「まるで何か超自然的な手が……したかのようだった」アメリカの新聞に40年紛れ込み続けた記者たちの合言葉とは…?

「まるで何か超自然的な手が……したかのようだった」アメリカの新聞に40年紛れ込み続けた記者たちの合言葉とは…? 文化・社会

「まるで何か超自然的な手が、駒を一つずつ然るべき位置へ動かしていったかのようだった」。この一文が、アメリカの新聞の紙面に何十年ものあいだ、ぽつり、ぽつりと現れ続けていた。事件記事にも、選挙の分析にも、スポーツの敗戦記にも。書いていたのは別々の新聞社の別々の記者で、そして彼らは示し合わせていた。

※注:シカゴ・トリビューンは、アメリカ中西部のシカゴで発行されている主要日刊紙のひとつ。1847年創刊で、全国的に名の知られた新聞である。

今日の知ってた?

📰 アメリカの記者たちの秘密結社「オカルトの手の騎士団(Order of the Occult Hand)」は、”It was as if some occult hand had …”(まるで何か超自然的な手が……したかのようだった)という決まり文句を自分の記事にこっそり紛れ込ませることを、会員の証としていた。1960年代半ばに始まったこの遊びは、2004年にシカゴ・トリビューン紙の調査記事で正体を暴かれるまで、40年近く続いた。しかも彼らは2006年、新しい合言葉を決めて活動を再開している。

背景:始まりは、大真面目に書かれた一文だった

1965年の夏、アメリカ南部の地方紙で事件を担当していた記者が、身内による銃撃事件の記事にこの一文を書いた。まるで何か超自然的な手が、駒を一つずつ然るべき位置へ動かしていったかのようだった——。当人はふざけていたわけではない。避けようのなかった事件の空気を出そうとして、精一杯もったいぶった比喩を持ち出しただけである。

ところが、同じ編集局の同僚たちにはこれが面白すぎた。厳めしい言い回しのくせに、中身をよく読むと何ひとつ説明していない。それでいて「深いことを言った」という感触だけが残る。彼らはこの一文を気に入り、ひとつの遊びを思いついた。この決まり文句を自分の書いた記事に紛れ込ませ、そのまま活字にできた者を会員と認める。それだけの結社である。

会員名簿はない。会費もない。集会も、規約も、入会の手続きもない。証明になるのは「紙面に載った」という事実ひとつだけだった。つまりこの遊びは、デスクの目と校閲の赤ペンをすり抜けて初めて成立する。ハードルは同僚ではなく、自分の原稿を最後に読む人間のほうに置かれていた。

もう少し詳しく

この合言葉は、どんな記事にも入る形をしていた。「まるで何か超自然的な手が……したかのようだった」という言い回しは、後ろに何をつないでも文が壊れない。裁判の判決でも、大統領選の情勢でも、九回裏の逆転負けでも使える。しかも文法的にどこも間違っておらず、語感としても悪くない。原稿を受け取ったデスクからすれば、少し気取った比喩でしかなく、赤を入れる理由が見つからない。意味が無いことが、見つからない理由になっていた。

やがて、地方紙の内輪ネタは全国へ広がった。記者は転職も異動もする。ひとりが別の新聞社へ移れば、その紙面に合言葉が現れる。時期も地域もばらばらな記事に、同じ一文が数十件も確認されるまでになった。読者から見れば、ただの偶然の言い回しの一致である。

2004年、シカゴ・トリビューン紙の記者がこれを一本の線につないだ。過去記事のデータベースで同じ言い回しを検索していくと、無関係なはずの記事に同じ文が繰り返し現れる。地理的にも時間的にも散らばっているのに、文だけが揃っている。この調査記事によって結社の存在は表沙汰になり、暴露のあとには、あるベテランのコラムニストが自分も会員だったと名乗り出た。

