「コルトの機関銃 865ドル、重さ82キロ」1917年のシアーズが出した軍用カタログの中身が想像以上だった

「コルトの機関銃 865ドル、重さ82キロ」1917年のシアーズが出した軍用カタログの中身が想像以上だった 歴史

通販カタログをめくると、洗面用具やテントや作業ブーツが並んでいて、そのすぐそばに機関銃が載っている——第一次世界大戦のさなか、アメリカ最大の通信販売会社シアーズが出した軍用カタログの話が海外の掲示板で話題になっていました。価格は865ドル。注文すれば、小包郵便でヨーロッパの戦地にいる兵士のところまで届いたそうです。

※注:シアーズ・ローバック(Sears, Roebuck and Co.)は19世紀末に創業したアメリカの通信販売会社です。鉄道と郵便しかない時代、町から遠く離れた農村の家庭にとって、数千ページある分厚いカタログが事実上唯一の「店」でした。時計もミシンも下着も薬も、そして材木から釘まで一式そろった組み立て式の家一軒までが、そこから注文できたのです。

今日の知ってた?

📦 1917年、シアーズは「軍用装備」の特別カタログを出した。掲載されていたのはコルトの機関銃1機種(865ドル)、機関銃用の.30口径弾100発(7ドル50セント)、コルトの拳銃3機種、軍服、ブーツやベルトやコンパスや水筒、テントや簡易ベッドといった野営道具。

🚚 配送はシカゴから小包郵便で全米どこへでも。さらにヨーロッパにいる兵士宛てにも、米国内でいちばん遠い郵便ゾーンと同じ料金で送ると案内されていた。機関銃は約82キロ、弾100発は約3.2キロという重量表示付きである。

🧾 買えたのは軍人だけではない。カタログには「軍務についている方のご親族・ご友人が品物をお送りになりたい場合にも、この便宜をご利用ください」とあり、シアーズおなじみの返品保証——満足いかなければ送料込みで交換か返金——も、この軍用カタログにそのまま適用されていた。

背景:カタログが「店」だった時代

アメリカの田舎には、店がありませんでした。19世紀末から20世紀初頭のアメリカでは、人口の多くが農村部に住んでいました。いちばん近い雑貨屋まで馬車で半日、品ぞろえは限られ、値段は言い値。そこへ「カタログを見て、注文書と代金を郵便で送れば、品物が郵便で届く」という仕組みが現れます。分厚いシアーズのカタログは「消費者の聖書」とも呼ばれ、多くの家庭で居間に一冊置かれていました。

郵便制度の変化が、それを一気に押し上げます。1896年に農村部への無料配達が本格化し、1913年には小包郵便が始まりました。それまで小さな荷物は割高な民間の運送会社に頼るしかなかったのが、政府の郵便網で安く運べるようになったのです。通販は爆発的に伸び、シアーズは全米に商品を撒く巨大な物流機械になっていきました。

家一軒まで通販で買えました。1908年ごろから1940年ごろまで、シアーズは組み立て式住宅も売っています。カタログで間取りを選ぶと、材木・建具・金具・釘・設計図が一式、貨車で最寄り駅まで届く。それを施主や大工が組み立てる。全米で7万軒前後が建てられたとされ、今も現役で人が住んでいる家が各地に残っています。(この「シアーズ・ハウス」は、後半のコメント欄にも実際の住人が登場します)

もう少し詳しく

なぜ軍用カタログが出たのか。アメリカが第一次世界大戦に参戦したのは1917年です。急に膨れ上がった軍に対して、物資の調達と輸送はまるで追いついていませんでした。そこへ、全米に配送網を張りめぐらせていた通販会社が「軍務に必要なものは一式こちらでどうぞ」と乗り出した——というのが、この特別カタログのそもそもの位置づけです。中身をよく見ると、大半は軍服・ブーツ・洗面用具・テント・折りたたみ椅子といった日用品で、機関銃はむしろ目次の端に一行載っている、という体裁でした。

865ドルが、どれくらいの金額だったか。コメント欄で真っ先に計算が始まったのがここです。試算では、現在の貨幣価値でおよそ2万〜3万ドル。当時の陸軍の兵卒の月給は30ドル前後だったと言われており、それを基準にすれば給料2年分を超えます。しかも三脚に据えて使う重い機関銃で、重量は約82キロ。一人で担いで戦場を歩ける代物ではありません。つまり「カタログで機関銃が買えた」は事実でも、「兵士が気軽に買っていた」わけではない、というのがコメント欄のおおむねの結論でした。

