「土器より前、というのは中東での話。日本の縄文土器のほうがずっと古い」1万1500年前の遺跡に入った訂正の数々…?

「土器より前、というのは中東での話。日本の縄文土器のほうがずっと古い」1万1500年前の遺跡に入った訂正の数々…? 歴史

トルコ南東部の乾いた丘の上に、T字の形をした石の柱が輪を描いて立っている。表面には狐やイノシシ、蛇や鳥が彫り込まれ、高さは人の背丈をゆうに超える。作られたのはおよそ1万1500年前。ストーンヘンジよりも、エジプトのピラミッドよりも6000年ほど古い。しかもその頃、この土地の人々はまだ畑を耕しておらず、土器も焼いていなかったと考えられている。ギョベクリ・テペと呼ばれる遺跡の話である。

※注:「土器より前」というのは、あくまで中東での話である。この地域の年代区分では、土器が現れる前の時期を「先土器新石器時代」と呼ぶ。日本や中国では、これよりずっと古い土器がすでに見つかっている。この点は元スレッドでもかなり訂正が入っていたので、あとで詳しく触れる。

今日の知ってた?

📏 トルコ南東部のギョベクリ・テペは、およそ1万1500年前に作られた石の建造物群で、ストーンヘンジやエジプトのピラミッドより6000年ほど古い。作られた時期は、この地域で農耕と土器が始まるより前にあたると考えられている。しかも敷地の大半はまだ掘られていない。地中レーダーによる調査では、手つかずの範囲がかなり広く残っていることが分かっている。

背景:1万1500年前が、どれくらい昔なのか

ストーンヘンジやギザのピラミッドは、だいたい5000年前後の建造物として語られることが多い。学校で「大昔」として習う代表格である。ギョベクリ・テペは、そこからさらに6000年ほど遡る。ストーンヘンジを建てた人々にとってすでに「6000年前の遺跡」だった、という距離感になる。

日本の物差しで言うなら、縄文時代が始まったころにあたる。ただし縄文時代の始まりをいつに置くかは、何を基準にするかで数千年の幅があり、研究者によって説明も揃わない。ここでは「縄文時代が始まったあたり」くらいの目安として受け取っておくのが無難だろう。文字はまだない。金属もない。人が石を切り出し、運び、立てるしかなかった時代である。

この遺跡が注目された理由は、古さそのものよりも、順番のほうにある。大きな建造物が作られるまでの流れは、長いあいだ「定住して農耕が始まる → 食料に余裕が出る → 人手を建設に回せる → 神殿のような大きなものが建つ」という順で説明されてきた。ところがギョベクリ・テペは、少なくとも今のところ、その最初の段階より前に作られたように見える。そこから「順番は逆で、人が集まる場所ができたことが農耕を後押ししたのではないか」という見方が出てきた。ただしこれは、あくまで仮説として提示されているものである。決着はついていない。

もう少し詳しく

まず、「農耕と土器より前」の意味は、思ったより限定的である。元スレッドで真っ先に、そして繰り返し入っていた訂正がこれだった。中東の年代区分では、この時期を「先土器新石器時代」と呼ぶ。おおよそ紀元前1万年から紀元前6000年ごろにあたる区分で、名前のとおり、その地域でまだ土器が現れていない段階を指す。世界のどこにも土器がなかった、という意味ではない。実際、東アジアではもっと古い土器の破片が見つかっており、コメント欄では「最古の土器は1万9000年から2万年ほど前のもの」という数字が挙げられていた。日本の縄文土器も、まさにこの流れに属する。日本の読者からすると、「土器より前」という表現はむしろ引っかかる部分かもしれない。

さらに厳密な言い方を求める書き込みもあった。正しくは「農耕と土器について、現在見つかっている最古の証拠より前」であって、より古いものが将来出てこないとは誰にも言えない、という指摘である。考古学の年代は「その時点で見つかっている一番古いもの」で引かれた線なので、新しい発掘があるたびに動きうる。

