ピラミッドは、古代エジプトの人にとっても「大昔の遺跡」だった。紀元前13世紀、ラムセス2世の息子カエムワセト王子は、当時すでに1,000年以上たっていたピラミッドや神殿を調べ、名前の見当たらなくなった王の名を刻み直して回った。海外では「古代エジプトにもエジプト学者がいた」として話題になり、この王子が建てた建物は、日本の早稲田大学の調査隊が掘り当てている。
今日の知ってた?
🏛️ ラムセス2世の第4王子カエムワセト(紀元前1281年ごろ〜1225年ごろ)は、メンフィスのプタハ神の大司祭をつとめながら、ジェセル王の階段ピラミッドやウナス王のピラミッドなど、自分より1,000年以上前の建造物に、王の名が見当たらないので改めて名を記した、という趣旨の銘文を残した。この仕事ぶりから「最初のエジプト学者」と呼ばれることがある。
背景:カエムワセトとは
カエムワセトは、古代エジプト新王国時代の第19王朝、ラムセス2世の4番目の息子として記録されている王子である。母はラムセス2世の妃のひとりイシスネフェルト。名前は「テーベに現れる者」という意味を持つ。生没年は紀元前1281年ごろ〜1225年ごろとされることが多いが、父ラムセス2世の在位年そのものが研究者によって数年ずれるため、どの資料でも「ごろ」が付く。
王子は若いうちから神官の道に進み、ナイル川下流の古都メンフィスで、職人と創造の神プタハに仕えた。プタハの神官には「セム神官」と呼ばれる儀式の役職があり、カエムワセトもこの称号を名乗っている。のちにはプタハの大司祭、つまりメンフィスの神殿組織の頂点に立った。メンフィスの西に広がる砂漠には、サッカラ、ギザ、アブシールといった、古王国時代(紀元前27〜22世紀ごろ)の王たちのピラミッドが並ぶ墓地がある。王子にとって、それは勤め先の裏手に広がる「先祖の遺跡群」だった。
カエムワセトがラムセス2世の跡を継ぐことはなかった。父は非常に長生きし、王子は父より先に亡くなったとされる。王位を継いだのは弟のメルエンプタハである。それでも、マンチェスター博物館のエジプト担当学芸員キャンベル・プライス氏が2022年の論文で書いているように、ラムセス2世の大勢の子どものなかで、自分の名と姿をもっとも多く残したのはカエムワセトだった。大英博物館には、父の名を刻んだ旗竿を両手に持って立つ、高さ146センチの石像(紀元前1260年ごろ)が展示されている。
もう少し詳しく
ピラミッドに残した「名札」。王子の名を今に伝えるいちばんの手がかりは、古いピラミッドや神殿の外壁に後から彫り加えた銘文である。もっとも保存がよいのはサッカラにあるウナス王(第5王朝の最後の王)のピラミッドの南面のもので、今も元の位置に戻されている。プライス氏の訳によると、内容は「王の命により、プタハの大司祭でセム神官の王子カエムワセトが、ウナス王の名を残した。ピラミッドの表面に王の名が見当たらなかったからである」というもの。続けて、崩れかけていた先王たちの記念物を直したいと強く願ったこと、供物や土地、人員を寄進したことが書かれている。同じ型の銘文は、ジェセル王の階段ピラミッドの南面、ウセルカフ王のピラミッドの東面、シェプセスカフ王の墓(マスタバト・ファラウン)の北面、アブ・グラブのニウセルラー王の太陽神殿、アブシールのサフラー王のピラミッドなどにも見つかっている。ウナス王の時代は紀元前24世紀ごろなので、王子から見て1,000年以上前の建造物ということになる。
クフ王の息子の像を拾い直す。建物だけではない。ギザの大ピラミッドを建てたクフ王の息子カワブの座像には、カエムワセトが打ち捨てられていたこの像を運び出し、据え直したという銘文が後から彫られている。像はメンフィス(現在のミート・ラヒーナ)で見つかったとされ、プライス氏は、もとはギザにあったカワブの墓所に置かれていたものとみている。1,000年以上前の王族の像を見つけて、その由来を書き添えて飾り直したわけで、今の博物館の仕事にかなり近い。
聖なる牛アピスの墓。プタハ神の化身とされた聖牛アピスは、死ぬと手厚く葬られた。その墓所がサッカラのセラペウムである。カエムワセトは、父の即位30年目、最初の王位更新祭のころに、アピスを何頭も葬れる地下の回廊を造らせたとみられている。1850年代にフランスのオーギュスト・マリエットがセラペウムを発掘したとき、その年に死んだアピスの石棺から、王子の名を記した小像(シャブティ)が約50体見つかった。金の仮面をつけた包みも出てきたため、長く「王子本人のミイラでは」と言われたが、今ではアピス牛の埋葬の一部とみられている。王子の墓はまだ見つかっていない。