どの機関銃だったのか。カタログの記載は「コルトの機関銃」までで、掲示板ではコルトM1895——作動時に下のレバーが地面を掘るように振れることから「ポテト掘り機」と呼ばれた型——ではないかという見立てが出ていました。この型は1916年ごろに生産を終えており、参戦時のアメリカ軍では主に訓練用に回されていたとされます。だとすればカタログ掲載は余剰在庫の処分だったのでは、という推測です。ただしこれはコメント欄で出た説であって、シアーズがどれだけ売ったのかを示す記録は見当たりませんでした。

郵便で銃が届く時代は、いつ終わったのか。制度の流れだけ並べておきます。1934年の全米銃器法(National Firearms Act)で、機関銃は登録と1挺あたり200ドルの移転税の対象になりました。当時の200ドルは銃本体より高いこともある額です。次に1968年の銃規制法(Gun Control Act)で、個人が州をまたいで銃を郵便で取り寄せることができなくなり、免許を持つ販売業者を通す形に変わりました。さらに1986年以降は、民間向けに新しく製造された機関銃を新規に登録することができなくなっています。カタログの1ページから、この三段階を経て今の形になった、という時間の幅がこの話の面白いところです。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
カタログに機関銃865ドルって、当時の感覚だとどのくらいなんだ。日用品と同じページに並んでるのがまず落ち着かない。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
今の貨幣価値に直すと、ざっと2万〜3万ドルというところ。車を一台買うより高い。カタログに載ってはいても、注文書を書いた人はほとんどいなかったと思うよ。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
補足しておくと、その865ドルは三脚に据えて使う重機関銃の値段だからね。歩兵が肩に担いで持ち歩く類のものじゃない。同じカタログの拳銃のほうは今の感覚で数百ドル程度で、当時の最高級品としてはそこまで法外でもなかった。

4. 海外の名無しさん
中身の一覧を見てほしいんだけど、機関銃と弾薬の下に、そのまま軍服、ブーツ、ベルト、洗面用具、コンパス、水筒、テント、簡易ベッド、折りたたみ椅子と続くんだ。カタログの編集としては完全に「遠征セット」の並びで、機関銃だけが妙に浮いている。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
つまりカタログ一冊で戦争が一式そろうということか。今日いちばん知りたくなかった豆知識かもしれない。

6. 海外の名無しさん
個人的にいちばん引っかかったのは返品保証のくだり。「お気に召さなければ送料込みでお返しします」が機関銃にも適用されていたことになる。倉庫の返品受付に何が持ち込まれていたのか、ちょっと想像がつかない。

7. 海外の名無しさん
素朴な疑問なんだけど、当時は兵士が自分の武器を自腹で買うのが普通だったの? 軍が全員に支給していなかったのか、それとも「いい物が欲しければ自分で買ってもいいよ」という話だったのか、どっちなんだろう。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
支給はちゃんとあった。ただ支給品が旧式だったり、その部隊が置かれた環境に合っていなかったりすることがあって、そのときに指揮官や将校、ときには一般の兵士が、役所の手続きを待つより早いという理由で自分で買っていたんだ。

9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
そこは今の軍隊でもあまり変わっていない(さすがに武器は別として)。支給されるブーツやバックパックが使いものにならなくて、自腹でまともなやつを買い直す、というのは今もよく聞く話だよ。

10. 海外の名無しさん
当時は同じ町の若者がまとまって一つの部隊になることが多かったから、町ぐるみで寄付を集めて「うちの子たち」の装備を買ってやる、ということもあったらしい。そう考えると、このカタログの注文書を書いていたのは兵士本人じゃなくて、留守番している家族や町の有志だったのかもしれない。

11. 海外の名無しさん
調べてみたら1917年のアメリカ兵の給料は月30ドルくらい。機関銃を買うには2年分を超える給料が要る計算になる。そこそこの厚手のコートですら1週間半分の稼ぎだ。これは個人向けというより、部隊が手持ちの経費で直接買えるようにした窓口だったんじゃないかな。

12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
その計算でいくと、本体より弾のほうが恐ろしいことになる。100発で7ドル50セントだから、当時の毎分の発射数で撃ち続けると1分でだいたい33ドル分。兵卒の月給が30ドルなのに、引き金を1分引いたら一人分の月給が煙になる。