なぜ農耕が始まったのかについては、説がずらりと並んでいる。元スレッドでいちばん盛り上がったのがこの部分だった。建設に集まった人数を食べさせるのが大変で、その解決策として植物の栽培が始まったのではないか。いや逆で、先に農耕があったから人を建設に回せたのではないか。おそらくは互いに押し合う形で進んだのではないか。ほかにも、酒を大量に造りたかったからだという説、氷期が終わって毛皮では暑くなり、布を織るための材料が大量に必要になったからだという説、住む場所を決めた人々のゴミ捨て場が肥沃になり、そこから勝手に植物が生えてきたのが始まりだという説などが挙がっていた。どれも「そういう見方がある」という段階のもので、決まった答えとして紹介されていたわけではない。

そこに人が住んでいたのかどうかも、まだ決着していない。定住や耕作のはっきりした痕跡は確認されていない、という説明がコメント欄では有力視されていた。代わりに出ていたのが、季節ごとに移動する集団が行き来する拠点のひとつだった、という見方である。周辺では大規模な追い込み猟の施設が見つかっており、獲物も豊富だったらしい。ガゼルの骨は年間を通じて均等にではなく、ある時期に集中して狩られた形で残っているという。渡りの通り道の要所に人が集まり、テントで移動し続ける暮らしと定住との中間のような使われ方をしていたのではないか、という筋書きになる。そして、その使用は1500年以上にわたって続いている。

遺跡が意図的に埋められた、という説明は長く語られてきた。ただし、これも議論の途中である。この遺跡が良い状態で残っているのは、当時の人々が自分たちで埋め戻したからだ、という説明が広く知られている。根拠として挙げられていたのは、埋め戻された土に割れた石器や動物の骨、砕けた石が混ざっていること、つまりゴミが含まれていること。土の質が自然な堆積とは異なり、比較的短い期間で積まれたように見えること。そして掘り出された範囲では、埋まる前に柱が倒れたり壊れたりした跡が見つかっていないことである。一方で、そもそも意図的だったのかを疑う書き込みもあり、コメント欄はこの一点でかなり揉めていた。仮に意図的だったとしても、なぜ埋めたのかは分かっていない。祭祀の終わりなのか、保存のためなのか、隠すためだったのか、そこは推測しかない。

掘らずに残す、という判断がある。地中レーダーの調査で、まだ掘られていない範囲がかなり広く残っていることは分かっている。それでも一気に掘り出さないのは、いまの技術で掘れば壊してしまうものが多いからで、より傷めずに調べられるようになるまで待つ、という考え方が取られているという。コメント欄には北欧の考古学者を知人に持つ人が現れ、「将来の考古学者は自分たちより良い道具を持っている」という前提で動くのが基本方針だと書いていた。掘る必要のないものは掘らない。逆に急いで掘るのは、工事などで壊されることが決まっている場所のほうである。

柱に彫られているのは動物だけではない。狐やイノシシ、蛇や鳥といった動物の浮き彫りに加えて、人の姿をしたかなり古い巨像も出ている。1万年以上前の石に彫られた線が、写真ではっきり分かる形で残っていることに驚く声が多かった。なお、この一帯にはギョベクリ・テペだけがあるわけではなく、近隣にも同じ時期の遺跡が点在している。コメント欄には「近くのカラハン・テペのほうが古い」という書き込みもあった。この種の年代の前後関係は今も検討が続いている部分なので、少なくとも「ここだけが突出した一点物ではない」という程度に受け取っておくのがよさそうだ。

そして、この遺跡は疑似科学の格好の的でもある。元スレッドでもこの点は繰り返し注意されていた。古さと謎が揃っている場所には、「失われた超古代文明があった」「学界が真実を隠している」といった話をしたがる人が必ず出てくる。そして行き着く先はたいてい同じところである。実際に分かっていることと、分かっていないこと。その両方をそのまま扱うほうが、遺跡としては十分すぎるほど面白い、というのが元スレッドの空気だった。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
こんな遺跡があること自体、今日まで知らなかった。写真を探して見てみたら、T字型の柱がいくつも輪になって立っていて、想像していた「石を積み上げた遺跡」とはまるで違う形をしている。教えてくれてありがとう。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
現地の映像を見たことがあるけど、規模が本当にすごい。場所によっては柱のてっぺんだけが地面から突き出ていて、その下にまだ全部埋まっているのが分かる。掘り出されているのは一部でしかないのだと実感する。