そして2006年、彼らは新しい合言葉を決めた。社説の書き手たちが集まる年次の会合で新しい文句が選ばれたと伝えられているが、それが何なのかは公表されていない。この話のいちばん厄介なところはここにある。今日の朝刊のどこかに、その一文が載っているかもしれない。だが読者には見分ける手立てがない。40年見抜けなかったものを、いま見抜けると考える理由もない。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
「まるで何か超自然的な手が……したかのようだった」。声に出して読むとやたら大げさなのに、記事の中にぽんと置かれると妙に据わりがいいのがずるい。何ひとつ説明していないのに、深いことを言った気にさせる文の見本みたいな一行だと思う。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
しかもこの形、どんな記事にも刺さるのが強い。裁判でも選挙でも、スポーツの負け試合でも、そのまま置ける。デスクから見たら「ちょっと気取った比喩」でしかないから、削る理由が無いんだよな。

3. 海外の名無しさん
これを知ってしまうと、これから新聞を読むたびに変な言い回しが気になって仕方なくなる。妙に凝った一文が出てくるたびに、これは何かの合図なんじゃないかと疑い始めそうで困る。

4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
落ち着け。その「疑い始めそう」という言い回しこそ、2006年に決まった新しい合言葉かもしれないぞ。こうなるともう、自分が書いた文章すら信用できなくなるやつだ。

5. 海外の名無しさん
元記者だけど、この手の遊びはどこの編集局でも普通にやっていた。書く文章は退屈でなければいけないという縛りがあるぶん、どこかで息を抜かないと持たない。「今週ボーイングの買収記事を書く人のうち、乳製品に一番多く触れた人の勝ち」みたいな賭けを、真顔でやっていた。

6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
記事を読んでいて「なんでここでチーズの話が出てくるんだ」と引っかかったことが何度もあるんだけど、あれ全部そういうことだったのか。読者が首をかしげる一行には、だいたい理由があるらしい。

7. 海外の名無しさん
英語の見出しに「slam(叩く)」「probe(調査する)」「oust(追放する)」みたいな短い動詞ばかり出てくるのも、元をたどれば同じ紙面の都合。「criticize(批判する)」だと活字の幅を食いすぎるから短い語に置き換えられ、それが定着した。段組みの幅が言葉を選んでいる。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
「vaccine(ワクチン)」が見出しの都合で「jab(注射の一発)」に縮められた結果、その語がそのままワクチン反対派の揶揄に使われるようになった例もある。紙面の都合で生まれた略語が、勝手に別の意味を背負って歩き出すのは怖い。

9. 海外の名無しさん
演劇の世界にも似た遊びがあると聞いたことがある。舞台の上で卵をひとつ、観客に気づかれないように役者から役者へ手渡していく、というもの。何か月も同じ芝居を繰り返していると、こういうことでもしないと気持ちが保たないらしい。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
ミュージカルのオーケストラピットはもっとひどい。長期公演の後半になると、クラリネットの見せ場が始まった瞬間に隣の奏者が予備の部品をそっと足元へ落として、演奏中の本人に「自分の楽器がバラバラになっている」と思わせる。演奏は止められないので、逃げ場がない。

11. 海外の名無しさん
学者の世界にも賞金つきの悪ふざけがあった。査読を通る論文にまったく学術と関係のない一文を最初に載せた人へ現金を出す、という私的な賭けで、勝った人は音声認識の研究で「機械に認識させる例文」としてその一文を使ったらしい。抜け道の見つけ方が上手すぎる。

12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
プログラマも同じことをしていて、製品の中身に本筋と関係ない一行や隠し画面が仕込まれていることがある。動作には一切影響しないから試験でも引っかからず、そのまま世に出ていく。どの業界にも「仕様書に書けない部分」があるんだな。

13. 海外の名無しさん
辞書には、架空の項目をわざと一つ紛れ込ませておく習慣がある。他社が中身を丸ごと写して出版したときに、その存在しない単語まで載っていれば盗用の動かぬ証拠になるという仕掛け。存在しない言葉を守るために存在しない言葉を作る、という発想が好き。※ こうした架空の項目は「マウントウィーゼル」と呼ばれる。1975年の百科事典に載っていた実在しない人物名に由来する。

14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
地図にも同じ仕掛けがあって、実在しない小道や町をひとつだけ描き込んでおく。あとから出た別の会社の地図にその架空の道が載っていたら、実地調査ではなく写して作ったことがはっきりする。嘘を一個だけ置いておくのは、なかなか賢い防御だと思う。

