イギリスの宮廷では男性、ロシアの宮廷では女性として、必要に応じて性別を使い分けた――。18世紀フランスのスパイ、シュヴァリエ・デオンについて、こんな話が海外の掲示板で話題になりました。ただ、「ロシアでは女性に扮した」という有名なくだりは、本人が後年に語ったもので、当時の記録では確かめられていません。確かなのは、人生の前半を男性の外交官・軍人として、後半の30年余りを女性として生きたことです。日本では、アニメ『シュヴァリエ』の主人公のモデルとしても知られています。
※注:シュヴァリエはフランス語で「騎士」。1763年に聖ルイ勲章を受けてこう呼ばれるようになりました。女性と認められてからは、女性形の「シュヴァリエール」とも呼ばれます。
今日の知ってた?
🤺 18世紀フランスの外交官・スパイ、シュヴァリエ・デオン(1728〜1810年)は、人生の前半を男性として、後半を女性として生きた。七年戦争では竜騎兵の大尉として戦い、ロンドンでは大使の代理まで務めた。
👗 ルイ16世の政府はデオンを女性と認め、女性の服を着ることを条件に、1777年にフランスへの帰国を許した。勲章を身につけ続けることも許された。
❓ 一方、「ロシアの宮廷には女性に扮して潜入した」という話は、本人が後年に語ったもので、当時の記録による裏付けはほとんどない。
背景:シュヴァリエ・デオンとは
デオン(本名シャルル・デオン・ド・ボーモン)は1728年、フランスのブルゴーニュ地方の町トネールで、貧しい貴族の家に生まれました。パリのマザラン学院で民法と教会法を学んで1749年、21歳で卒業。財政や行政を論じた著作で名を知られるようになり、1758年には歴史と文学の書物を審査する王室検閲官に任じられています。
転機は1756年です。デオンは、国王ルイ15世が大臣たちにも知らせずに動かしていた秘密の外交・諜報網「国王の秘密(スクレ・デュ・ロワ)」に加わりました。表向きの外交方針と食い違う工作をすることもあった組織です。同じ年から1760年まで、デオンはロシアの首都サンクトペテルブルクのフランス大使館で書記官を務め、帰国後にはその働きへの褒美として2,000リーヴルの年金を受けています。
1761年には竜騎兵(馬で移動して戦う兵科)の大尉として七年戦争の終盤に従軍し、負傷もしました。その後、戦争を終わらせる講和条約の起草を手伝うためにロンドンへ送られ、1763年2月にパリ条約が結ばれると、翌月に聖ルイ勲章を受けます。「シュヴァリエ(騎士)・デオン」という呼び名はここから来ています。
ロンドンでは1763年のうちに代理公使、続いて全権公使となり、事実上の大使代理として働きながら、国王のためのスパイ活動も続けました。ルイ15世が自分の大臣たちにも内緒で温めていた、イギリス侵攻計画のための情報集めです。ところが同年10月に正式な大使ゲルシー伯爵が着任すると、デオンは書記官に格下げされます。デオンは帰国命令に従わず、1764年3月には自分の召還をめぐる外交機密の書簡を本にして出版しました。前代未聞の暴露でしたが、侵攻計画の文書だけは「保険」として手元に残したため、フランス政府もうかつに手を出せなくなります。1766年、ルイ15世はデオンに年金を与えましたが、10万リーヴルを超える借金の肩代わりは断りました。
もう少し詳しく
ロシアでの「女装潜入」は、後から語られた話。デオンは後年、ロシアへ向かったときはイギリスが女性と子どもしか国境を通さないようにしていたので、「リア・ド・ボーモン」という女性になりすまし、女帝エリザヴェータの女官として仕えたのだと語りました。しかし、この派遣を裏づける当時の記録は見つかっていません。英語版ウィキペディアは、この話を「デオンが女性であることが、かつてフランスの役に立った」と示すために語られたものと見るのが、いまでは一般的だと説明しています。デオンの文書を所蔵する英リーズ大学図書館も、歴史家ゲイリー・ケイツの伝記が、ロシアでの任務で女装を強いられたという回想録の話を覆していると紹介しています。ちなみに英語版ウィキペディアは、冒頭の要約ではいまも「女性として女帝の宮廷に潜入した」と書いていて、本文の説明と食い違っています。
ロンドンでは、性別が賭けの対象に。デオンはふだん竜騎兵の軍服を着ていましたが、ロンドンでは「実は女性だ」という噂が広まり、ロンドン証券取引所ではデオンの本当の性別をめぐる賭けまで始まりました。デオンは誘われても加わらず、どちらの結果が出ても名誉を傷つけると言って、体を調べられることを拒んでいます。のちにデオンの帰国が報じられると、決着していない賭けをめぐって裁判が起こされ、首席裁判官のマンスフィールド卿が、イギリスの法の上ではデオンを女性とする判断を示しました。
