「敵は全員死んでしまった。だから、勝ち誇ってやる相手が一人もいない」——96歳になった地質学者が、自分の説がようやく正しかったと認められたあとに漏らした言葉である。彼は半世紀近く「そんなことは起こりえない」と笑われ続けた。そして待っているあいだに、彼を笑った人々のほうが先に世を去っていった。
※注:舞台はアメリカ北西部、ワシントン州の東側にあたる一帯である。ここには「スキャブランド」と呼ばれる、草も生えにくい岩がむき出しの荒地が広がっている。数十メートル規模の深い溝が縦横に走り、干上がった巨大な滝の跡や、川底に見られるさざ波模様をそのまま何百倍にも引き伸ばしたような起伏が延々と続く、地球上でもかなり異様な風景である。この地形がどうやってできたのかが、本文で紹介する論争の中身にあたる。
今日の知ってた?
🌊 ワシントン州東部に広がる荒涼とした岩の大地は、氷河期の終わりに起きた桁外れの大洪水が、ごく短期間で削り取ってできたものだった。この説を唱えた地質学者J・ハーレン・ブレッツは、何十年ものあいだ学界から相手にされず、嘲笑され続けた。1970年代に入って空から撮られた画像が彼の主張を裏づけ、96歳で地質学における最高の栄誉とされる賞を受けたとき、彼はこう漏らしたと伝えられている——「敵は全員死んでしまった。勝ち誇ってやる相手が一人もいない」。
背景:「地球はゆっくりしか変わらない」という当時の常識
この話を理解するには、まず当時の地質学が何を大前提にしていたかを知っておく必要がある。20世紀前半の地質学の主流は、地形というのは気の遠くなるような時間をかけて、少しずつ削られ、少しずつ積み上がってできるものだ、という考え方だった。川は毎年ほんのわずかに谷を深くする。その「ほんのわずか」を百万年単位で積み上げれば峡谷になる。目の前の風景は、退屈なくらい緩やかな変化の総和である——これが当時の学界の教義だったと、元スレッドでも説明されている。
この前提が強力だったのには理由がある。それ以前の地質学は「ノアの洪水のような一度きりの大災害が今の地形を作った」という宗教的な説明と長く隣り合わせで、そこから科学として自立するために、大災害という言葉そのものを慎重に避けてきた歴史があった。つまり「巨大な洪水が地形を作った」という主張は、当時の専門家の耳には、ようやく振り払った古い考え方が裏口から戻ってきたように聞こえたのである。
ところがブレッツは現地を歩き回った末に、まったく逆の結論に達してしまった。あの荒地は、少しずつ削られたものではない。とてつもない量の水が、一気に、猛烈な速さで通り抜けた跡である、と。彼が最初にこの主張を出したのは1920年代のこと。元スレッドの表現を借りれば「認められるまで50年待った男」であり、そこから逆算すると年代はおおよそその頃になる。当時としてはほとんど異端の発言だった。
もう少し詳しく
証拠は、最初から地面の上に書いてあった。ブレッツが根拠にしたのは、想像でも直感でもない。地形図と、そこに残された堆積物と、水がどこから来たのかを示す地理的な条件だった。決定的だったのは、その水を溜めていた「容器」の特定である。現在のモンタナ州にあった氷河湖ミズーラという巨大な湖と、そこから水が抜け出す狭い出口。この一点が洪水の蛇口にあたると分かったことで、ばらばらだった証拠が一本につながった。ちなみに、記事の見出しでは「NASAの衛星画像が彼の正しさを証明した」と紹介されがちだが、元スレッドではそこに軽い訂正が入っている。飛行機が実用化されて空から撮影できるようになった時点で、地面に刻まれた巨大な波模様はすでにはっきり見えていた。衛星画像はとどめであって、出発点ではなかった、という話である。
水の量が、日常の感覚をまるごと超えている。元スレッドでコメントされていた推定値を並べると、氷河湖ミズーラが溜め込んでいた水は約2,200立方キロメートル。北米の五大湖でいえば、エリー湖とオンタリオ湖を合わせたくらいの水量にあたる。それをせき止めていたのが、厚さおよそ700メートルの氷の壁だった。この壁が破れると、湖の水は48時間ほどで流れ出したと見積もられている。ピーク時の流量は、現在地球上を流れているすべての河川の合計の10〜15倍。別の言い方をすれば毎秒およそ5億立方フィート、メートル法に直すと毎秒1,400万立方メートル前後になる。しかもこれは一度きりではない。氷の壁は何度も再生しては再び破れ、同じことが数千年のあいだに何十回も繰り返された。
※ 決壊の仕組みについても補足が入っていた。氷が水に削られて穴が開いたというより、下から加わる水圧で氷河そのものが持ち上げられ、隙間から一気に水が抜けたと考えられている。氷河の下や縁から突発的に大量の水が噴き出す現象は今も各地で観測されており、規模を桁違いに大きくしたものがこれにあたる。
反対した側にも、実は言い分があった。この話は「頑迷な学界 対 孤独な天才」という構図で語られやすいが、元スレッドではそこに慎重な意見も複数ついていた。当時は写真の質が悪く、現地までの移動も簡単ではなかった。そして何より、論争の一番の争点は「洪水があったかどうか」ではなく、「たった一度の洪水で、あれだけの地形を全部削れるのか」という点だったという。そしてこの部分に関しては、疑った側のほうが結果的に正しかった。のちの研究で明らかになったのは、少なくとも20回、あるいはそれ以上の洪水が繰り返し起きていたということである。ちなみに、疑っていた学者たちが実際にワシントン州まで足を運ぶと、たいていその場で「なるほど、これは間違いなく洪水だ」と納得して帰っていったらしい。彼らは意固地だったというより、遠かったのである。
