ナポレオンが香りに凝っていた、という話はどこかで聞いたことがあるかもしれない。ただ、その「凝りよう」が数字で残っているのはあまり知られていない。オーデコロンを月50本の定期注文で取り寄せ、1808年のある月の請求書には72本という数が記録されている。単純に日割りすると1日2本を超える。いったい何にそれだけ使っていたのか、という話である。
※注:ここでいう「オーデコロン」は、日本語で香水全般を指すときの言い方ではなく、香料の濃度がいちばん薄いタイプの香りもののこと。当時も今も、この呼び名は「薄い」という意味を含んでいる。
今日の知ってた?
🧴 ナポレオン・ボナパルトは、オーデコロンを月50本の定期注文で取り寄せていた。さらに現存する1808年の請求書には、ひと月で72本が納入された記録が残っている。日割りにすると1日2本以上。ただし当時のオーデコロンは、今のように服の襟元へひと吹きするものではなく、体に浴び、風呂の湯に注ぎ、ときには薬として口に入れることさえある液体だった。
背景:オーデコロンは「ケルンの水」という意味だった
そもそもオーデコロン(eau de Cologne)はフランス語で「ケルンの水」を意味する。ケルンは現在のドイツ西部の都市で、この香りが生まれた土地の名前がそのまま商品名になった。
作ったのはイタリア出身の調香師、ジョヴァンニ・マリア・ファリーナ(ドイツ語名ヨハン・マリア・ファリーナ)。1708年に弟へ宛てた手紙で、彼は自分の新しい香りをこう説明している——雨上がりのイタリアの春の朝、山に咲く水仙とオレンジの花を思わせる香りだ、と。ベルガモット、レモン、オレンジの花を軸にした柑橘系で、当時のヨーロッパで主流だった重く動物的な香料とはまるで方向が違った。彼が1709年にケルンで構えた工房は、同じ一族の手で今も同じ街に残っている。
もうひとつ重要なのが、この液体が最初から「香水」として売られていたわけではないという点だ。同じ系統の柑橘とアルコールの水は、それ以前からアクア・ミラビリス(奇跡の水)という名前で「万能薬」として流通していた。頭痛にも歯痛にも胃の不調にも効くとうたわれ、砂糖と水に数滴垂らして飲むという使い方まで説明書に書かれていた。香りをまとうための商品であると同時に、薬箱に入っている品でもあったのである。
※注:現在の分類では、香料の濃度がおおむね2〜5%のものをオーデコロン、5〜15%程度をオーデトワレ、15〜20%程度をオードパルファムと呼び分けている。日本の店頭で「メンズの香水」として並んでいるものの多くは、名前がコロンでも実際にはオーデトワレの濃さである。
もう少し詳しく
1日2本という数字が、意外と現実的である理由。当時のオーデコロンは香料の濃度が数パーセントしかない。しかも中身は揮発の早い柑橘が中心で、肌に直接つけると数分で香りが飛んでしまう。この時代の使い方は「ひと吹き」ではなく、手のひらに出して首や肩に浴びる、あるいはハンカチにたっぷり染み込ませて持ち歩く、という贅沢なものだった。今の感覚で1本を1か月かけて使う商品と考えると数字が異様に見えるが、当時の使い方に置き換えるとまるで違う消費ペースになる。
そもそも霧吹きがまだ無かった。ポケットからスプレーを取り出してシュッとやる姿を想像したくなるが、噴霧式の香水瓶が広まるのは19世紀の後半、ナポレオンの死からかなり経ってからである。彼の時代は瓶から直接注ぐか、振りかけるか、布に染ませるしかない。同じ量の香りを身につけるのに、単純に液体を多く使う。
使い道は「つける」だけではなかった。当時のオーデコロンは、風呂の湯に注ぐ、ひげ剃りの湯に混ぜる、手や顔を拭く布に垂らす、といった具合に、今でいう入浴剤・化粧水・アフターシェーブをまとめて兼ねていた。現代の入浴剤やバスボムを1回に1袋使うのと同じことを、当時は瓶で行っていたと考えれば、月に何十本という単位も腑に落ちる。しかも皇帝の身の回りには常に副官と侍従がいる。全部が本人の肌に消えたとは限らない。
それでも当時の暮らしは、匂いに満ちていた。洗濯機はなく、香りつきの石鹸やシャンプーも一般的ではない。将軍たちは分厚いウールの軍服で、埃だらけの未舗装路を何日も馬に乗って移動する。街の道路は馬車と馬で埋まっており、当然その足元は馬糞が絶えない。「風呂に入る」といっても、ぬるい湯を張った桶に座って埃を落とす程度のことが多かった。そういう環境で、香りのついた水をふんだんに使えるというのは、清潔さそのものを金で買う行為でもあった。
ナポレオン自身は、むしろ入浴好きだった。香水を大量に使ったと聞くと「体臭をごまかしていたのでは」と考えたくなるが、記録はむしろ逆を示している。側近の回想によれば、彼は熱いくらいの湯に長時間つかるのを好み、風呂の時間そのものを思考と口述筆記に使っていた。湯から上がったあとに肩へオーデコロンを浴びるのが習慣だったとも書かれている。軍隊においても、当時としては珍しく兵士の衛生状態に口を出した指揮官として知られる。清潔でいることに対して、明確に手間と金をかける人だった。
