1940年、ドイツ軍がノルウェーに攻め込みました。国王と政府はオスロを離れ、まだ幼かった王子ハーラルは母とともに国外へ脱出。戦争が終わるまでの数年を、アメリカとカナダで過ごすことになります。その少年が1991年に父の跡を継いで即位したとき、ノルウェーには610年ぶりに「ノルウェーで生まれた君主」が立ちました。海外掲示板では、この数字そのものより先に「じゃあその間の王は、いったいどこで生まれていたんだ?」という素朴な疑問で盛り上がっていました。スレッドが立ったのは、2026年8月28日にハーラル5世が89歳で亡くなり、息子のホーコン8世が即位した直後のことでした。
※注:同君連合とは、別々の国がそれぞれ独立したまま、同じ人物を君主としていただく形のこと。国境も議会も分かれているのに、王冠だけが共通になる。
今日の知ってた?
👑 ノルウェー国王だったハーラル5世(1937〜2026)は、第二次世界大戦のドイツ軍侵攻から母とともに国外へ脱出し、戦時中をアメリカとカナダで過ごした。1991年に即位したとき、彼は610年ぶりに「ノルウェー生まれ」の君主となった。
背景:なぜ610年も「ノルウェー生まれの王」がいなかったのか
中世の終わりごろから、ノルウェーは長くデンマーク王のもとに置かれ、のちにスウェーデン王のもとに移りました。いずれも同君連合のかたちで、ノルウェーという国そのものは消えていません。ただ、王は隣国の宮廷で生まれ、隣国で育ち、隣国に住みました。ノルウェーの王位に就く人がノルウェーの土地で生まれない——それが1905年まで当たり前の状態だったわけです。
1905年、ノルウェーはスウェーデンとの連合を解いて完全な独立を果たします。このとき国内では、共和制にするか王政にするかで議論がありました。スウェーデンが実力で権利を通しに来る可能性も現実味をもって語られていて、イギリスをはじめとする国々と強く結びついておくべきだ、という声も強かったといいます。国民投票の結果、王政の支持が圧倒的でした。議会はデンマークの若い王子カールに王位を打診し、賛成79%という数字を背に、彼は国王ホーコン7世となります。
そのホーコン7世はデンマーク生まれ。息子のオーラヴ(のちのオーラヴ5世)は1903年、イングランドのサンドリンガム領内にあるアップルトン・ハウスで生まれています。母モードがイギリス王エドワード7世の娘で、結婚祝いにこの家を両親から贈られ、別荘のように気に入って毎年かなりの時間をイングランドで過ごしていたためでした。つまりノルウェーが「自前の王家」を持ち直したあとも、最初の2代は国外生まれのまま。1937年にノルウェーで生まれたハーラルが、独立後に生まれた最初の王だったのです。
もう少し詳しく
戦争が、少年を大西洋の向こうへ運びました。1940年のドイツ軍侵攻で、国王と政府はオスロを離れます。その途中、一行はリレハンメルに立ち寄っていて、この時期の逸話は今もノルウェーの家庭に語り継がれているようです。ハーラルは母とともに国を出て、ルーズベルト大統領の招きでアメリカへ渡りました。滞在先はワシントンD.C.と、プークス・ヒル(Pooks Hill)と呼ばれる場所。一時期は数週間ホワイトハウスに身を寄せてもいます。大統領一家とはたびたび顔を合わせ、本人が語るところでは、いちばん古い記憶のひとつがルーズベルトの4期目の就任式に立ち会ったことだったそうです。少年期をまるごと英語圏で過ごしたため、のちのちまで彼の英語はほとんどアメリカ人と変わらない発音でした。
「610年」という数字には、別の言い方もあります。ノルウェー王室自身は、ハーラル5世を「567年ぶりのノルウェー生まれの王子」と説明しています。610年と567年——どちらにしても500年以上ノルウェー生まれの君主がいなかったことに変わりはありませんが、数え方が違う。人は王子として生まれて王になるのであって「王として生まれる」わけではない、という言葉づかいの問題も絡みます。基準にされているのは、デンマークとの同君連合に入る前の最後のノルウェー王、オーラヴ・ホーコンソン(Olav Haakonson)。ホーコン7世が息子の名をアレクサンダーからオーラヴに改めたのも、この王と、建国期の王で聖人にもなった聖オーラヴにあやかってのことでした。ちなみにそのオーラヴ5世は、生まれこそイングランドでしたが、子ども時代はまるごとノルウェーで過ごしています。「ノルウェーで育った王」という条件でなら、彼の代ですでに数百年ぶりでした。
父と押し合ってまで、平民の女性と結婚した人でもあります。ハーラル5世は王太子時代、平民の女性との結婚を認めてもらえないなら一生結婚しない、と父に告げたことでよく知られています。王室の結婚といえば家柄同士の取り決め、というイメージが根強いなかで、この一件は今も繰り返し語られるエピソードになりました。
そして在位は、2026年8月に幕を閉じました。1991年に即位したハーラル5世は、35年にわたって王位にあり、89歳で亡くなりました。王位は息子のホーコン・マグヌス王太子に受け継がれ、ホーコン8世となっています。今回のスレッドが立ったのも、その報せの直後のことでした。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
