「1950年に撃沈された巡洋艦」が1972年にスクラップとして売られていた——平壌の博物館の展示と記録が食い違う話

「1950年に撃沈された巡洋艦」が1972年にスクラップとして売られていた——平壌の博物館の展示と記録が食い違う話 歴史

平壌にある「祖国解放戦争勝利記念館」には、1950年にアメリカの巡洋艦ボルチモアを撃沈したという展示がいくつも並んでいる。ところが同じころ、当のボルチモアは太平洋の反対側、アメリカ西海岸の軍港で静かに係留されていた。動かない状態で保管され、そのまま1972年にスクラップとして売られている。つまり、この船はどこの海でも沈んでいない。

※注:巡洋艦は、戦艦より小さく駆逐艦より大きい中型の軍艦のこと。ボルチモアは「重巡洋艦」に分類される。「予備役(モスボール)」は、すぐには使わない艦を廃棄せずに保管しておく状態で、砲や機関に防錆処理をほどこし、港に係留したまま眠らせておく。虫よけの防虫剤(mothball)にちなんだ呼び方である。ブレマートンはワシントン州の港町で、大きな海軍造船所があり、こうした保管艦がずらりと並ぶ光景で知られてきた。

今日の知ってた?

🚢 北朝鮮・平壌の「祖国解放戦争勝利記念館」には、1950年に米巡洋艦ボルチモアを撃沈したという趣旨の展示が複数ある。ところが実際のボルチモア(重巡洋艦、CA-68)は、1946年から1951年までワシントン州ブレマートンで予備役として係留されており、朝鮮半島の海には行っていない。その後ふたたび現役に戻り、最終的には1972年にスクラップとして売却された。沈没した記録はどこにもない。

背景:朝鮮戦争と、平壌の「勝利記念館」

朝鮮戦争は、1950年から1953年まで朝鮮半島で戦われた戦争である。第二次大戦の終結にともなって、北緯38度線を境に北をソ連、南をアメリカが管理する形で分断されていた朝鮮半島で、1950年6月、北朝鮮軍が38度線を越えて南に進んだことから戦闘が始まった。アメリカを中心とする国連軍が韓国側について参戦し、戦線が北へ押し戻されると、今度は中国の人民志願軍が北朝鮮側について加わる。戦線は半島を上下に大きく行き来したのち、ほぼ元の38度線付近で膠着した。

1953年7月に休戦協定が結ばれたが、これはあくまで「戦闘をやめる」約束であって、平和条約ではない。だから朝鮮戦争は、いまも法的には終わっていない。停戦から70年以上が経つのに、書類の上ではまだ休戦中という、かなり珍しい状態が続いている。

ちなみに、この戦争は呼び名も統一されていない。日本では「朝鮮戦争」、韓国では開戦日にちなんだ「6・25戦争」、北朝鮮では「祖国解放戦争」と呼ばれる。同じ3年間を指しているのに、名前がそれぞれ違う。今回の博物館の正式名称に「祖国解放戦争」が入っているのは、そういう事情である。なお日本にとっても遠い話ではなく、この戦争で発生した物資需要(いわゆる朝鮮特需)は、戦後日本の経済が立ち直るきっかけのひとつになった。

祖国解放戦争勝利記念館は、その戦争を扱う平壌の大型博物館で、外国人向けの市内観光でも定番の立ち寄り先として知られる。名前のとおり「勝利」を主題とした施設で、鹵獲した装備や戦闘場面のジオラマ、大型の絵画などが展示されている。今日の話は、その展示の一角に関するものだ。

もう少し詳しく

ボルチモアはどこにいたのか。USSボルチモア(CA-68)は、20センチ砲を9門積む1万4000トン級の重巡洋艦で、1943年に就役し、第二次大戦の太平洋戦線に従軍した。戦争が終わると多くの艦と同じように役目を終え、1946年に退役してワシントン州ブレマートンの予備艦隊に加わる。動力を止め、防錆処理をして、港に係留したまま保管される状態だ。ここから動かないまま数年が過ぎ、再就役は1951年11月。つまり「1950年に朝鮮半島の沖で撃沈された」とされる年、この船はアメリカ西海岸で眠っていたことになる。その後1950年代なかばにふたたび退役し、1970年代はじめに除籍、1972年にスクラップとして売却された。就役から解体まで、記録は途切れずにつながっている。

では、元になった出来事はあるのか。元スレのコメント欄でくり返し挙がっていたのが、1950年7月2日の海戦である。日本海側の朝鮮半島東岸で、アメリカの軽巡洋艦ジュノー、イギリスのジャマイカとブラック・スワンの3隻が、北朝鮮の魚雷艇と砲艇の一群と遭遇した。北朝鮮側が攻撃をしかけようとしたところ、魚雷を撃つ前に国連軍側の砲撃を受け、魚雷艇3隻が失われている。開戦直後に起きた、この方面で最初の本格的な海上戦闘だった。「勝利記念館の展示は、この日の戦闘が元になっているのではないか」というのが、コメント欄でいちばん支持されていた見立てである。魚雷艇で巡洋艦の隊列に向かっていったという事実そのものは、記録に残っている。

