英語の聖書をめくっていると、どの節も何行にもわたって続くなかに、たった一行だけ、ぽつんと2語しかない節が現れます。「Jesus wept.」——日本語にすると「イエスは涙を流された。」。多くの英訳聖書で最も短い節とされるこの2語の裏には、番号付けの歴史と、ある一人の友人の死が横たわっています。
※注:「欽定訳聖書」は1611年、イングランド王ジェームズ1世の命で完成した英訳聖書(King James Version)のこと。英語圏で最も長く読まれてきた版で、英語の言い回しそのものにも大きな影響を残しています。
今日の知ってた?
📖 欽定訳聖書をはじめ、多くの英訳聖書で最も短い節は「Jesus wept.(イエスは涙を流された)」——ヨハネによる福音書11章35節、わずか2語。親しかった友人ラザロの死を前に、イエスが涙を流す場面です。
背景:聖書の「章」と「節」って何?
まず前提から。聖書は一冊の本というより、たくさんの書物を束ねた叢書です。そのため「どこに書いてあるか」を示すには、書名だけでは足りません。そこで使われるのが「ヨハネによる福音書 11章35節」のような表記で、これは〈書名+章番号+節番号〉という、いわば住所のようなものです。「節」は日本語の一文にあたる、いちばん細かい単位だと思ってください。
意外なのはここからで、この番号は原文には存在しませんでした。もともとの写本は文章がびっしり続くだけで、章も節も区切られていません。章分けが今の形に整ったのは13世紀初めごろ、カンタベリー大司教スティーヴン・ラングトンによるものとされます。さらに新約聖書に節番号を振ったのは、1551年、パリ出身の印刷業者ロベール・エティエンヌでした。つまり本文が書かれてから千年以上あとに、後の時代の人が引きやすいように付けた索引なのです。「最も短い節」という話が成立するのも、この後付けの区切りがあればこそ、ということになります。
では、その11章35節はどんな場面なのか。舞台はベタニアという村です。イエスにはラザロという親しい友人がいて、その姉妹マルタとマリアから「ラザロが病気です」と知らせが届きます。ところがイエスが到着したときには、ラザロはすでに亡くなって4日が経っていました。泣き崩れる姉妹と、集まって嘆く人々。「どこに葬ったのか」と尋ねたあと、この2語が置かれます——イエスは涙を流された。奇跡でラザロを生き返らせるのは、そのあとの話です。
もう少し詳しく
なぜ、この2語がこれほど有名なのか。理由の半分は身も蓋もなくて、単純に覚えやすいからです。英語圏では「好きな聖句をひとつ暗唱してきなさい」という宿題が出ることがあり、そこで真っ先に選ばれるのがこの節だ、という定番のネタになっています。加えて、短いぶん引用が効きやすい。英語では「なんてことだ」と嘆くときの決まり文句としても使われ、映画のセリフに紛れ込むこともあります。もっとも、覚えやすさで入口をくぐった人が、そのうち前後の物語を読むことになる——という意味では、悪い入口でもないのかもしれません。
「最短」の座は、実はけっこう揺れている。欽定訳では「テサロニケの信徒への手紙一」5章16節も2語です(”Rejoice evermore.”=いつも喜んでいなさい)。語数だけなら同着ですが、文字数で見ると “Jesus wept” が9文字、”Rejoice evermore” が16文字なので、こちらが短いという整理になります。ところがギリシャ語の原文まで遡ると、ヨハネ11章35節は「エダクリュセン・ホ・イエスース」の3語。原文では最短ではなくなってしまいます。「最も短い節」という称号は、あくまで英訳という土俵の上での話なのです。
日本語にすると、話がまた変わる。日本語訳では「イエスは涙を流された。」などと訳され、10文字あまりになります。英語で2語だからといって、日本語でも自動的に最短になるとは限りません。どの節が日本語訳で最も短いのかは、訳のとり方や版によって変わるため、ここでは断定しないでおきます。ただ、「一番短い」という記録が言語をまたぐと簡単に入れ替わってしまう、というのは翻訳という営みの面白いところです。
訳によっては、節ごと消えることもある。さらにややこしい話をすると、新しい英訳では番号ごと本文から姿を消した節があります。たとえばヨハネによる福音書5章4節は、新国際訳(NIV)などでは本文に載らず、5章3節の次がいきなり5章5節になります。古い写本の研究が進み、後の時代に書き足された部分だと判断されたためで、多くの版では脚注に回されています。番号が後から人の手で付けられたものである以上、こうして中身のほうが動くこともある、というわけです。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
日曜学校で「好きな聖句をひとつ暗唱してきなさい」と言われた子どもが、そろいもそろってこの2語を選んでくるという話が好き。先生の困った顔が目に浮かぶ。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
うちの教会でも実際にそれが起きて、翌年から「今週は『イエスは涙を流された』以外で」という但し書きが付くようになった。子どもの学習能力、使いどころが完全に間違ってる。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
でも短い一節から入るのって、そんなに悪いことじゃないと思うんだよね。入口がひとつあれば、そのうち「なんで泣いたんだろう」って前後を読みたくなるものだから。