早稲田大学が掘り当てた「王子の建物」。日本と最も縁が深いのはここだ。吉村作治氏らの早稲田大学の調査隊は、サッカラの北、アブシール南丘陵の頂上で1991年から発掘を続け、カエムワセトに関わる大型の石造建造物を見つけた。科学研究費の報告によると、1997年度の調査で南北約25メートル、東西約30メートルのほぼ左右対称の建物だと分かり、北西の隅から、建物を建てるときに埋める地鎮具が出土した。そこにカエムワセトの名を記したファイアンス(施釉の焼き物)のスカラベと小さな札が含まれていたことで、王子自身が建てたことが確実になった。海外の論文では「北サッカラ」の遺跡とも呼ばれ、プライス氏は、ここを王子の霊を祀る「カーの家」とみている。墓だったという確かな証拠は無いという。建物からはクフ王やペピ1世の名を記した小像がまとめて見つかり、古王国時代の石材も再利用されていた。丘の上からはメンフィスの墓地に並ぶ古いピラミッドが見渡せる。調査隊のメンバーが2011年に出した論文も、副題に「『最初のエジプト学者』の多面性の記録」と、この呼び名をかぎかっこ付きで使っている。
「最初のエジプト学者」は言い過ぎ?この呼び名には、専門家のあいだでも注文が付いている。プライス氏は、王子の修復を「古いものへの純粋な愛」とだけ見るのはロマンを込めすぎだと書く。銘文の多くは「父王の命により」という形をとっていて、王子は父の代理人として、ラムセス朝の王家を古い名君たちの列につなげる役目を果たしていた。そのうえで、先祖の記念物に自分の名を並べ、後の世の人に自分も祀ってもらおうとした、という見方である。実際、王子の名は長く語り継がれ、紀元前4〜1世紀のプトレマイオス朝の時代には、デモティック(民衆文字)で書かれた物語の主人公「セトナ」(セム神官の称号がなまった名)になった。カイロのエジプト博物館に残る『セトナ物語』第1話では、王子がメンフィスの墓地をさまよい、知恵の神トトの魔法の書を求めて古い王子の墓に入り込む。遺跡を歩き回った実在の人物が、千年近く後には、古い墓に入り込む魔術師として語られていたことになる。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
エジプトの文明って古すぎて、その頃にはもう考古学みたいなことが始まってたってことか。スケールがおかしい。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
最近この手の話を調べ始めたら、深みにはまって止まらなくなった。古代人が古代を掘ってる話、全部おもしろい。
3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
メソポタミアに目を向けると、3,000年前の人たちが「自分たちにとっての大昔」の知識を集めて残そうと必死になってる。アッシュルバニパルの図書館とかね。
4. 海外の名無しさん
ネットで何百回も言われてる話だけど、何度でも言いたい。クレオパトラは、大ピラミッドの建設より、私たちの時代のほうが近い。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
もっと言うと、クレオパトラはピラミッド建設より月面着陸のほうが時代が近い。何回聞いても頭がついていかない。
6. 海外の名無しさん(>>4への返信)
しかも大ピラミッドが建てられていた頃、北の離れ島にはまだマンモスが生き残ってたらしい。人類史の時間の長さ、感覚では無理。
7. 海外の名無しさん
「いやー、古代エジプト人って本当におもしろいよな!」
――古代エジプト人
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
「プントの仲間たち、最高」――古代エジプト人
「プントってどこだよ」――現代の考古学者
※注:プントは古代エジプトが船で交易した国。香料などを輸入していた記録があるが、正確な場所は今もはっきりしていない。
9. 海外の名無しさん
古代エジプトにも古代エジプトがあった、ってことだよね。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
古代エジプトのさらに古代エジプト。もう「超古代エジプト」と呼ぶしかない。
11. 海外の名無しさん
考古学者が考古学者を発掘する話、大好き。なんかこう、ちゃんと筋が通ってる感じがする。
12. 海外の名無しさん
