毎月最後の土曜日の朝、この国では店のシャッターが下りて、車の通行も止まる。18歳から65歳までの人が住んでいる地区ごとに集まり、道路を掃き、側溝の泥を上げ、木を植える。しかもこれは「良い心がけ」ではなく、法律で決められた義務である。出てこなければ罰金がある。ルワンダの「ウムガンダ」と呼ばれる仕組みの話で、海外の掲示板では絶賛と拒否反応がきれいに半分ずつ並んでいた。
※注:ウムガンダ(Umuganda)はルワンダの公用語のひとつ、キニアルワンダ語の言葉。「共通の目的のために集まり、成し遂げること」といった意味だと説明されている。
今日の知ってた?
🧹 ルワンダには「ウムガンダ」という月に一度の共同作業日があり、18〜65歳の国民には参加が義務づけられている。毎月最後の土曜日の午前、住民が地区ごとに集まって、道路の清掃、側溝の整備、植樹、さらには高齢者や生活の苦しい世帯の家の修繕・建築までを分担する。作業が終わると、そのまま地域の集会に移るのが通例とされる。
背景:ウムガンダとは何なのか
ルワンダはアフリカ大陸のほぼ中央、赤道のすぐ南にある内陸国である。面積は2万6千平方キロほどで、九州の7割ほどの広さしかない。そこに1400万人前後が暮らしている。人口密度がアフリカでも屈指に高く、丘だらけの地形に集落がびっしり張りついている——という前提を頭に置くと、この制度の輪郭が少し掴みやすくなる。土地が狭く、人が近くにいる社会なのである。
ウムガンダそのものは、政府が思いついた新しいアイデアではない。もともとは近隣の家同士で助け合う昔ながらの習慣で、誰かの家を建てるとき、畑の手が足りないとき、近所が集まって片づける。日本でいえば「結(ゆい)」や普請にあたる発想が、地域の共通語として残っていたと考えるとわかりやすい。
この習わしが国の制度として立て直されたのは、1994年に起きた大量虐殺のあとである。国の行政も地域社会も壊れた状態から立ち上がるにあたって、政府は「外から借りてくるのではなく、自分たちの中にある仕組みを使う」という方針を打ち出し、その一本柱としてウムガンダを復活させた。制度としての再スタートは1998年、法令の形で整えられたのは2000年代後半だと説明されている。
※ 開始・法制化の時期、および参加義務の細部は、ルワンダ政府および現地報道の説明に基づく一般的な記述で、年によって運用が変わっている可能性がある。
もう少し詳しく
当日はだいたいこう進む。時間は最終土曜日の午前8時ごろから11時ごろまで、というのが標準的な運用として知られている。この時間帯は商店が閉まり、公共交通や車の移動にも制限がかかる。集まるのは自分が住んでいる地区の単位で、その日に何をするかは地元の役職者が決める。道路の掃除や草刈りのような軽い作業の日もあれば、誰かの家を建て直す、学校の敷地を整える、といった大がかりな日もある。そして作業のあとには集会があり、行政からの連絡事項が伝えられ、住民の側からも困りごとが出る。この集会こそが本体だ、と言う人もいる。
参加しないとどうなるのか。対象は18歳から65歳で、正当な理由があれば免除される。体調が悪い人、高齢者、そもそも作業ができない事情のある人は外れる。理由なく出てこなかった場合には罰金が科されるとされているが、金額は地域や時期によって差があり、一律ではない。実際に住んでいた人たちの話として「罰金は経済的に余裕のある人にとっては小さい額で、払って済ませてしまう人がいる」という証言が繰り返し出てくる。
※ 罰金の有無・金額、免除の運用については、現地在住者・滞在経験者の証言として掲示板に書き込まれた内容と、報道での説明を突き合わせた範囲の記述である。
評価が真っ二つに割れている。肯定的に語られるときの根拠はわかりやすい。首都キガリは「アフリカでもっとも清潔な都市のひとつ」としてしばしば名前が挙がり、その理由の一部としてウムガンダが挙げられる。一方で、批判の側が指摘するのも同じくらい具体的である。参加が法的な義務であること、地域の集会が行政の指示を下ろす場を兼ねていること、そして現在のルワンダが強い統治体制のもとにあること。「地域の助け合い」と「統治の道具」は、この制度の場合ぴったり重なってしまっていて、どちらか一方だけを見て語ると必ず片手落ちになる。海外の反応も、まさにその線で割れていた。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
