1980年8月、アタリ社に1通の手紙が届いた。本題は「周辺機器とソフトのパンフレット一式を送ってください」というカタログの請求だった。問題は、その後ろに付いていた追伸のほうだ。ソルトレイクシティに住む15歳が、手描きの地図を添えてこう報告していた——ゲームの中に、変な部屋を見つけました、と。この追伸が、ゲーム業界に「イースターエッグ」という言葉を定着させることになる。
※注:イースターエッグ=ソフトの中に開発者がこっそり仕込んだ隠し要素のこと。日本語でも「隠し要素」「裏技」とほぼ同じ意味で通じる。
今日の知ってた?
📏 アタリ2600用ゲーム『アドベンチャー』を作ったウォーレン・ロビネットは、誰にも告げずに「Created by Warren Robinett(ウォーレン・ロビネット作)」と表示される隠し部屋をゲームに仕込んだ。アタリ社内の誰ひとり気づかないまま大量のカートリッジが出荷され、それを最初に報告したのは、1980年8月に15歳のアダム・クレイトンが送った手紙だった。
背景:アタリはなぜ開発者の名前を伏せていたのか
当時のアタリのゲームには、作った人間の名前がどこにも載っていない。パッケージにも、マニュアルにも、ゲームの中にもだ。ゲームは「アタリが出した商品」であって、「誰かの作品」ではなかった。
理由として語られているのは、引き抜き防止である。誰がその大ヒット作を書いたのかが世に出れば、他社は名指しでその人物に声をかけられる。名前を伏せておけば、少なくとも外からは誰が中心人物なのか分からない。プログラマーの匿名化は、当時の会社にとって人材の囲い込み策でもあった。
ロビネット本人はのちに、当時の待遇についてこう振り返っている。『アドベンチャー』は1本25ドルで、およそ100万本を売った。一方で自分の年俸は2万2000ドル、印税はゼロ、届いたはずのファンレターすら一度も転送されなかった、と。隠しメッセージについては「自己宣伝のつもりだった。それと、腹が立っていた」と語り、絵描きがキャンバスの隅に署名するのと同じことだ、とも述べている。
もう少し詳しく
隠し部屋への行き方は、少年の手紙にそのまま書かれていた。黒い城の中のある部屋に落ちている点を拾う。それを金の城の脇にある、似た形の部屋まで運ぶ。そこに物を2つ置くと、本来なら出られないはずの王国の外へ抜けられる。手紙には、部屋ごとの見取り図が鉛筆で描き添えてあった。文章では説明しきれないと判断したのだろう。
アタリ側は、消したくても消せなかった。当時のゲームはROMチップに焼き込まれ、箱詰めされ、すでに店の棚に並んでいる。あとから修正データを配信するという発想そのものが存在しない時代だ。隠しメッセージを取り除くには、出回った分をすべて回収して作り直すしかなく、その費用は現実的な額ではなかった。
そこでアタリは、消すのをやめて売りにした。1981年、創刊間もない雑誌『エレクトロニック・ゲームズ』が「『アドベンチャー』に隠し部屋があるという噂を聞いたが本当か」とアタリに問い合わせている。応対したアタリ消費者部門のソフトウェア開発責任者スティーブ・ライトは、存在を認めただけでなく、こう付け加えた。「これからは、ああいう小さな『イースターエッグ』を意図的にゲームに仕込んでいくつもりです」。この一言が、業界に呼び名を定着させた。
手紙の主は、ただ誰かに言いたかっただけだった。アダム・クレイトンの手紙は、終始おだやかで、そして押しが強い。「お金はないのですが、御社のコンピュータに感動しています」「早く送ってください、待ちきれません」。そして追伸の締めくくりが、これだ。「ただ言いたかったから書きました。これについてコメントをいただけますか。ありがとうございます」。ゲーム史の転換点になる報告が、少年のカタログ請求のついでに届いていた。
日本でも「隠し要素」の文化はずっと続いている。イースターエッグという言葉は日本語でもそのまま通じるし、裏技や隠しコマンドを友達同士で教え合う遊び方は、家庭用ゲーム機の歴史とほぼ同じ長さを持っている。攻略本にも雑誌にも載っていない何かが、確かにそこに埋まっているらしい——あの感覚の出発点のひとつが、給料に腹を立てたプログラマーの署名だった。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
今のゲームしか知らない人が当時の画面を見たら、まず何が起きているのか分からないと思う。主人公は四角。ドラゴンはどう見てもアヒル。それでも当時の子どもは、あれを剣と城とドラゴンとして完璧に認識していた。想像力の使い方が今とはまるで違う。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
その「アヒルにしか見えないドラゴン」に飲み込まれる瞬間の恐怖は、いま思い出しても本物だったよ。1980年当時、あれは間違いなく最高のゲームだった。何時間やったか分からない。
3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
子どもと一緒に当時の映像を見ていたら「パパ、このアヒルかわいいね」と言われて、思わず真顔で「違う、それはドラゴンだ」と返してしまった。世代の壁を感じた瞬間だった。
4. 海外の名無しさん
元の手紙を読んでみたんだけど、あれの本題はカタログ請求なんだよな。「お金はないけれど御社のコンピュータに感動しています、パンフレット一式を送ってください」。イースターエッグの話は全部「追伸」に入っている。ゲーム史に残る発見が、完全におまけ扱い。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
しかも締めが「ただ言いたかったから書きました。これについてコメントをいただけますか」だからな。15歳の圧が完璧すぎる。
6. 海外の名無しさん(>>4への返信)
本文の「早く送ってください、待ちきれません」も好きだ。この子、手紙の作法はまだ知らないけれど、伝えたいことだけは一つ残らず伝えている。
7. 海外の名無しさん
ガレージに置いてあった兄のアタリでこれを遊んでいたけど、隠し部屋の存在は今日まで知らなかった。というより、作った人の名前をパッケージにすら載せない会社だったのか。そっちのほうに驚いている。アダム・クレイトン少年、よく見つけた。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
