1920年4月26日、ワシントンの博物館のホールで、二人の天文学者が壇上に立った。議題は「宇宙の大きさ」。片方は「天の川銀河がすべてだ」と言い、もう片方は「空に浮かぶ渦巻き状の染みは、それぞれが別の銀河だ」と言った。どちらも決定打を持っていなかった。人類が自分の住所を書き間違えていたと気づくまで、そこからあと4年ほどかかる。
※ 用語:渦巻星雲=当時の呼び名。望遠鏡で見えるアンドロメダなどの銀河は、ぼんやりした渦巻き状の染みにしか見えなかった。星が生まれる場所であるガス雲(星雲)と見た目が似ていたため、同じ種類のもの、つまり天の川銀河の中にある雲だと考えられていた。
今日の知ってた?
📏 1920年代の初頭まで、多くの天文学者は「天の川銀河が宇宙のすべての星を含んでいる」と考えていた。空にいくつも見えていた渦巻き状の染みは、天の川銀河の内側にある小さな雲だとされていた。これがひっくり返るのは、エドウィン・ハッブルがアンドロメダの中に1個の変光星を見つけ、そこまでの距離を計算してからである。答えは、天の川銀河の端よりもはるかに遠かった。
背景:「大論争」と呼ばれた一日
1920年4月26日、ワシントンD.C.のスミソニアン自然史博物館で、ハーロー・シャプレーとヒーバー・カーティスという二人の天文学者が「宇宙の規模」について公開の場で議論した。のちに「大論争(グレート・ディベート)」と呼ばれる催しである。
シャプレーの立場はこうだった。天の川銀河は当時信じられていたよりずっと巨大で、直径はおよそ30万光年ある。宇宙とは要するにこの天の川銀河のことであり、渦巻星雲はその内側に浮かぶ比較的近くて小さな天体にすぎない。
カーティスは逆だった。天の川銀河は3万光年ほどの、もっとこぢんまりしたものだ。そして渦巻星雲は銀河の中の雲ではなく、天の川銀河と同格の「島宇宙」であり、想像もつかない距離の彼方に浮かんでいる、と。
この日、勝敗はつかなかった。つけようがなかったからである。どちらの主張も「渦巻星雲までの距離」が分かれば一発で決着するのに、その距離を測る手段が当時は無かった。天体が暗く見える理由は「遠いから」かもしれないし「もともと暗いから」かもしれない。両者を切り分ける物差しがない限り、議論は水掛け論にしかならなかった。
※ 用語:光年=光が1年かかって進む距離のこと。時間ではなく距離の単位で、約9兆5000億キロメートルにあたる。1万光年先の星を見るということは、1万年前にその星を出た光を今見ている、ということでもある。
もう少し詳しく
物差しを作った人。決着に必要だった道具は、論争の10年近く前にすでに出来上がっていた。作ったのはヘンリエッタ・スワン・リービットという女性である。彼女はハーバード大学天文台で、撮影された写真乾板を1枚ずつ人の目で調べる作業に従事していた。待遇は決して良いものではなかった。
リービットは小マゼラン雲の中にある変光星を数多く調べるうち、ある規則に気づく。明るさが変わる周期が長い星ほど、平均して明るい。小マゼラン雲の中の星は地球からほぼ同じ距離にあるので、見かけの明るさの差はそのまま本当の明るさの差になる。つまり周期を測れば、その星が本来どれだけ明るいかが分かる。本当の明るさと、実際に見えている明るさを比べれば、そこまでの距離が出る。1912年に公表されたこの関係が、宇宙に物差しを一本通した。
※ 用語:セファイド変光星=一定の周期で膨らんだり縮んだりを繰り返し、それに合わせて明るさが規則正しく変わる星。ケフェウス座δ星が代表例なのでこの名がある。「周期を測れば本当の明るさが分かる」性質から、距離を測る基準として使われ、こうした天体は標準光源と呼ばれる。街灯のワット数を知っていれば、見え方の暗さから何メートル先かを逆算できるのと同じ理屈である。
1923年秋、ウィルソン山。エドウィン・ハッブルはカリフォルニアのウィルソン山天文台で、アンドロメダの渦巻星雲を繰り返し撮影していた。ある乾板の一点に、彼は新星を示す「N」と書き込む。ところが以前の写真と見比べると、その点は爆発したのではなく、明るくなったり暗くなったりを繰り返していた。ハッブルは「N」を線で消し、赤いインクで「VAR!」——変光星だ——と書き直した。セファイド変光星だった。
※ 用語:100インチ望遠鏡=ウィルソン山天文台のフッカー望遠鏡。光を集める主鏡の直径が100インチ(約2.5メートル)あり、1917年の完成から長いあいだ世界最大だった。鏡が大きいほど暗い天体まで写せるので、アンドロメダの中の「星1個」を見分けるにはこの規模が必要だった。
出た数字。リービットの関係式を当てはめて計算されたアンドロメダまでの距離は、およそ90万光年とされた。シャプレーが主張していた天の川銀河の直径30万光年よりも、はるかに遠い。渦巻星雲は銀河の中の雲ではなく、外にある別の銀河だった。結果は1925年の初めに学会で発表され、論争は静かに終わった。宇宙は、この日を境に一段階どころではない規模で広がった。
