「あんなに苦しむ姿をまた見るくらいなら、もう子どもはいらない」跡継ぎのために離婚までした皇帝が、難産の場で下した命令

「あんなに苦しむ姿をまた見るくらいなら、もう子どもはいらない」跡継ぎのために離婚までした皇帝が、難産の場で下した命令 人物・偉人

跡継ぎが欲しいという理由で前の妻と離婚し、その目的のためだけに新しい妻を迎えた男がいる。ようやく生まれようとしていたその子の出産が難航し、医師団から「母子のどちらを優先しますか」と問われたとき、彼は迷わず妻を助けろと命じたと伝えられている。名前はナポレオン・ボナパルト。ヨーロッパ中を戦火に巻き込んだ、あの皇帝である。

※注:ここでいう皇后は、ナポレオンの二番目の妻マリー・ルイーズ。オーストリア皇室(ハプスブルク家)の出身で、ナポレオンが跡継ぎを得るために迎えた相手にあたる。最初の妻ジョゼフィーヌとのあいだに子はなく、そのために離婚している。

今日の知ってた?

📜 皇后マリー・ルイーズが皇子(のちにナポレオン2世と呼ばれる)を産んだとき、出産は難航した。医師団に「母と子のどちらを優先すべきか」と問われたナポレオンは、皇后を助けるよう命じたと伝えられている。結果的には母子ともに助かった。そしてその後、彼は「彼女があんなに苦しむ姿をもう一度見るくらいなら、これ以上子どもを持たないほうがましだ」という趣旨のことを口にしたという逸話が残っている。跡継ぎのためにわざわざ離婚までして迎えた妻との、待ちに待った第一子の出産での話である。

背景:跡継ぎのための結婚

この選択がなぜ意外に映るのかは、そこに至るまでの経緯を知ると分かりやすい。ナポレオンが深く愛したのは最初の妻ジョゼフィーヌのほうだった、というのは当時から広く知られていた話で、彼が遠征先から送った手紙の激しさは今も語り草になっている。ところが二人のあいだには子ができなかった。ジョゼフィーヌは当時としてはもう高齢にさしかかっており、帝国を継ぐ者がいないまま時間だけが過ぎていく。

そこで彼は離婚を選び、オーストリア皇室から新しい妻を迎える。マリー・ルイーズとの結婚は、政略であることを誰も隠していなかった。宮廷にとっても、彼女自身にとっても、この結婚の目的は跡継ぎを産むことだとはっきりしていた。だからこそ、いざ出産が危険な局面に入ったとき、周囲が「子を優先する」と考えるのは自然なことだったはずである。実際、皇后自身がそう思っていたことをうかがわせる言葉も伝わっている。出産の最中に彼女は「私は皇后。誰も私のことなど気にかけていない。皆が何より守りたいのは息子の命なのだ」という意味のことを口にしたとされる。

皇帝が出した指示は、その予想と逆だった。

もう少し詳しく

当時、「子を優先する」が何を意味したか。現代の感覚では「どちらを助けるか」と聞かれても、帝王切開で両方助ける道をまず思い浮かべる。だが近代的な麻酔も消毒も確立していない時代、母体を開いて子を取り出す手術は母親の生存をほとんど期待できないものだった。逆に、産道で詰まった胎児を犠牲にして母体だけを救う処置も存在した。つまり当時の「どちらを優先しますか」は、言葉のあやではなく、片方を確実に失う手順のどちらを選ぶかという問いだった可能性が高い。皇帝が妻を選んだ時点で、赤ん坊が生きて出てきたのは相当な幸運だったことになる。

出産は、ずっと若い女性の主要な死因だった。この話が今も驚きをもって受け止められるのは、私たちが「出産で母親が死ぬ」という前提をほとんど手放してしまったからでもある。麻酔も輸血もない時代、陣痛が丸一日以上続くことは珍しくなく、そこから生きて戻れないことも珍しくなかった。宮廷であろうと農村であろうと、その点はさして変わらない。ナポレオンが立ち会ったのは、そういう時代のお産だった。

現代の医療では、そもそも夫に選ばせない。今日の産科では母体を優先するのが原則とされており、この種の二者択一を家族に突きつける場面自体がほぼ存在しない。母子どちらを助けるにせよ、やるべきことは「一刻も早く赤ん坊を外に出す」で共通しているからでもある。二百年前の皇帝が迫られた問いは、医療の進歩によって問いごと消えた、という言い方もできる。

