1926年、トロントのある弁護士が風変わりな遺言書を残して世を去った。財産の行き先はこう指定されていた——自分が死んだあとの10年間で、トロント市内でいちばん多くの子どもを産んだ女性に、残りの全財産を渡す。冗談としか思えない一文だが、これは法的に有効な遺言だった。そして大恐慌に沈んでいくカナダで、10年におよぶ「レース」が本当に始まってしまう。
※注:この騒動は当時の新聞に「グレート・ストーク・ダービー」と名付けられた。ストーク(stork)はコウノトリのことで、英語圏には「赤ちゃんはコウノトリが運んでくる」という言い回しがある。ダービーは競馬の大レースを指す言葉。つまり「コウノトリ大競走」といった意味合いの、悪趣味すれすれの見出し語である。
今日の知ってた?
📏 トロントの弁護士チャールズ・ヴァンス・ミラーが1926年に遺した遺言書は、残った財産を「自分の死後10年間にトロントで最も多くの子どもを産んだ女性」に譲ると定めていた。実際に11家族が名乗りを上げ、うち7家族が失格。最終的に、その10年間に9人の子を産んだ4人の母親が勝者と認められ、それぞれ11万カナダドル(2025年の貨幣価値でおよそ235万カナダドル)を受け取った。遺言の有効性をめぐる争いはカナダ最高裁まで持ち込まれている。
背景:遺言書そのものが、壮大ないたずらだった
チャールズ・ヴァンス・ミラーはトロントで弁護士として成功し、事業にも手を広げて相当な財産を築いた人物である。子はなく、扶養すべき家族も近い親族もいない——遺言書の冒頭で、彼自身がそう書いている。誰に遺す義務もない財産だったわけだ。そして、その自由をどう使ったかを見ると、この人物が何を面白がっていたのかがよくわかる。
ベビーレースの条項にたどり着く前に、遺言書はすでに十分おかしい。
- 互いに嫌い合っている3人の男に、共同で別荘を。T・P・ゴルト、J・D・モンゴメリー、ジェームズ・ハヴァーソンという3人の法律家に、ジャマイカにあった別荘を終身で共同使用させる。ただし「3人がその家で一緒に暮らすこと」が条件だった。もっともこの家はミラーの生前にすでに売却されていて、条項は空振りに終わっている。
- 禁酒を説く牧師たちに、ビール会社の株を。トロント市内の現役プロテスタント牧師全員と、市内のすべてのオレンジ・ロッジに、カトリック系の経営として知られたオキーフ醸造所の株を渡す。ただし「会社の運営に関与し、配当を受け取ること」が条件。最終的に99人の牧師と103のロッジがこれを受け取り、1928年に同社が135万ドルで売却された際、1人あたり56ドル38セントが手に入った。
- 競馬反対派に、競馬場の株を。競馬反対の運動で知られたウィリアム・レイニーとサミュエル・チャウン牧師、そしてオンタリオ・ジョッキークラブを毛嫌いしていたエイブ・オーペンに、そのジョッキークラブの株を。ただし3年以内に株主になっていることが条件。レイニーとチャウンの分は最終的に慈善団体に回され、オーペンは自分の分を受け取った。
- 名指しの除外規定つきで、もう一つの競馬場の株を。ウォーカービル、サンドウィッチ、ウィンザーで叙任されたキリスト教聖職者全員に、ケニルワース競馬場の株を渡す。ただし遺言書には「ホテル経営者を撃ったスプラックリンを除く」と、わざわざ名指しの但し書きが入っていた。1928年に5人の牧師が名乗り出たものの、この株は市場で取引されておらず、1株1セント以下という見立てすらあった。競馬場は10年経たずに閉鎖している。
※注:オレンジ・ロッジはアイルランド系プロテスタントの流れをくむ友愛団体で、当時のカナダでは政治的にも無視できない存在だった。カトリック系とされる醸造所の株を、その団体と、酒を口にしない牧師たちに配る。しかも「配当を受け取ること」が条件。これがどれだけ意地の悪い冗談だったかは、説明されなくても伝わる。
そして遺言書の最後に置かれていたのが、例のベビーレースだった。残余財産のすべてを、自分の死後10年間にトロントで最も多くの子どもを出産した女性に渡す。子どもの数は出生登録によって数えられることになっていた。この一文が、10年がかりで一つの都市を巻き込む騒ぎに育っていく。
もう少し詳しく