その数字もまた、ずれていた。現在知られているアンドロメダまでの距離は約250万光年で、ハッブルの見積もりの倍以上ある。1952年、ヴァルター・バーデがセファイド変光星には性質の異なる系統が複数あり、それぞれ周期と明るさの関係が違うことを示した。物差しの目盛りが直され、宇宙の距離はまとめて引き伸ばされた。論争にとどめを刺した数字そのものが、30年足らずで書き換えられている。
そして宇宙は動いていた。ハッブルはその後、ミルトン・ヒューメイソンとともに多数の銀河の光を分析し、遠い銀河ほど速く遠ざかっているという関係を1929年に示した。宇宙は静止した容れ物ではなく、膨張していた。「天の川銀河がすべて」から「宇宙は膨張している」まで、10年も経っていない。
※ 用語:赤方偏移=遠ざかっていく天体から届く光は、波長が引き伸ばされて赤いほうへずれる現象。救急車が遠ざかるとサイレンが低く聞こえるのと同じ仕組みで、ずれの大きさから遠ざかる速さが分かる。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
天文学者です。昔の天文書から取った古い図版を何枚か持っているんですが、そこには「アンドロメダ大星雲」と書かれている。つまり当時の人たちは他の銀河をちゃんと見えていたんですよ。ただ、それが自分たちの銀河の外にあると判別できなかっただけで。ぼんやりした染みという見た目が、星が生まれるガス雲とそっくりだったので「渦巻星雲」と呼んでいた。宇宙で距離を正確に測るのは本当に難しいんです。今でも難しい。望遠鏡が大きくなっただけで。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
最初に「あの染みは別の銀河だ」と気づいた人の気持ちを想像してみてほしい。自分にとっての「すべて」が、一晩で一兆倍に膨らむわけで。翌朝どんな顔で朝食を食べたんだろう。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
それがまさに1920年の論争のテーマだったんだよね。シャプレーとカーティスが壇上で「宇宙の大きさ」について正面からやり合った記録が残っていて、読むと当時の空気が伝わってくる。どちらも決定打を持っていなかったのが面白いところ。
4. 海外の名無しさん
順番が大事なんだよな。まず天の川銀河の中でセファイド変光星を標準光源として使えることを確かめて、そのうえでアンドロメダの中に1個見つけられるだけの光学系を用意する。この二段階を踏むのに何十年もかかっている。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
その一段目を作ったのがヘンリエッタ・スワン・リービットです。周期と明るさの関係を見つけた人。ハッブルはその物差しを使って測った、と言うと功績を軽く見えさせてしまうけれど、物差しが無ければ誰も何も測れなかったのは確かです。
6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
リービットは1925年にノーベル賞に推薦されかけている。推薦しようとした人が、彼女が1921年に亡くなっていたことを知らなかった。ノーベル賞は死後には出ないので、そこで話は終わっている。写真乾板を1枚ずつ人力で調べる仕事に就いていて、待遇も良いものではなかった。
7. 海外の名無しさん
シャプレーが笑いものにされがちだけど、彼は同じ時期にもっと大きなことを二つ当てているんだよ。天の川銀河が当時考えられていたよりずっと大きいということと、太陽は銀河の中心にはいないということ。渦巻星雲の件では外したけれど、宇宙における人類の座席をずらしたのはむしろ彼のほう。二人とも半分ずつ正解だった。
8. 海外の名無しさん
当時としては妥当な結論だと思うけどな。観測できる範囲が天の川銀河までしかないなら、その時点では天の川銀河が観測可能な宇宙そのものなわけで。他の銀河にしても、見えている以上は自分たちの銀河の一部だと考えるほうが自然だ。
9. 海外の名無しさん
ハッブルの主張が一部から相手にされなかった理由の一つが、単純に「もし彼が正しいなら、宇宙がとんでもなく大きいことになってしまうから」だったらしい。理屈ではなく規模で拒否されている。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
ネタバレになるけど、宇宙はとんでもなく大きいです。しかも観測が進むたびに、想像していたより一段大きい方向に外れ続けている。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
『銀河ヒッチハイク・ガイド』の一節を思い出した。「宇宙は大きい。本当に大きい。どれほど広大で、途方もなく、気が遠くなるほど大きいか、まず信じられないだろう。薬局までの道のりは遠いと思うかもしれないが、宇宙に比べればピーナッツ程度の話だ」
12. 海外の名無しさん
