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「部屋にはレーニンの胸像、大学労働党クラブの会長」FOXニュースの男には”赤いルパート”と呼ばれた時代があった

「部屋にはレーニンの胸像、大学労働党クラブの会長」FOXニュースの男には"赤いルパート"と呼ばれた時代があった 人物・偉人

FOXニュースを筆頭に、英米豪の保守メディア帝国を築き上げたルパート・マードック。「西側メディアの保守化を50年牽引した男」と言ってもいい人物だが、オックスフォード大学に通っていた1950年代の彼のあだ名は、なんと「赤いルパート(Red Rupert)」。レーニンの胸像を部屋に飾り、大学の労働党クラブで会長まで務めていた、筋金入りの社会主義青年だった。あの男にもそんな時代があったのか——という驚きの裏には、「学生左翼から保守の大物へ」という、実は珍しくない政治転向の物語がある。

今日の知ってた?

📰 ルパート・マードックは1950年代のオックスフォード大学在学中、「赤いルパート」のあだ名で呼ばれていた。部屋にはレーニンの胸像を置き、オックスフォード大学労働党クラブの会長を務めるなど、学生時代は熱心な社会主義者だった。同じ人物が後にFOXニュースを筆頭とする世界規模の保守メディア帝国を築き上げる。

※ レーニン:ロシア革命を主導し、史上初の社会主義国家ソビエト連邦を打ち立てた革命家。20世紀の左翼運動における最大級のアイコン。

背景:「赤いルパート」とオックスフォードの空気

マードックがオックスフォードのウースター・カレッジで学んでいたのは1950年から53年。戦後直後の英国は、労働党が国民健康保険(NHS)を創設し、基幹産業を次々に国有化していた時期で、大学キャンパスでは社会主義が「これからの当たり前」として若者に強く支持されていた。オックスフォード大学労働党クラブ(OULC)は、戦前から続く由緒ある政治クラブで、後に首相になるハロルド・ウィルソンやトニー・ベンら、戦後英国左派の主要人物の多くがここから巣立っている。

マードック自身は、オーストラリアの新聞経営者の息子という、いわゆる「ブルジョワ階級」の出身だった。父親キース・マードックはオーストラリア有数の新聞王で、息子はその後継ぎとして留学していた。それでも当時の彼は、寮の自室にレーニンの胸像を置き、機関誌『Cherwell』に左派寄りの記事を書き、クラブ会長まで上り詰めた。仲間は彼を「赤いルパート」と呼び、本人もこの肩書きを誇らしげに使っていたという。

もう少し詳しく

転向のスイッチは「父の死」だった。1952年、まだルパートが大学在学中に、父キースが急逝する。家族には借金が残り、新聞事業の中核資産も売却を余儀なくされた。卒業後オーストラリアに戻ったルパートは、22歳で残された地方紙『アデレード・ニュース』の経営を引き継ぐ。経営する側に回った瞬間、レーニンの胸像は静かにしまわれていく。学生のあだ名は、雇う側に回ると意外と長くは保たない。

「学生時代は左翼」は、保守の大物に多い経歴。マードック一人の話ではない。英国の保守派論客クリストファー・ヒッチンズとピーター・ヒッチンズ兄弟は、学生時代はトロツキストだった。ハンガリーで強権的な体制を築いた首相オルバン・ヴィクトルも、1989年当時は反共・自由主義の若手活動家として有名で、その後右旋回した。米国のネオコン(新保守主義)に至っては、創始者の多くが元トロツキストで、「世界革命の方法論を左から右に持ち込んだ」と批判されるほどだ。

※ トロツキスト:ロシア革命の主導者の一人レフ・トロツキーの思想を継ぐ、世界革命を志向する左派の一派。スターリン主義と対立し、欧米の学生運動でも人気があった。

なぜ左から右に転ぶのか。研究者の間でいくつかの説明がある。一つは「世代要因」——10代後半から20代前半は、現状への不満が強く、ラディカルな思想に惹かれやすい。二つ目は「経済的立場の変化」——資産を持つ側に回ると、再分配より秩序を求めるようになる。三つ目はもっと身も蓋もない説で、「権威主義的・極端な思想を好む性格そのものはずっと変わっておらず、たまたま入った先が左から右に乗り換わっただけ」というもの。ネット上のミーム「お金が体に入った瞬間、共産主義が体から抜けていく」は、半分冗談、半分この説を指している。

マードックは本当に「変節」したのか。オーストラリアの新聞業界では、有名な逸話がある。マードックは1972年の総選挙で、当時の労働党党首ホイットラムを強く支援し、保守政権を倒す原動力になった。ところがその後、ホイットラムに駐英高等弁務官の職を断られたことで関係が破綻し、以後マードックは長年労働党を叩き続ける——という話だ。本人は否定しているが、「彼はイデオロギーで動いたことはない、ずっとオポチュニストだった」と見るオーストラリアの政治記者は多い。

※ オポチュニスト:状況を見て立場を変える、機会主義者。一貫した信念より目先の利益・影響力で動くタイプを指す。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
彼はちゃんと「生産手段の掌握」をやり遂げたよ。世界中のメディアっていう生産手段を、自分一人のために。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
マルクスが書いた「資本主義を極限まで進めることで、次の段階の共産主義社会への条件が整う」という理論を、マードックは身をもって早送りで再現してくれてるんだよ。我々が思っているより、彼はずっと忠実なマルクス主義者なのかもしれない。

3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
「生産手段ではなく、世論操作の手段を掌握した」って言い換えたほうが正確だと思う。新聞そのものは赤字でも、その新聞で政治家を動かして利権を取りに行くのが本業だから。

