない。加えて、東部やヨーロッパの町から来た女性は、それまで持っていた親戚や近所づきあいの網をまるごと失ったうえで平原に着いている。よく引かれるのが、ノルウェー系作家オーレ・ローヴォーグが1920年代に書いた開拓小説『Giants in the Earth』(1927年に英訳、原著はノルウェー語)で、この作品にはダコタの平原で少しずつ追いつめられていく妻ベーレトが出てくる。当時の読者が「これは知っている話だ」と受け止めたことが、この小説が広く読まれた理由のひとつだと言われている。

そして、冬。大平原の冬は長く、日が短く、雪でしばしば外に出られない。日照が足りない時期に気分が落ち込みやすくなること自体は、今ではよく知られている。季節性の抑うつが医学の用語としてまとめられたのは1984年で、それまでは「冬になると調子が悪い」は個人の気分の問題として片づけられてきた。19世紀の平原で冬を越していた人たちには、そもそも説明の枠組みが存在しなかったことになる。栄養も偏っていた。冬のあいだの食事は保存のきくもの中心で、新鮮な野菜や果物が何か月も食卓に上がらない年もあった。

※注:季節性の抑うつは、日照時間が短くなる時期に気分の落ち込み・過眠・過食などが出やすくなるもので、高緯度地域ほど報告が多い。1984年にアメリカ国立精神衛生研究所の研究チームが症例をまとめて発表し、光を浴びる治療が試されるようになった。ここで重要なのは「気の持ちよう」ではなく環境側の要因が関わると整理された点で、プレーリー・マッドネスの話を今読み解くときも同じ視点が使われる。

同じ条件は、現代でも作れてしまう。ここが元スレでいちばん盛り上がっていたところでもある。南極の観測基地で冬を越す隊員には、睡眠の乱れ、気分の落ち込み、集中力の低下、いらだちといった変化が高い頻度で報告されていて、まとめて「越冬症候群」と呼ばれる。数か月にわたって同じ十数人としか会わず、外は暗く、景色は変わらない。潜水艦の長期航海や、遠隔地の研究拠点でも似た報告がある。景色が変わらず、人に会わず、外に出られない——この三つがそろうと、時代も国籍も関係なく同じことが起きる、というだけの話なのだ。

だから「昔の人は弱かった」という読み方は、たぶん逆である。プレーリー・マッドネスという名前は当時の言い方で、今の医学の診断名ではない。名前が刺激的なので奇談として扱われがちだが、中身は「人間をこの条件に置くとこうなる」という、ごく素直な記録に近い。実際、同じ平原に入っても、もともと草原で暮らしていたロシアからのドイツ系移民のように、風景に驚かなかった人たちもいた。個人の強さではなく、環境と、その人が何を見慣れていたかの問題だったわけである。19世紀の話として読むこともできるし、自分が同じ場所に一年置かれたらどうなるかとして読むこともできる。元スレのコメント欄は、ほぼ全員が後者で読んでいた。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
ワイオミング出身なんだけど、この話を読んで「見られている」という気持ちになった。冗談じゃなく、地平線しかない場所で育つと、遠くのものが見えることに慣れすぎて距離感がおかしくなる。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
ネバダからコロラドへ、州間高速80号でワイオミングを横切ったことがある。途中でふと、もう何時間も平屋より高いものを一つも見ていないと気づいた。パニックとまではいかないけど、ここは存在してはいけない土地なんじゃないかという圧が来た。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
「この州は存在すべきではない。人間のおごりの記念碑だ」って言い回しがあるけど、あれは冗談として作られたはずなのに、実際に走ると妙に説得力が出てくるんだよな。西テキサスの10号線も同じ空気がある。

4. 海外の名無しさん
自分は大平原の生まれで今は東海岸に住んでる。父が亡くなったとき数年ぶりに帰ったんだけど、離れて暮らすと、あそこの空がどれだけ多いかを忘れるんだと思った。青くて開けていて、正直ちょっと圧迫される。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
空が広いのは気持ちいいことだと思ってたから、圧迫されるという感想が新鮮だった。言われてみれば、木や建物って景色をふさぐと同時に、こちらを囲って守ってもいるんだよな。それが一切ないと、どこにも隠れられない。

6. 海外の名無しさん
ホームシック+いくらでも手に入る酒+孤独=情緒不安定。式にしてしまうと身も蓋もないけど、これで説明がつくところはかなり大きいと思う。そんなに不思議な話ではない。

7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
それに「やめて帰る」という選択肢が事実上なかったのも大きい。全財産を売って渡ってきていて、帰りの旅費もなければ帰る家もない。逃げ場がない状態で式の三項目を全部食らうのは相当きつい。

8. 海外の名無しさん
正直、他人事として読めなかった。冬に二週間くらい家からほとんど出ない期間があると、今でも近い気分になる。人に会わない、景色が変わらない、外が暗い。条件だけ見ると19世紀の平原とそんなに違わない。

9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
北欧に住んでいると毎年これ。12月は昼過ぎに暗くなるので、みんな真面目に光を浴びる装置を買って机に置いている。気合いでどうにかなるものではないと分かってから、だいぶ生きるのが楽になった。

