北米の五大湖のほとりでは、今から8500年ほど前、日本がまだ縄文時代の早期だったころに、先住民が銅で槍先やナイフを作り始めていました。鉱石を溶かす「製錬」はしていません。地面に転がっていたり、岩の中に筋になって走っていたりする、ほぼ純粋な銅の塊を叩いて形にしていたのです。
今日の知ってた?
🪨 北米の五大湖地方、とくにスペリオル湖の周辺では、狩りや漁で暮らす先住民が自然銅(天然のままの、純度の高い銅)で道具を作っていた。考古学では「オールド・カッパー・コンプレックス(古銅文化)」と呼ばれる。
📏 2021年の研究で、銅製品に付いたまま残っていた木の柄やひもを年代測定したところ、確かな年代が出た最古のものは約8500年前(紀元前6500年ごろ)だった。
🔨 鉱石を溶かす製錬はしていない。銅の塊を叩き、火で熱してはまた叩いて、槍先・ナイフ・錐・釣り針・銛などに仕上げた。
🗾 8500年前の日本は縄文時代早期(京都国立博物館の区分で約1万1000〜7000年前)にあたる。
背景:純度97%の銅が眠る湖
古銅文化の担い手は、北米の考古学で「アーケイック期」と呼ばれる時代の狩猟採集民です。北米で知られている中では最も古い金属加工とされます。材料の銅は、五大湖で最大のスペリオル湖のまわり、とくに湖の南岸に突き出たミシガン州のキーウィノー半島と、湖に浮かぶアイル・ロイヤル島から来ていました。
この一帯の地下には、約10億年前の火山活動でできた溶岩の地層があり、その中に自然銅がたまっています。1992年にキーウィノー国立歴史公園をつくった米国の法律には、純度約97%の自然銅がまとまって採れる場所は地球上でここだけだ、と書かれているほどです。さらに、氷河期にくり返し押し寄せた氷河が上の岩を削り取ったため、銅を含む岩が地表に出ていました。氷河は銅の塊をもぎ取って南へ運び、約1万年前に退くと、あちこちに置いていきます。氷の中を「漂って」運ばれてきたことから、地元でフロート・カッパーと呼ばれる塊です。
ミシガン工科大学の鉱物博物館の解説によると、氷河が退いたあと、人々はまず川の砂利や地面で見慣れない色の「石」を見つけて拾い、叩いて試したと考えられています。叩けば形は変えられますが、叩き続けた銅は硬く、もろくなります。そこで火で熱して柔らかさを取り戻す方法を見つけ、道具や飾りを作るようになりました。地表で拾える塊が減ると、今度は岩盤に穴を掘って銅を取り出すようになります。
年代については、長いあいだ紀元前4000〜1000年ごろの文化とされることが多く、ウィスコンシン歴史協会の収蔵品の説明でも紀元前4000〜1200年となっています。これを大きくさかのぼらせたのが、カンザス州立大学の地質学者デビッド・ポンペアーニらが2021年に学術誌『ラジオカーボン』に発表した研究です。銅製品や古代の採掘跡にかかわる放射性炭素年代53件(新しく測った8件を含む)を見直し、とくに信頼できるのは、銅の槍先などに付いたまま残っていた木の柄やひもの年代だと判断しました。その最古が約8500年前です。チームは、この文化の盛期を7000〜5000年前とみています。
一方で、2022年にケント州立大学の考古学者ミシェル・ベバーらが発表した論文は、古銅文化の始まりをもう少し新しく見積もっていて、年代の推定は研究によって幅があります。ただ同じ論文は、北米の古代の銅利用を「自然銅で実用の道具を作った例としては世界で最も早い」と位置づけています。
もう少し詳しく
「世界最古の銅」ではない。銅そのものを使い始めたのは、西アジアのほうが早いとされています。アナトリア(今のトルコ)のチャヨヌ遺跡などでは、約1万年前には自然銅を叩いてビーズやピンを作っていました。鉱石を溶かす製錬の確かな証拠として知られる最古級のものは、セルビアのベロヴォデ遺跡に残る約7000年前のものです。五大湖の銅が特別なのは、飾りではなく、狩りや漁に使う実用の道具をこれほど早くから銅で作っていた点にあります。