そして今、我々は「宇宙はこれ一つしかない」と思い込んでいる。100年後の人たちに同じ顔で笑われている未来が見える。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
他の宇宙の証拠が見つかっていないというだけで、科学が「宇宙は一つだけだ」と主張しているわけではないよ。そこは別の話。証拠が無いものについては、あるとも無いとも言わないのが基本の姿勢。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
主張するのは科学じゃなくて人間のほうだけどね。そして人間はだいたい言い切りたがる。
15. 海外の名無しさん
多元宇宙論はけっこう人気があるよね。我々の宇宙がブラックホールの内側に存在していて、観測できるブラックホールの一つ一つがまた別の宇宙を抱えている、という可能性まで語られている。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
一般向けの科学読み物では人気、というのが正確なところ。研究の現場でどれだけ真面目に扱われているかはまた別の話で、検証する手立てが無いものは仮説の棚に置いたままになる。
17. 海外の名無しさん(>>15への返信)
仮に我々の宇宙がブラックホールの中にあったとして、それで何が変わるの?こちら側からは何も見えないし、明日の生活も物理法則も変わらないよね。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
「へえ、面白いね」で終わる種類の話ではないんだよ。「だからこれはこうなっているのか」という説明が付く種類の話。宇宙の始まり方や、なぜこの物理定数なのかという問いに、別の答え方ができるようになる。驚きの方向ではなく、腑に落ちる方向の話。
19. 海外の名無しさん
技術がどれだけ進んでも、我々にできる観測は観測可能な宇宙の内側に限られる。その外側にあるものについて直接の証拠を集めることは、原理的にできない。
補足しておくと、これは光より速く移動する手段や瞬間移動が今後も発明されないという前提での話。100パーセント否定はできないけれど、これまで分かっている物理はどれも「無理だ」と言っている。
20. 海外の名無しさん
単に、そこまで遠くを、そこまで明るく見られる望遠鏡が当時は無かったってだけの話でしょ。それはそれとして面白い話だけど。
21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
そこは少し違う。望遠鏡自体はその時点で数百年前から存在していたし、アンドロメダ銀河は肉眼でも見える。光害の少なかった昔ならなおさら。問題は望遠鏡の有無ではなく、そこまでの距離を正確に測る方法が長いあいだ無かったこと。見えていたのに、どれだけ遠いかが分からなかった。
22. 海外の名無しさん
面白いのは、論争に決着をつけたハッブルの数字自体もだいぶずれていたこと。彼が出したアンドロメダまでの距離は、今知られている値の半分以下だった。1950年代にセファイド変光星には性質の違う系統があると分かって、距離の目盛りごと引き伸ばされている。宇宙はそこでもう一度大きくなった。
23. 海外の名無しさん
じゃあ今の我々は何を同じように見落としているんだろう、という気分になる。100年前の人たちだって、手元の観測で説明が付く範囲のことを大真面目に議論していただけなんだよな。笑える立場じゃない。
24. 海外の名無しさん
12歳か13歳のころに一度だけ天の川を見たことがある。あの日はよほど空が澄んでいたんだと思う。スモッグも街の明かりも無い場所だった。人生であれ一回きり。
25. 海外の名無しさん(>>24への返信)
もう一度、街から離れた場所へ行ってみるといいよ。後悔しないから。条件が良ければアンドロメダも見える。あのぼんやりした染みが250万年前に出た光だと思うと、しばらく立ち尽くすことになる。
まとめ
1920年の時点で、宇宙の広さは決着していなかった。渦巻星雲が銀河の内か外かを決める材料が無く、答えを出したのは望遠鏡の大きさだけではない。ヘンリエッタ・スワン・リービットが用意した「周期から本当の明るさが分かる星」という物差しと、それを当てはめられるだけの光学系が揃って、初めてアンドロメダまでの距離が数字になった。エドウィン・ハッブルの功績は、その物差しを最も遠い場所へ届かせたことにある。
コメント欄で目立ったのは、当時の天文学者を笑う声よりも「彼らの立場ならそう考える」という擁護のほうだった。観測できる範囲がそこまでなら、そこまでが宇宙になる。そして話は必ず「では今の我々は何を見落としているのか」に流れていく。決着をつけたはずのハッブルの数字が30年後に倍以上へ書き換えられている以上、この居心地の悪さは当分ついて回りそうである。
元ソース: 「1920年代初頭まで、多くの天文学者は天の川銀河が宇宙のすべての星を含んでいると考えていた」(元スレッド)

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