「女性として」帰国するまで。1774年にルイ15世が亡くなると「国王の秘密」は廃止され、デオンは帰国の交渉を始めます。フランス政府側の交渉役は、のちに『フィガロの結婚』を書く劇作家ボーマルシェでした。20ページに及ぶ取り決めで、デオンは機密書簡を引き渡す代わりに、帰国と年金の継続を認められます。このときデオンは、自分は生まれたときは女性で、父親が妻の実家の遺産を受け継ぐには息子が必要だったために男の子として育てられたのだと主張し、女性として認めるよう求めました。リーズ大学図書館の説明によると、フランス政府はこの主張を信じ、デオンは騎士の称号と勲章を保ったまま女性と認められました。女性がこうした栄誉を受けたのは、フランスの歴史で初めてだったといいます。ルイ16世の宮廷はその代わりに女性の服を着ることを求め、新しい衣装の費用も出しました。1777年に帰国したデオンは、できれば女性として外交の仕事を続けたいと望んでいて、引退させられたことを深く恨んでいたとされます。アメリカ独立戦争にフランスが加わると従軍を願い出ましたが、許されませんでした。
ドレス姿の剣士として。1785年、デオンはイギリスに戻ることを許されます。1787年4月9日には、ロンドンのカールトン・ハウスで、のちの国王ジョージ4世となる皇太子や貴族たちの前で、名剣士として知られたシュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュと剣を交えました。このときデオンは58歳です。英王室のロイヤル・コレクションに残るこの試合の絵には、女性の服を着て攻めかかるデオンと、それを受け止めるサン=ジョルジュが描かれています。フランス革命で年金が止まると、デオンは本や宝石、銀器を売り、剣術の試合に出て暮らしましたが、1796年にサウサンプトンでの試合で大けがを負います。晩年は未亡人のコール夫人と暮らし、1804年には借金のために5か月間、債務者監獄に入りました。転んで体が麻痺してからは最後の4年間を寝たきりで過ごし、1810年5月21日、ロンドンで貧しいまま81歳で亡くなっています。
死後の検視と、いまも割れる受け止め方。亡くなったあとに遺体を調べた外科医は、「あらゆる点で完全に形成された男性の器官」があったと証明書に記しました。同時に、手足の丸みや豊かな胸といった女性的な特徴も書き留めています。デオンの家に残された手紙や原稿など約3,500ページは、出版者や収集家の手を経て、いまはリーズ大学図書館にあります。ただ、図書館の説明によると、この中には偽造した報告書や手紙、請求書が大量に含まれ、偽の文書を本物だと保証する手紙までデオン自身が作っていました。日付や中身そのものが疑わしい文書が多く、デオンが何を考えていたのかを史料から確かめるのは簡単ではありません。現代の研究者の多くはデオンをトランスジェンダーの人物として捉えていて、イギリスで長く続くトランスジェンダーの人たちの団体「ボーモン・ソサエティ」もデオンにちなんで名づけられました。一方で、王妃マリー・アントワネットの侍女だったカンパン夫人は回想録に、デオンは帰国するために女性の服を着せられ、その腹いせに、長い裾のドレス姿のまま屈強な兵士のような身のこなしと話しぶりを通していた、と書き残しています。1998年にフランスで出た伝記には「意に反した女装者」という副題が付きました。受け止め方は、いまも一つにまとまっていません。
日本ではアニメの主人公に。日本では、2006年夏に放送されたプロダクションI.G制作のテレビアニメ『シュヴァリエ』の主人公として知られています。原作・シリーズ構成は冲方丁、監督は古橋一浩。革命前夜のフランスを舞台に、ルイ15世に仕えていた姉リアの謎の死の真相を、弟のデオンが追う物語です。この姉の名前「リア・ド・ボーモン」は、デオンがロシアで名乗ったと語った女性名と同じ。史実に幻想的な仕掛けを織り交ぜた物語ですが、本人が広めた伝説が、200年以上たって日本のアニメの設定に生きているのは面白いところです。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
性別を疑ってくる相手には片っ端から決闘を申し込んでた、って話を聞いたことがある。とんでもない剣の達人だったから、それで大抵の人は黙ったらしい。
※ よく語られる話だが、一次史料での裏付けは確認されていない。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
