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「1797年、独立まもないアメリカは連邦予算の約5分の1を海賊への”みかじめ料”に払っていた」その相手とは…?

「1797年、独立まもないアメリカは連邦予算の約5分の1を海賊への"みかじめ料"に払っていた」その相手とは…? 自然・科学

建国からわずか20年あまりの若きアメリカは、地中海を荒らす「バルバリア海賊」に商船を次々と奪われ、乗組員を人質に取られていました。国はそれをやめさせる力を持たず、身代金と「みかじめ料」を払い続けるしかなかった。1797年、その支払い額はなんと連邦予算のおよそ5分の1にまで膨れ上がっていたのです。

※注:バルバリア海賊とは、北アフリカのモロッコ・アルジェ・チュニス・トリポリといった「バルバリア諸国」を拠点に、地中海を通る商船を襲って積み荷を奪い、乗組員を捕らえて奴隷にしたり身代金と引き換えに解放したりしていた海賊のこと。「バルバリー」は北アフリカ一帯を指す当時の呼び名です。

今日の知ってた?

1797年、独立まもないアメリカは、連邦予算のおよそ5分の1(約20%)をバルバリア諸国への貢納金・身代金として支払っていた。当時の国家予算はわずか数百万ドル。海軍らしい海軍も持たない小国にとって、海賊への「みかじめ料」は国家財政を圧迫する重荷だった。

背景:バルバリア海賊とは

18世紀の地中海では、北アフリカ沿岸のモロッコ・アルジェ・チュニス・トリポリの4国が、通行する外国商船を襲う海賊行為を半ば「国家事業」として営んでいました。彼らは船を拿捕して積み荷を奪うだけでなく、乗組員を捕らえて奴隷市場で売ったり、身代金と引き換えに解放したりしていました。

ヨーロッパの海運国はこの脅威に対し、戦って追い払うよりも「毎年一定額を払って自国の船を見逃してもらう」という貢納方式を選んでいました。イギリスやフランスといった大国は独立前のアメリカ植民地の船を自国の旗のもとで守っていましたが、独立してその傘を失ったアメリカの商船は、地中海でいきなり格好の獲物になってしまったのです。

もう少し詳しく

「小国ゆえの弱み」が財政を直撃した。独立直後のアメリカには遠征できる海軍がほとんどなく、大西洋の向こうまで軍を送って海賊を叩く力はありませんでした。ヨーロッパの列強も、自分たちのライバル国の船が襲われるのはむしろ好都合とばかりに、アメリカを助けようとはしません。捕らわれた自国民を取り戻すためにも、アメリカは屈辱的な条約を結んで貢納を続けるしかなく、その負担が1797年には予算の5分の1に達しました。1797年に結ばれたトリポリ条約もその一つです。

やがて「払い続ける」から「戦う」へ。この経験が、アメリカに常設の海軍を持たせる大きな引き金になりました。1801年から1805年にかけての第一次バルバリア戦争では、若き合衆国海軍と少数の海兵隊がついに反撃に転じ、遠くトリポリの地まで攻め込みます。「金は払わない、力で守る」という姿勢は、その後のアメリカの海軍力と自由な通商への強いこだわりの原点になったといわれます。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
アメリカ海兵隊の讃歌に「モンテズマの広間から、トリポリの岸辺まで」って一節があるけど、その「トリポリの岸辺」ってまさにこの話なんだよな。歌詞に地名が残るくらい原体験だったわけだ。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
現地に上陸した海兵はほんの数人だったらしいけどね。それでも200年以上も語り継いでるあたり、海兵隊は自分たちの伝説を大事にする組織だなと思う。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
砂漠を500マイル行軍してデルナを攻めたあの遠征、実際に率いたのは元陸軍大尉のウィリアム・イートンで、部隊の大半はギリシャ人やアラブ人、ベルベル人の傭兵だったんだよ。海兵は9人だけ。手柄が海兵隊の伝説に吸収されちゃった感はある。

4. 海外の名無しさん
アメリカ海軍のルーツがこのバルバリア海賊との戦いにあるって、意外と知られてないよね。払い続けるのがバカらしくなって、ちゃんとした海軍を作ろうって流れになった。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
腹立たしかったのはお金だけじゃなくて、貢納を払ってもなおアメリカ市民を奴隷として連れ去られてたことなんだよね。金を払ってるのに人質まで取られたら、そりゃ堪忍袋の緒も切れる。

6. 海外の名無しさん
この頃ってそもそも税金らしい税金がなかったからじゃない?連邦政府の収入って大半が関税で、国がやってることも今よりずっと少なかったはず。

7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
その通りで、当時の連邦予算は1000万ドルほど。予算書そのものがたった9ページしかなかったって話もある。それでも国家予算の相当な割合を海賊への貢納に消してたんだから、やっぱり異常な負担だよ。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
その1000万ドルって、当時の銀に換算すると約200万ポンド分の銀塊なんだよね。1ドル=銀5分の1ポンドで設定されてた時代。数字だけ見ると小さいけど、実物の重さで考えるととんでもない量だ。