610年ぶりと言われると、逆にそっちが気になってしまう。その間の王たちはどこで生まれていたんだ、デンマークあたり? ノルウェーの王がノルウェー生まれじゃないって、字面だけ見るとかなり不思議な話に見える。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
直前のオーラヴ5世は1903年のイングランド生まれ、そのさらに前のホーコン7世はデンマーク生まれ。ウィキペディアで前任者のリンクを順に辿っていくと、イングランド、デンマーク、スウェーデン……と、どこまで遡っても国外が続く。一度やってみると止まらなくなるよ。
3. 海外の名無しさん
ノルウェーは1905年までスウェーデン王のもとにあって、その前はデンマーク王のもとだった。1905年に完全独立して、そのときデンマークの王子を自分たちの王に選んでいる。それがハーラルの祖父。次の王になった父は1903年生まれで、一家がノルウェー王室に選ばれる数年前に生まれた計算になる。だから1937年生まれのハーラルが、独立後に生まれた最初の王というわけ。
4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
父のオーラヴ5世がイングランド生まれなのにも理由があって、母親がイギリス王エドワード7世の娘のモードだったから。結婚祝いにサンドリンガムの敷地内にあるアップルトン・ハウスを両親から贈られていて、そこを別荘のように使うのが好きで、毎年かなりの期間をイングランドで過ごしていた。ひとり息子もその家で産んでいる。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
結婚した当時の夫はデンマークのカール王子、デンマーク王太子の次男だった。息子が2歳のときにノルウェーの王位を打診されて受け、ホーコン7世になっている。そのとき息子の名前をアレクサンダーからオーラヴに変えた。デンマークとの同君連合に入る前の最後のノルウェー王がオーラヴ・ホーコンソンで、しかも建国期には聖人になった聖オーラヴがいる。名前の選び方として、これ以上ないくらい筋が通っている。
6. 海外の名無しさん
独立のときは、共和制にするか王政にするかでかなり揉めていた。スウェーデンが実力で権利を通しに来る可能性も真面目に語られていたし、イギリスあたりと強く結びついておくべきだという意見も多かった。国民投票をやったら王政支持が圧倒的で、それを受けて議会がデンマークの若い王子に頼んだ、という順番になる。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
しかもカール王子のほうが「議会が決めただけでは受けない、国民に自分を王にしたいかどうか聞いてくれ」と条件を出したんだよね。結果は79%の賛成。そこまでやったからこそ、王家が最初から国民の側に足場を持てた、というのはよく言われる話。
8. 海外の名無しさん(>>6への返信)
そもそもノルウェーには正式な貴族制が残っていなかったから、国内から王を出そうにも候補がいなかった。土着のノルウェー貴族は何世紀も前にほとんど消えていて、残った家系もデンマーク貴族に吸収されている。外から王を招くのは、当時としては現実的な選択だったと思う。
9. 海外の名無しさん
当時の国王が政府ごとノルウェーから脱出したとき、一行はオスロを出てリレハンメルに立ち寄っている。泊まる場所が必要で、うちの家族が家を使ってもらった(やたら大きい家だった)。
余談だけど、誰が撮ったのかは知らないが(そっとしておいてやれ)、そういう経緯でうちには、雪の中を外の便所へ向かう途中の国王の写真が残っている。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
家族アルバムに入っているのが最高すぎる。これが祖父母の結婚式ね。これが生まれたばかりのきょうだい。これが第二次大戦中、うちに泊まったノルウェー国王が便所に向かってるところ。これが両親の婚約写真。……ほら、どこの家にもある普通のやつ。
11. 海外の名無しさん
本人いわく、いちばん古い記憶のひとつがルーズベルト大統領の4期目の就任式に立ち会ったことらしい。王族の子どもの原体験としてもかなり珍しい部類だと思う。
12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
当時7歳くらいのはずだから、記憶に残っていてもおかしくない年齢だね。しかも亡命してきた家族として、数週間はホワイトハウスに寝泊まりしていたという話もある。子どもの側から見たら、引っ越し先がたまたま大統領の家だったという感覚だったのかもしれない。
13. 海外の名無しさん
一家はルーズベルト大統領に招かれて渡米していて、ハーラルはワシントンD.C.とプークス・ヒルという場所で暮らしていた。大統領一家とは何度も集まりを持っていたそうで、本人も子どものころ大統領とよく話をしたと語っている。おかげで英語の発音は、ほとんどアメリカ人と変わらなかった。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