決闘の文化がなくなったのは、乱用を防ぐためだし、法的な揉め事をスポーツみたいなもので決めるのはおかしいからだってのは分かってる。でもこういう話を聞くと、正直ちょっと憧れるんだよな。悪意のある議論をぶった斬って、口先だけの卑怯者をあぶり出すには最高だったと思う。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
元の話のとおり、スパイ活動のために性別を偽ってたんだとしたら、それを指摘した相手を剣の腕で黙らせてたってことだろ。むしろ決闘がダメな仕組みだって見本じゃないか。かっこいいのは分かるけど、卑怯者をあぶり出す話じゃなくて、嘘をついた側が守られる話になってる。
4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
決闘の一番の問題は、強い奴と頭に血がのぼった奴に悪用されることなんだよ。よく知りもしない相手に、ちょっとした行き違いで人生を壊されかねない。怪我をすれば当時の医療じゃ一生引きずるし、次から本当のことを言うのも怖くなる。復活させるなら、ネットの掲示板の中だけにしてほしい。
5. 海外の名無しさん
この話は見直したほうがいいかも。イギリスの歴史家が史料を当たって書いた本では、デオンの女性としての生き方は本人が選んだものじゃなく、押しつけられたものとして描かれてる。帰国の条件が女性の服を着ることで、その噂で一生笑いものにされ続けた、って。トランスジェンダーの歴史として語りたい人は多いけど、そこは慎重に見たほうがいいという主張だった。
※ 英国の歴史家アンソニー・デラニーが2025年に出した『Queer Georgians』(ジョージ王朝時代のイギリスで生きた性的少数者たちを描いた本)のこと。一方、リーズ大学図書館の目録は、「生まれたときは女性だった」と主張して女性と認めさせたのはデオン本人で、政府はその主張を信じたと説明している。
6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
その本の著者、もともとはデオンの話を信じていて、本にも入れるつもりだったんだって。でも歴史家だから史料を当たってみたら辻褄が合わなくて、見つけたことをそのまま書くことにしたらしい。章ごとに一人ずつ、ジョージ王朝時代のイギリスの人物を追っていく構成だよ。
7. 海外の名無しさん(>>5への返信)
新しい本が一冊出ただけで、それを決定版みたいに扱うのは早いと思う。歴史では、一つだけ違う見方をする資料が出てくるなんてよくあることだし、研究者の大勢が考えを変えるまで待つべきだ。それに本人は回想録で自分を女性として書いてる。中に作り話が混じっていても、本人がそう名乗ったなら、自分はそれに合わせて呼ぶよ。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
その回想録がまたややこしくて、友人が代筆していて、話をかなり盛ってるらしいんだよ。お金に困ってた時期もあるし、どこまでが本心でどこからが商売なのか、線を引くのが本当に難しい。
9. 海外の名無しさん
英語版ウィキペディア、冒頭の要約には「女性として女帝の宮廷に潜入した」って書いてあるのに、本文では「裏付けはほとんどない」って説明してるんだよな。今回の豆知識は、たぶん冒頭だけ読んで書いたんだろう。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
マイナーだけど人気のある歴史上の人物の記事って、一般向けの歴史読み物みたいな質の低い孫引きの本に頼りがちで、出来がいまいちなことが多いよ。
11. 海外の名無しさん
デオンの若い頃のことって、分かっている話の多くが、半分代筆の自伝と、『吸血鬼ドラキュラ』のブラム・ストーカーが1910年に出した『有名な詐称者たち』って本が出どころらしい。ドラキュラの作者の「詐称者」列伝に入ってる時点で、話半分に聞いたほうがいい気がする。
12. 海外の名無しさん
カサノヴァを思い出すな。同じ時代の人で、実際はお金に困って各地を渡り歩いてた冒険家なのに、自分を売り込む回想録のおかげで伝説になった。本人の人生は伝説よりずっと地味だったりするんだよ。まあデオンは、アニメの題材としては最高だったけど。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
そのアニメ『シュヴァリエ』、日本の作品の中でもかなり変わってるぞ。死んだ姉の魂がデオンに乗り移って女性の姿になるんだけど、騎士としての腕はデオンのまま、っていう話なんだ。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