※ ナポレオンの発言も皇后の言葉も、同時代の回想録などを通じて伝わっているもので、一字一句が録音されているわけではない。出来事の骨格は広く知られているが、細部の言い回しには幅がある。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
両方助かったというのが一番すごい。とんでもない幸運か、あるいは相当に腕のいい医者が揃っていたかのどちらかだと思う。この時代にその結末はなかなか引けない。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
たぶんナポレオンが妻を選んだ時点で、赤ん坊が助かったのは完全に運の領域に入った。逆に子どもを選ばせていたら、赤ん坊を取り出すために母親のほうを開いていたはずで、そちらは幸運の入る余地すらなかった。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
そこなんだよな。現代人は「どちらを助けますか」と聞かれると帝王切開で二人とも助かる絵を想像してしまうけれど、当時の選択肢はもっと即物的で、しかも後戻りができない。言葉の重みが違いすぎる。

4. 海外の名無しさん
少し前に妻の出産に立ち会ったばかりだから、正直この気持ちはよく分かる。麻酔が入る前の痛がりようは、これまでの人生で見たどんな苦しみとも違っていた。しかも自分にできることは手を握って「もうすぐ効くから」と言い続けることだけで、それが本当に何の役にも立っていない。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
それを痛み止めなしで何時間も、場合によっては丸一日以上やっていたのが昔の出産だと思うと言葉が出ない。しかも身も蓋もない話をすると、昔の女性が全員それを乗り切っていたわけではない。乗り切れなかった人が今よりずっと多かったから、死亡率という数字が残っている。

6. 海外の名無しさん
私たちが教わるナポレオンは、だいたい「背が低くて気難しい征服者」だ。「妻に甘すぎる男」のほうのナポレオンは、なぜか授業で一度も出てこない。同じ人物の話とは思えないくらい印象が違う。

7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
ジョゼフィーヌに宛てた手紙が本当に面白い。「君は意地悪だ、ひどく意地悪だ、手紙をくれないなんて」「四日だぞ、四日も何も書いてくれない。私を学生か何かだと思っているのか」といった調子で、大陸を制圧している最中の人間が書く文面ではない。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
「三日後に帰る、体を洗わないで待っていてくれ」で有名なあの手紙も彼のものとされている。ただしこれは出典がはっきりしないという指摘もあって、真偽については意見が分かれているらしい。個人的には本物であってほしい。

9. 海外の名無しさん
皮肉なのは、皇后本人はまったく逆のことを考えていたらしいところだ。出産の最中に「私は皇后。誰も私を気にかけてなどいない、皆が守りたいのは息子の命だ」という意味のことを言ったと伝わっている。夫が自分を助けろと命じていたことを、その瞬間の彼女は知らなかったわけだ。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
彼女がそう思うのも当然だと思う。この結婚は最初から跡継ぎを作るためのもので、宮廷の誰もそれを隠していなかった。自分の価値が「産むこと」に置かれていると分かっている状況で、産んでいる真っ最中に安心しろというほうが無理がある。

11. 海外の名無しさん
水を差すようで悪いけれど、この手の話は後世に美談として磨かれていることが多いので、そこは差し引いて読んだほうがいい。回想録の類は書き手の立場でいくらでも角度がつくし、皇帝の人間味を強調したい人はいくらでもいた。

12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
それに加えて、当時の常識としてもむしろ妻を選ぶほうが普通だったという説を読んだことがある。乳幼児はとにかくよく死ぬので、赤ん坊一人に賭けるより、健康な妻が残っていれば次がある、という発想らしい。冷たい言い方だけれど、王侯の立場ならそちらのほうが合理的ではある。

13. 海外の名無しさん
理屈としては単純で、彼は妻のことは知っているが、子どものことはまだ何も知らない。生まれてくる子がとんでもない人間に育つ可能性だって普通にある。そう考えると、知っているほうを選ぶのはかなり自然な判断だ。

14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
息子に自分と同じ名前をつけるのを断った父親の話を思い出した。理由が「もしこいつがろくでもない大人になったら、自分の名前まで巻き添えになる」だったらしい。慎重すぎるが、言われてみると反論しにくい。