ウムガンダという言葉は「共通の目的のために集まって、何かを成し遂げること」という意味だそうだ。単語ひとつでそこまで言い切れるのがちょっとうらやましい。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
すごいな。その言語、語根の使い方の効率が良すぎるだろ。こっちは同じことを言うのに文章が三行になる。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
少ない言葉で足りるのに、なぜ多く喋る必要がある? という話だよな。まさにその原則を体現している単語だと思う。
4. 海外の名無しさん
要するに「みんなでやれば早い」ってことだろ。そう書くと当たり前すぎるんだけど、当たり前のことに名前がついてる社会は強い気がする。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
ただ、当たり前のことって標語になった瞬間に急に胡散臭くなるんだよな。ポスターに刷られた「みんなでやれば早い」ほど信用できないものはない。
6. 海外の名無しさん
みんなで手を動かして、自分たちが使う場所を綺麗で使いやすいものにする。本来これはどこの社会でも標準であっていいはずのことだと思う。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
アメリカのアースデイもこういう形にすればいいのにな。全員がその日休みで、自分の住んでる場所を掃除して、その環境をありがたく思って一日終わる。
追記:安易に和やかな話として読んで書いてしまいました。強制の話だという点をちゃんと読めていなかったので、そこは謝ります。
8. 海外の名無しさん(>>6への返信)
「自分から進んで」共有スペースを綺麗にするのが標準であるべき、という話なら全面的に賛成する。義務のところで自分は降りる。そこが分岐点だと思う。
9. 海外の名無しさん(>>6への返信)
豊かな国だと、税金を払ってそれが本当に上手い人にやってもらう方を選ぶ人が多いと思う。地域の一体感という意味では素晴らしいけど、仕上がりも効率も専門の人がやった方が良いものはたくさんある。逆に言えば、税をそこまで集められない国では十分に理にかなった仕組みだとも思う。
10. 海外の名無しさん
これ、ソ連にもあったやつだ。サボートニクっていう土曜日の無償労働で、今でも文句を言ってる人がかなりいる。ロシア語での言い方からしてもう皮肉が入っていて、「自発的・強制」みたいな造語で呼ばれてる。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
中世まで遡りたいなら賦役(コルヴェ)だな。要するに労働で納める税だ。この手のものはだいたい最後には恨まれる。権力を持ってる側が、いつのまにか自分たちの免除規定を作り出すからだよ。
12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
オランダだと corvée は高校の罰だった(今もかな)。校則を破ると放課後に校庭の掃除をさせられる。今日まであの単語の語源を知らずに使ってたわ。
13. 海外の名無しさん
これはかなり楽観的な書き方だと思う。姉がキガリに住んでるけど、実感としては「地域のために」というより「やらないと上から潰される」に近い。実際、多くの人は形だけ箒を動かしてる。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
ルワンダに住んでいた身として同意する。金を持ってる層はウムガンダに出てこない。少額の罰金を払えば済むからだ。貧しい人にはその選択肢がない。そこが一番きつい部分だと思う。
15. 海外の名無しさん(>>13への返信)
基本的には家にいれば回避できてしまうし、言うとおり実態はかなり形式的だよ。発想は悪くないのに、運用がついてきていない。惜しいというより、もったいない。
16. 海外の名無しさん
そもそも独裁体制の国だという部分が、この手のスレだときれいに素通りされるのが毎回不思議だ。制度の話をする前にそこを置いておくのは、順番として変だと思う。
