子どもを持てば税が軽くなる。面倒な公務も免除される。女性には財産を受け取る道が開かれる——これ、どこかの国の少子化対策の話ではない。紀元前27年から統治を始めたローマ皇帝アウグストゥスが打ち出した優遇策の中身である。2000年前の人が、いまとほとんど同じ悩み方をして、ほとんど同じ手を打っていた。
※注:アウグストゥスは初代ローマ皇帝。カエサルの後継者として長く続いた内戦を終わらせ、紀元前27年から紀元後14年まで、およそ40年にわたって帝国を率いた人物とされる。
今日の知ってた?
📜 初代ローマ皇帝アウグストゥス(在位 紀元前27年〜紀元後14年)は、出生率の低下を憂い、人々にもっと子どもを持たせようとして一連の優遇策をつくった。内容は減税、強制的な公務の免除、そして女性が遺産を受け取れるようにすることだったとされる。
背景:皇帝は何を数えて、何に焦っていたのか
まず押さえておきたいのは、アウグストゥスが心配していたのは「帝国の人口が足りない」という話ではなさそうだ、ということ。当時のローマには奴隷も非市民も大勢いて、頭数そのものが枯渇していたわけではない。減っていたのは、彼らが「帝国の運営を任せてよい」と考えていた特定の階層——元老院議員の家系や、その下に連なる富裕層のほうだった、というのがよく言われる整理である。
※ 騎士階級=元老院議員層に次ぐ富裕層のこと。もとは軍で馬に乗るだけの資力がある人々を指した呼び名で、帝政期には財産額で線引きされる身分になっていったとされる。
その階層が薄くなった理由としてしばしば挙げられるのが、内戦である。カエサル暗殺の前後から、ローマは三世代のあいだに三度の大きな内戦をくぐっている。上に立つ家ほど賭けに参加し、負けた側は財産も家名も失う。アウグストゥス自身がその最後の勝者だったわけで、彼が見渡した元老院は、自分が勝ち残った過程でずいぶん空席が増えていたことになる。
もうひとつ、アウグストゥスは「ローマ人らしい徳」が失われつつあることを強く気にしていたと言われる。人口の話と道徳の話が同じ引き出しに入っていた、というのは現代の目には少し奇妙に映るかもしれないが、当時の彼にとっては地続きの問題だったらしい。
もう少し詳しく
アメの中身。スレッドのタイトルにもある通り、柱は三つだったとされる。ひとつは減税。ひとつは市民に課される公的な義務の免除。そしてもうひとつが、女性が遺産を受け取れるようにする、という措置である。三つ目は現代の感覚だとやや分かりにくいが、当時のローマでは成人女性でも財産を扱うときに男性の後見人の同意が要るのが原則だったとされ、その縛りがゆるむこと自体が大きな見返りになった。子を規定の人数もうけた市民に与えられた特典は、まとめて「三子の権利」と呼ばれる。
※ 三子の権利(ius trium liberorum)=ラテン語で「三人の子の権利」。子を三人もうけた市民に与えられたとされる特典の総称で、後見からの解放や公務の免除などが含まれたと説明されることが多い。
ムチもあった。優遇策と対になる形で、姦通を法律で禁じ、未婚のまま・子を持たないままでいる者に不利益を課す法もつくられたと言われる。飴と鞭を両方そろえた、かなり本気の設計である。ただし、ここに有名な落ちがつく。アウグストゥス本人が、数々の女性関係で知られる人物だった。自分が守っていない規則を国民に守らせようとしたわけで、これらの法が広く無視された理由のひとつはそこにあった、と言われている。
そして「数える」ところから始めるのも同じだった。英語の census(国勢調査)はラテン語に由来する言葉で、ローマでは五年ごとに実施されていたとされる。人口が減っていると誰かが言い出す前に、まず数えて記録する仕組みがあった。問題の立て方まで、いまとほとんど変わらない。
で、効いたのか。ここははっきりした数字で語れる部分ではないが、少なくとも「皇帝が子どもを増やしてほしいと願った層」が、その後に大家族へ転じたという話は伝わっていない。むしろ長い目で見れば、ローマ建国以来の家柄とされたパトリキの家系は、最終的にほとんど絶えていったとされる。ただし帝国そのものは、この後も西で数百年、東ではさらに千年以上続いた。ある階層が消えることと、国がなくなることは、必ずしも同じ出来事ではなかった。
※ パトリキ=ローマ建国以来の家柄とされた最上層の貴族。共和政の初期には政治的な特権を独占していたとされる。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
現実って、けっこう同じ筋書きを使い回すんだな。2000年前の皇帝の政策と、いまどこかの国会で議論されている中身の見分けがつかない。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
脚本が雑なんだよ。登場人物の名前すら変えてないじゃないか。いまだに「元老院」で通してるんだから、そりゃ既視感もある。
3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
歴史は繰り返さないが韻を踏む、という言い回しがあるけど、これはもう韻というより同じ一行をそのまま貼り直してる感じがする。
4. 海外の名無しさん
そもそも共和政が壊れたのだって、上のほうが富を吸い上げすぎて、普通のローマ人に仕事も稼ぎも残らなくなったからだろう。人手はぜんぶ奴隷で足りてしまっていたし。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
住宅事情もひどかったらしい。家賃は高い、借りられる部屋は狭くて造りも粗末、土地は庶民には手が届かない。カエサルが土地の再分配を掲げて支持を集めたのは、そこに刺さったからだ。
6. 海外の名無しさん(>>4への返信)
歯止めも全部外されていった。任期の制限も、公職を順に登っていく決まりも、金を持っている人間に合わせて有名無実になった。最後に残ったのは、王を名乗らない王がいる国だ。
7. 海外の名無しさん