大恐慌が、冗談を本気に変えた。ミラーが亡くなった1926年のカナダは、まだ好景気の側にいた。ところが3年後に世界恐慌が始まり、レースの後半はそのまま不況の底と重なる。仕事も蓄えも失った家庭にとって、この賞金はもはや笑い話ではなくなった。名乗りを上げれば新聞に名前も家庭の事情も載る。それでも申請する人が現れ、中には偽名を使って手を挙げた人もいたと伝えられている。
新聞は、他人の家庭の中身を毎日書き立てた。トロント・スターは候補者への取材を重ねている。37歳のグレース・バニャートはイタリア系移民の二世で、20人目の子どもを産んだばかりだと報じられた。存命の10人のうち5人がレースの対象になる、というのが本人の主張だった。42歳のフローレンス・ブラウンは、自分は5代続くカナダ生まれで、これまでに26人を産み13人が存命、うち6人はミラーの死後に生まれたと語っている。同時に、この国が外国から来た人々に埋め尽くされないようにすべきだ、という趣旨の主張も紙面に載った。当時のカナダでは、大家族はしばしば無知や不品行の証と見なされ、移民への偏見と結びつけられていた。優生学が真顔で議論されてもいた。レースは、そうした空気をそのまま増幅する装置になった。
※注:当時のカナダでは、避妊具や避妊の情報を広めること自体が刑法で禁じられていた。この規定が撤廃されるのは1960年代である。つまり「産まない」という選択が、今の感覚ほど手の届くところになかった時代の話でもある。避妊は社交の場で口にできる話題ですらなかった。
「子ども」の定義そのものが、法廷の争点になった。10年が終わっても、賞金はすぐには動かなかった。遺言書の「最も多くの子どもを産んだ」という一文が、実際には何を数えるのかがまるで定まっていなかったからである。議論の末、婚外子と死産は数に入れないという線が引かれた。この線引きは、いくつもの家庭を土壇場で振り落とすことになる。バニャートは2人の子どもの出生登録がなかったことで失格になった。24歳のポーリーン・メイ・クラークは、10人のうち5人を、夫と別居中ながら法的には離婚していない状態で産んでいたことを新聞に書かれ、リリアン・ケニーとともに失格となった。
州政府も、遠い親族も、財産を取りに来た。この騒ぎを見かねた政府側は、公共の利益を理由に財産を国庫へ回そうとする法案を出したが、反発を受けて取り下げている。ミラーには扶養家族がいなかったため、遠縁の親族たちも権利を主張して訴えを起こしたが、法廷で退けられた。遺言そのものの有効性が争われ、争いはカナダ最高裁まで行き着く。それでも、この風変わりな一文は最後まで覆らなかった。
10年後、賞金は誰の手に渡ったか
名乗りを上げた11家族のうち、7家族が失格。ウィリアム・エドワード・ミドルトン判事は、10年間に9人の子を産んだ4人の母親を勝者と認めた。アニー・キャサリン・スミス、キャスリーン・エレン・ネイグル、ルーシー・アリス・ティムレック、イザベル・メアリー・マクリーン。4人はそれぞれ11万ドルを受け取っている。当時としては人生が一変する額だった。
ただし、話はそこで気持ちよく終わらない。4人のうち3人は、それまでトロント市から受けていた生活支援の費用を返還するよう求められている。10年走り切って賞金を手にした瞬間に、市役所から請求書が届いたことになる。また、失格となったうちリリアン・ケニーとポーリーン・メイ・クラークの2人は、上訴を取り下げるのと引き換えに、法廷外の和解でそれぞれ1万2,500ドルを受け取った。
後年の研究者はこう指摘している。勝者になったのは、競争のあいだ目立たずに過ごし、白人・プロテスタント・中流という当時の「標準」に最も近かった家庭が中心だった。フランス系の家族も、イタリア系の家族も、勝者の輪の中には一つも入っていない。10年ぶんの騒ぎが誰にどう配分されたのかを、この一点がよく表している。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