そして皮肉なことに、晩年の彼自身が同じ壁になった。元スレッドで最も多くの賛同を集めていたのは、彼を英雄として讃える書き込みではなく、彼を「科学の教訓」として捉える書き込みだった。若い頃のブレッツは、証拠に従って主流の教義に一人で抗い続けた側の人間である。ところが後年、「洪水は一度ではなく何十回もあった」という新しい研究が出てきたとき、彼はそれを受け入れる側に回れなかった。自説が挑戦を受けた途端、かつて自分を苦しめた立場、つまり教義を守る側の人間になってしまったのである。証拠に従うことを教えてくれたはずの人物が、自分の説が証拠に追い抜かれる番になると、同じことができなかった。科学が前に進むのは英雄が現れるからではなく、弱さを抱えた人間が順番に手綱を握り、そのうち役に立つものだけが残っていくからだ——という指摘は、この話の後味を確実に変えてくる。
あの一言の出どころにも、小さな訂正がある。「敵は全員死んだので、勝ち誇る相手がいない」というセリフは、受賞式の壇上で放たれた史上最高に辛辣な受賞スピーチとして紹介されることが多い。ただ元スレッドには、これは公の場での発言ではなく、息子に向けて漏らした冗談として伝わっているものだ、という指摘があった。壇上で言い放ったのだとすれば痛快な復讐劇だが、家で息子相手にぽつりと言ったのだとすれば、意味合いは少し変わってくる。長く待たされた人が、待った甲斐があったはずの瞬間に、渡す相手のいなくなった勝ち札を手にして苦笑している——そちらのほうが、たぶん本当の光景に近い。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
これブレッツのことだよな。こっちでは昔から「ブレッツ洪水」って呼んでた。あと彼の正しさを証明するのにNASAは必要なかったよ。飛行機が実用化されて空から撮れるようになった時点で、ワシントン州の地面に残った水の波模様ははっきり見えてたんだから。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
そもそも彼が説を組み立てた時点で飛行機はもうあった。決め手になったのは地形図と堆積物、それから水が抜けていく狭い出口がミズーラのところだと突き止めたことで、衛星画像は最後にとどめを刺しただけなんだよな。
3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
「これブレッツ?」って、タイトルが誰のことを話しているのか我々には知る術がないからな。完全に謎だ。おそらく永遠に分からないままなんだろう。名前が最初から書いてあったらどうしようもないところだった。
4. 海外の名無しさん
それにしてもあのセリフが強すぎる。征服者が玉座で言いそうな台詞なのに、実際に言ったのが物腰の柔らかい地質学者のおじいさんというギャップがすごい。半世紀分の感情がぜんぶあの一行に圧縮されている。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
「もう征服すべき世界が残っていない」と嘆いたアレクサンドロス大王の話とほぼ同じ構造だよな。しかも地質学者だから、時間の単位が最初から人間の寿命より長い側の人間なわけで、余計に効いてくる。
6. 海外の名無しさん
受賞の弁として史上最も辛辣かもしれない。50年待った末にようやく勝ったのに、してやったりと言ってやる相手を宇宙のほうが先に全部片付けてしまっていて、快感の部分だけきれいに奪われている。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
細かい話だけど、これは受賞スピーチじゃなくて息子に向けた冗談として伝わっているものらしい。壇上での宣言じゃなく、家でぽつりと言った一言だと思うと、痛快さより静かさのほうが勝ってくる気がする。
8. 海外の名無しさん(>>6への返信)
とはいえ、この論争の関係者の中で一番長生きしたのは彼なんだよな。宇宙もそこまで彼を嫌っていたわけじゃないと思う。最後まで立っていた人間が結論を言う権利を持つのは、けっこう公平な取り決めではある。
9. 海外の名無しさん
規模が想像を絶している。氷河湖ミズーラの水量はおよそ2,200立方キロメートルで、エリー湖とオンタリオ湖を合わせたくらい。それを厚さ700メートルの氷の壁がせき止めていて、破れたら48時間で全部抜けた。しかも氷の壁は何度も再生しては壊れて、同じことが数千年で何十回も起きている。信じてもらえるほうが不思議だ。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
最初のピークの流量が毎秒5億立方フィート前後という推定を見た。メートル法だと毎秒1,400万立方メートルくらいで、地球上の川を全部足した量の10倍以上が一か所を通っていたことになる。桁がおかしい。
11. 海外の名無しさん
ミズーラの町の周りの丘には、当時の水位の線が今も横縞になって残ってるんだよ。あそこに立って斜面を見上げると、自分の頭のはるか上まで水があったんだと分かって、急に足元が心もとなくなる。