1920年代にイラクで、紀元前530年ごろの「博物館」が見つかってるんだよね。それより前の1,500年分くらいの遺物を並べてたらしい。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
冗談かと思って調べたら本当だった。ウルの発掘で、年代のばらばらな遺物がきれいに並んでて、しかも3か国語で説明を書いた粘土の「ラベル」まで付いてたとか。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
博物館を発掘した考古学者「よし、もう仕事終わってるわ。新しい鍵つけて開館しよう」
15. 海外の名無しさん
アステカでも同じことが起きてる。テオティワカンのピラミッドは古すぎて、アステカの人たちですら誰が建てたか知らなかった。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
アステカの人たちはテオティワカンを掘って遺物を都に持ち帰ったり、昔の様式をまねた美術を作ったりしてたらしい。古代の古代ブームってやつ。インドや中国にも、古い遺跡や文物を調べて記録した学者がいたしね。
17. 海外の名無しさん
一つ驚くのは、ヒエログリフが何千年もあまり変わらなかったこと。英語なんて数百年前の文章でも読むのに苦労するのに、エジプト人は千年以上前の文字を読めたわけだ。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
話し言葉のほうは何千年のあいだにかなり変わってるよ。文字の体系も、そこまで劇的じゃないにせよ変化はしてる。王子が古い銘文を読めたのは、たぶん神官として古い書き方を学んでたからじゃないかな。
19. 海外の名無しさん
この人の映画があったら絶対見る。古代の王子が、さらに古代の遺跡を調べて回るインディ・ジョーンズ。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
映画じゃないけど、2,000年以上前にもう物語の主人公になってるのが笑える。しかも内容は、魔法の本を求めて墓に忍び込む話。古代エジプト人もこの王子に同じ夢を見てたんだな。
21. 海外の名無しさん
同時代の兄弟からは「お前、スカラベとオベリスクの話しかしないよな」って言われてたんだろうなと想像してる。
22. 海外の名無しさん
アメリカ人の感覚だと、200年前でもう「歴史の彼方」なんだよね。スフィンクスがラムセス2世の時代よりさらに1,000年以上前からあったなんて、正直うまく想像できない。
23. 海外の名無しさん
人間がいた限り、昔のものへの好奇心とか愛着はずっと同じだったんだと思うと、なんだか落ち着く。自分たちもその長い列の一人なんだな。
24. 海外の名無しさん(>>23への返信)
いつか3,000年後の誰かが、自分たちの時代の遺跡を見て同じことを言ってくれるといいな。そのときには僕らのほうが「古代人」だ。
まとめ
ラムセス2世の王子カエムワセトは、1,000年以上前のピラミッドに王の名を刻み直し、古い王族の像を据え直した。コメント欄では「古代エジプトにも古代エジプトがあった」という驚きと、クレオパトラやマンモスを持ち出した時間の長さの話で盛り上がり、アステカやメソポタミアにも「古代を調べる古代人」がいたという話が次々に続いた。王子の建てた建物を、3,000年以上たって日本の調査隊が掘り当てたというのも、この話のもう一つの巡り合わせだろう。
参考資料
- キャンベル・プライス(マンチェスター博物館)「サッカラに残るカエムワセト王子の遺産」『ヘリテージ』誌(2022年・英語)
- 大英博物館「カエムワセトの立像(EA947)」収蔵品データベース(英語)
- 科学研究費助成事業データベース「エジプト・アラブ共和国アブ・シール南地区における丘陵頂部および周辺遺跡の調査」(研究代表者・吉村作治)(1995〜1997年度・日本語)
- 世界史百科事典(World History Encyclopedia)「セトナ物語第1話:あらすじと解説」(2017年・英語)
元ソース: 今日知った話:古代エジプトにも「エジプト学者」がいた。ラムセス2世の王子カエムワセトは、当時すでに1,000年以上前の建造物を調べて修復することに生涯を捧げた

コメント
散々盗掘とかされた後だろうし
カルトゥーシュが無くなっても不思議じゃないしな
あまたのエジプトの神々が居たのに今はイスラム教国家。
エジプト人の選択の自由だがもったいないなぁ。
メジェド様なんて最高なのに、、、