人類の遺伝的多様性の大半は、アフリカ大陸に集まっている。しかもその量は、アフリカ以外の世界を全部合わせたよりも多いとされる。ヨーロッパも、アジアも、南北アメリカも、オセアニアも、全部足して届かない。直感的には「世界中に散らばったほうが多様になりそう」なのに、なぜ話は逆になるのか。
※注:ここでいう「遺伝的多様性」は、集団の中にどれだけ遺伝子のバリエーションが蓄えられているかという量の話で、見た目の違いの大きさや、能力の優劣を測るものではない。
今日の知ってた?
🧬 世界の人類の遺伝的多様性は、その大半がアフリカ大陸に集中しているとされる。その量はアフリカ以外の全地域を合わせたよりも多いと報告されており、背景には現生人類がアフリカで生まれ、そこから出ていったのは集団のごく一部だったという経緯があると考えられている。
背景:「多様性が高い」とは何を指しているのか
まず引っかかるのが、この「多様性」という言葉のほうだと思う。日常で使うときは「いろいろな人がいる」くらいの意味で、外から人が入ってきて混ざった土地ほど多様、というイメージがある。ところが遺伝学でいう多様性は、そこを測っていない。ある集団の中に、どれだけたくさんの遺伝子の型が蓄えられているかという量の話である。
そしてこの量は、時間で増える。世代が重なるあいだに遺伝子には少しずつ変異が溜まっていき、その集団が長く続いているほど、抱えている型の種類は増える。いちばん長く同じ場所で続いてきた集団が、いちばん多くを抱えている——これが話の骨格になる。
現生人類はアフリカ大陸で誕生し、そこから一部の集団が外へ出ていった、というのが現在もっとも有力とされる説である(いわゆる出アフリカ説)。出ていったのは全員ではなく、あくまで一部だった。だからアフリカには「出ていった集団の型」と「出ていかなかった集団の型」が両方残り、外の世界には前者しか渡らなかった。人類という木でいえば、世界中に広がったのは枝のうちの一本で、残りの枝はアフリカに生えたままだったことになる。
※ 出アフリカ説は化石と遺伝子の両方から支持されている有力な学説だが、移住の回数や時期については研究者のあいだで見解が分かれており、細部が確定しているわけではない。
もう少し詳しく
ボトルネック効果——瓶の首を通ると細くなる。集団が何らかの理由で一気に小さくなると、そのとき生き残った少数が持っていた型だけが次の世代へ渡り、それ以外の型は消える。瓶の首を通すときに一度に通れる量が絞られるのに似ているので、この現象はボトルネック効果と呼ばれる。移住はまさにそれで、出発するのはいつも集団の一部だから、行き先には元の多様性の一部しか届かない。
※ ボトルネック効果:集団の規模が急激に縮小することで、遺伝子の型の種類が失われる現象。人口が回復しても、失われた型は戻らない。
アフリカから遠いほど、細い首を何度もくぐっている。面白いのは、これが一回では終わらないことだ。アフリカを出た集団からさらに一部が先へ進み、その先からまた一部が進む。移動を重ねるたびに首を通り直しているので、アフリカからの地理的な距離が遠い地域ほど、その土地の集団が抱える遺伝子の型の種類は少なくなるという傾向が、実際のデータからも報告されている。地図の上の距離と遺伝子の帳簿がここまで素直に対応するのは、なかなか出来過ぎた話に見える。
ハプログループという物差し。この枝分かれを整理するときによく使われるのが、ハプログループという分類である。ミトコンドリアDNAは母親からしか子に渡らないため、途中で父方と混ざらずにまっすぐ遡ることができる。その変異のパターンで系統を束ねたものがハプログループで、母方の系統には「L0」から「L6」までの枝が知られている。そしてアフリカ以外に暮らす人々は、ほぼ全員がそのうちの「L3」という一本の枝の子孫だとされる。他の枝はほとんどがアフリカ大陸の中に収まっている。並べてみると、話の形が一目で分かる。
※ ハプログループ:共通の変異パターンを持つ系統のまとまり。母方はミトコンドリアDNA、父方はY染色体をそれぞれ物差しに使う。個人単位では例外もあり、この分類がその人の出身や属性をそのまま決めるものではない。
そもそも人類は、多様性の乏しい種である。ここは一緒に押さえておきたいところで、アフリカの多様性が高いといっても、それは人類の中での比較にすぎない。人類は種全体として見ると遺伝的な幅がかなり狭い部類に入り、チンパンジーの一つの群れのほうが人類全体より遺伝的に多様だ、という比較がよく引き合いに出される。過去に人口が極端に絞られた時期が何度かあったという説が有力で、生き残った少数の子孫が世界中に散らばったのが現在の姿だと考えられている。