おかしいな、アニメや『Fate/Grand Order』とは見た目が全然違うぞ…いや、冗談だよ。ポップカルチャーのかなり自由な描き方から入って本物の歴史を掘っていくのは楽しいし、デオンはその入り口として最高の一人だと思う。
15. 海外の名無しさん
黒いドレスに勲章を付けた肖像画を見て、本気でジョージ・ワシントンが女装してるのかと思った。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
分かる。顔つきがそっくりなんだよ。1ドル札の肖像と入れ替えても、しばらく誰も気づかないかもしれない。
17. 海外の名無しさん
しかも史上屈指の剣の使い手でもあったんだよな。50代の終わりにドレス姿で、皇太子や貴族の前で試合をしてたって、どういう体力してるんだ。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
その試合の絵が英王室のコレクションに残ってるよ。1787年にロンドンで、皇太子の前でサン=ジョルジュと剣を交えてる場面。サン=ジョルジュは作曲家でバイオリンの名手でもあった人で、こっちの人生もとんでもなく濃い。
19. 海外の名無しさん
どうやったら10万リーヴルなんて借金を作れるんだ?今のお金に直したら、換算の仕方次第でとんでもない額になるだろ。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
ロンドンで大使の代理をしてた頃、かなり派手にやってたらしい。フランスの自分のブドウ畑で採れたものをイギリスの貴族に贈って、人脈を作ったりしてさ。ルイ15世は年金こそ出したけど、借金の肩代わりは断ってる。
21. 海外の名無しさん
大学のフランス語の授業でデオンについて発表したことがある。先生はフランス出身で、語学と文化の授業を30年以上教えてきた人なのに、聞いたこともなかったって、ものすごく食いついてた。授業が終わってからも廊下で呼び止められて、「こんなことが分かった」って教えてくれたよ。
22. 海外の名無しさん
デオンの手紙や原稿はリーズ大学の図書館に3,500ページくらい残ってるんだけど、図書館の説明に「偽造した報告書や手紙、請求書が大量に含まれていて、本物だと保証する偽の手紙まで作っていた」って書いてある。研究者泣かせにもほどがある。
23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
根っからのスパイだな。亡くなって200年たっても、まだ後世に情報戦を仕掛けてくる。
24. 海外の名無しさん
外交官の性別をロンドン証券取引所で賭けの対象にして、最後は裁判所が「イギリスの法の上では女性」と判断する羽目になるって、18世紀のロンドンはどうかしてる。本人の気持ちなんて、誰も考えてなかったんだろうな。
25. 海外の名無しさん
イギリスには、デオンの名前から取った「ボーモン・ソサエティ」っていうトランスジェンダーの人たちの団体が昔からあるんだよ。本人がどう生きたかったのかは研究者の間でも意見が割れてるけど、多くの人にとって大事な人物なのは間違いないと思う。
まとめ
「イギリスでは男性、ロシアでは女性」と語られがちなデオンですが、ロシアの話は本人が後から語ったもので、確かなのは人生の前半を男性の外交官・軍人として、後半を女性として生きたことでした。女性として認めるよう求めたのは本人で、ドレス姿は帰国の条件でもあります。
コメント欄は、決闘の是非、新しい研究をどこまで信じるか、本人をどう呼ぶかで議論が続きました。偽の文書まで残した人だけに、本人が何を望んでいたのかは、いまも史料の霧の向こうにあります。
参考資料
- リーズ大学図書館 特別コレクション「シャルル・シュヴァリエ・デオン・ド・ボーモン文書」(所蔵目録・英語)
- ロイヤル・コレクション・トラスト「シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュとシュヴァリエ・デオンの剣術試合」(所蔵作品の解説・英語)
- アニメハック(映画.com)「シュヴァリエ:作品情報・声優・キャスト・あらすじ」(日本語)
- ウィキペディア英語版「Chevalière d’Éon」(英語)
元ソース: フランスのスパイ、シュヴァリエール・デオンは、生まれつきの中性的な見た目を生かして、必要に応じて男性としても女性としても振る舞った。イギリスの宮廷では男性、ロシアの宮廷では女性だったという

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