15. 海外の名無しさん
面白い話として消費されているけど、これは普通に読者を欺いている。新聞は「ここに書いてあるのは確認された事実です」という約束の上に成り立っているのに、その紙面へ内輪の合図を混ぜていいわけがない。楽しいかどうかとは別の話だ。

16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
同意する。文の意味そのものは無害でも、問題は「編集の目をすり抜けさせるために書いた一文が、そのまま活字になった」という事実のほう。すり抜けさせられると分かっているなら、すり抜けるのが合言葉だけとは限らない。

17. 海外の名無しさん
校閲は何をしていたんだ、というのが最初の感想だった。別々の新聞で40年近く誰も引っかからなかったわけで、遊びの是非より先に「中身の薄い比喩は誰にも止められない」という事実のほうが気になってしまう。止める根拠が無い文章がいちばん強い。

18. 海外の名無しさん
会社の会議でも似たことをやっていた。電話会議の前にホワイトボードへ流行りのビジネス用語をひとつ書いて、それを会話に何回ねじ込めるかを競う。使いすぎて話が通じなくなり、取引先が本気で困惑し始めたときはさすがに気まずかった。

19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
うちは上司が仕掛けてくる。自分が説明している最中にチャットが飛んできて、単語がひとつだけ書いてある。それを次の一文に入れないといけない。おかげで仕事は面白くなったが、資料の中身は頭から飛ぶ。

20. 海外の名無しさん
記事に名前が挙がっている書き手の数、秘密結社の会員数としては多すぎないか。単に気の利いた言い回しとして真似しただけの人が大半で、本人たちは結社の存在すら知らなかった、という可能性のほうが高い気がする。

21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
それはそれで良い結末だと思う。合言葉として作られた文が、意味を知らない人に「使い勝手のいい比喩」として気に入られ、勝手に増えていく。結社が広めたのではなく、文そのものに広がる力があったことになる。

22. 海外の名無しさん
たぶん今の合言葉は「事情に詳しい関係者によると」だと思う。どの記事にも出てくるくせに、その人物が誰なのかは最後まで分からない。ここまで毎日どこかの紙面に現れているなら、もう組織的にやっていると考えたほうが自然だろう。

23. 海外の名無しさん
映画で同じ悲鳴の音声が何十年も使い回されているのと、感覚としてはそっくりだ。一度気づいてしまうと、二度と気づかないふりができなくなる種類の話。※ 1950年代の西部劇で録音された悲鳴が、その後何百本もの映画で効果音として使い回されている。「ウィルヘルムの叫び」と呼ばれる。

24. 海外の名無しさん
いちばん効いたのは、2006年に新しい合言葉が決まったのに、それが何なのかは公表されていないという部分。つまり今日の新聞のどこかに載っている可能性があって、しかも読者には見分ける手立てがない。40年見抜けなかったのだから、たぶん今も見抜けない。

まとめ

アメリカの記者たちは「まるで何か超自然的な手が……したかのようだった」という一文を合言葉に定め、40年近くにわたって自分の記事へこっそり忍ばせ続けた。2004年にシカゴ・トリビューン紙の調査で正体が明らかになったが、2006年には新しい合言葉を決めて再開しており、それが何なのかは今も分かっていない。コメント欄では、舞台俳優の卵回し、オーケストラの悪ふざけ、辞書の架空項目、地図の架空の道と、業界ごとの内輪の仕掛けが次々に出てきた。その一方で「意味の無い一文でも読者を欺いていることに変わりはない」「編集の目をすり抜ける前提で書かれた文が載る仕組みのほうが問題だ」という厳しい声も並んでいる。日本語で言えば、行頭の字を縦に読ませる縦読みや、校閲をすり抜けた謎の一文が長く語り草になるのに近い。真面目な紙面ほど、こういう遊びの居場所になるらしい。

元ソース: アメリカの記者たちの秘密結社「オカルトの手の騎士団」は、「まるで何か超自然的な手が……したかのようだった」という決まり文句を何十年も紙面に紛れ込ませ続け、2004年のシカゴ・トリビューン紙の調査で暴かれた。2006年には新しい合言葉を決めて再開している

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