艦名が入れ替わった可能性。もうひとつ、コメント欄で丁寧に語られていたのが「取り違え」説だ。アメリカ海軍は同じ艦名を何代にもわたって使い回すので、艦名だけでは船を特定できないことが多い。ボルチモアという名前の軍艦も、CA-68のほかに過去に存在している。加えて、7月2日の海戦にいたのは軽巡洋艦ジュノーで、同じ「巡洋艦」である。前線から後方へ、後方から発表へと報告が渡っていく過程で、艦種は残ったまま名前だけが有名な艦のものに置き換わる——というのは、戦時中の報告ではさして珍しくない事故だ。もちろんこれは推測であり、展示がどういう経緯で作られたのかを外から確かめるすべはない。

「実在するもの」を混ぜるという作り方。元スレで多くの人が面白がっていたのは、嘘そのものよりも作り方のほうだった。まったく架空の船を沈めたことにするのではなく、実在した艦の名前を持ってくる。実在の地名や日付を添える。そのほうが具体的で、聞いた側は信じやすくなる。ところが同じ理由で、後から照合するのも簡単になる。固有名詞をひとつ入れた瞬間、その名前には造船所の記録も、航海日誌も、乗員名簿も、退役の年月日もぶら下がってくるからだ。ボルチモアの話が70年以上たってから掘り返されているのも、まさにそこに引っかかったからである。

戦時の発表が実態からずれるのは、どこの国でもあった。そして、これは特定の国に限った話ではない。戦争中の戦果報告は、どの国のものであっても実態より大きくなるのが普通だった。空中戦の撃墜数などは、各国とも実際の数倍で発表されているのが当たり前で、これは意図的な誇張だけでなく、混戦のなかで複数の兵士が同じ相手を撃ったと申告してしまう、といった素朴な事情でも起きる。日本にも有名な例がある。1944年10月のいわゆる台湾沖航空戦で、大本営はアメリカの空母11隻を撃沈したと発表した。実際にはアメリカ側の艦は1隻も沈んでおらず、重巡洋艦2隻が大きな損傷を受けただけだった。この誤った戦果はそのまま作戦の前提として使われ、後の戦局に響いている。博物館の展示と記録が食い違っているという今日の話は、笑い話として面白いのと同時に、「勝った話だけを集めた場所」がどう出来上がるのかという、もう少し普遍的な話でもある。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
ボルチモアの経歴は資料がきちんと残ってるのがすごいところ。1943年就役、太平洋戦線に従軍、1946年に退役してブレマートンで保管、1951年に再就役。1950年の欄には「係留中」以外に書くことがない。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
保管中の艦って本当に何もしてないんだよね。砲身に蓋をして、機関を止めて、湿気だけ管理して港に並べておく。ブレマートンの当時の写真を見ると、同じ形の艦が何列も浮かんでいて、ちょっと不思議な光景になってる。

3. 海外の名無しさん
1950年に沈んだ船が1972年にスクラップとして売られてるの、順番がおかしくて笑ってしまった。売った側も買った側も、たぶん沈んでいたことを知らないまま取り引きしている。

4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
引き揚げて解体したという話ならまだ筋は通るんだけど、そのあいだの記録がずっと「浮いている」で埋まっているので、その逃げ道もない。22年ぶんの書類が全部そろっているのは、けっこうな壁だと思う。

5. 海外の名無しさん
同じ日に近くにいたのは軽巡洋艦のジュノーなんだよね。艦種は同じ巡洋艦で、有名さだけが違う。前線から後ろに報告が渡っていく途中で、名前が有名なほうに寄っていった可能性はふつうにありそうだと思ってる。

6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
それは十分ありうる。米海軍は同じ艦名を何代も使い回すから、艦名を聞いただけでは船が特定できない。「ボルチモア」という名前の軍艦も一隻ではないし、そこに世代の取り違えが乗ると、もう追いかけようがなくなる。

7. 海外の名無しさん
話の本筋とは別に、魚雷艇で巡洋艦の隊列に向かっていったという事実のほうに驚いた。小さい船で撃たれる前に近づかないといけないわけで、乗っていた人たちの立場で考えるとかなり厳しい任務だと思う。

8. 海外の名無しさん
戦果の発表が実態とずれるのは、正直どの国の記録でも起きてる。とくに空中戦の撃墜数は双方が数倍で申告してるのが普通で、戦後に照合してみたら合計が実在の機数を超えていた、なんて話がいくらでもある。

9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
これで思い出したのが日本の台湾沖航空戦で、空母11隻を撃沈したと発表したのに、実際には1隻も沈んでいなかったというやつ。しかもその数字を前提にして次の作戦を組んでしまったので、笑い話では済まなかった。