12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
氷が削られて穴が開いたというより、下から水圧がかかって氷河そのものが持ち上げられ、隙間から一気に抜けたという説明のほうが実際に近いらしい。しかも一度で終わらず、何度も同じことが起きている。
13. 海外の名無しさん
当時の学者を一方的に馬鹿にするのは違うと思う。写真の質は悪いし現地までの移動も大変な時代だった。それに争点は「洪水があったか」ではなく「たった一度の洪水で全部削れるのか」で、そこに関しては疑った側のほうが結果的に正しかったわけで。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
面白いのが、疑っていた学者ほど実際にワシントンまで行くと「あ、これ完全に洪水だわ」と納得して帰ってきたところなんだよな。頭が固かったというより、単純に現地が遠かったという話でもある。
15. 海外の名無しさん
この人は科学の教訓として好きなんだけど、それは英雄だからじゃなくて矛盾しているからなんだ。若い頃は主流の教義に抗って証拠に従った側なのに、晩年に「洪水は20回以上あった」という新しい研究が出てくると、今度は自説を守る教条主義者のほうに回ってしまった。証拠に従えと教えてくれた人が、自分の番になると従えなかった。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
偉人が歴史を動かすという見方は、科学の説明としてはあまり正確じゃないと思う。科学が進むのは、弱さを抱えた人間が順番に手綱を握って、その中で役に立ったものだけが残っていくからで、主役は人じゃなく手続きのほうなんだよな。
17. 海外の名無しさん(>>15への返信)
それに、説を否定されて忘れられていった研究者たちも同じくらい科学を前に進めている。間違いだと確かめる作業は、正しいと確かめる作業と同じだけ価値があるのに、そっちには誰の名前も残らないのが切ない。
18. 海外の名無しさん
いわゆるプランクの原理そのものだよね。新しい説は反対者を説得して勝つのではなく、反対者が寿命で退場していくことで勝つ。「科学は葬式のたびに一歩進む」と言われるやつで、この話はその教科書みたいな事例になっている。
19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
これ科学に限らず、政治や社会の変化にもそのまま当てはまると思う。議論で決着がついたように見えて、実際には世代がひとつ入れ替わっただけ、という場面をこれまで何度も見てきた気がする。
20. 海外の名無しさん
そもそも科学の手続きのどこにも「仮説は嘲笑してよい」なんて書かれていないんだよな。地震は神が怒っているから、病気は悪い匂いでうつる、うつ病には前頭葉を叩くのが一番、で止まっていたら今ごろどうなっていたことか。
21. 海外の名無しさん
うちの母が小学生のとき、先生に「大陸の形って、はめ込んだらぴったり合いそうに見える」と言って馬鹿にされたらしい。30年後に自分がプレートの勉強をしているのを見た母の顔が、あの先生がまだ生きていたら言ってやりたい、と完全に語っていた。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
プレートの理論も大陸が一つにつながっていたという考え方も、もう100年近く前からある話なんだよな。その先生はいったい何歳だったんだ。自分の学生時代にはとっくに定説だったはずのことを笑っていたことになる。
23. 海外の名無しさん
一度でいいからワシントン州のあの荒地を見に行ってほしい。あれを目の前にして「洪水じゃない」と考えるほうがどう考えても難しい。何かがものすごい勢いで通り抜けた跡だと、地質を知らなくても体で分かる風景だ。
24. 海外の名無しさん
個人的にすごいと思うのは、あのときの氷河が消えた影響で、今もあの一帯の地面がじわじわ持ち上がり続けていることなんだよな。氷河期は終わった過去の出来事じゃなくて、まだ後片付けの途中なんだと分かる。
まとめ
ワシントン州東部の異様な荒地は、氷河湖の決壊による桁外れの洪水が削り取ったものだった。この説を1920年代に唱えた地質学者は何十年も嘲笑され、空から撮られた画像で裏づけが固まった頃には96歳になっていた。コメント欄では「敵は全員死んだ」という一言の強さを面白がる声が中心だったが、同時に「当時の懐疑派にも言い分があった」「彼自身が晩年は自説を守る側に回った」という冷静な指摘が高い支持を集めていたのが印象的だった。科学が進むのは英雄が現れるからではなく、手続きが人を選ばずに回り続けるから、という話に落ち着いていく流れが心地よいスレッドである。


コメント
正直どっちでもいいことだけどな
仮に人類がそのローカルな荒地が洪水によってできたものだと知らなかったとして、
それで人類の学術における発展が何か意義ある方向に変わるだろうか?大して影響はないだろう
それは説を唱えた張本人も実は分かってるはずのことだ
「勝ち誇ってやる相手が一人もいない」、つまり裏を返せば、
勝ち誇ってやることくらいしか意味のない知識だったということだなw
もしもそれが人々に莫大な恩恵を与えた知識だったとしたら、
そんな些細な私怨をスピーチの場でする必要もない。