10. 海外の名無しさん
南極の越冬隊にも似た話があるよね。数か月同じ十数人としか会わず、外は暗くて景色も変わらない。ぼんやり一点を見つめたまま止まる状態が出てくるので、現地では独特の呼び名までついていると聞いた。

11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
潜水艦の長期航海でも似た報告があるらしい。装備も食事も19世紀とは比べものにならないのに、それでも起きるということは、原因は貧しさじゃなくて単調さと孤立のほうなんだと思う。

12. 海外の名無しさん
ヴォルガ・ドイツ人みたいに、ロシアの草原から来てネブラスカあたりに入植した人たちはどうだったんだろう。もともと似たような風景の場所で暮らしていたわけで、受け止め方が違った可能性はありそう。

13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
ウクライナから来たドイツ系メノナイトについてなら言える。あの人たちは完全に水を得た魚だった。土地の使い方も冬の越し方も知っていて、寒さに強い小麦まで持ち込んでいる。何を見慣れているかで、同じ景色がまったく違って見える好例だと思う。

14. 海外の名無しさん
時代も場所も全然違うけど、第二次大戦の記録映像で、元ドイツ兵が「ロシアの草原の果てしなさが多くの兵に同じような作用を及ぼした」と話していたのを思い出した。終わりが見えない平坦さというのは、それ自体が効くらしい。

15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
ただその例は、戦地にいること自体の影響と切り分けるのがかなり難しいと思う。景色のせいなのか、その場でやっていたことのせいなのかが混ざる。地形の話として取り出すなら、もっと平時の記録のほうが向いている。

16. 海外の名無しさん
記事に出てくる風の話がいちばん怖かった。さえぎるものがないから減速せずに家まで届いて、しかも一日中止まない。眠っているあいだも鳴り続けている音がある生活を、何年も続けるところを想像してほしい。

17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
換気扇を一日中つけっぱなしにしていると思えば、と言おうとしたけど全然違うな。あれは自分で止められる。止められない音が何年も続くというのは、たぶんまったく別の体験だと思う。

18. 海外の名無しさん
木がないから家も草、燃料も草、というくだりでちょっと言葉を失った。壁が土で、屋根も土で、火を焚くのは乾かした家畜の糞。手元にあるものだけで生活を組み立てるって、こういうことなんだな。

19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
しかもその家は昼でも薄暗い。窓を大きくすると土の壁が持たないから、光を取る量が構造的に制限される。冬に外へ出られない時期は、暗い家の中に何週間もいることになる。条件が全部同じ方向を向いている。

20. 海外の名無しさん
大平原育ちだけど、ここの暮らしは地味で悪くないよ。ハリケーンも地震も火山もない。そういうものはベッドの中で安全に想像するだけで済む土地なので、これはこれで気に入っている。

21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
毎年どこかで幅1マイル級の竜巻が出ている州の人が言うと説得力が違う。ほかにも猛烈な直線暴風、吹雪、着氷性の雨、雹。あと草むらにはマダニがいくらでもいる。自然は人を謙虚にさせる方法をちゃんと持っている。

22. 海外の名無しさん
記録に女性のほうが多く残っている理由の説明が腑に落ちた。男は買い出しや家畜の用事で外に出る口実があるけど、女性は家とその周りが生活のほぼ全部になる。同じ土地にいても、人に会う回数がまるで違ったわけだ。

23. 海外の名無しさん
名前が「狂気」だから昔話の奇談みたいに読まれがちだけど、中身はかなり普通の話だよね。人に会わない、景色が変わらない、外に出られない。その三つを何年も続けたら誰でもこうなる、という記録として読むほうが正確だと思う。

まとめ

19世紀にグレートプレーンズへ入植したヨーロッパ系の人々のあいだで、抑うつや人づきあいを避ける、性格や習慣の変化といった不調が広く記録され、当時「プレーリー・マッドネス」と呼ばれた。これはその時代の呼び名であって病名ではなく、今の医学に同じ診断名はない。現在は、隣家まで数キロという孤立、木が一本もない単調な景色、止まない風、酷暑と吹雪、冬の日照不足、偏った食事といった条件が同時に重なった結果として説明されることが多い。元スレのコメント欄では「昔の人が弱かった」という方向の話はほとんど出ず、代わりに、州間高速を何時間走っても平屋より高いものが見えなかったという体験談、北欧の12月に光を浴びる装置を机に置いている話、南極の越冬隊や潜水艦での似た報告といった、自分の側に引き寄せた読み方が並んだ。ロシアの草原から来た移民には同じ風景がまるで違って見えたらしい、という指摘も印象的だった。人が何に耐えられるかは、強さよりも、何を見慣れているかで決まるのかもしれない。

元ソース: 「プレーリー・マッドネス」を知った。19世紀にグレートプレーンズへ移住・入植したヨーロッパ系の人々を苦しめた不調で、抑うつ、人づきあいを避ける、性格や習慣の変化、暴力などが症状として記録されている

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