8000年前から鉱山を掘っていた。米国立公園局によると、先住民はキーウィノー半島で早ければ約8000年前、アイル・ロイヤル島でも約6500年前には銅を掘り始めていて、どちらも世界で最も古い金属鉱山の部類に入ります。アイル・ロイヤル島のミノン・リッジには、先住民の採掘穴が集中した場所が残っています。19世紀にやって来た鉱山会社は、こうした古い穴を目印にして鉱脈を探しました。
湖の底に残った6500年前の汚染。アイル・ロイヤル島の入り江で湖底の泥を調べた研究では、約6500年前から鉛と銅の濃度が急に上がり、約1000年続いたあと、ぱったり下がっていました。ピーク時の濃度は自然な状態のおよそ10倍で、現代の汚染の半分ほどにあたります。一緒に増えていたカリウムは、採掘や銅を熱するために焚いた火から出たものと考えられています。次に汚染が増えるのは、19世紀半ばに島で鉱山が再開されてからです。
約1.7トンの銅の岩。フロート・カッパーで最も有名なのは、ミシガン州のオントナゴン川沿いにあった「オントナゴン・ボルダー」です。重さ3708ポンド(約1.7トン)の銅の塊で、ヨーロッパから来た初期の探検家たちは、先住民に案内されてこれを見ました。1843年に首都ワシントンへ運ばれ、今はスミソニアン協会の国立宝石・鉱物コレクションに収められています。
銅の道具は、なぜ消えたのか。ベバーが銅と石で同じ道具を作って比べる実験をしたところ、柔らかい純銅の刃や槍先は、石のものより特に優れているわけではありませんでした。例外は錐(きり)で、骨の錐より銅のほうが性能がよかったといいます。銅の道具は、掘り出して形にするまでに手間がかかります。人口が増え、狩りや縄張りを守ることに時間を取られるようになると、その手間に見合わなくなったのではないか、というのがベバーの見方です。ポンペアーニは湖の堆積物や木の年輪から、約5000年前に乾燥した時期があり、採掘の負担がさらに増えた可能性を指摘しています。やがて銅は道具よりも、ビーズや腕輪などの装飾品に使われるようになりました。キーウィノー半島の銅で作られた品は、交易で遠く今のアラバマ州のあたりまで運ばれています。
そのころ日本は。8500年前の日本列島は縄文時代の早期で、人々は土器を作って煮炊きをし、狩りや漁、木の実の採集で暮らしていました。日本で金属器が使われ始めるのはずっと後の弥生時代で、青銅器や鉄器は大陸から伝わっています。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
へえ、五大湖のあたりって、ラストベルトと呼ばれるずっと前から、とっくに“さびる金属”の本場だったのか。8500年越しの伝統じゃん。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
銅なんだから“さび”じゃなくて“緑青(ろくしょう)”だろ。ラストベルトの前は“緑青ベルト”、さらにその前は“酸化の奥地”ってとこか。
※ ラストベルト:五大湖周辺からアメリカ中西部にかけての、製造業が衰えた旧工業地帯の呼び名。「さびついた地帯」という意味。
3. 海外の名無しさん
でも彼らは銅を“採掘”してたわけじゃないよね。地表にむき出しになってた銅を使ってただけだから、量がすごく限られてて、だから最後は廃れたんだよ。
4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
厳密に言うと、天然のままの形で見つかる銅を取るのも、地質学ではれっきとした採掘だよ。川で砂金をさらうのと同じ。それに自然銅の多くは硬い岩の中にあるから、たたき割って取り出すしかない。君が言いたいのはたぶん“鉱石を溶かす製錬”のほうで、それならたしかにやってない。製錬してたら、青銅だって見つけてたかもしれない。南米では実際に青銅が使われてたしね。
5. 海外の名無しさん(>>3への返信)
いや、ちゃんと掘ってたよ。アイル・ロイヤル島やキーウィノー半島には先住民が掘った穴がたくさん残ってて、19世紀の鉱山会社はそれを目印に鉱脈を探したくらいだ。その時代に採掘してた証拠は、ちゃんと見つかってる。
6. 海外の名無しさん(>>4への返信)
言いたかったのは、手に入れ方のせいで量が限られて、ほかの文化みたいに“銅器時代”へ進めなかったってこと。見つけられたのは、地表近くに出てる鉱脈だけだったんだから。