正直、ベビーレース以外の条項のほうがすごい。仲の悪い法律家3人に「一緒に住むこと」を条件で別荘を遺贈、禁酒を説く牧師たちにビール会社の株、競馬反対派に競馬場の株。この人のいたずらの中では、たまたま一番金額が大きかったのがベビーレースだったというだけに見える。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
別荘の件は本人の生前にもう売られていたから、実際には成立しなかったらしい。もし成立していたら、1920年代に世界初のリアリティ番組が誕生していたと思う。仲の悪い3人が同じ屋根の下で終身、というのは今の企画会議でも通る。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
この人の唯一の心残りは、自分が仕掛けた騒ぎを一つも見られなかったことじゃないかな。全部の仕掛けが動き出すのは自分が死んだ後で、しかも決着まで10年以上かかる。用意周到なのに、いちばんおいしいところだけ受け取れない。
4. 海外の名無しさん
あと一人足りなかった家のことを考えると笑えない。10年走り切って子どもが8人、賞金は一銭も入らない。走らなかった場合と比べて増えたのは、養う人数だけということになる。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
2位が一番割に合わないやつだ。1位と同じだけの10年を過ごして、受け取るものだけがない。
6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
それを言うと1位もなかなかのものだよ。9人を育て上げる費用と手間を考えたら、賞金が丸ごと消える生活が18年続く。金額としては大きいけど、割のいい取引かと言われると素直にうなずけない。
7. 海外の名無しさん
一つ誤解されがちなのは、この条項が世間に広く知られるまでに死後数年かかっているところ。だから「最初から狙って走った人」はそんなに多くない。もともと毎年のように出産していた家庭が、気づいたら上位にいた、という順番のほうが実態に近い。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
とはいえ後半は完全にレースだったと思う。賞金は当時のカナダ人の平均年収の100倍を超えていたし、政府の試算では子ども1人を大学まで出す費用がおよそ6,000ドル。9人育てても賞金の半分しか使わない計算になる。仕事も蓄えもない家庭が、これを現実的な賭けだと考えたのは責められない。
9. 海外の名無しさん
金額の話をする前に、賭けの対象にされたのが女性の体だという事実がずっと引っかかっている。10年間、妊娠と出産を繰り返す以外に参加方法がない競争で、当時の出産は今より遥かに危険だった。死んだら失格、それだけの話として処理される。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
しかも私生活が全部紙面に出る。誰それは移民だから受け取る資格があるのか、避妊についてどう考えているのか、子どもの父親は本当に夫なのか。24歳の女性が別居中に産んだ子がいると新聞に書かれ、その後で失格になっている。競争というより見せ物だ。
11. 海外の名無しさん
子どもの側の気持ちを想像するとつらい。自分がお金のために産まれたと知りながら、大人数のきょうだいの中で一人分の注意も向けてもらえずに育つわけだから。しかも賞金が入らなかった家の子は、その事実だけが残る。
12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
そういう家では、たいてい一番上の娘が母親役をやらされる。10人のきょうだいと暮らして、そのうえ成人までたどり着けなかったきょうだいが何人もいる、という時代でもある。当時の乳幼児の死亡率を考えると、その数字も「レースの記録」として数えられていたことになる。
13. 海外の名無しさん
一番こたえたのは、勝った4人のうち3人が、市から受けていた生活支援の返還を求められたという部分。10年かけて9人産んで、ようやく賞金が出たと思ったら市役所が請求書を持って現れる。制度としては筋が通っているのかもしれないが、その筋の通り方が容赦なさすぎる。
14. 海外の名無しさん