9. 海外の名無しさん
最終的にはアメリカもヨーロッパも我慢の限界を超えて、海賊の拠点を砲撃しまくって「二度とやりません」と約束させたわけだよね。話し合いだけじゃどうにもならなかった。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
まるで「テロリストとは交渉しても無駄」って教訓を先取りしてたみたいな話だな。払えば払うほど相手は味を占めるだけっていう。

11. 海外の名無しさん
「防衛には百万ドルを、しかし貢納には一銭も」って有名なスローガンがこの時代から出てくるんだよね。アメリカの船にちょっかいを出すな、という長い伝統の始まり。

12. 海外の名無しさん
1797年の連邦予算って全部で600万ドルくらいで、しかもそのほとんどが何らかの形で防衛費だったらしい。戦争の借金、退役軍人の年金、陸軍省、海軍省……国家のほぼ全部が「守り」に消えてた。

13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
産業革命前の600万ドルを、現代の1兆8000億ドルとそのまま比べるのはさすがに無理があるけどね。社会の規模も物価もまるで違う。とはいえ「予算の5分の1」って割合で見れば、当時の重さがよく伝わる。

14. 海外の名無しさん
面白いのは、貢納を払える豊かな海運国にとってはこの仕組みが都合よかったってこと。自分は金を払って見逃してもらいつつ、払えないライバル国が襲われるのを黙って眺めてられたんだから。手を汚さずに競争相手を潰せる仕組みだった。

15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
だから海賊はアメリカ船を狙い撃ちにしたんだよね。遠すぎて報復に来られないと分かってたし、ヨーロッパの大国もアメリカを守る義理はないと。弱いと見たら容赦がない世界だ。

16. 海外の名無しさん
当時のヨーロッパ列強は、ナポレオン相手の戦争で手一杯で、地中海の海賊なんて気にしてる余裕がなかったのも大きい。むしろアメリカが困っててもどこ吹く風だったんだよな。

17. 海外の名無しさん
この時代を扱った歴史書、けっこう面白いものが出てるよ。トマス・ジェファーソンとバルバリア戦争を軸に、アメリカがどうやって世界の海軍国へと踏み出したかを描いた本を読むと、この貢納の話が全部つながって見えてくる。

18. 海外の名無しさん
豆知識をひとつ。モロッコは実は、独立したアメリカを世界で最初に主権国家として承認した国なんだよね。モロッコとは早くに条約を結んでて、アメリカ船には手を出さない約束になってた。貢納を要求してきたのは主にアルジェやトリポリのほう。

19. 海外の名無しさん
1797年のトリポリ条約には「アメリカ合衆国政府はいかなる意味でもキリスト教に基づいて建国されたものではない」という一文が入ってる。建国期の生々しい外交文書にこう明記されてるのは、今読むと結構インパクトがある。

20. 海外の名無しさん
「常備軍も常設海軍も持たない」っていう建国当初の理想が崩れていったきっかけの一つがこれなんだよな。商船に銃を渡して有事に戦わせればいい、なんて甘い考えは、本職の海賊の前であっさり通用しなくなった。

21. 海外の名無しさん
このバルバリア海賊、調べれば調べるほど好きになれない連中だな。船を奪うだけじゃなく人を奴隷にして売り飛ばすのが商売の柱だったわけで。

22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
人を奴隷にして稼ぐ連中が良い人たちだったためしはないからね。時代背景を差し引いても、やってることはやってることだ。

23. 海外の名無しさん
そして最終的にはジェファーソンの時代に片がついた。就任早々「もう払わん」と突っぱねて戦争になったけど、結果的にアメリカが海軍を本気で育てる転機になったんだから、歴史って皮肉なものだ。

まとめ

建国20年あまりのアメリカが、連邦予算の約5分の1をバルバリア海賊への貢納・身代金に費やしていたという事実。海軍を持たない小国の弱みと、それを見透かした海賊、そして知らんぷりを決め込む列強という三すくみが背景にありました。コメント欄では、この屈辱がのちの合衆国海軍誕生と第一次バルバリア戦争につながったという歴史の流れに感心する声や、「払えば払うほど相手を増長させるだけ」という交渉の教訓に触れる声、モロッコが最初にアメリカを承認した国だという豆知識まで、幅広い驚きと補足が飛び交っていました。

元ソース: 1797年までに、アメリカは連邦予算の約5分の1をバルバリア海賊への貢納金として支払っていた

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