「洗わずに待っていてくれ」の手紙について。ナポレオンといえば、妻ジョゼフィーヌに「三日後に帰る。体を洗わないでいてくれ」と書き送ったという逸話が有名である。ただし、この一文は原本となる手紙が確認されておらず、出典がはっきりしない。19世紀以降に広まった話で、彼を野蛮に描きたい側の脚色ではないかという見方も根強い。身長の話も似た構図で、記録に残る数値はフランスの旧単位で測られたものであり、換算すると当時としてはごく平均的な背丈だった、というのが現在の一般的な理解になっている。
「薬」から「香水」に変わった瞬間にも、ナポレオンの名前が出てくる。19世紀の初め、フランスは薬として売られている品について、秘密にしていた処方を届け出るよう求める法令を出した。処方を守りたいオーデコロンの製造元がとった対応は明快で、「これは薬ではありません、身だしなみのための水です」と登録し直すことだった。万能薬アクア・ミラビリスが、公式に「香りもの」として棚を移った瞬間である。月に何十本と取り寄せていた当人の政権が、その分類変更のきっかけを作っていたことになる。
ケルンの家の番号が、そのままブランド名になった話。ケルンの老舗オーデコロンとして有名な「4711」という数字は、フランス軍がケルンを占領していた時期に、市内の家へ通し番号を振っていった結果その工房が受け取った番号である。ドイツの香水の代表格として今も残っているブランド名が、実はフランス側の行政上の都合で決まっている。ナポレオンの時代のフランスとケルンの近さが、こんなところにも残っている。
そして、1本がどれくらいの量だったのかは分からない。請求書に書かれているのは「本数」であって容量ではない。当時の瓶の大きさは一定ではなく、この記録だけからミリリットル換算をするのは無理がある。72本という数字がどれくらいの体積になるのかを言い切れないのは少し歯がゆいが、分からないものは分からないままにしておくほうがいい。確かなのは、注文が定期便として組まれていたこと、そしてある月にはそれを4割以上超える量が納められていたことである。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
ほぼ1日2本じゃないか。コートの内側から霧吹きを取り出して、15分おきに自分にシュッとやっている姿しか浮かばなくなった。あの有名なポーズはそれを取り出す途中だったのでは。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
その絵は最高なんだけど、噴霧式の香水瓶が出てくるのは彼が死んでから半世紀以上あとなんだ。つまり全部、瓶から直接やっていたことになる。つけ直すのがいちいち面倒すぎて、それであんなに不機嫌だったのかもしれない。
3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
現実的には、風呂の湯に何本かまとめて注いでいたと考えるほうが自然だと思う。全身にかけるものだったので、消費の単位が今と根本的に違う。
4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
えっ、そんなことする人いるの。香水を風呂に入れるという発想が一度も浮かんだことがなかった。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
入浴剤やバスボムを湯に放り込むのと理屈はまったく同じだよ。ただ当時はそれができる値段の品ではなかったというだけで、やっていること自体は今と変わらない。
6. 海外の名無しさん(>>4への返信)
ひげを剃るときの湯にも入れる。肌をさっぱりさせる目的もあって、今でいう化粧水とアフターシェーブを兼ねていた。用途が多いぶん、減るのも早い。
7. 海外の名無しさん
オーデトワレの「トワレ」が身支度という意味だというのは、日本語だと分かりにくいところだと思う。便所の水ではなく、鏡台に向かって身なりを整える時間、そのための水という意味だ。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
洗濯機がなくて、香りつきの石鹸も遠征先には届かない時代の話だからね。ウールの軍服で埃っぽい道を何日も馬で行く。湯に香りのついた水を注いで拭くのは、贅沢というより現実的な解決策だったんだと思う。
9. 海外の名無しさん
そもそもオーデコロンは最初「奇跡の水」という万能薬として売られていたものなんだよね。頭痛にも胃の不調にも効くとうたわれて、砂糖と水に垂らして飲む使い方まで書かれていた。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
