英語で「シャンハイされた(shanghaied)」と言うと、それは中国の上海へ行った話ではない。「本人の意思に関係なく、無理やり連れて行かれた」という意味になる。都市の名前がなぜそんな動詞になったのか。答えは、1900年代の初めまでアメリカの港町で日常的に起きていた、船員を狙った誘拐の慣行にある。
※注:クリンピング(crimping)=酒や薬を使って男を意識のない状態にし、そのまま長い航海に出る船へ売り渡す行為。仲介した業者を「クリンプ(crimp)」と呼んだ。同じ行為の俗称が「シャンハイイング(shanghaiing)」。
今日の知ってた?
📏 船員を力ずくで集めて長期航海の乗組員にする「クリンピング(別名シャンハイイング)」は、1900年代初頭までアメリカの港町で横行していた。終わらせたのは人道的な反省ではなく、蒸気船という技術・船員労働組合・そして一連の法整備という三つの要素の組み合わせだった。
背景:クリンピングとは
帆船の時代、一隻の船を動かすには大勢の人手が要った。しかも太平洋を渡る航海は片道で数か月かかる。船上の生活は狭く、食事はひどく、規律は暴力的で、運が悪ければ帰ってこられない。当然、進んで乗りたがる者は多くない。
船を出さなければ商売にならない船長と、人手が足りないという現実。その隙間に入り込んだのがクリンプと呼ばれる仲介業者だった。彼らの多くは港のすぐそばで安宿や酒場を営んでいて、船から降りてきた男たちの生活そのものを握っていた。宿代と酒代のツケを溜めさせ、頃合いを見て「借金は帳消しにしてやる」と船に送り出す。あるいは、そもそも話し合いすらしない。
この商売が成立していたのは、金の流れがきれいに閉じていたからだ。船長はクリンプに一人あたりいくらの謝礼を払った。当時これは「血の金(blood money)」と呼ばれた。さらに、船員が受け取るはずの数か月分の前借り給料も、書類上はクリンプの手に渡る仕組みになっていた。つまり、男を一人船に押し込むたびに、クリンプには二重に金が入った。
もう少し詳しく
なぜ「上海」だったのか。アメリカ西海岸の港から見て、上海は太平洋を挟んだ向こう側にある代表的な行き先だった。そして帆船で行けば片道に何か月もかかる。近くの港なら、目が覚めて事情を察した男が次の寄港地で逃げ出す望みもある。だが行き先が上海なら、その望みはない。海の上には降りる場所がないからだ。「シャンハイする」は19世紀半ばごろのアメリカ英語で「二度と戻れない遠い航海に叩き込む」という含みを持つようになり、やがて航海と無関係な場面でも「本人の意思を無視して連れ去る」の意味で使われるようになった。
手口は驚くほど単純だった。酒場で気前よく一杯おごる。その酒に阿片やアヘンチンキ(ローダナム)を混ぜておく。当時「ノックアウト・ドロップ」と呼ばれた代物だ。手間を省く者は、こん棒で後頭部を殴った。意識を失った男は船まで運ばれ、目を覚ましたときにはもう陸が見えない。書類上は本人が署名して乗り込んだことになっている。異議を申し立てる相手も、その場にはいない。
舞台になった街。とくに名前が挙がるのがサンフランシスコ、ポートランド、シアトルといった太平洋岸の港町だ。サンフランシスコには「バーバリーコースト」と呼ばれる一帯があった。港のすぐ裏手に酒場と賭博場と安宿がひしめく歓楽街で、上陸したばかりの船員が真っ先に流れ込む場所であり、同時に彼らを待ち構える側の職場でもあった。オレゴン州ポートランドも、川を通じて外洋につながる内陸の港として同じ役割を果たしていた。
そして「地下トンネル伝説」。ポートランドには、街の地下に張り巡らされたトンネルを通って酔った男が船まで運ばれた、という有名な話がある。サンフランシスコの酒場に落とし戸が仕掛けられていた、という話も語り継がれている。ただし歴史研究の側からは、この手の話に慎重な見方が根強い。地下通路そのものは実在するが、荷物を建物と船着き場のあいだで運ぶためのものだったとする指摘があり、誘拐に使われたことを示す当時の記録は見つかっていない。誘拐が実際にあったことと、それがトンネルで行われたことは、別の話だということだ。
終わらせたのは、良心ではなかった。まず技術が変わった。蒸気船は帆船ほど大人数を必要とせず、機関室で働くには相応の技能が要る。酔い潰れた素人を放り込んでも役に立たない。次に組合ができた。1885年に太平洋岸で船員の労働組合が生まれ、ノルウェー出身の元船員アンドリュー・フルセスらが、この商売の土台になっている前借り給料の制度そのものを標的にした。そして法律が動く。1890年代から段階的に規制が進み、1915年の船員法によって前借り給料の支払いが禁じられ、脱走した船員を犯罪者として投獄する制度も廃止された。この「脱走=犯罪」という扱いこそが、逃げようとする男を陸に戻れなくしていた鎖だった。金の流れが断たれ、鎖が外れたとき、クリンプの商売は自然に採算が合わなくなった。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