3. 海外の名無しさん
自分がひっかかるのは年代よりも順番のほうだ。畑も土器もない時代に、あれだけの石を切り出して運んで立てている。「まず食べ物を安定させて、余裕ができてから大きな建物」という順番だと思い込んでいた。

4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
これを建てたこと自体が農耕の引き金になったんじゃないか、という話を読んだことがある。作業する人数を食べさせるのが単純に大変で、その解決策として植物を育て始めたという筋書き。近くに自生している野生の小麦が、初期の栽培小麦と遺伝的につながっているかどうか調べている研究者がいるらしい。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
逆の順序もありうると思う。先に農耕があったから、これだけの人数を食べさせて建設に回せた、というほう。というより、たぶんどちらか一方ではなくて、互いに押し合いながら進んだんじゃないかな。

6. 海外の名無しさん
大きな建物を作る時間があるということは、その時点で食べ物の心配が毎日の最優先ではなくなっていた、ということでもある。獲物がいなくなったらどうしようという不安を抱えたまま、何年も石を運び続けるのは無理だ。何かしら安定した供給の当てはあったはずだと思う。

7. 海外の名無しさん
周辺で大規模な追い込み猟の施設が見つかっていて、獲物もかなり豊富だったらしい。野生のガゼルを半ば囲い込むような形で確保していて、それが余剰になっていたという説明を読んだ。ちなみに自分は「大量に酒を造りたかったから農耕が始まった」説がいちばん好きだ。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
酒は人生のあらゆる問題の原因であり、同時に解決策でもある、というやつだな。文明の出発点がそれだったとしても、自分はまったく驚かない。

9. 海外の名無しさん
自分が気に入っているのは衣類説。氷期が終わって暖かくなり、毛皮を着るには暑すぎるようになった。ところが布を織るには途方もない量の材料が必要で、野生から集めるだけではとても足りない。要するに、みんな着るものが欲しかっただけという話。

10. 海外の名無しさん
ゴミ捨て場仮説がいちばん筋が通っている気がする。人が一か所に留まるようになると、決まった場所に生ゴミを捨てるようになる。その場所は栄養が濃いので、翌年そこから勝手に植物が生えてくる。自分たちが捨てたものから食べ物が育つのを見た、という順番。

11. 海外の名無しさん
定住や耕作の痕跡は見つかっていない、というのが今のところの状況だと理解している。有力なのは、季節ごとに移動する集団がいくつも行き来する拠点のひとつだった、という見方。ガゼルの骨は年中まんべんなくではなく、ある時期に集中して狩られた形で残っている。つまり渡りの通り道の要所で、テントで移動し続ける生活と定住との中間のような使われ方をしていたのかもしれない。しかもその使用は1500年以上続いている。

12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
ウクライナのメジリーチには、1万5000年から1万9000年ほど前のマンモスの骨で組んだ住居の跡がある。骨の一部は400年にわたって使われ続けた形跡があるそうだ。20世代が同じ移動の道筋をたどって、先祖の建てた同じ小屋に戻ってきて、季節ごとに少しずつ足していったことになる。焚き火のまわりで語られていた話は、全部消えてしまったわけだけど。

13. 海外の名無しさん
さらにすごいのは、まだ掘っていない部分が相当あると分かっていることだ。地中レーダーで調べた結果、未発掘の範囲がかなり広く残っているのが確認されている。それでも急いで掘らないのは、いまの技術で掘ると壊してしまうものが多いからで、もっと傷めずに調べられるようになるまで待つという判断らしい。