勝者の顔ぶれが偏っていたという指摘が一番刺さった。目立たずに過ごして、当時の「まっとうな家庭」の型に近かった人たちが残り、フランス系もイタリア系も勝者の中に一人もいない。誰を数えるか、誰を失格にするかの判断が積み重なった結果が、そういう並びになった。
15. 海外の名無しさん
当時の空気を知らないと、この騒ぎがただの奇談に見えてしまう。1930年代のカナダでは、子だくさんの家庭は貧しさや無知の証拠として語られることが普通にあって、それが移民への偏見と結びついていた。優生学もまだ堂々と議論の対象だった。その中で「たくさん産んだら賞金」というレースが公開で行われていたわけだ。
16. 海外の名無しさん
避妊具や避妊の情報を広めること自体が法律で禁じられていて、その規定が消えるのが1960年代というのが、この話の一番重い前提だと思う。産むか産まないかを自分で決める手段が、そもそも用意されていなかった。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
そう考えると「参加しない」という選択肢が全員にあったわけではないんだよな。参加した女性たちを軽率だと言うのは簡単だけど、そもそも降りるためのブレーキが法律の側で外されていた。この遺言が残酷なのは、その状態を知ったうえで賞金を吊るしているところだ。
18. 海外の名無しさん
出生率で悩んでいる国の役人がこれを読んで、うっかり真顔にならないことを祈る。「一番産んだ人に全財産」は極端すぎるにしても、発想としてはそんなに遠くない政策が今も普通に議論されている。
19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
現金を配る方式は各国でだいたい試されていて、効果があっても一時的だという話が多い。産む決断に効いてくるのは、住まいや働き方や保育のほうだからだろう。100年前のこの遺言も、結局のところ「お金だけを積んだらどうなるか」の壮大な実験結果として読めてしまう。
20. 海外の名無しさん
この件を題材にしたテレビ映画があるんだけど、自分が覚えているのは赤ん坊のゆりかごにネズミが入ってくる場面だけ。他は本当に何一つ思い出せないのに、あの一場面だけが妙にはっきり焼き付いている。子どもの頃に見るものじゃなかった。
21. 海外の名無しさん
人を煽って面白がる行為が最近のものだと思っている人がいるけど、100年前の弁護士が遺言書一枚で一つの都市を10年間振り回している。しかも全部合法で、自分は現場にいない。手口としては今でも最上位に入ると思う。
22. 海外の名無しさん
一番同情するのは判事かもしれない。「子どもとは何か」を法廷で定義させられて、出生登録の有無や婚姻の状態で一件ずつ線を引いていく。しかもその線の引き方一つで、ある家庭の10年が丸ごと無効になる。それでも遺言は最後まで有効とされて、賞金は実際に支払われた。書いた本人は一度もその場面を見ていない。
まとめ
1926年、トロントの弁護士チャールズ・ヴァンス・ミラーは、残った財産を「自分の死後10年間にトロントで最も多くの子どもを産んだ女性」に譲るという遺言を残した。名乗りを上げた11家族のうち7家族が失格となり、9人の子を産んだ4人の母親がそれぞれ11万カナダドルを受け取っている。婚外子と死産を数えないという線引きが土壇場で家庭を振り落とし、勝った4人のうち3人は市から生活支援の返還を求められた。コメント欄で最も伸びたのは、賭けの対象が女性の体だったという指摘と、避妊が法律で禁じられていた時代にそれをやったという前提の重さ。一方で、仲の悪い3人に共同で別荘を遺すといった他の条項を並べて「この人のいたずらの中では金額が一番大きかっただけ」と笑う声も多く、最後は「書いた本人だけが結末を見ていない」という一点に落ち着いた。
元ソース: トロントの富豪弁護士が1926年の遺言で、死後10年間に最も多くの子どもを産んだ市内の女性へ全財産を遺すと定め、大恐慌下のカナダで10年におよぶ「ベビーレース」が起きた

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