「シャンハイされる」という言い方は昔から知ってたけど、まさか本当に上海行きの船が語源だとは思ってなかった。ずっと「上海=遠くて怪しい場所」くらいの適当なイメージから来てるんだと思い込んでたよ。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
遠さそのものが本質なんだよ。近場の港なら、目が覚めて事情を理解した男が次の寄港地で逃げる余地がある。でも西海岸から上海までは片道数か月で、途中に降りられる場所がない。逃げ場がゼロだからこそ、その地名が「連れ去る」の意味になった。
3. 海外の名無しさん
英語には地名や国名がそのまま悪い意味の動詞や慣用句になった例がいくつかあって、割り勘を「ダッチ」と言うのもその系統だ。とはいえ都市名が「拉致する」になるのはさすがに重い。ロンドンやパリが同じ運命をたどらなくて本当によかったと思う。
4. 海外の名無しさん
これって「プレスギャング(強制徴募隊)」と同じ話じゃないの?イギリス海軍が港町で男を捕まえて軍艦に乗せてたやつ。名前が違うだけで、やってることは変わらない気がするんだけど。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
近いけど別物だよ。プレスギャングは海軍が兵員を確保するための強制徴募で、当時の法律ではれっきとした合法だった。徴兵制度ができる前の、乱暴な徴兵だと思えばいい。一方シャンハイイングは民間の商船に人を売る商売で、完全に違法。現代の言葉で言えば人身売買のほうが近い。
6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
理屈は分かるけど、頭を殴られて気がついたら沖にいる側からすると、その区別に意味があるとは思えないな。書類が合法かどうかは、殴った側の都合の話でしかない。
7. 海外の名無しさん
サンフランシスコに「シャンハイ・ケリー」と呼ばれた男の酒場があって、床に落とし戸が仕込んであり、酔い潰れた客がそのまま下に待たせた小舟へ落ちていったという話が有名だよね。実際には作り話だろうと言われているけど、当時それが普通に信じられていたという事実のほうが、むしろこの慣行の広まり方を物語ってると思う。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
ポートランドの地下トンネル伝説も同じ扱いにしたほうがいい。地元では有名な話で観光ツアーまであるけど、地下通路自体は建物と船着き場のあいだで荷物を運ぶためのもので、誘拐に使われた証拠は出てきていないというのが研究者側の見解だ。話としてよくできすぎているんだよ。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
ただ、それで「ポートランドでは何も起きていなかった」と受け取られるのも困る。あの街で船員が消えていたのは記録に残っている事実で、経路が地下トンネルではなく港沿いの下宿屋と酒場だったというだけの話だ。派手な仕掛けがなかったから安全だった、という結論にはならない。
10. 海外の名無しさん
シドニーのヒーロー・オブ・ウォータールー・ホテルにも、まったく同じ落とし戸と地下室の伝説が残ってる。港町という港町で同じ形の話が生えてくるの、それ自体が興味深い現象だと思う。
11. 海外の名無しさん
「アメリカで横行していた」という書き方に少し引っかかった。アメリカの学校では、イギリスがアメリカ人船員に同じことをやったのが1812年の米英戦争の原因のひとつだ、と習うんだよ。加害の側として教わる話じゃなかった。
12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
それはインプレスメント(強制徴用)と呼ばれるもので、確かに開戦理由のひとつに数えられている。イギリスの軍艦がアメリカの商船を停船させ、乗員のうち英国民だと判断した者を連れて行った。厄介なのは、帰化してアメリカ市民になった証明書を持っていても構わず連れ去られた例があったこと。当時の海の上には、それを止められる仕組みがなかった。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
ついでに毎回訂正しておきたいんだけど、あの戦争でホワイトハウスを焼いたのはカナダ人じゃない。あの作戦はバミューダを拠点に、ヨーロッパでの戦いを経験してきたイギリス正規軍が実行している。ネットで一番よく回っている豆知識が、一番よく間違っているという典型例だよ。