そして、これは優劣の話ではまったくない。多様性の量は、集団の中に蓄えられた型の種類を数えたものであって、能力や優れ具合を測る指標ではない。むしろこの数字が示しているのは、日常で使われる大まかな人の区分と、遺伝的なまとまりがきれいには重ならないという事実のほうである。アフリカ大陸のある集団と別の集団の遺伝的な距離が、ヨーロッパの集団と東アジアの集団の距離より遠いことがある——それがこの「合わせたより多い」の中身だ。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
人類がアフリカで生まれたのなら、そりゃそうだろうとしか言いようがない。むしろ逆だったら大事件だ。生き物はどこであれ、最初にいた場所にいちばん多くの型を残していく。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
理屈は分かるんだけど、「残り全部を合わせたより多い」の”より多い”のところが感覚として入ってこない。ヨーロッパもアジアも南北アメリカもオセアニアも全部足して、まだ届かないという規模感がすごい。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
2000年頃に大学の授業で「現生人類はアフリカ大陸で生まれたって、知ってますよね」と口にしたら、教室中から変なものを見る目で見られた記憶がある。それがいまは前提として通っているの、ちょっと感慨深い。
4. 海外の名無しさん
「世界の残り全部を合わせたより多い」——そりゃそうでしょ。残り全部が合体してひとつになったら、多様性はゼロなんだから。……すまん、言い方が気になっただけだ。
5. 海外の名無しさん
いちばん腑に落ちた説明を置いておく。アフリカを出たのは人類という木の枝のうちの一本だけで、残りの枝はずっとアフリカに生えたままだった。世界中に広がったのは、その一本の先端が伸びていった結果でしかない、と。
6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
同じ現象が文化にもある、という話が好きだ。英語の方言はイギリス国内のほうが海外より圧倒的に種類が多いし、パスタの形もイタリア国内のほうが多い。生まれた場所には、外に出ていかなかった型がそのまま残る。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
その考え方は、ヴァヴィロフという研究者が作物の起源をめぐって提唱したものが下敷きになっている。「種が生まれた場所=多様性がいちばん高い場所」という枠組みだ。ただ後の研究では、大陸くらいの大きさで見ると当てはまるが、もっと細かい地域まで絞ると起源地と多様性の中心がずれる例もある、と指摘されている。
8. 海外の名無しさん
素朴な疑問なんだけど、外の集団とあまり混ざっていないほうが多様性が高くなる、というのがどうしても直感に反する。ふつうは混ざったほうがバリエーションが増えそうなものじゃないのか。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
時間の量が効いている、という理解でいる。遺伝子の違いは世代を重ねるあいだに少しずつ溜まっていくもので、いちばん長く続いてきた集団がいちばん多く抱えている。外から少し混ざる効果より、何万年も積み上げた分のほうが桁が大きい、ということだと思う。
10. 海外の名無しさん
母方の系統をたどる目印にハプログループというものがあって、ミトコンドリアDNAの変異のパターンで枝分かれを整理している。アフリカ以外に住んでいる人はほぼ全員が「L3」という一本の枝の子孫で、L0からL6まである他の枝はほとんどアフリカ大陸の中にある。この並びを見るだけで、話の形が分かる。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
どうして母方の系統だけで話が進むんだろう。父方の血筋は数に入らないのか、それとも別のやり方で追いかけているのか、そこが気になった。
12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
ミトコンドリアDNAは母親からしか子に渡らないので、途中で混ざらずにまっすぐ遡れるのが便利なんだと思う。父方は父方でY染色体を使った別の物差しがあって、そちらにもハプログループの体系がある。要するに、混ざらない部分だけを定規に使っている。
13. 海外の名無しさん
もう少し引いた話をすると、人類はそもそも多様性の乏しい種だとされている。過去に何度か人口が極端に絞られた時期があったという説があって、生き残った少数の子孫が世界中に広がったので、種全体としての遺伝子の幅が狭い。チンパンジーの一つの群れのほうが人類全体より遺伝的に多様だ、という比較まである。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
それを知ってから、人類の集合写真の見え方が少し変わった。見た目はあれだけ違って見えるのに、遺伝子の帳簿の上では、絶滅しかけた一族の生き残りが世界中に散らばっているだけ、ということになる。