17. 海外の名無しさん
仮に完璧に運用できたとしても、全国民に単純作業と素人仕事の建築をやらせているだけになる。労働の配分としては相当な無駄で、それぞれの専門分野で少し余計に働いてもらった方が、社会全体としては絶対に得なはずだ。
18. 海外の名無しさん
今年、結婚式でキガリに行っていて、ちょうどこの日に居合わせた。街が本当に静かになるので、最初は何かあったのかと思ったのを覚えてる。
19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
おお、よかったら何か話してもらえないか。このスレ、「奴隷労働だ」から「理想郷みたいだ」まで振れ幅がすごくて、実際に何をやっているのかが全然見えてこない。素人が本当に家や橋を建ててるとは思えないし、正直こっちも判断がついてない。
20. 海外の名無しさん
現地の暮らしを美しい話にしてしまうのは違うと思う。街には武装した部隊の巡回があるし、水を汲むのに何キロも歩く地域もある。政権への批判も根強い。ただ、そこに住んでいる人たちは本当に優しくて、その優しさと指導者の話は分けて考えたい。この助け合いの日そのものは、あの国にとって良いものだと自分は思っている。
21. 海外の名無しさん
日本の田舎だと地域単位でごく普通にやってるよ。うちの集落だと、みんなで海岸の掃除をすることがある(ゴミが本当によく流れ着く)。だいたい「青年団」と「婦人会」で動いていて、青年団は60歳未満なら全員入る。月に一回くらいの頻度で、側溝の掃除、道路や墓地の草刈り、学校の敷地の整備、行事の設営なんかをやってる。60歳を超えても参加する人は多いけど、全員に働けとは言えない。うちの最高齢は103歳で、杖がないと歩けないので。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
そこが決定的に違うところだと思う。日本のそれは法律の義務じゃなくて、事実上そうなっているだけだ。出ないと近所で角が立つ、という圧力はあるにせよ、行政から罰金は来ない。似た絵に見えても、背中を押している力の種類が別物だよ。
23. 海外の名無しさん
80年代にメキシコのすごく田舎の町に住んでたんだけど、土曜の朝は全員が外に出て、道と公園の手入れをすることになっていた。貧しい町だったけど、驚くほど小綺麗だったのを覚えてる。
24. 海外の名無しさん
アフリカの言葉には「人は他者を通してはじめて人になる」という趣旨の諺があるらしい。これ、けっこう腑に落ちる。どれだけ良い人格を持っていても、誰にも触れられないままなら、それは持っていたと言えるのか。人間らしさというのは、他の人間がいる場所でしか成立しないのかもしれない。
25. 海外の名無しさん(>>24への返信)
それは南部アフリカのングニ系の言葉の諺で、ルワンダのキニアルワンダ語とは別の言語圏の話だよ。「アフリカ」でひとくくりにされがちだけど、そこは分けた方がいい。とはいえ、離れた土地で似た発想の言葉が育っているのは、それはそれで面白いと思う。
まとめ
月に一度、国民が地区ごとに集まって道路と側溝と地域の家の面倒を見る——という制度が、法律上の義務として運用されている。海外のコメント欄は「どこの社会でも標準であっていいはずだ」という称賛と、「義務である時点で別の話だ」「金を持っている人は罰金で抜けられる」という批判に、きれいに割れていた。ソ連の土曜労働や中世の賦役、日本や中南米の地域清掃といった似た例が次々に持ち出されたのも印象的で、要するに「みんなで手を動かす」という発想そのものは各地にあり、違いはそれを押しているのが近所の目なのか、法律なのかという点に集約されていく。現地に住んだ人の「発想は悪くないのに運用がついてきていない」という一言が、この制度への評価としては一番落ち着いて聞こえた。
元ソース: ルワンダには「ウムガンダ」と呼ばれる月に一度の義務的な共同作業日があり、18〜65歳の国民が集まって道路の清掃、植樹、側溝の整備、インフラや生活の苦しい世帯の住居の建設を行っている

コメント
実家の近所では毎朝ばあさま方が家の前を掃除してるぞ
落ち葉の季節とか大変そう
あれだけ隣人が隣人を殺したんだから、社会に信頼を取り戻すためにはいい試みだと思う。