14. 海外の名無しさん
イギリス側の話でよく出てくる「王のシリング」——エールのジョッキの底に硬貨を沈めておいて、気づかず飲み干した男は入隊を承諾したことになる、というやつ。あれ、現代の歴史家はだいたい都市伝説だと見ているらしいね。
15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
底がガラスになったジョッキの由来として語られるやつだ。硬貨が沈んでいないか確認できるように、という説明つきで。商品を売るための物語としては本当によくできてる。
16. 海外の名無しさん
そもそも小細工をする必要がなかった、というのが身も蓋もない話でね。イギリス海軍の強制徴募隊は必要なら実力行使が認められていて、武装した人員を連れて現れる。熟練船員が欲しいなら、相手が硬貨に気づくかどうかに賭けるより、抵抗されたら押さえつけるほうが早い。硬貨のトリックは、後から生まれた説明だと思う。
17. 海外の名無しさん
アメリカ側の手口は本当に単純で、無料の酒に阿片やアヘンチンキを仕込むか、面倒なら後頭部をこん棒で殴るか。当時の言葉で「ノックアウト・ドロップ」と呼ばれていたものだ。ロマンのかけらもない。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
なぜ船長がわざわざ金を払ってまでこんな連中を使ったのか、というと、船上の労働条件が悲惨すぎて志願者が集まらなかったから。船長は仲介業者に一人いくらの謝礼を払い、それは当時「血の金」と呼ばれていた。需要と供給が最悪の形で噛み合ってしまった結果なんだよ。
19. 海外の名無しさん
この件で一番えげつないと思うのは、暴力そのものより金の設計のほうだ。船員が受け取るはずの数か月分の前借り給料が、書類上は仲介業者に渡るようになっていた。つまり男を一人押し込むごとに、謝礼と前借り給料の二重取りができた。ちゃんと儲かる構造になっていたから、これだけ長く続いた。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
そこに「脱走は犯罪」という当時の法律が加わるのが決定打なんだ。船から逃げれば追われて捕まり、投獄される。だから目が覚めた男は、次の港で降りるという選択すら実質的に持てなかった。仕組み全体が、逃がさないように設計されていた。
21. 海外の名無しさん
終わった理由が「技術と組合と法律」だというのが、一番示唆的なところだと思う。誰かが良心に目覚めてやめたわけじゃない。儲からなくなったからなくなった。世の中の悪習って、だいたいこの順番で消えていくよね。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
決め手になったのは1915年の船員法だと言われている。ノルウェー生まれの元船員アンドリュー・フルセスが長年かけて押し込んだ法律で、前借り給料の支払いを禁じ、脱走した船員を投獄する制度を廃止した。金の入り口を塞いで、鎖を外した。この二つが同時に起きて、商売として成り立たなくなったんだ。
23. 海外の名無しさん
うちの先祖は12歳のとき、いとこと一緒にイングランドの波止場でさらわれて、気がついたら植民地時代のバージニアで年季奉公人をやらされていた。家系図をたどっていて出てきた記録なんだけど、そこに「本人の意思」という言葉が一度も出てこないのが、読んでいて一番こたえた。
24. 海外の名無しさん
過去の話として読んでいると気が楽なんだけど、世界の漁業でいまだにどれくらい強制労働が使われているかを調べると、そう呑気にしていられなくなる。何か月も陸に戻らない船では、逃げ場がないという条件そのものが昔と変わっていない。ツナ缶を見る目が少し変わるよ。
まとめ
「シャンハイする」という英語の動詞の裏には、1900年代初頭までアメリカの港町で続いていた船員誘拐の慣行があった。酔わせて、殴って、船に売る。それを支えていたのは前借り給料の二重取りと「脱走は犯罪」という法律で、終わらせたのは良心ではなく蒸気船と労働組合と1915年の法改正だった。コメント欄では、イギリスの強制徴募との違い、地下トンネル伝説の真偽をめぐる史実論争、そして現代の漁業に残る同じ構図へと話が広がっていった。
元ソース: 船員を力ずくで集めて長期航海の乗組員にする「クリンピング(別名シャンハイイング)」は1900年代初頭までアメリカで横行し、技術・労働組合・法整備の組み合わせでようやく終わった


コメント
「外泊証明書にサインするんだ」みたいな
「アスランする」か
牧逸馬「上海された男」(1925年)って短編小説があるよ
俺はそれで知った