10. 海外の名無しさん
施設の名前が「勝利記念館」なので、そもそも勝った話しか置けない設計になっているのが根っこな気がする。壁の面積が先に決まっていて、そこを埋める展示を探しにいく、みたいな順番なんじゃないか。

11. 海外の名無しさん
架空の船を沈めたことにするんじゃなくて、実在する船の名前を持ってくるのがこの手の話の型なんだよね。日付や地名みたいな具体的なものが入っていたほうが、聞いた側は自然に受け取ってしまう。

12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
ただ、その具体性のせいで検証もできてしまうというのが面白いところで。固有名詞をひとつ入れた時点で、造船所の記録も乗員名簿も退役の日付も全部ぶら下がってくる。曖昧なままにしておいたほうが、たぶん長持ちした。

13. 海外の名無しさん
この博物館、同じ敷地に本物の展示もあるのが妙な感じなんだよな。1968年に拿捕された米海軍の情報収集艦プエブロが実際に置かれていて、こっちは正真正銘の実物。作り話と本物が同居している。

14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
しかもプエブロは、船体が向こうにあるままアメリカ海軍の艦籍にいまも残っているという扱いになってる。現役の軍艦が半世紀以上ずっと他国の川に浮かんでいるわけで、こっちはこっちで相当おかしな状態が続いてる。

15. 海外の名無しさん
素朴な疑問なんだけど、こういう展示のキャプションって、資料が更新されたときに直る仕組みはあるんだろうか。どこの博物館でも古い説明板がそのまま残っているのは見かけるけど、さすがにこの規模のずれは珍しい。

16. 海外の名無しさん
沈んだはずの船が22年後にスクラップとして売られているという話、どこかで聞いたと思ったらフィラデルフィア実験だ。あっちも消えたはずの駆逐艦が、その後ふつうに何十年も任務についている。

17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
軍艦が行方不明になったあとに何食わぬ顔で戻ってくる例、思ったより多いのかもしれない。もっとも、たいていの場合は最初から一度も消えていないというだけの話なんだけど。

18. 海外の名無しさん
軍事博物館というものが、どこの国でも自国の視点から作られているのは事実だと思う。程度の差はあるにせよ、都合の悪い作戦は展示の面積が小さいとか、触れられていないとか、そういうのはどの国の施設に行っても感じる。

19. 海外の名無しさん
こういうときに効くのが一次資料の強さで、航海日誌、乗員名簿、造船所の入渠記録、退役と再就役の官報あたりを突き合わせると、艦がどこにいたかは日単位で追える。船は隠れられる大きさじゃないというのもある。

20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
ブレマートンみたいな軍港の町だと、地元紙が保管中の艦の写真を普通に載せていたりするから、そういう資料も残っていそう。造船所は町の最大の職場だから、記録が地域の側にも分散して残るのが強い。

21. 海外の名無しさん
学校で習った話が後から違っていたと知る経験は誰にでもあると思う。国の大小や体制に関係なく、いったん教科書と展示に載ったものは長く残る。だから訂正が入るまでの時間差のほうが、個人的には興味深い。

22. 海外の名無しさん
結局、こういう食い違いを見つけて突き合わせるのが歴史のいちばん面白いところなんだよな。船が一隻どこにいたかというだけの問題が、当時の報告のしかたから博物館の作り方まで、いろいろ引っぱり出してくる。

まとめ

平壌の祖国解放戦争勝利記念館には、1950年に米巡洋艦ボルチモアを撃沈したという展示がいくつも並んでいる。だが実際のボルチモアは1946年から1951年までワシントン州ブレマートンで予備役として係留されており、朝鮮半島には行っていない。その後ふたたび現役に戻り、1972年にスクラップとして売却されて生涯を終えた。元スレのコメント欄では、1950年7月2日に日本海側で起きた海戦が展示の元になったのではないかという見立てや、同じ日に居合わせた軽巡洋艦ジュノーと艦名が入れ替わった可能性など、落ち着いた考察が並んだ。同時に多くの人が指摘していたのは、「実在する固有名詞を混ぜると信じられやすくなるが、そのぶん照合もされやすくなる」という構造のほうだった。戦果の発表が実態からずれるのはどの国の戦争にもあったことで、日本の台湾沖航空戦を挙げる声もあった。船が一隻どこにいたかという小さな問題から、当時の報告のしかたと、勝った話だけを集めた場所の作られ方まで見えてくる——そこが、この話のいちばん面白いところである。

元ソース: 北朝鮮・平壌の祖国解放戦争勝利記念館には、1950年に米巡洋艦ボルチモアを撃沈したという展示がいくつもある。ただ困ったことに、ボルチモアは1946年から1951年までワシントン州ブレマートンで予備役として係留されており、1972年にスクラップとして売却されるまで失われていない

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