4. 海外の名無しさん
フィンランドの大富豪ビョルン・ヴァルロースも、若い頃は筋金入りの共産主義者で、左派の経済学者として大学でキャリアをスタートさせた。その後銀行業界に転じて、今ではゴリゴリのリバタリアンだ。世界中で同じパターンが起きてるよ。

※ リバタリアン:政府の介入を最小限にし、個人の自由と市場原理を最重視する思想。米国の自由至上主義者のこと。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
オルバン・ヴィクトル(ハンガリー首相)も1989年あたりまでは反共のリベラル左派だったぞ。一国の独裁的指導者になる頃には、過去の自分とは別人になってる。

6. 海外の名無しさん(>>4への返信)
ムッソリーニも本人がファシズムを生み出す前は社会党の機関紙の編集長だったしな。極端から極端への乗り換えはむしろ歴史的な王道パターン。

7. 海外の名無しさん
金持ちになった瞬間、欲望に飲み込まれた——という単純な話だと思うよ。実家から相続した金額が、彼の理想を上書きするのに十分すぎただけ。

8. 海外の名無しさん
父親のお金持ちが死んで、全てを息子に残した瞬間、魔法のように政治信条が変わった。古今東西、繰り返されてきた話だよ。

9. 海外の名無しさん
オックスフォードに通うと若者は急速に左傾化し、新聞社を所有すると若者は急速に脱左傾化する。これだけ覚えておけば十分。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
社会学の学生として最高のフレーズだ。これ卒論のタイトルにしたい。

11. 海外の名無しさん
「右派の大物が学生時代は社会主義者だった」というのは、もはやテンプレートだ。ヒッチンズ兄弟、トーマス・ソウェルあたりが思いつくけど、調べればもっといるはず。学生時代の極端な思想は、保守になった時の燃料になるんだよ。「私はあちら側を知ってるから、語る資格がある」って。

12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
日本でも全共闘世代の活動家が、後年バリバリの保守論客になってる例が多いと聞く。世界共通の現象なんだろう。

13. 海外の名無しさん
マードックが第二次世界大戦以降の西側世界で、誰よりも大きな害を与えた人物だと思う。誰か他の名前を挙げようとしても、たぶんその人物を権力の座に押し上げたのもマードックの新聞だ。

14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
それを言うと「いや、彼はまだ内部から体制を破壊しようとしてる赤い工作員だ。我々は気づいてないだけ」っていう陰謀論にも持っていけるな。FOXニュースの長期戦略は実は資本主義の自壊だった——なんていうオチがあったらすごい。

15. 海外の名無しさん
彼は1960年代に英国の老舗紙『タイムズ』の買収を断られて、当時の英国上流階級を「いつか潰す」と誓ったらしい。その後『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』『サン』を買い、結局1981年に『タイムズ』も手に入れた。手段は右翼でも、心の中の動機は意外と若い頃の反エリート左翼のままだったのかもしれない。

16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
これ面白い見方だな。学生時代の左翼マインドが「既存の権威を叩き潰す」という形で生き残っていて、ターゲットが変わっただけと考えれば筋は通る。王室・保守党・労働党、どれも結果的に彼の新聞に削られた。

17. 海外の名無しさん
学生時代の極端な政治思想って、本当の信条というより「自分を特別に見せたい」だけのケースが多い。レーニンの胸像を部屋に置く時点で、思想よりパフォーマンス側の人間だったんじゃないか。私も大学時代に左派の友人はたくさんいたが、レーニン像を持ってる奴は一人もいなかった。

18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
それな。マルクスやエンゲルスじゃなく「レーニン」を選ぶ時点で、思想より権威・支配への憧れが透けて見える。レーニンは革命を勝たせて権力を握った男だから、「強い指導者」アイコンとして消費しやすい。

19. 海外の名無しさん
オーストラリアのメディア業界では半ば公然の秘密だが、マードックは2000年代までは自分の新聞が書き散らしている内容を自分自身では信じていなかったとされる。それまでは単に金儲けのための壮大な詐欺だった。彼を動かしてきたのは思想じゃなく、ずっと金だ。

20. 海外の名無しさん
オーストラリアの背景を補足すると、1972年に労働党のホイットラムを首相にする一翼を担ったのもマードックの新聞だった。ところが希望していた駐英高等弁務官のポストを断られて、それ以後20世紀後半を通じて労働党を徹底的に叩く側に回った。イデオロギーじゃなく取引で動く人間だっていう典型例。

21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
オーストラリア人として補足。あの国のメディア寡占はマードック一人で全国紙の60%以上を支配する異常事態で、選挙のたびに彼の機嫌が政治を決めてきた。最初に味方をして、見返りがなければ全力で叩く——というやり方は、国民全員が体感してる。

22. 海外の名無しさん
人間の中の「変わらない部分」って、政治信条じゃなくて、もっと深いところの性格だと思う。マードックの場合、左翼時代も保守時代も一貫しているのは「権威主義」と「極端なものへの引力」のほう。中身が左から右に入れ替わっても、容器は同じなんだよ。ハードコアな右翼の中に「元赤」が驚くほど多いのは、結局それが理由。

まとめ

世界の保守メディアを代表する人物が、学生時代は「赤いルパート」と呼ばれる社会主義者だった——というギャップ。コメ欄では「金が信条を上書きしただけ」という即物的な見方と、「左右が入れ替わっただけで権威主義という性格は同じ」「思想じゃなくパフォーマンスだった」という構造的な見方が並んだ。学生時代の左傾は思ったより珍しくなく、その後の転向もまた歴史の常套句だと知ると、ニュースの読み方が少し変わってくる。

元ソース: 今日知った話:ルパート・マードックの大学時代のあだ名は「赤いルパート」だった。彼は社会主義者で、レーニンの胸像を持ち、オックスフォード大学労働党クラブの会長だった

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