4. 海外の名無しさん
豆知識をひとつ足しておくと、欽定訳では「テサロニケの信徒への手紙一」5章16節も2語なんだ。”Rejoice evermore.”、いつも喜んでいなさい、という一節。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
語数は同着でも、文字数を数えると差がつくよ。Jesus wept が9文字、Rejoice evermore が16文字。というわけで最短の称号は今のところ揺らいでいない。
6. 海外の名無しさん
ギリシャ語の原文だと「エダクリュセン・ホ・イエスース」で3語になるらしい。原文まで遡ると最短ではなくなるっていうのが、この話のいちばん面白いところだと思う。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
訳すたびに順位が入れ替わるって、言われてみれば当たり前なのに妙に不思議な感じがする。言語の数だけ別のランキングが存在してるってことなんだよね。
8. 海外の名無しさん
映画『ヘルレイザー』の終盤でフランクが口にするのがこのセリフ。子どものころは意味がまったく分からなくて、大人になってから聖書由来だと知って背筋が伸びた。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
英語だと「なんてこった」くらいの軽い嘆きの決まり文句としても使われるからね。荘厳な原典と日常のぼやきが同じ2語で同居してる、その振れ幅が独特なんだと思う。
10. 海外の名無しさん
『ダイ・ハード』のハンス・グルーバーが「アレクサンダー大王は征服すべき世界がもう無いと知って涙した」と語る場面と、頭の中で混ざってる人がかなりいそう。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
しかもあのセリフ、元になったプルタルコスの話だと逆なんだよ。世界は無数にあると聞かされて「まだひとつも征服できていない」と泣いた、という筋。ハンスの古典教養、意外と怪しい。
12. 海外の名無しさん
章と節の番号が後付けだったという話、正直そこがいちばん驚いた。最初から振ってあるものだと何の疑いもなく思い込んでた。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
番号が無かったら「ほら、あのラザロが生き返るところの少し前……」みたいな指し方をするしかないもんね。索引という発明の偉大さがよく分かる。
14. 海外の名無しさん
新しい訳だと番号ごと本文から消えている節もあるよ。ヨハネ5章4節とか、3節の次がいきなり5節になっていて、初見だと必ず戸惑うやつ。
15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
自分は最初、印刷ミスを疑ったよ。後の時代に書き足されたと判断された部分は本文から外して脚注に回す、という編集方針だと知って納得した。
16. 海外の名無しさん
日本語だと「イエスは涙を流された。」で10文字ちょっとになるらしい。英語で2語でも、訳した先で一番短くなるとは限らないのが翻訳の面白さだね。
17. 海外の名無しさん
実はこれが自分の一番好きな箇所。神とされる存在が、友を失ってただ泣くんだよ。奇跡を起こす前に、まず一緒に泣いた。その順番にちゃんと意味があると思ってる。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
「悲しむ人と共に悲しみなさい」という言葉が別の箇所にあるけど、この場面はそれを本人が先にやってみせた形なんだよね。2語なのに情報量が異常。
19. 海外の名無しさん
古い英語の感嘆詞にも由来をたどると聖書に行き着くものが多いよ。zounds は「神の傷にかけて」、blimey は「神よ、私の目を潰したまえ」が崩れた形だと言われてる。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
あれは神の名をそのまま口にするのを避けるための工夫でもあったらしいね。畏れ多いからこそ言い換える、という敬意の裏返しの表現なのが面白いところ。
21. 海外の名無しさん
短い文がやたら刺さるのは聖書に限らないよね。6語で書かれた掌編とか、17音の俳句とか。削れるだけ削ったあとに残るものが、結局いちばん強い。
22. 海外の名無しさん
こういう「世界一短い」系の記録って、条件をひとつ変えるだけであっさりひっくり返るのが面白い。訳が変われば順位も変わる、というのが今回の一番の学びだった。
まとめ
欽定訳聖書をはじめ多くの英訳聖書で最も短い節は、ヨハネによる福音書11章35節の「Jesus wept.(イエスは涙を流された)」。友人ラザロの死を前にした、たった2語の一文です。そもそも章と節の番号自体が13世紀から16世紀にかけて後から付けられた索引であり、しかも原文のギリシャ語では3語、日本語訳ではまた別の長さになる——「最短」という記録は、実は言語と版に強く依存しています。コメント欄では、暗唱の宿題でこの節ばかり選ばれる微笑ましい話、映画のセリフとしての引用、そして「奇跡を起こす前に、まず一緒に泣いた」という順番に意味を見出す声が並びました。2語しかない一文が、これだけ長く語り継がれていること自体が面白い話です。

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