13. 海外の名無しさん
「コルトの機関銃」というのは十中八九M1895、通称ポテト掘り機だと思う。撃つたびに下のレバーが地面を掘るみたいに振れるからその名前がついた。この型は1916年に生産が終わっていて、参戦時には主に訓練用に回されていたはずだから、要は余った在庫をカタログに載せて処分しようとしただけ、というのが実際のところじゃないかな。

14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
カナダの戦争博物館に現物の写真があるんだけど、あれ、小さい椅子が付いてるんだよね。据え付けて座って使う設計。郵便で届いた箱から椅子付きの機械が出てくる情景を想像すると、なんともいえない気持ちになる。

15. 海外の名無しさん
ということは、どこかの家の屋根裏か納屋に、当時カタログで買われた機関銃がそのまま眠っている可能性もあるってことか。持ち主の孫の代あたりが、価値も由来も知らないまま埃をかぶせている図が浮かぶ。

16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
こっち(ヨーロッパ)だと、そういうのは実際に出てくる。武器の恩赦回収をやると、二つの大戦の残り物がとんでもない状態で持ち込まれるんだ。うちの近所では対戦車砲を一門そのまま持ってきた人がいて、係の人がしばらく固まっていたそうだよ。

17. 海外の名無しさん
アメリカで銃を郵便で取り寄せられなくなったのは1968年の法律から。それまでは本当に、雑誌の広告を見て注文書を送れば家に届いていた。ケネディ大統領の暗殺に使われたライフルが通販で買われたものだったことが、その議論を大きく動かしたと言われている。

18. 海外の名無しさん
初期のトンプソン短機関銃の広告なんて、牧場主が家畜泥棒を追い払っている絵だったからね。今見ると冗談みたいだけど、当時の売り方としては真面目にそれで通っていた。カタログに機関銃が載っていたのも、その空気の延長線上にある。

19. 海外の名無しさん
昔のアメリカはちゃんとした国だった。カタログをめくれば工具も、家も、必要なら機関銃まで一冊で買えて、注文すれば郵便で届く。何を買うかは自分で決める、それだけの話だったんだ。

20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
そういう懐かしがり方をする人は必ず出てくるけど、値段を見てから言ってほしいな。給料2年分だよ。当時だって実際に買えたのはごく一部の金持ちだけで、大多数の農家にとっては「載っているのを眺めるページ」でしかなかった。昔の自由って、たいてい後から美しく塗り直されてる。

21. 海外の名無しさん
最初に買った家がシアーズのカタログの家だった。さすがに機関銃は出てこなかったけど、屋根裏から当時の設計図が出てきて、それは売るときに次の持ち主に残してきたよ。改装していて気づいたのは、壁の柱が入る位置に合わせて上の横木にきちんと切り欠きが入っていたこと。設計図には書かれていない工夫だった。ただ「おじいちゃんが自分の手で建てた家」の困るところは、おじいちゃんが自分を電気工事士だとも思っていたことでね。

22. 海外の名無しさん
この話でいちばん皮肉なのは、注文書と郵便で世界最強の小売りになった会社が、最後はネット通販に負けて店をたたんだことだと思う。倉庫から注文品が出るまで1か月かかる状態になっていたと聞くと、機関銃を戦地まで郵便で送っていた会社と同じとは信じられない。

まとめ

1917年のシアーズの軍用カタログには、確かに機関銃が865ドルで載っていて、小包郵便でヨーロッパの戦地まで届けると案内され、返品保証まで付いていました。ただし値段は兵卒の給料2年分を超え、重さは約82キロ。実際にどれだけ売れたのかを示す記録は見当たらず、掲示板でも「旧式の在庫処分だったのでは」という見方が大勢でした。コメント欄が盛り上がっていたのは銃そのものより、カタログ一冊で工具から家一軒までが届いた時代の物流の厚みのほうで、そこに「昔はよかった」という懐かしがりと「値段を見てから言え」という冷静な突っ込みが並んでいたのが、いかにも掲示板らしい眺めでした。

元ソース: 第一次世界大戦中、シアーズは軍用カタログを出して機関銃を郵便で売っていたという話

コメント

  1. Reddit名無しさん says:

    重量的に判断すれば、比較的軽量だったM1897じゃなく、当時最新鋭のM1917の可能性もある
    そっちなら重量が40キロ越えるし
    1897だと三脚入れても30キロくらいだ