そのあと薬の成分を届け出る法律ができて、処方を隠したいメーカーが「これは薬ではなく香りものです。飲むものではありません(棒読み)」と登録し直した、という流れが好き。棚を移っただけで中身は同じ。
11. 海外の名無しさん(>>9への返信)
ナポレオン本人も胃薬として飲んでいたという話は時々見かける。ただ本人が口に入れたという確かな記録があるわけではないので、そこは「そういう使い方をする商品だった」までにしておいたほうがよさそう。
12. 海外の名無しさん
当時の香料の濃度はせいぜい2%くらいだ。今の店で売っているものよりずっと薄い。肌に直接つけたら1、2分で香りが消えるので、ハンカチにたっぷり吹きかけて、それをひらひらさせて漂わせるのが本来の使い方だった。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
それなら72本も納得がいく。今の濃さの感覚のまま昔の消費量を見るから、とんでもない量に見えるだけなんだな。
14. 海外の名無しさん
これは「香水で体臭をごまかしていた」系の話かと思って読んだら、実際は当時としてかなり清潔好きな部類の人だったらしくて拍子抜けした。長風呂で、軍隊の衛生にも口を出していたそうだ。
15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
それなのに「洗わないで待っていてくれ」という手紙の話ばかりが有名になっているのが不思議でならない。あれ、原本が確認されていないんだよね。敵国側の脚色が広まったという見方もある。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
身長の話もまったく同じ構図。記録の数値が別の単位系で書かれていたのを取り違えて広まったもので、換算すると当時の男性としてごく平均的な背丈だった。悪口のほうが二百年生き残るのは、それはそれで才能だと思う。
17. 海外の名無しさん
ここまで浴びていたのなら、ワーテルローの平原には今も風に乗って柑橘の香りが残っているのでは……と一瞬本気で考えてしまった。もちろん誰も確かめていない。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
そういえばワーテルロー(Waterloo)って、英語で分解すると water と loo で、loo はイギリス英語で手洗いのことなんだよな。つまり地名がそのままオーデトワレの直訳みたいになっている。気づかなければよかった。
19. 海外の名無しさん
彼一人の消費量というより、常に周りにいる側近や当番兵の分も込みの発注だと思う。何日も馬で移動する集団のなかで自分だけいい香りがしても意味がないわけで、あれはむしろ合理的な判断だったんじゃないか。
20. 海外の名無しさん
彼のために作られたゲランの「オー・デ・コロン・アンペリアル」がまさにそれで、今でも買える。試せば72本必要だった理由が分かる、みたいな話をどこかで読んだ。
21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
惜しい、それは甥のほうだ。あの香水は1853年にナポレオン三世の皇后のために作られたもので、ゲランの創業自体が1828年。ナポレオン一世が亡くなったのは1821年なので、間に合っていない。有名な取り違えらしい。
22. 海外の名無しさん
ローマ人は風呂を作り、フランス人は香水を作った、という言い方があるけれど、この話を読むとナポレオンは両方やっていたことになる。長風呂して、そのうえで香りを浴びていたわけだから。
23. 海外の名無しさん
個人的に一番驚いたのは本数より、二百年以上前の買い物の請求書がそのまま残っていて、ある月だけ定期便を大きく超えていたことまで分かる点だ。歴史がこういう生活の細部から見えてくるのは面白い。
まとめ
月50本の定期注文、そして1808年のある月は72本。数字だけ見ると異様だが、当時のオーデコロンが香料2%程度の薄い液体で、風呂の湯やひげ剃りの湯に注ぎ、ハンカチに染み込ませて使うものだったと知ると景色が変わる。コメント欄も「15分おきに霧吹き」という笑い話から始まり、噴霧器がまだ無かったこと、風呂に注ぐ使い方、もとは飲む万能薬だったこと、と情報が足されていって、最後には「むしろ当時としては清潔好きだった」という結論に落ち着いた。有名な逸話ほど出典が怪しい、という点も含めて、二百年前の請求書が教えてくれることは意外と多い。
元スレッド: ナポレオン・ボナパルトはオーデコロンを月50本の定期注文で取り寄せており、現存する1808年の請求書にはひと月で72本が納められた記録が残っている

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