7. 海外の名無しさん
大事なのは、これがほぼ純粋な銅の塊を“冷間鍛造”、つまりただ叩いて形にしてたってこと。たき火で少し温めて、加工しやすくしてたかもしれない。そのへんに転がってる純銅の塊が見つからなくなると、この習慣も消えていった。アメリカ大陸で本格的に銅を製錬するようになるのは何千年も後で、場所はアンデスになる。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
たしか、石器のほうが手軽で実用的な面もいくつかあったんだよね。欠けても、そのへんの石でまた作り直せるし。
9. 海外の名無しさん
この話、大好きなんだよな。年代はいまだに揉めてて、紀元前8000年って説から紀元前1000年って説まで聞いたことがある。青銅器時代よりはるか前に、アーケイック期の人たちが銅を加工してたってことが、案外知られてない。
岩盤や、氷河が残した砂利の中から純粋な銅を掘り起こして、柄を差し込む穴の付いた槍先、三日月形のナイフ、錐、釣り針、銛、のみまで叩いて作ってた。ここでは誰ひとり製錬なんかしてない。でも数千年も銅の道具を作ったあと、ほとんどやめてしまう。叩いて作る銅のナイフは仕上げるのに何日もかかるのに、切れ味は、いとこが午後だけで石を打ち欠いて作るナイフと大して変わらない。だから道具は少しずつ姿を消して、銅はビーズや腕輪、副葬品に回されるようになった。
※ 2021年の研究で確かな年代が出た最古の銅製品は約8500年前(紀元前6500年ごろ)。始まりの推定は研究によって幅がある。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
実際に銅と石で道具を作って比べた実験があって、銅の刃や槍先は、石より特に優れてるわけじゃなかったらしい。例外は錐で、骨で作った錐よりは銅のほうがよかったんだって。穴をあける道具だけは銅の勝ち。
11. 海外の名無しさん
中東で見つかってる最古の銅の道具って、たしか7000年前くらいだよね。それと変わらないころ、いや、もっと前に北米でも銅を使ってたってこと? どうしてそんなことが起きたんだ。
※ 西アジアでは、アナトリア(今のトルコ)のチャヨヌ遺跡などで、約1万年前には自然銅を叩いてビーズやピンを作っていた。約7000年前というのは、鉱石を溶かす製錬が確認されている時期に近い。
12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
五大湖のまわりには自然銅が山ほどあるからね。地面から純粋な形のまま引っこ抜けるなら、そりゃ話は早いよ。
13. 海外の名無しさん(>>11への返信)
たぶん五大湖のあたりは、氷河が溶けて新しい岩肌がむき出しになって、銅がそこらに転がってて見つけやすかったんだと思う。中東でどうやって見つけたのかは知らないけど。
14. 海外の名無しさん(>>11への返信)
というか、中東と北米がつながってる前提なのが不思議。それぞれが別々に銅を見つけて、別々に使い始めたってだけの話でしょ。
15. 海外の名無しさん
あのあたりでは、2キロを超えるような純銅の塊が文字どおり地面に転がってたんだよ。しばらくは道具も作ってたけど、自然銅は柔らかくて石と比べてたいした利点がなく、やがて装飾品にしか出てこなくなる。
じゃあ、なんで青銅に進まなかったのか。青銅の発明で有力なのは、銅に混じった不純物のおかげで出来がよくなることがある、と職人が気づいたって説なんだ。最初に見つかったのも青銅じゃなくて、ヒ素を含んだ銅の合金だったらしい。ところが五大湖の銅はほぼ純銅だったから、その気づきのきっかけ自体がなかった。あの銅は恵みじゃなくて、冶金の呪いだったってわけ。彼らが劣ってたんじゃない。文明って、運しだいなところがあるんだよ。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