15. 海外の名無しさん
アフリカを出た集団は1,500人程度だった、という推定を見たことがある。しかもそこから先へ進むたびに、出発する側は毎回さらに小さな集団になる。アフリカから遠い土地ほど、祖先が細い通り道を何度もくぐってきた計算になるらしい。
16. 海外の名無しさん
同じ理屈でいちばん極端なのが南北アメリカで、いま暮らしている先住民のほとんどが、シベリアから渡ってきた250人ほどの集団の子孫だという推定がある。大陸ふたつ分の人口の出発点が、その人数だったことになる。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
子どもの頃、アメリカ先住民の顔立ちがどこかアジアの人に似ていると思っていて、なんとなく口に出せずにいた。ベーリング陸橋の話を知ったときに、そういうことかと一気に腑に落ちた。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
自分がその先住民の側なんだけど、旅行先ではだいたいアジア系だと思われる。歴史の説明としてはまったく正しいので、最近は間違われるたびに「まあ、遠い親戚ではあるからな」と思うことにしている。
19. 海外の名無しさん(>>16への返信)
その250人という数字は、個人的にはかなり眉唾だと思っている。先住民のコミュニティは遺伝子検査に協力しない方針のところが多くて、元になっている標本の数がとても少ない。根拠が薄いうちは保留にしておきたい。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
標本が少ないのは不確かさが大きいという意味であって、間違いだと示されたわけではない。仮説を否定するには、その仮説の予測と食い違う証拠を出す必要がある。「証拠が足りない」と「違う」は別のことだ、というのは何度でも確認しておきたい。
21. 海外の名無しさん
受け取られ方が心配なので書いておくけれど、これは「アフリカの人々」というひとかたまりが多様だ、という話ではない。むしろ逆で、アフリカ大陸のある集団と別の集団の遺伝的な距離のほうが、ヨーロッパの集団と東アジアの集団の距離より遠いことがある、というのがこの数字の中身だ。ふだん使われる大まかな人の区分と、遺伝的なまとまりはきれいには重ならない。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
そこは強調してほしい。遺伝的多様性というのは「集団の中にどれだけ違いが蓄えられているか」という量の話であって、優れているとか劣っているとかを測る物差しではまったくない。意味を取り違えたまま持ち出す人が、定期的に出てくる。
23. 海外の名無しさん
ネアンデルタール人由来のDNAの話も、この文脈だと見え方が変わってくる。アフリカの外へ出た集団は途中でネアンデルタール人と交わって少し遺伝子を受け取っているけれど、その量は出ていくときに置いてきた多様性に比べれば微々たるものだ、という説明を読んだ。サハラ以南のいくつかの集団では、その痕跡がごくわずかしか見つからないとされている。
24. 海外の名無しさん(>>23への返信)
しかもアフリカ大陸の側にも、化石がまだ見つかっていない人類と交わった痕跡が遺伝子の中に残っている、という研究がある。骨は出ていないのにゲノムの中にだけ影が見えるので「幽霊系統」と呼ばれているらしい。名前の付け方がずるい。
25. 海外の名無しさん
話がずれるけれど、アフリカに大型の動物が多く残っているのも似た理由だという説を読んだことがある。アフリカの動物は人類と一緒に進化してきたので、狩る側の手口を最初から知っていた。あとから人類が入っていった大陸では、それがなかった。長く一緒にいた場所には、いろいろなものが残る。
まとめ
世界の人類の遺伝的多様性は、その大半がアフリカ大陸に集まっていて、その量はアフリカ以外の全地域を合わせたより多いとされる。理由として挙げられるのは、現生人類がアフリカで生まれ、外へ出ていったのはそのうちの一部の集団だけだったという経緯である。移住のたびに集団は絞られ、アフリカから遠い土地ほど細い通り道を何度もくぐった形になる。コメント欄は「起源地に多様性が集まるのは生き物の一般則」という納得から始まり、ハプログループの枝分かれ、シベリアから渡った250人という推定の信頼性、標本の少なさは反証ではないという科学の作法へと流れていった。そして繰り返し確認されていたのが、この数字は優劣の指標ではなく、ふだん使われる大まかな人の区分と遺伝的なまとまりが重ならないことを示している、という一点だった。
元ソース: 世界の人類の遺伝的多様性は、その大半がアフリカ大陸に集中している。しかもその量は、アフリカ以外の世界を全部合わせたよりも多いという

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