あれは意図的な方針だよ。誰が作ったか分からなければ、他社が名指しで引き抜けない。プログラマーの名前を伏せるのは、会社にとっては人材を囲い込むための手段でもあった。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
アタリだけを悪者にするのは少し違うと思う。当時のソフトは「会社が出す商品」で、中身を書いた人間の扱いは工場のラインとそう変わらなかった。映画のスタッフロールみたいな文化がソフトウェアに来るのはもっと後の話で、業界全体がそういう温度だったんだ。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
業界全体がそうだった、というのは事実だと思う。ただ本人の言い分を読むとさすがに擁護しづらい。1本25ドルで100万本売れて、自分の年俸は2万2000ドル、印税なし、ファンレターすら転送してもらえなかった。そりゃ腹も立つよ。
11. 海外の名無しさん
当時は取り除くのも簡単じゃなかった。ROMチップに焼かれて、箱詰めされて、もう店の棚に並んでいる状態だ。あとから修正を配るという概念が存在しない時代だからな。消すには全部回収して作り直すしかなくて、費用は現実離れした額になる。
12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
だからアタリは消すのをあきらめて、逆に売りにした。1981年に雑誌から「隠し部屋があるらしいが」と問い合わせが来たとき、開発責任者は存在を認めた上で「これからは意図的にこういうものを仕込んでいく」と答えている。開き直り方が上手い。
13. 海外の名無しさん
ロマンのある話として語られているけれど、冷静に見ると、出荷される製品のコードに無断で自分の名前を埋め込んでいるんだよな。今の職場で同じことをやったら普通に処分対象だと思う。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
本人は「絵描きがキャンバスにサインするのと同じ」と言っているね。作品に署名する行為と見るか、製品に無断で細工した行為と見るかで、評価が真逆になるのが面白いところだ。
15. 海外の名無しさん(>>13への返信)
動機のほうは今も生きているよ。クレジットから外された、名前が載らなかった、という話は現代のゲーム開発でも普通に起きている。手段が過激だっただけで、根っこの部分は何も変わっていない。
16. 海外の名無しさん
1980年当時、友達と計算機付きの腕時計のストップウォッチを使って、ゲーム開始から隠し部屋到達までのタイムを競っていた。だから「誰も知らなかった」というのは、正確には「アタリの社内が知らなかった」なんだと思う。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
そこは「記録に残っている最初の報告」という言い方が正確なんだろうね。子どもたちの口コミではもっと早く広まっていた可能性は高い。ただ、わざわざ手紙にして本社へ送りつけた人間が他にいなかった、というだけで。
18. 海外の名無しさん(>>16への返信)
自分は本体の電源レバーをカチカチやって画面をバグらせ、壁をすり抜けていた口だ。あの時代、隠し部屋にたどり着く方法は正攻法だけじゃなかったんだよな。
19. 海外の名無しさん
イースターエッグという言葉の始まりがこれ、という話は何度か聞くけれど、もっと古い隠し要素の例もあると読んだ覚えがある。本当にこれが最初なんだろうか。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
「最初の隠し要素」と「イースターエッグという呼び名を定着させた事例」は分けて考えたほうがいいと思う。後者のほうはかなりはっきりしていて、アタリの開発責任者が雑誌にそう答えたのが決定打だった。言葉を発明したのではなく、言葉を業界の標準にした、という功績。
21. 海外の名無しさん
発見者の名前がアダム・クレイトンって、U2のベーシストと同じじゃないか。一瞬、あのロックスターが15歳のときにアタリへ手紙を書いた話かと思ってしまった。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
もちろん別人だよ。でも「15歳でゲーム史に名前を残し、その後ベースを抱えて世界を回った」という経歴だったとしたら、出来すぎていて逆に誰も信じないと思う。
23. 海外の名無しさん
地元の書店にアーネスト・クラインが来たとき、客席にウォーレン・ロビネット本人がいて、壇上に呼ばれてこの『アドベンチャー』の話をしてくれた。持っていた本に二人分のサインをもらえたのは一生の自慢だ。
24. 海外の名無しさん(>>23への返信)
だいぶ前に思い切ってロビネットにメールを送ってみたら、ちゃんと返事が来たよ。あれは嬉しかったな。
25. 海外の名無しさん
攻略本にも雑誌にも載っていない何かが埋まっているらしい、と友達同士で言い合っていたあの感覚が、まさかこの話から始まっていたとは。出発点が、待遇に腹を立てた一人のプログラマーの署名だったというのが、なんだかとても良い。
まとめ
アタリの誰も知らないまま出荷されていた「Created by Warren Robinett」の隠し部屋は、1980年8月、15歳の少年がカタログ請求のついでに書いた追伸によって表に出た。回収できないと悟ったアタリは、消す代わりにそれを「イースターエッグ」と呼んで売りにし、言葉のほうが世界中に広まっていく。コメント欄では、開発者にクレジットを与えなかった当時の慣行をどう評価するかで意見が割れ、「業界全体がそうだった」「それでも待遇はひどい」「今なら無断署名は処分もの」と話が行き交った。そして最後は、ドラゴンがアヒルにしか見えなかった話に戻っていく。
元ソース: アタリの誰も、ウォーレン・ロビネットが『アドベンチャー』に隠しメッセージを仕込んでいたことを知らなかった——1980年、15歳の少年が手紙で報告するまで

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