自分が面白いと思ったのはそこじゃなくて、心配のしかたと言葉づかいが今の人口減少の議論とほとんど同じ、というところ。同じ形の不安を2000年前の人が抱えていた。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
ただ前提はけっこう違う気がする。当時は減っていたのがローマの上流層だけで、増えている集団はほかにいた。だから空いた席は埋まった。いまは同時多発的に下がっているから、埋める側がいない。
9. 海外の名無しさん
先に結論を言うと、この政策は思ったようには効かなかったらしい。2000年前から今日まで、この手の話で成功例を探すほうがずっと難しい。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
知りたいのは「なぜ」のほうなんだよな。こういう話にはたいてい、計画を潰した見落としが一つ隠れているものだと思うんだけど。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
出産そのものが命がけだった時代だから、という理由はけっこう大きいと思う。医学が今と違うんだから、皇帝が減税したところでどうにかなる部分じゃない。
12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
当時の出産で三割が亡くなった、みたいな数字を見たことがあるけど、あれはさすがに盛りすぎだと思う。真面目な推計だと近代以前でも数パーセント程度と読んだ。もっとも、それを何度も繰り返すとなれば話は変わってくるが。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
死因の多くは出産そのものより、そのあとの感染症だったとも聞く。細菌の存在も消毒の考え方もない時代で、産後数日から二週間ほどで容体が悪くなるパターン。亡くなった当人にとっては、どちらでも同じことだけど。
14. 海外の名無しさん
減税と公務の免除って、要するに「手当を出します」「負担を軽くします」だよな。打ち手が同じなのはまだいいとして、効かなかった理由まで同じだったら笑えない。
15. 海外の名無しさん
この法律、普通のローマ人にはほとんど関係なかったと聞いた。狙い撃ちにされたのは、三世代のあいだに内戦を三度くぐって数が減った上流の家々のほうだと。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
そこは大事な補足だと思う。当時のローマに人手が足りなかったわけじゃない。奴隷も非市民も大勢いた。足りなかったのは「広い帝国を運営させてよい」と彼らが考えた身分の人間だけだ。
17. 海外の名無しさん
皇帝本人が女性関係で有名だったのに、姦通を違法にして未婚者と子なしに罰を科した、というくだりが個人的にいちばん効いた。そりゃ誰も真面目に守らない。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
説得力がゼロになる典型だな。上の人間が守っていない規則は、下から見ればただの飾りでしかない。これも2000年変わっていない部分かもしれない。
19. 海外の名無しさん
「国勢調査(census)」がラテン語由来だというのを初めて知った。ローマでは五年おきにやっていたらしい。まず数える、というところから始めるのも今と同じなんだな。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
ついでに言うと「元老院(Senate)」の語源は「老いた」を意味する言葉。要するに老人の集まり、という意味そのままだ。どこの国の議会にも当てはまりそうで困る。
21. 海外の名無しさん
豊かになるほど子どもの数が減るのは、ローマでも同じだったんじゃないか。お金がないから産めないとよく言われるけれど、実際に出生率が高いのは豊かとは言えない地域のほうが多い。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
それ、きれいな右肩下がりじゃなくてU字だと聞いたことがある。いちばん貧しい層といちばん豊かな層が多くて、真ん中がへこむ。貧しい側ばかり目につくのは、単純にそっちの人数が多いからだと。
23. 海外の名無しさん
北欧はお金の面ではかなり手を打ったほうだと思うけど、それでも狙いどおりにはなっていない。金銭的な支えだけでは動かない何かがある、ということなんだろうな。
24. 海外の名無しさん
ローマの信仰では家系を絶やさないことがとても重視されていて、子を持たないのは先祖を見捨てるのに近い扱いだった、という説明を読んだことがある。その感覚が薄れていったのと出生率の話は、たぶん無関係じゃない。
25. 海外の名無しさん
2000年前の皇帝が、減税と特典と罰則を全部そろえて、それでも人は思ったほど産まなかった。同じ手札を切っている我々が、結果だけ違うことを期待していいのかどうか。そこがずっと引っかかっている。
まとめ
初代ローマ皇帝アウグストゥスは、出生率の低下を憂いて減税・公務の免除・女性への相続の道という優遇策を用意し、あわせて未婚や子なしに不利益を課す法までつくったとされる。それでも、彼が増えてほしいと願った層が大家族へ転じたという話は伝わっていない。コメント欄は「同じ筋書きの使い回しだ」と苦笑する声と、「当時と今では前提が違う」と線を引く声に割れつつ、出産そのものの危険、住宅と土地の問題、豊かさと子どもの数の関係へと話が広がっていった。2000年たっても打てる手がほとんど変わっていない、というのは、どう受け取るのがいいのだろうか。
元ソース: ローマ皇帝アウグストゥス(在位 紀元前27年〜紀元後14年)は出生率の低下を憂い、減税・公務の免除・女性への相続権付与といった優遇策で人々に子どもを持たせようとした

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