14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
知り合いに考古学者がいるけど、「将来の考古学者は自分たちより良い道具を持っている」というのが基本方針だと言っていた。だから掘る必要がないものは掘らない。彼の仕事の大半は、大きな工事の前に掘ることだそうだ。掘らなければ工事が全部壊してしまうから。

15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
待つのが正しいのは分かるけど、自分が生きているうちに続きを見たい気持ちもある。ハスキーを50匹くらい放して掘らせておいて、こっちは日陰で飲み物でも作っている、くらいの手軽さで進んでくれないかな。

16. 海外の名無しさん
「土器より前」という言い方は正確ではないと思う。少なくとも世界全体の話としては成り立たない。元の説明を読んで、最初に引っかかったのがそこだった。

17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
これは地域を限った話で、中東ではこの時期を「先土器新石器時代」と呼ぶ。おおよそ紀元前1万年から紀元前6000年ごろまで。同じ頃の中国や日本ではすでに土器が使われていたので、世界のどこにも土器がなかった、という意味ではない。

18. 海外の名無しさん
陶芸を教えている者なんだけど、生徒に間違ったことを言いたくないので確認させてほしい。日本や中国、朝鮮半島では2万年近く前の土器の破片が見つかっているはずで、縄文土器もそのひとつだと思っていた。この「土器より前」はあくまでその地域限定、という理解でいいのだろうか。

19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
その理解で合っている。もっと厳密に言うなら「農耕と土器について、今のところ見つかっている最古の証拠より前」ということになると思う。将来もっと古いものが出てくる可能性は残っていて、単にまだ証拠がないというだけの話だから。

20. 海外の名無しさん
柱に彫られているのは動物ばかりだと思っていたら、人の姿をしたかなり古い巨像も出ている。狐やイノシシ、蛇や鳥が浮き彫りになっている柱もあって、写真で見ると線がはっきり残っているのに驚かされる。

21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
1万2000年前の石の彫り物から、太陽系の外を飛んでいる探査機に載せた金属板まで、人類が一貫してやっているのは「自分たちの裸の絵を刻んで残す」ことなんだな。ここだけは1万年経っても変わっていない。

22. 海外の名無しさん
いちばん知りたいのは、なぜ埋められたのかだ。最初の宗教が終わったということなのか、後の世に残すためなのか、攻めてくる相手から隠したのか。これだけの手間と技術をつぎ込んだものが、石材として持ち去られもせずそのまま埋まっていたというのが、本当に不思議でならない。

23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
埋め戻された土の中から、割れた石器や動物の骨、砕けた石が出てくる。要するにゴミが混ざっている。土も自然に堆積したものとは質が違っていて、比較的短い期間で積まれたように見えるという。掘り出された範囲では、埋まる前に柱が倒れたり壊れたりした跡も見つかっていない。ただしこれで決着というわけでもなくて、そもそも意図的だったのかどうかを疑う声も出ている。

24. 海外の名無しさん
面白い遺跡なのは間違いないけど、この話題は近づくと妙な説がまとわりついてくるのが困る。「失われた超古代文明」だの「学界が真実を隠している」だの、結局いつも同じところに行き着く。実際に分かっていることだけでも十分すぎるほど面白いのに、なぜそこを飛ばしたがるんだろう。

まとめ

ギョベクリ・テペは、およそ1万1500年前に作られた石の建造物群で、ストーンヘンジやピラミッドより6000年ほど古い。ただし「農耕と土器より前」というのは中東という地域を限った話で、日本の縄文土器のほうがずっと古い。コメント欄で盛り上がっていたのは、農耕が始まった理由をめぐる説の出し合いと、なぜ埋められたのかという問いだった。どちらも答えは出ていない。そして多くの人が念を押していたのが、この遺跡の話をするときは変な説に近づかないように、ということである。掘られているのはまだ一部で、続きは意図的に、次の世代の技術へ預けられている。

元ソース: ギョベクリ・テペは約1万1500年前のもので、ストーンヘンジやピラミッドより6000年古く、農耕や土器の発明より前に建てられていた

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