15. 海外の名無しさん
いい話なのは分かるのだが、そもそもこの人、跡継ぎができないという理由で前の妻と離婚しているんだよな。その一点を思い出すと、感動の角度がだいぶ変わってくる。

16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
当時の王侯にとって、愛情と王朝の都合はそもそも別の引き出しに入っていたのだと思う。愛しているから結婚するのではなく、家を続けるために結婚する。その前提の上でなお目の前の妻を助けろと言ったのだとしたら、それはそれで意味のある話ではある。

17. 海外の名無しさん
念のため書いておくと、現代の産科では母体を優先するのが原則で、この種の選択を夫に迫る場面はまず存在しない。というより、母子どちらを助ける場合でもやることは同じで、とにかく早く赤ん坊を外に出すという一点に集約されるらしい。

18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
この話題になると「医者に選べと言われた」という男性の書き込みがやたら出てくるのが不思議でならない。仮に本当に誰かが選ぶ場面があるとしたら、まず産んでいる本人に聞くべきでは。私が患者なんだが。

19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
たぶん母親の意識がない状態で誰かが判断しなければならない、という限定的な場面の話が拡大解釈されているのだと思う。そういう事態でも今は母体優先が原則なので、そもそも「選ばせる」という前提自体が古い。

20. 海外の名無しさん
うちは出産前に妻と話して、もし何かあったら君を選ぶ、子どもはまた考えればいい、と伝えてあった。世間的には親は子を選ぶものとされている気がして、言いながら少し後ろめたかったのを覚えている。結果的には何事もなく生まれてきた。

21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
うちは逆で、妻のほうから正座させられて「もし選ばされたら絶対に私を選べ」と念を押された。こちらとしては即答するしかない。赤ん坊を一人で育てる自信など最初からないので、決断でも何でもなかった。

22. 海外の名無しさん
父も似たようなことを言っていた。弟が生まれたときに母が大量に出血して本当に危なかったらしく、それがなければもっと子どもを作っていたと思う、と。ちなみにその弟が五人目だったので、そこで止まったのは結果的に正解だったと思う。

23. 海外の名無しさん
ナポレオンという人は本当に妙なところで感情の線が引かれている。何千人もの兵が自分の命令で死んでいくのは平然と眺めていたのに、戦場で主人の亡骸のそばを離れず、顔をなめながら吠え続ける犬を見たことがずっと忘れられなかった、という逸話が残っている。

24. 海外の名無しさん(>>23への返信)
戦いのあとの光景には終生こたえていたようで、決着がついたあとは敵味方を問わず自分の腕のいい軍医を回させていたとも言われている。数字として並んだ死には動じないのに、目の前で苦しんでいる一つの生き物にはうろたえる。妻の出産での反応も、たぶん同じ回路から出ている。

25. 海外の名無しさん
父親としてのナポレオンは、当時の王侯としてはかなり変わっていたと言われている。息子とよく遊び、人前でも平気で抱き上げていたらしい。宮廷の作法からすると子どもとの距離が近すぎたわけで、この出産のときの命令も、その延長線上にある行動だったのかもしれない。

まとめ

跡継ぎを得るためにわざわざ離婚し、そのために迎えた妻の、待ちに待った出産。難産のさなかに「母と子のどちらを優先しますか」と問われたナポレオンは、皇后を助けろと命じたと伝えられている。結果的には母子ともに助かり、彼は「あんなに苦しむ姿をもう一度見るくらいなら、これ以上子どもを持たないほうがましだ」という意味のことを漏らしたという。コメント欄は、当時の「どちらを選ぶか」が現代とはまるで違う重さを持っていたことへの驚きから始まり、ジョゼフィーヌ宛の手紙の激しさに脱線し、「美談として磨かれているのでは」「当時はむしろ妻を選ぶほうが合理的だった」という冷静な指摘を経て、最後は自分の妻の出産に立ち会った人たちの体験談で埋まっていった。二百年前の皇帝が迫られた問いは、いまの医療ではそもそも問われなくなっている。それ自体が、この話のいちばん静かな救いなのかもしれない。

元ソース: 息子の難産のとき、ナポレオンは「妻と子のどちらを優先するか」と問われ、皇后を助けろと命じた。結果は母子ともに無事だったが、彼は妻の苦しむ姿に打ちのめされ「あんな姿を再び見るくらいなら、もう子どもはいらない」と語ったという

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