ルーズベルトに実際に会って、しかも一緒に時間を過ごした人というのは、もう世界にほとんど残っていない。その最後の世代のひとりだったわけで、それを思うと歴史が急に近く感じられる。
15. 海外の名無しさん
言い方としては「1991年に即位したとき、600年以上ぶりにノルウェー生まれの君主が王座に就いた」のほうが正確じゃないかな。王室の公式説明でも「567年ぶりのノルウェー生まれの王子」となっている。人は王子として生まれて王になるのであって、王として生まれるわけじゃないので。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
610年と567年で数字が食い違うのは、どこを起点に数えるかの違いだと思う。ただどちらにしても、500年以上ノルウェー生まれの君主がいなかったという事実は動かない。むしろ、そこまで長く空いていたのに王家として続いていたことのほうが不思議だ。
17. 海外の名無しさん
素朴な疑問なんだけど、ノルウェーにはハーラルという名前の王が何人いたんだろう。5世ということは少なくとも5人はいるはずだけど、それぞれどんな人だったのか全然知らない。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
5人。ハーラル1世ホールファグレ(美髪王、865年ごろ〜930年ごろ)はノルウェーを統一した王。ハーラル2世グローフェル(灰色のマント、961〜970年)。ハーラル3世ハードローデ(苛烈な支配者の意、1046〜1066年)はイングランド征服を狙って失敗した人。ハーラル4世ギッレ(キリストのしもべの意、1130〜1136年)はアイルランド生まれで、ノルウェー語がほとんど話せなかった。そしてハーラル5世が1991年から2026年まで。
19. 海外の名無しさん
ハーラル・ブロタン(青歯王)を忘れてないか。ブルートゥースの名前の由来になった人で、番号を振られないことが多いけれど、ノルウェー王とみなされている。ノルウェーのパブクイズでは定番の引っかけ問題だよ。ノルウェー語のブークモールだと普通は「ハーラル1世ブロタン」と書かれる。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
みんなが毎日のように見ているブルートゥースのマーク、あれはルーン文字のBとTを重ね合わせた形。バラバラの勢力をつないだ王の名前を、規格の名前に持ってきたという開発者側の説明そのままの意匠になっている。日常の隅にヴァイキング時代が残っているのが面白い。
21. 海外の名無しさん(>>19への返信)
もうケーブルは要らないな。あの王様はワイヤレスで繋がっているので。
22. 海外の名無しさん(>>19への返信)
その青歯王、実際にはノルウェーの地を踏んだことすらなかった可能性が高い。ノルウェー王としてはラーデ伯(Ladejarl)に統治を任せきりで、本人はどこまでもデンマークの王だった。息子がスヴェン・フォークビアード、孫があのクヌート大王。ノルウェー生まれのハーラルたちの列に数えてもらえないのは、たぶんそのあたりが理由だと思う。
23. 海外の名無しさん
この人、父親に「平民の女性と結婚させてくれないなら一生結婚しない」と言い切った人でもあるよね。国外で少年期を過ごしたことと関係があるのかは分からないけれど、王室の結婚の常識に正面から向き合った人だったのは間違いない。
24. 海外の名無しさん
うちの家系も彼と縁があって、ナポレオンが攻めてきたときに似たようなことをしている。アメリカへ逃げて、戻ってきて、そしてナチスのときにまた同じことをやる羽目になった。ドイツ側の親族は共産化した地域で土地を失って、そのまま城も何もかも戻ってこなかった。……書いていて、うちの先祖はちょっと腰が引けていたのかなという気もしてくる。まあ、残っていたら確実に死んでいたわけだけれど。
25. 海外の名無しさん(>>24への返信)
攻め込まれている最中に生き延びることの、どこにも臆病な要素なんてないよ。逃げた先で国の名前を絶やさずに持ちこたえたから、国王も少年だった王子も帰ってこられた。残って死ぬのが勇敢だという話には、どうしても賛成できない。
まとめ
ノルウェーが自分たちの王家を持ち直したのは1905年。それでも最初の2代は国外生まれで、ノルウェーの土地で生まれた君主が立つのは1991年のハーラル5世を待つことになりました。その本人は、幼い日にドイツ軍の侵攻から母とともに逃れ、戦争の数年をアメリカとカナダで過ごした人でもあります。コメント欄では、歴代の王の出生地をウィキペディアで延々と遡る人、1905年の国民投票の細かい経緯を持ち出す人、亡命の途中で国王が自分の家に泊まった思い出を語る人、そして「ハーラルという名の王は何人いたのか」からブルートゥースの語源へ流れていく人まで、脱線しながらもよく調べられた補足が続いていました。600年ぶんの空白が、こんなに具体的な話の連なりで埋まっていくのが読みどころです。

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