ぼくが聞いた説も似てる。北米には精錬しなくていい自然銅があって、すぐ加工できるかけらが見つかった。だから旧大陸で必要になった炉や精錬の技術が育たなかった。旧大陸では、銅を精錬する技術がのちに鉄の精錬の土台になったけど、新大陸にはその土台がなかった。要するに、新大陸の銅は“良すぎた”んだよ。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
それに、荷物を運ばせる大型の家畜がいなかったのと、すぐ手に入る鉄がほとんどなかったのも大きい。思いどおりに歩いてくれる大きな動物がいるだけで、物を引かせたり、石臼を回させたりして、できることが一気に増えるからね。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
アメリカ大陸で家畜になった動物って、リャマやアルパカ、モルモットくらいだもんな。モルモットに鋤を引かせるには、いったい何匹いるんだよ。
19. 海外の名無しさん(>>15への返信)
“純銅の呪い”説はロマンがあって好きだけど、それ以前に、五大湖のあたりで錫が採れたって話を聞かない。仮に不純物の効き目に気づいたとしても、混ぜる錫が手元になきゃ青銅は作れないよ。
20. 海外の名無しさん
五大湖のあたりじゃ、今でも天然の銅の塊が見つかるよ。ぼくは毎年夏、ミシガン州のアッパー半島で“フロート・カッパー”を探してる。“ドロップ・カッパー”とも呼ばれてて、氷河が退いたときに置いていったものだから、どこを探せばいいか分かってれば、そのへんに転がってるんだ。
※ アッパー半島:ミシガン州のうち、スペリオル湖の南側に広がる北の半島部。キーウィノー半島はその先に突き出ている。
21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
アッパー半島ならほんとにそう。子どものころ、普通に拾ってたもん。地元のミシガン工科大学の鉱物博物館がフロート・カッパーの解説を公開してるから、興味ある人は読んでみて。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
その解説によると、知られてる中で最大のフロート・カッパーは、2000年代の初めにホートン郡の空港の近くで見つかった7万ポンド(約32トン)の塊なんだって。でも小さく切り分けられて、製錬されて売られたらしい。先住民は誰も溶かさなかったのに、最後の最後で製錬所行きか。
23. 海外の名無しさん
カナダ北西準州のイエローナイフって地名も、これが由来なんだよね。あのあたりに住んでた人たちが、銅のナイフを使ってたから。
※ イエローナイフの名は、黄色っぽい銅の刃のナイフを持っていた先住民イエローナイブズ・デネに由来するとされる。彼らが銅を取っていたのは北極海に近いコッパーマイン川の流域で、五大湖の古銅文化とは地域も時代も別の話。
24. 海外の名無しさん
8500年前から銅が作られてたなら、エア・ナツィルの銅インゴットも予定より早く納品できてたかもしれないな。少なくとも、あいつの“品質”よりはマシなはず。
25. 海外の名無しさん(>>24への返信)
中東の銅の技術がなかなか進まなかったのは、ひどい仲買人が質の悪い銅を売りさばいてたせいだろうな。で、怒り狂った客が粘土板を彫り始めると。
※ エア・ナツィル:紀元前1750年ごろ、メソポタミアの都市ウルにいた銅商人。質の悪い銅を渡されたと怒った客ナンニが送った抗議の粘土板が大英博物館に所蔵されていて、「世界最古のクレーム」として英語圏のネットで定番のネタになっている。
まとめ
8500年ほど前の五大湖では、先住民が製錬をせず、ほぼ純粋な自然銅を叩いて道具を作っていました。銅を使い始めたのは西アジアが先でも、実用の道具としては世界で最も早いとする研究があります。
コメント欄は「採掘と呼べるか」の言い合いから、純銅が良すぎて青銅に進めなかったという“呪い”説と「そもそも錫が無い」という反論へ。今もミシガンで銅の塊が拾えるという地元の声に、8500年前が少し近く感じられます。
元ソース: 北米の「オールド・カッパー・コンプレックス」。五大湖地方では紀元前6500年ごろ、今から8500年以上前に銅の生産が始まっていた

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